第一話【prologue end】
——失われたものを取り戻す。失われゆくものを繋ぎ止める。
斯くして人はやり直しに望む。その糸の先に何が住まうかも知らず————
マーリンさん…………だ。
目の前にいるのは、紛れもなくあのマーリンさんだ。
黒髪清楚系お姉様風ポンコツ童貞女から、銀髪天使にジョブチェンジしたあの————
「————ぶわ——」
「——へ?」
ぶわぁあん——っ! アギトぉおお——っ! と、なんとも情けない喚き声がこだました。
え、ちょ、近————ふぉおおおおおん——ッッッ⁉︎
「ゔぁああんっ‼︎ バカアギトっ‼︎ なんで君が死んでんだよぉっ‼︎ なんで君が…………わぁあんっ!」
「ちょっ、ちかっ…………おふっ…………おほぉっ⁉︎」
近い! 抱き着くな! 待って! やめて! やばいって‼︎ あっ…………あっ…………ああっ‼︎
はふぅん…………柔らか……良い匂いする…………むふぅ。
「…………マーリンさん…………マーリンさんがいて…………ここは————っ。俺は————俺————」
——生き返っ————ほぉおうんっ⁈ 待って! 本当に待って! やばいって!
すごい…………こう…………もにゅんって………………ね。
あ、いや待て。今なら…………今のうちに堪能しておく方が良いんじゃないのか…………?
だ、だってさ……今のこれは、本当にからかうつもりも無い奴で……それはとても貴重な…………じゃなくって!
「——なん——はぁあっ⁉︎ 生き返っ…………生き返ってる⁈ ここ……アーヴィンだよな……ってか……」
僕が最初にミラと出会った場所…………召喚された場所、アーヴィンの道端…………いや、トンデモナイとこに召喚してくれたな、あの姉妹。
もっとあっただろ、こう……召喚陣とかさ、ちゃんとした設備が整ってたりとか……思い出深い場所になるような…………ではなく。
「……生き返って…………帰って……っ! まさか……マーリンさん……っ!」
マーリンさんは僕の疑問に答える余裕も無いみたいで、わんわん泣き叫びながら僕のことを…………でへへぇ。めっちゃ……めっちゃやわこい…………じゃなくて!
「…………久しぶりに会ったと思えば、随分泣き虫になりましたね。こんなに人のシャツびちゃびちゃに…………」
もう、僕のシャツがマーリンさんの涙でビショビショ…………びちゃびちゃ…………ぬちゃぬちゃ…………ドロドロしてるんだけど。
「ふぎっ……ぐしゅっ……ずび…………チーン! ふぐ……ずびび」
「あっ、こいつ! 人の服で鼻かんでんじゃねえ‼︎」
なんだよその口の聞き方はぁ! と、まだ泣き止まないマーリンさんにそこら中を…………もう本当にそこら中をべっちゃべちゃのぐっちょぐちょにされて…………ったく。
「…………そんなに…………っ。そんなに泣かれたら…………俺だって…………っ」
「ぐすっ…………泣きたきゃ泣きなよ。泣き止み次第……ぐじゅ……慰めてあげるから……」
ああもう…………っ。マーリンさんが泣くから…………僕まで涙が…………っ。
帰ってきた。
ずっと——ずっとずっとずーっと…………願ってた奇跡が…………っ。
僕はまた……この世界に……この街に——アーヴィンに————
「迎えに来たよ、アギト。遅れてごめん……だけど、どうだろう。身体に不具合はないかな?」
「——ぁっ————マーリン——さん————っ」
ほら、いっぱい泣きなさい。と、マーリンさんはきっとひどい顔をした僕をぎゅうと抱き締め——————むっほぉおおおんっ⁉︎
待って涙引っ込んだ‼︎ 違う違う! 違うんだって! やめっ……涙じゃないの出ちゃうからっ!
てかさっきから近い…………ほふぅ。あ、待たなくて大丈夫です。
でへ……でへへ……幸せ…………じゅる。こんなとこあの子には…………………………
「————アイリーン——ッッッッ⁉︎ 違——これは違うんだよっ⁉︎ って…………そりゃそうか…………いるわけない……よな」
「む、あの女の子と随分仲良しになってたみたいだね。ぐす……まったくもう、ミラちゃんがいるってのに」
いえ、仲良しと言うか…………勝手にミラを重ねて妹みたいだなぁ……って。じゃなくて!
「さ、最後どうなったんですか⁈ なんか……こう…………ぐわぁー……っと。バリバリー……っと、なって…………記憶が……飛んでると言うか……じゃなくて! 占い師‼︎」
「あはは、活躍は見届けさせていただいたよ、勇者殿。それと……うん。君はまた、世界をひとつ救ってみせたよ」
あの後、気絶しているアイリーンと、もう意識が戻ることのない抜け殻のアギトを、占い師ことマーリンさんが町に運んでくれたらしい。
そして、アギトの体はこうして一緒に連れ戻されて…………
「…………そっか。そっかぁ……でも、最後にちゃんとお礼…………言いたかったな……」
「そこはごめんね、あんまり時間も無かったからさ。でも……みんな眠ったままの君に感謝してたよ。まさか本当に怪物を退治してくれるとは……ってね」
特にビルって仏頂面の男が君に感謝と、それから尊敬の言葉を述べていたよ。と、そんなツンデレおっさんエンドみたいな話を聞かされて…………そっか。
じゃあ……あの世界では、僕も立派に勇者を務め上げられたんだな。そっかそっか……
「……アイリーン、寂しがるかな。いや……あの子なら大丈夫か。ミラに似てたけど、ミラよりもっとしっかりしてそうだったしな」
「ふーん……あの女の子のこと、随分肩入れしてるんだねぇ」
え、さっきからそのキャラ何?
そりゃまあ……色々とミラのやつと被る所もあったからさ、意識はしますよ。
いっぱい恩もあったし…………やっぱりお礼言えなかったのは寂しいと言うか、悔しいと言うか。
あの時もっとちゃんとしてれば、気絶なんてさせずに最後の瞬間にもお別れが言えたのかな。
一週間くらいの短い間だったけど……いっぱいお世話になった。
「……届かないかもしれないけど。ありがとう、アイリーン。君のお陰で……アイツに貰ってたものを取り戻せたよ。ありがとう」
「…………君も大概ロマンチストだよね」
うるさいな。
さて……と。さて………………ぶわぁっ。
色々落ち着いて…………は、ないです。まだ混乱してます。
混乱してるけど…………やっと…………やっと……っ。
「…………ほら、今更恥ずかしがんなくても良いだろう。おいで、アギト。今日に限ってはいくらでも甘やかしてあげよう」
「…………っ…………俺…………また……っ」
おっぱいが——っ! なんて……もう、そんなこと気にしてられなかった。
アギトだ。また——アギトとしてここに戻って来られた。
マーリンさんがいる、フリードさんもオックスもどこかにいる。
それに…………っ。
「——————どうして————っ。どうして——こんなこと————っ」
その呪いは必然だった。
避けられない、堰き止められない。
感謝はある。
嬉しいと、歓喜に震えたい気持ちも多分にある。
けれど…………けれど————っ!
「——もう少しだった————ッ! もう少しで————あと——少しで忘れられる筈だったのに————っ」
溢れ出したのは、マーリンさんを呪う言葉ばかりだった。
生き返らせてくれてありがとう。でもそれどうやったの? って……笑って、それでもかなりブラックな話をしたかった。
またいっぱいからかわれるんだ……って、そんな楽しいやりとりをしたかった。
だけど————っ。
「————どうして呼び戻したりなんてしたんだ——っ。これじゃあ————これじゃあ忘れられなくなる——焦がれてしまう————っ。またここへ来てしまったら————俺はまたアイツを————」
「——ああ、幾らでも求めれば良い。君にはその権利もあるし、むしろ義務とさえ呼べる因果がある。その為に僕は君を————」
————っ! 僕は気付けばマーリンさんの胸ぐらを掴んで、地面に押し倒していた。
ふざけるな…………っ。ふざけるなこの————
「————アイツはもういないんだろ————ッ! いいや、違う————誰も————誰ひとりとして残ってないんだろ————ッ‼︎ もう誰も————もう誰も俺のことなんて——————」
分かっていた。
それは……なんとなく、分かっていたんだ。
ミラから聞いたんだ。召喚術式に必要な生贄のこと。
それから、最後の術式を起動させたのがマーリンさんだってこと。
答えは……ひとつしかなかった。
「————ああ——そうだ。僕が生贄にした。君に関する全ての記憶、記録。この世界に存在したあらゆる君の痕跡を————僕は生贄に捧げた——」
「————っ! だったら…………だったらもう…………俺は…………アギトじゃアイツの隣には…………っ」
分かってたんだ。
だから——どれだけ焦がれても、この奇跡だけはあり得ないって諦めていた。
諦めてたのに…………諦めようとしていたのに…………っ。
「…………あと少し……あと少しでスッパリ諦められたのに……っ。綺麗な思い出だったって、あんなにも楽しい日々があったんだって。あとちょっとでアイツのことも————」
諦められた筈なのに——っ。
頭の中で呪いの言葉が繰り返される。
大好きなマーリンさんを恨む言葉が、憎くもないのに湧いてくる。
もう二度と手に入らないって、分かってたんだ。だから、ちゃんと諦めた。
諦めたかった。
諦めようとしていた。
諦められそう——だったのに——
「——アギト————歯を食いしばれ————」
ゴヮン————ッ! と、鈍い音が頭の中で響いた。
そして視界が揺れて、すぐに僕の体は地面に組み伏せられた。
気付けばさっきまでとは反対に、僕の上にマーリンさんが馬乗りになっていた。
「————ふざけんなこのバカアギト——ッ! 何が綺麗な思い出だ——何が諦めるだ——ッ! ふざけんな——ふざけんなふざけんな——ふざけんなぁ————ぁっ‼︎」
ガツンガツンと、何度も拳は僕の頰に振り下ろされた。
からかわれているのでも、じゃれあっているのでもない。本気で握り込んだ拳だった。
けれど…………痛かったのは、顔ではなくて胸の奥の方で。
顔の上にぼたぼたと落ちてくる雫が熱くて。
指先とお腹が凍り付きそうな程冷たかった。
「————君が諦めてどうするんだよ——っ! 君の命だ——君の人生だ、君の物語だ————っ! 最後が綺麗に締まっただなんて——君がその終わりを受け入れてどうするんだ————ッッ‼︎ 君が君のバッドエンドを受け入れて————ハッピーエンドを求めないでどうするんだよ——————ッッ‼︎」
「——っ。でも————だったらどうしろって言うんだよ————っ!」
痛くなかった。
殴られても殴られても、ちっとも痛くなかった。
でも……胸が苦しくなって、つらくなって。泣き叫びたくなるから、僕はそれを両手で掴んで止めさせた。
けど……マーリンさんはそれじゃ収まらず、今度は思い切り振りかぶって、僕の頭に頭突きをしてきた。
それでも、痛くなんてなかった。
「————っ。俺じゃもうアイツの隣にはいられない——っ! もう戻れないんだよ——っ! アイツはもう独りじゃない、もう名前を呼んでくれるだけの他人なんて必要無い! もう……無理なんだよ……っ。今の僕じゃ……アイツの特別になんてなれないんだよ…………っ!」
「————んの——バカアギト————ッ!」
二発、三発と頭突きを食らっても痛くなかった。
けれど、涙でボロボロになったマーリンさんの顔が近くに寄る度に、胸が焼けそうな程痛くて…………僕は目を瞑ってそっぽを向いた。
そうしたらマーリンさんは僕の手を振り払って、拳を握ってまた僕を殴り始めた。
「——君は知らないからそんなことが言えるんだよ——っ! 君を呼び戻す準備の間——この百日余りの間に——っ! あの子がどんな顔で生きてきたと思ってるんだ——ッ!」
聞きたく無い——っ!
聞きたく無い聞きたく無い——そんな話は聞きたく無い————っ!
ブンブン腕を振り回して、お腹の上のマーリンさんを振り落とそうともがいた。
けれど彼女はそれを意に介さず、それどころか腕で覆った僕の顔を——心を無理矢理引きずり出して、また大きな声で怒鳴り付ける。
「——笑うんだよ——っ! 何も無い道、何も無いただの空き地で——っ。君と過ごした日々を覚えていないにも関わらず——君と歩んだ道のりを地図でなぞっては笑うんだ——っ!
けれどそこには何も無いから、あの子は凄く寂しそうな顔で僕に言うんだ!
大切なものを忘れている気がする。大切なことが思い出せないでいる気がする。
顔も覚えていない君の痕跡を探して——あの子はいつも迷ってるんだよ——っ!」
「——それが————っ。それでも…………俺は…………っ」
——もう——アイツに家族と呼んで貰える自信が無いんだよ————っ。
そう言いかけて、けれどその前に僕の体は上半身だけぐいっと持ち上げられた。
「————君だったんだよ——っ。あの子が本当に欲しがったものは……君だけだったんだよ……っ。君が——っ。たったひとりのあの子の家族である君が…………諦めるなんて……っ」
胸ぐらを掴んでいた手に更に力が込められる。
首が絞まって苦しくて、慌てて開いた目の前に、瑠璃色の綺麗な瞳を揺らめかせながら僕を睨んだ顔があった。
涙をボロボロこぼしながらも、強く真っ直ぐな目が僕を見つめていた。
「——言った筈だ——あの子を守れ——と。あの子の道行きに訪れるあらゆる災厄から身を守れ。あの子の縋るものとして、その身を彼女に差し出せ。
この言葉を君に——僕はこれを命令として贈った筈だ。そして——君の目の前にいる女は、まごうことなき魔女なんだよ————」
ぎゅっと胸が締め付けられた。
ああ、その言葉には覚えがある。
兄さんが倒れた後、責任感と履き違えた不安に駆られて僕が暴走した日。
そしてミラと喧嘩をして……っ。
あの日のミラと同じ、凄く冷たい目を…………けれど、それとは違う“寂しい”って感情も一緒に僕に向けている気がした。
「——これは契約だ——魔女を相手にそれを覆すなんて叶うと思うなよ。
たとえ君がこれから何度死に至ろうと、僕はその底から君を掬い上げる。君の自由なんてどこにも無いんだよ。
僕は君に命令をしたんだ——あの子の心を守れと、他ならぬ君に命令をしたんだ————っ」
「……そうは言ったって……どうしろって言うんですか…………っ。
もうアイツは俺を覚えていない。もうアイツの隣に立つチャンスは無い。
マーリンさんが紹介したから……なんて、そんな理由でアイツが僕を家族だなんて呼ぶわけがない。
アイツにとって本当に特別な意味を持つその言葉で、どうやったらまた呼んで貰えるのかなんて…………俺には分からないんですよ…………っ」
マーリンさんは、きっと苦手も苦手、へったくそな脅しで、僕にその命令を思い出させた。
けれど……僕の方もこれが本音だ。
戻って来たかった。
またアイツと一緒に過ごしたかった。
けれど……それは、遠目にアイツの元気な姿を眺められれば良いなんてヌルい感情じゃなかった。
僕は家族として——また、半身としてアイツと一緒に——
「——バカだな——君は本当にバカアギトだ——っ」
「——マーリンさん————?」
僕の言葉にマーリンさんは目を丸くして、そして優しく僕のことを抱き締めた。
バカだ、バカアギトだと、何度も何度も……嬉しそうに呟きながら。
「…………君達は奇跡みたいな確率の下に縁を繋いだ。そしてふたり……たったふたりきりで旅を始めた。
そんな君達は、ふたりの力で世界をひとつ救うなんて本物の奇跡を起こしたんだよ……? 君は、奇跡を起こしたんだよ。だったらさ————」
世界ひとつ救った君が、家族ひとり救えない道理があってたまるかよ。と、マーリンさんは僕をあやすように背中を撫でながらそう言った。
「…………取り戻すんだよ、全部。その為に僕がいる。奇跡を起こす、その助けになる為に。僕は君を迎えに来たんだよ」
「……マーリン…………さん…………っ」
おかえり、アギト。と、マーリンさんはまた笑った。
笑って、そして嬉しそうに僕のことを抱き締めた。
また耳元からぐすぐすとすすり泣く音が聞こえた所為で……僕もまた泣き出してしまった。




