(106119,709232,4,5,0)
町の事情はなんとなく分かった。
僕がここに来た理由も、原因も。
そして、僕がこれから進むべき先…………目標も。
だが…………だが僕はその日、何もしなかった。
より正確に言うのならば、何も出来なかった。
「おはようございます、アギト様。朝食の準備がもうすぐ出来ますので、お掛けになってお待ちください」
翌る日の朝、少女はにこにこ笑って僕にそう言った。
僕は勇者として、町の平和を取り戻す使者として呼び出されたらしい。
らしいのだが…………残念ながら、彼女以外の誰もがそれを歓迎していないのだ。
歓迎しているだけの余裕が無い……と言うべきか。
「……今日はその……町の外…………怪物ってのがいるところを見に行きたいんだけど……」
「……外……ですか。かしこまりました。ですが……その、すみません。怪物の住まう山までは…………いくら勇者様と言えど、ひとりで戦うのは危険過ぎますから」
いいや……本来ならば歓迎したいところだったのだろう。
歓迎して、機嫌をとって。なんとかして怪物を退治して貰おうと、縋る思いで僕の到着を待ちわびていた筈だ。
だが……その間にも人が死に、蓋を開けてみれば、こんなちんけな子供みたいなのが現れて。
藁にもすがるとは言うが、見えている泥舟に飛び乗る勇気もまた人間には持ち得ないものだろう。
「……そっか。分かった、でも外の案内だけはして欲しい。町の中は……あんまり歩き回らない方が良さそうだしね」
「…………申し訳ございません。みんな……みんな疲弊しきっているんです。このままではこの町は……自分達の生活は終わってしまうと。怪物の脅威が、みんなにそう思い込ませてしまっているのです」
それは分かってるよ、大丈夫。と、昨日まで出来なかった多少の気遣いを向けて、僕は出された魚のスープをひと口食べた。
本当にギリギリだろうに、僕には出来るだけ美味しいものを……良いものを食べて貰おうと頑張っているのが分かる。
せめて食材の調達……狩りくらいは手伝ってあげられないものか。
「…………とは思ってみたものの……」
立ちはだかる問題は多い。
まず、僕はこの町で信用を得なければならない。
かつて王都でやったように…………いいや、あんなぬるい話じゃない。
あれはいわば出来レース。王様は最初から味方だったし、そもそもとしてマーリンさんの後ろ盾もあった。
街の人は最初から好意的に僕達を見てくれていたし、それに議会の承認ってのも、正直王様の一声で幾らでも封じ込められた筈。
僕達は、最初から勇者として認められるように出来ていた。
ただ少し問題が発生して、魔王を倒すという先後が入れ替わった使命の後に、勇者として任命される形にはなったけど。
しかし、この町において僕は完全に余所者。
それも、全く期待出来ない、獣の狩りすら出来ない非力な子供でしかない。
王都には大勢の騎士がいて、マーリンさんがいて、フリードさんがいて。あの時の僕達に求められていたのは将来という先の話だったが、ここではそれも違う。
あまりに逼迫した状況故に、僕に求められているのは今日というこの瞬間の平穏だ。
怪物の脅威に対抗出来る力が自分達にはあると、そういった安心をこの町には提供しなくてはならない。
「…………」
そして……それら全てに根ざす大きな問題。僕になんの力も無いという無慈悲な現実が立ちはだかる。
あの旅の中で多少の成長はあっただろうが、結局一度としてひとりの力で何かを成し遂げたことは無い。
魔獣を倒したこともある。だがそれは、アイツの魔具を使っての話だ。
魔王を倒すキッカケを作った……トドメの一撃を誘発させたこともある。だけどそれだって、マーリンさんの補助とアイツのくれた勇気が無ければあり得なかった。
いつだってふたりで乗り越えてきた障害として、僕はまだひとりでは何も出来ないままでいるんだ。これがあまりにも痛い。
ひとりでは出来ない。ならば人と手を取り合って……と、そうしたいのは山々だが、残念ながらそうする為にも信用を得なければならない。
しかし、信用を得る為にはそれなりに力を見せなければならない。
なのに、地道に人となりを理解して貰って……なんて悠長も出来ない。
とどのつまり、誰の力も望める状態にはない……ということ。
僕は理解されなければならない。そして求められなければならない。
しかし、その為には実績が必要になり、実績を上げる為には力が必要となる。
力の足りない僕がひとりで実績を上げるのは不可能に近く、誰かの協力を仰がなければならないが…………
ここで振り出しに戻り、協力を得る為には理解されなければならず、また必要とされなければならない。
それも今すぐに、だ。
「……アギト様? その……美味しくなかったですか……?」
「え……あ、いやいや。美味しいよ、美味しい。ありがとう」
せめてこの子がキッカケになってくれれば……と、そう望みたくもなるが……それはあまりにも無責任で、そして勇者らしからぬ心がけだよなぁ。
この町でのこの子の立場がどうとか言うつもりはないけど、普通女の子ひとりに町人全員の心が動かされるなんてのはあり得ないんだ。
その点はアイツとは違う……違ってくれる方が嬉しい。
あんな悲しい、寂しい関係は嫌だし、そうでなさそうだとも思ってるけどさ。
「ご馳走さま。あんまり気を使わなくても大丈夫だよ。僕は余所者だし……それに、君だってまだ子供なんだから。いっぱい食べないと」
「ありがとうございます。ですが……そのお言葉はそっくりお返しさせて頂きます。私に気を使わないでください。
ここはアギト様の家、私はそのお世話をするもの。いっぱい食べないといけないのはアギト様も同じ。なら、お客様をおもてなしするのはより大切なことですから」
えへん。と、胸を張って、少女はまた僕の手を引っ張って宿舎を飛び出した。
町の外…………アーヴィンでは町の外は魔獣がいて……いいや、魔獣はどこにでもいて、街の中だけが安全であった。
この町は……その、正直言って小さいし、砦なんて無いし。
話を聞いた感じだと、魔術師なんてのもいなさそうだから、結界という可能性も無いんだろう。
それでもこうして安全に暮らしてるってことは……
「……すみません、何も無い田舎で。でも……この景色が私は凄く好きで……」
「…………そうだね、僕もそう思う。凄く綺麗な……穏やかな景色だ」
町を出るとすぐに、何も無い平原が広がっていた。
後ろを振り返るとすぐそこに町があるのに、前を向き直せば一瞬で人の形跡が消えて無くなってしまう。
どうやらここは、本当に田舎の……集落とでも呼べる程度の町なのかもしれない。あるいは村と呼ぶべきか。
町の中から外の様子が分からなかったのは、外に何も無いから、背の低い建物の向こう側にさえ何も見えなかったからなんだな。
一応、町を挟んで反対側には山が見えていて…………あれが問題の怪物の根城なんだろうとすぐに分かった。
「……これ、他の町まではどのくらい掛かるの?」
「ええと……丸一日程歩けば、ここよりも小さな農村に辿り着きます。大きな町を目指そうと思うと、そういった小さな村を転々と泊まり歩きながら…………早くても五日は掛かりますね」
その話は占い師さんにはしたの? と尋ねると、少女は首を傾げながら、同じようなことを尋ねられたので、お教えしました。と答えた。
成る程……となると、その占い師ってやつはこの町の近く……少なくとも、一日二日でいける距離の村にいると見て良いだろう。
そこで機会を窺っている……僕がやってきて、そして怪物を倒せる何かキッカケになる出来事が起きるのを待ち望んでいるんだ。
僕がこの町を救う勇者としてそいつに呼び出されたのなら、僕を放ったらかしにして何処かへ行ってしまうのは愚策過ぎるだろうし。
「山に出る怪物ってどんなやつなの? 前に出たのは大蜘蛛……って言ってたよね。大蜘蛛ってなると……単に大きい蜘蛛? それとも何か特別な……強い毒を持っていたり、他の動物の特徴を兼ね備えていたり。普通の蜘蛛じゃないって思わせる何かがあったとか?」
「山に現れたのは大蛇です。普通の蛇とは比べ物にならない、大樹の様に太い蛇でした。
大蜘蛛については……そう、ですね。凶暴で身体が大きいので、人を襲って食べてしまうと言われていましたが……これといって変な特徴はありませんでした。
いえ……人を襲う程の大きさが、もうおかしな話ではあったのですが……」
それはまあ……うん。サイズの問題……自分より小さくて弱い生き物を襲うのが生物として当然の行動だろうし。
普通よりも大きければ、そこも普通とは違うものになって当然だろう。
しかし…………となると、魔獣とは違う、普通の動物として扱えそうだな。
大きくなり過ぎただけの生物……ええと、魔獣は急激に大きくなり過ぎて、身体に負荷が掛かってたんだっけ。
でも、聞いた感じじゃそういう変質は起きてなくて、ただ環境的に大きく育ってしまったって感じなんだろうか。ううむ……
「……って……また蛇……」
「? 蛇がどうかなさいましたか?」
あ、いや。こっちの話。と、誤魔化しはしたものの……ため息が止まらない。
はあ……また蛇……爬虫類かよ。
僕達の旅は蛇に始まって蛇……龍に終わった。
嫌と言う程あの薄気味の悪いひんやりした目を覗き込み続けたんだ。
そろそろ他の…………出来れば、あんまり強くなさそうなやつで、見た目もグロくないやつ。
そして倒すのに躊躇がいらない、可愛いとは呼び難いタイプが出てきて欲しいものだけど。
「…………まさかとは思うけど、僕のこと蛇退治のスペシャリストだと思って選んでないよな……?」
問題は山積みだが、しかしそれをひとつずつこなしている猶予は無い。
ひとりでやるには膨大ながら、人を頼るアテも無い。
ただ漠然と不安ばかりが増えていく中で、僕はその日を町の周囲の確認に充てた。
アーヴィンから見た景色とは掛け離れた、それでも綺麗だと思わせる自然を目に焼き付けて。
日が暮れると、占い師という男の目的と行動をひたすら予想しながら眠りに就くのだった。




