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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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 静かな朝がやって来た。

 他の誰にも変わっていない、アギトとしての朝だった。

 夢は……見なかった。

「…………そうかよ……っ」

 どうやら以前のように二日おきに……と、そういうわけではないらしい。

 ここへ来させられた理由は知らないけど、何かをしなくちゃ戻れないのか。

 それとも…………もう二度と、此処からは出られないのか。

 浮かんだのは、ミラの顔よりも兄さんと母さんの顔だった。

 アイツとの約束、秋人として頑張るって決めたのに……

「……っ——」

 ばちんっ! と、両手で頰を殴って、そして大きく長く息を吐く。

 切り替えろ……と、頭の中で呟いたのは、あの日々の中でもよくあったことだ。

 そうだ、切り替えろ。こうなってしまった以上は、なんとかして戻らないといけない。

 アイツのいない世界でもう一度勇者を目指せ……なんてのが召喚者の望みなら、あの地獄だってもう一度迎える覚悟をしなくちゃ。

 なんとしても戻る、なんとしても約束を果たす。

 それだけが……僕の持ってる唯一のプライドなんだ。

「……となったら……情報を集めないとな」

 ぐっと膝に力を入れると、足が鉛のように重たくなったのが分かった。

 ああ、もう。分かってる。それも承知の上だから。

 僕の体は——アギトの体は、秋人の精神以上にあの最期を覚えているんだ。

 恐怖に足が竦むのも想定内、時間が掛かるであろうことは分かってる。だけど……

「——っ! 行くぞバカアギト……っ。お前は勇者だったんだろ……僕とは違う……本物の…………っ!」

 がつん、がつん。と、拳で腿を打ってやっとのことで歩き出すと、僕は真っ先に食堂へと向かった。

 僕をはじめに勇者と呼んだ女の子、アイリーンと名乗ったあの子に話を聞いてみないと。

「……っ! おはようございますっ、アギト様っ!」

「っ……お、おはよう」

 食堂へと向かうや否や、彼女は目をキラキラさせながらおはようございますと僕に頭を下げた。

 他に宿泊客がいないのか、食堂にはどうやら僕と彼女だけらしい。

 こんなところまであの時と同じなんてな……

「お食事の支度、すぐに致しますね。昨晩はお召し上がりになりませんでしたが、体調は大丈夫ですか? 腕によりをかけて精の付くものをお作りしますので、少しだけ待っていて下さいね」

「あ、ああ……えっと。ご飯の前に……ちょっとだけ話をしたくて……」

 お話ですか? と、目を丸くして、彼女は首を傾げた。

 さて……どう切り出したものか。

 僕にとってはいち大事。元の世界に戻れないって慌てふためいて、それをこの子に相談したとして…………果たして通じるのか、という問題。

 それともうひとつ。僕がこの地を離れたがっているとこの子が知ったら……悲しむだろうか。

 勇者様なんて呼んで慕ってくれているこの子の中には、果たしてどれだけの希望が——裏を返すと、この町にはどれだけの絶望が襲っているのだろうか。

 尋ねるなら……やはり一度この世界の事情から……

「…………礼拝堂に参りましょう。悩みがあるのならば、まずお祈りです。神様はきっと見ていますから。本当に苦しんでいる人を見捨てたりはしません。

 事実、私達の元へ貴方を遣わせて下さいました。苦しいことがあるなら、吐き出して楽になりましょう」

「え……いや、そういうのじゃ……」

 そうと決まったら急ぎましょう! と、少女は僕の手を引っ張ってズンズンと歩き出してしまった。

 強引と言うか…………たくましい子だな。

 ああ……やっぱりお前にそっくりだよ、ミラ。

 お前にそっくりなこの子のことを……僕は裏切りたくないなんて考え始めてる。

 お前のことを散々裏切って、約束も破ったこの僕が。

 ムシが良い話だよな……だけどさ……


 礼拝堂に着くと、既に数人の参拝者……? がお祈りを捧げていた。

 やっぱり、アイツがやってたのとは違う。それに僕の知ってるものとも違う。

 けど……みんな真剣にお祈りをしてる様子だった。

「さあ、アギト様。苦しいこと、つらいことは、ここで神様に相談しましょう。貴方の信じる神様にでも、この町の神様にでも。やり方をとやかく責める人はいませんし、そんなことで神様も見放したりはしません。さあ」

「………………わ、分かったよ」

 別に神様にお祈りしたかったわけじゃ……まあ、この際神頼みでもなんでもするけどさ。

 ああ……えーっと……ごほん。やり方なんてアイツの真似しか出来ないけど……

「天に御坐す我らが父よ——」

 小指で唇を撫で、そして膝を突いた。

 両手を胸の前で合わせて目を瞑って、どこにいるのかも知らない父神様にお願いごとをしてみる。

 どうか貴方の元へ——貴方が信仰されている世界へ、あの街へ——と。

 それが叶わぬのならばせめて…………と。

 けど……そもそもこれだってやり方があってるのかも分かんないんだし、祈りが世界を超えて届くのかも……まあ、怪しいところだよな。

「……やっぱりこういうのじゃなくて…………っとと」

 目を開けてゆっくり振り返ると、そこには両目を閉じて深く頭を下げた少女の姿があった。

 この子もきっと信心深い信徒なんだろう。ああくそ……やっぱりアイツに似ている。

 まあ……アイツはとんでもない罰当たりものだって後々判明してるけど。確かに、お祈りしてる時は真面目な顔をしていたんだ。

 ああ——今更になって気付いたけど、あの時のアイツは、信じてもいない神様にすら縋る思いだったのかな。

 どうかお姉さんを元に戻して下さい。

 どうか私をみんなから愛される子供にして下さい。

 どうか——どうかこの少年に加護を与えて下さい。

 なんて……後から聞いた話を思えば、きっとそんなことばかり考えてたんだろうな。

「……はっ⁈ も、もうお祈りは済みましたか⁈ て、手際が良いというか……い、いえっ! 信仰の形に優劣はありません。簡潔なお願いであるならば、神様だって叶えるのも楽になるでしょうし。では……お食事に戻りましょうか」

「あ、いや…………うん、そうだね。そっちで話を……」

 ここは意外と人もいるし、静かにしなくちゃいけないしね。

 どうにも話が噛み合わない彼女に連れられて、僕達は礼拝堂を後に……

「————アイリーン。それが……そんなのが占い師様の言っていた勇者様かい」

「……ビルさん……っ。そうです。この方こそが、占い師様の預言にあった勇者様。この町を救ってくださる救世主です」

 歩き出した僕達を呼び止めたのは、さっき礼拝堂でお祈りをしていたうちのひとりの男だった。

 ビルと呼ばれた彼は、どうやら僕に対して良い感情を持っていない様子だった。

 まあ……そりゃそうだよ、冷静に考えたらさ。

「アイリーン、いい加減にしなさい。あの占い師様は確かに町を一度は救ってくださった。

 しかし、その後に起こることも預言していながら、それは全て無視して立ち去ったのだ。あまり信用し過ぎても……」

「そうです、その為にこの方が現れたのです。占い師様は全てを預言なさいました。私ではなく、後に現れる勇者こそが町を救ってみせるだろう、と。

 これまで全て言い当ててみせたあの方の預言に、そして強さに、偽りはありません」

 占い師様が……町を一度救っている……?

 男の言い分は残念ながら正当なものだ。一度町を救って貰った恩義は感じている。

 けれど、次に現れる脅威に対して、預言だけを残して立ち去ったのならば、それは確かに不誠実と言うか……人情に欠けると言わざるを得ない。

 僕がここへ来た七日前……なんだよね、結局は。

 その予言の通りに僕が現れて、そして既にこの町に脅威が迫っているのなら…………数日ここに滞在するだけで、その問題も解決出来たのだから。

 それを責めるのは、まあ……弱い者、守られる者としては、当然の心理だよな。

「……何が出来ると言うんだ、こんな小さな子供に。占い師様は見捨てたのだ。私達を……この町を。金も無くロクに謝礼も出せないこんな町は救うに値しないって……」

「違います——っ! 占い師様は絶対に…………っ。ビルさん、お気持ちは分かりますが……あまり人の陰口を叩いてばかりでは、救われるものも救われませんよ」

 少女はつらそうな顔でそう言って、そして男に背を向けてまた歩き出した。

 じっとりと手が濡れていて、相当ストレスを感じていたのが分かった。

 男に詰め寄られたことが……ではない。きっと……あの男に対して諫言じみた言葉を向けることがつらかったのだろう。

「…………その……彼にいったい何が……? とても……その、只事じゃなかった感じがして……」

「っ…………そうですね。宿舎に戻りましたらそちらで全てお話しします。あまり……大声でしたい話でもないので……」

 暗くなってしまった彼女の横顔に、少し胸が痛くなった。

 アイツもこんな顔をしていた……ひとりで背負おうとしてる時の顔だ。

 この子の立場……ええと、仕事。戦士の補佐をする……と言っていたけど、少し歩いた感じでは戦士なんてこの町には見当たらない。

 そもそもとして、武具を扱っているお店も無さそうだ。

 どんな事情があるのか、少し怖い気もするけど……聞かないことには進まないしな。


 宿に戻ると、少女は僕を食堂の席に座らせて、そして重苦しい顔で立ち尽くしてしまっていた。

 一度座りなよと促しても、少女は一向に座ろうとも話そうともしない。

 こういう時、僕はアイツにどうしてやっていたっけ。

 アイツの時は…………うん。

 この子のことも、信じて待ってあげよう。

「…………占い師様がやって来たのは、今から十日ほど前です。その時、この町にはひとつの脅威が迫っていました。

 それが大蜘蛛……ええと、人を食らう程の大きな怪物が、近くの山に巣を張っていたのです」

 怪物……魔獣みたいなものか。

 まあ……そういうのには多少は慣れがある。戦って勝てるかと問われれば、それは勿論ノーだけど。

 しかし……そうか。占い師がそれを退治して、その数日後に僕が来るという預言を残して……と、そういうことだろうか。

「大蜘蛛は占い師様が討伐して下さいました。しかし、アギト様がいらっしゃる七日前に、預言を残してまた旅へと出られて……っ。

 預言はふたつ。ひとつはアギト様の……勇者様の来訪を示すもの。そしてもうひとつは…………数日の内に、大蜘蛛に代わる脅威が現れるというものでした」

「……そっか……それであのビルって人は……」

 彼の場合はそれだけではありません。と、少女はまた俯いてしまった。

 凄くつらそうで、見ているこっちが泣き出しそうだ。

 だけど……彼女は首を振って、そして必死になって話し続けた。

「ビルさんは……ビルさんの息子さんは、その新たな怪物との戦いで……命を落としました。

 その方だけではありません、他にも大勢の町の人が亡くなっています。

 なので、みんな疑心を抱いてしまっているのです。占い師様は私達を見捨てたのではないか、と。

 勇者という話もすべてデタラメで、お金の無い私達は、救うだけの価値が無いと切り捨てられてしまったのではないか……と」

「……でも、そう考えるのは自然だよ。事実、君は僕を勇者と呼んでくれるけど…………っ。僕には戦う力なんて無い。ただ占い師の預言の日に現れただけの無力な男でしかなくて……」

 はい。それも預言の通りなのです。と、少女はさっきよりも控えめに首を振って、そして僕の手を取った。

 預言の通り……? じゃあ……じゃあやっぱり、占い師はこの町を……

「……占い師様は仰いました。現れる勇者は、確かにかつて世界を救いし者であったが、今はその自信を喪失しているであろう、と。

 そして同時に——町を救うには、その勇者の力が無ければならない、と。

 きっと占い師様は準備をしているのです。ひとりでは敵わない強敵を前に、貴方という増援を待っていたのです。

 私は私達を救ってくださった占い師様を最後まで信じます。

 あの方の仰る通り、アギト様が自信を失っているのなら…………きっと私がそれを取り戻そう……と」

「……それでこんな見ず知らずの、それにどう見たって強そうにも見えない男の世話を……? いくらなんでも楽観的過ぎるよ……それは……」

 いいえ。と、少女は首を振った。力強い目をしていた。真っ直ぐで、よどみのない目を僕に向けて——そして、優しく微笑んだ。

「占い師様はアギト様を——後に現れる勇者様を、大層信頼していらっしゃいました。どれだけ頼りなく見えても、その男は事実として世界を救ったのだ……と。

 占い師様の目は嘘を言っているものではありませんでしたし、それに……貴方もまた、真っ直ぐな目をしていらしたので。

 ひと目見て確信しました。あの方は嘘なんてついていない……と」

「…………世界……を……? そ、その占い師ってどんな……」

 背が高く、長い黒髪の男の方でした。と、少女はそう言った。

 背が高くて……髪の長い…………そして僕を——かつてのアギトを知っている男——?

 フリードさん…………は、金髪だ。それに、あの人ならわざわざ僕を待つまでもなくどんな相手も倒してしまうだろう。

 そもそも別の世界に渡る力なんて…………となると……

「……その人に会えば答えが……元の世界に帰る手掛かりが…………?」

 誰かは分からない。多分、知り合いじゃないのだろう。

 けれど、少なくとも別の世界を————かつてのアギトを知っているのは確かだ。

 そして……それを知ってる、見る術を持ってるってことは、召喚術式を扱えた可能性も高い。

 この町を……この世界を救う為に、別の世界で魔王を倒した勇者を呼び出した……と。そう考えたら……辻褄も……

「……その、でもですね。だからと言って……私はアギト様に戦って欲しいわけではないのです。

 自信を失っている……と、そういう話でしたから。きっと……つらい思いをされたのだろう、と。

 そんな方がやってくるのならば、せめて元気になって頂かないと。

 私のお仕事は……戦士様の補佐をすること、戦士様の心を守ること。

 もう……他に誰もいないのならば、せめてアギト様を……と」

 少女はそう言って、そしてすぐに、ご飯の支度をしますね。と、キッチンへと向かってしまった。

 ああ、そうか。あの子は……あの子もまた、大勢の親しい人を失ったんだな。

 その穴を埋める為に、この大きな建物にひとりきりという寂しさを紛らわす為に。

 ああ……そんなとこまでアイツとそっくりなのか。

「…………どちらにせよ……だよな」

 ひとつ、目的が決まった。

 山に現れたと言う新たな脅威、怪物。それを倒そう。

 勿論、僕にそんな力は無いけど、戦うことに意味がある。

 そしてそこで……占い師とやらに会うんだ。

 きっとそいつは魔術師だ。それも、この世界ではあり得ない程の高位な術師だろう。

 何処の誰だか知らないけど、事情を聞いて、そして元の世界へ戻る手段を手に入れる。

 あの子のことも放っておけないし、それに……ミラに恥じない勇者でいないといけないから。


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