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————なんだよ——これ————っ。
この手には、この体には覚えがある。
声にも、目線にも。
これは、良く馴染んだ僕の肉体だ。
あり得ない。あり得てはいけない。
だってそうだ…………っ。ここは…………
「——はぁうっ⁉︎ も、申し訳ありませんっ、勇者様っ! 申し遅れました、私はアイリーンと言います。駆け出しながら、この街で戦士様を補佐する仕事をさせて頂いています」
勇者……っ。アイリーンと名乗る少女のその言葉にも、僕の中ではふつふつと怒りの感情が湧き上がって来た。
ふざけるな…………ふざけるなよ…………っ。
何が勇者だ、どうしてまたアギトなんだ。
そうだろう……だってここは————
「勇者様、よくぞいらして下さいました。僭越ながら、私が町の案内を……」
「————また——繰り返せって言うのかよ————っ」
————ここは——この世界はアイツのいる世界じゃないじゃないか————っ。
勇者様……? いくらなんでも悪い冗談だ。
僕は確かにそれを目指した。その一歩手前まで迫れたって……勘違いかもしれないけど、それだけ頑張れたって自負もある。
だけど…………
だけど……僕達はふたりで…………っ。
「あの…………勇者様…………?」
「——っ! やめてくれ……僕は勇者なんかじゃない……っ。なんの力も持たない、ただの…………」
ただの……なんだ。
お前はいったい何者なんだ。
どれだけ考えても答えなんて出ない。
そりゃそうだ、だって僕は亡者なんだ。
アギトという男は既に死した。
秋人という形ではなく、アギトとしてここにいる以上はそういうことだ。
僕はまた何かを求められてここにいる。
召喚術式によるものなのか、それとも別の何かなのか。分かんないけど、分かる必要も無かった。
「……僕は勇者なんかじゃない…………勇者になんてなれなかったんだよ…………っ」
事実としてここにあるのは、ミラという半身を失った、そして勇気さえ失った出来損ないだった。
頭の中はまだ混乱している。目の前の少女が何者なのかとか、ここがどこなのかとか。
こんなところで、勇者として何を求められているのか……とか。
でも、そんなの全部どうだって良い。全部…………っ。
ここがアーヴィンじゃないことが……この世界が僕の知っているものじゃないって、本能的に察してしまったことが。
アイツとは会えないって——————またミラと一緒に要られるわけじゃないって————っ。
それだけが理解出来てしまって、それ以外のことに興味がなくなってしまっていた。
「…………勇者様、宿にご案内します。お疲れのご様子ですし、しばらくそこでお休み下さい。大丈夫です、貴方のお世話は私がしますから」
「っ……お世話って…………こんな見ず知らずの人間相手に……」
似ている。そう思う度に、やはりここにはアイツがいないのだと突きつけられている気がした。
あまりに無防備で、そしてあまりに無警戒で。僕のことを——見ず知らずの得体も知れない男のことを、あまりにも信頼し過ぎている。
アイツは……僕の事情を、正体を知っていた。
知っていて、知らないふりで取り入ろうとしたって言っていた。
もしかしてこの子も……? そういえばさっき……
「行きましょう、勇者様っ。大丈夫です、美味しいものを食べてゆっくり休めば元気になりますよ」
少女はそう言うと僕の手を引っ張って、見た目とは裏腹に力強い足取りでズンズンと進んで行った。
やっと……やっと立ち上がって、手を引かれて。そう、やっと。やっと、僕は周囲の景色に意識を向けられた。
町の様子も見ずに、ただ本能と空気の匂いだけでここがアイツのいる世界じゃないって決め付けていたらしい。
きっとそれは事実だし、覆らないだろうけど……っ。
ただそれでも……この場所には少しだけ、寂しさを感じる何かがあった。
少女に連れられてやって来たのは、随分と立派な……とてもじゃないが栄えている都市とは呼べないこの町の中で、一番か二番に立派な建物の前だった。
「ここは勇者様のように、他の街、外の国からやって来られた戦士様が寝泊まりする為の施設です。すみません。勇者様に折角いらして頂いたのに、特別な待遇で持て成すだけの余裕もこの町には無くて……」
——っ。
少女は何かある度に僕に優しく声を掛けて、そして嬉しそうに笑ってくれた。
どうやら本気で僕のことを勇者だなんて勘違いしているらしい。
そう在りたかった、そう成りたかった。
けれど……現実問題、ここにいるアギトという男には、それに相応しい力は伴っていない。
かつて目指したということと、今求められていることとのギャップが、尚更胸を苦しくさせる。
「こちらが勇者様のお部屋です。ベッドも出来るだけ良いものを準備していますし、下の食堂に来て下さればお食事は幾らでも振舞わせて頂きます。着替えの服も部屋に備えていますし、それに……」
「——やめてくれ……っ。言ってるだろ……僕は勇者なんかじゃ……」
アギトの手を引っ張っていた少女の手を振り払い、僕はすごく冷たいことを言ってしまった。
ひどいことだ。たとえそれが誤解だとしても、僕にはそれを咎める権利なんてないのに。
違うのだと誤解を解くのならばいざ知らず、押し付けるなと反発するようなことをして。
向けて貰った厚意に対する仕打ちがこれなんて、いったい僕は何してるんだ。
頭の中では……そうやって反省みたいなことも出来た。だけど……っ。
「…………お腹が空いたら、必ず食堂にいらして下さいね。失礼致しました、私はこれで。
お部屋は好きに使って頂いて構いません。どうかゆっくりとお休み下さい、勇者様。
私は…………いいえ。私達は、貴方を待っていたのです。待ちわびていたのです。気の逸りをどうかお許し下さい」
少女はぺこりと頭を下げて、そしてぱたぱたと急ぎ足で姿を消した。
僕に残されたのは大きな罪悪感と、そして誰もいない大きな部屋だけだった。
「…………最低だな……本当に……っ」
立て付けの良い立派な扉を潜って、そして少しだけ埃臭い部屋の中に入る。
きっと誰にも使われることなく持て余されていたんだろう。
窓が開いていたり、所々水の跡があったりするのを見るに、急いで準備された部屋なんだろうな。
急いで準備してくれた部屋……なんだ。
僕なんかの為に、誰かが貴重な時間を割いて……
「…………どうしたら良いんだよ……っ。お前のいない世界で僕は……どうして勇者なんかに…………っ」
ダメだ……どれだけ考えても…………っ。
あまりにも理不尽だ、こんなの。
どうして……どうしてまた…………っ。
秋人としての日常じゃない。
アギトとしての日常でもない。
ずっとずっと歩んでいたあの日々はどこにもない、なのに……っ。
「————っ! ぁあ——うあぁあ——っ! ふざけるな——っ! ふざけるなよ……こんなの…………っ。こんなの…………っ!」
この部屋はひとりになるには広過ぎた。
アイツがいない。大事な半身が——家族が、ミラが。一番大切なものが欠如している。
どうしてまた僕なんだ。
どうしてアギトなんだ。
そして……どうしてあの世界じゃないんだ……っ。
「繰り返せってのかよ——っ。また……またいちから、そして終わりはまた……っ」
また…………またあの最低の最期を迎えるって言うのかよ…………っ。
息が苦しい、気持ち悪い。
吐きそうだ。
何もかもが嫌になる。
あの日、僕は間違いなく立ち直る為の一歩を踏み出させて貰った。
もう一度やり直せるんだ……って。
最低最悪の人生を捨てて、もう一度新しくやり直せるんだって。
けれど……それは違って、僕は最低最悪だと思っていた大切な日々と向き合って。
だけど…………そんな風にしてくれた世界を……アイツを…………っ。
「…………ダメだよ……こんなの……っ。無理だ……幾らなんでも……こんなの割り切れないよ…………ッ」
ミラがいない。
ただそれだけを確信して……そして打ちのめされる。
取り戻したんじゃない、もう一度繰り返させられているに過ぎない。
あの子はアイツによく似ていた。
小柄で、人懐っこくて。純粋で真っ直ぐな目をしていて、そして凄く……甘い。
甘ったる過ぎるくらい優しくて、けれどそれは間違いなく打算や計算に後ろ盾されていて。
そんなあの子が、勇者様と僕を呼んだ。そして待っていたと言った。
どうやらこの世界は勇者を——救世に足る力を求めて僕を呼び付けたらしい。
潰れて死んだ勇者の残骸を。在ろうことか、最も役に立たない半分だけの勇者の出来損ないを。
「……ダメなんだよ…………っ。もう……僕には…………」
ベッドの上に横になって、そして気を失うように眠りに就いた。
いいや……眠るように気を失ったのだろう。
現実から逃げたかった。かつてそうであったように、僕はまた逃げる為にそこに落ちたのだ。
目を覚ませば少年の頃に戻っているんじゃないか、って。
夢から覚めればまたアイツと————
アラームは鳴らなかった。
背中に暖かさも無ければ、お腹の上で目覚めを急かす声もしない。
どこにも僕の朝は無かった。
けれど……その明るさは、押し付けがましいくらいに朝という瞬間を主張していた。
「…………二日……経てば…………っ」
縋る思いで僕はシーツの中に潜り込んだ。
二日経てば……そうだ、また秋人に戻れるかもしれない。
一年前とは真逆、元の世界に戻りたいと強く念じながら目を瞑る。
アイツに頑張れって言われた大切な日々を——アイツのおかげで頑張れるって確信した大切な世界を——っ。
取り戻すんだ、なんとしても。
こんなわけの分からない世界なんて……
「……っ。あの子……心配してくれる…………よな……」
昨日はお昼……少なくとも、日の出ているうちに眠ってしまったから。
晩ご飯を……或いは、昼ご飯も作って待っていてくれたのかもしれない。
あの子が食堂でご飯を作る係なのかは知らないけど、待っていてくれたのかもしれないって考えると……裏切りたくないって気持ちが湧いてきた。
もう……大き過ぎる裏切りを働いているってのに。今更どうしてこんな気持ちに……
「……あっ、勇者様っ! おはようございます、よく眠れましたか?」
重たい足取りで階段を降り、そして食堂に向かうと……やはりあの少女は笑って僕を出迎えてくれた。
あまりにも眩しい笑顔だった。
僕はそれが失われてしまうのが……僕の所為で曇らせてしまうのが怖くて、ただ黙って頷いてしまっていた。




