後—— ■_error)
お疲れ様でした、また明日。と、僕は店長と一緒にお店を出た。
もう誰かと一緒に帰ることはないけど、それでも別に寂しいなんて思ったことは………………たまにしかない。
ただ……今日に限っては別で、いつも決まってふたりで歩いていた道をひとりで歩くのは……
「……いやいや…………キモ過ぎるな、それは……」
それでも寂しいものは寂しいんだよぉおおん!
いつも決まって僕の少し前を歩いていた花渕さんの背中は無く、ただそれでもいつも通りに歩けば看板が見えてくる。
魔女の田んぼ。とっくに看板の明かりも消えた閉店後のケーキ屋に、僕はひとりやって来ていた。
「ほいほい、いらっしゃいでござるよー。んもう……本当にひとりで来たんでござるか? 内心ちょっと美菜ちゃんも……と、期待していたでござるが……」
「…………その発言、意図は分かるけど歳の差の所為でシャレになんないからね……?」
んふ、手厳しいwwと、まあなんともわざとらしい返事……相槌? 相変わらず現実にネットノリを持ち込みたがる男だ、嫌いじゃないけど。
もうカケラ程もかっこ良いパティシエ田原の姿をイメージさせない弛みきったデンデン氏は、これまた相変わらずな手付きで紅茶とケーキを…………ん? なんか匂いが違う…………
「生憎今日はほうじ茶ですぞ。いえいえ、決して悪意ではなく」
「ああ、こっちの方が合うって話………………ほうじ茶が合うケーキってなんだよ……?」
食べていただければ分かりますぞ。と、出されたのは、小豆の練り込まれた抹茶のロールケーキだった。
ああ……いや、なら緑茶…………だと被るのか。いやでもほうじ茶…………
「別に紅茶でも美味しいんじゃない? まあ……文句は無いけど」
「むほほ、それもそうなんですがな。折角なら一番良いと自信を持てる形で提供するのが、まあパティシエなんて名乗っている以上は。矜持ですから」
ちくしょう、かっこ良いこと言いやがって。
しかし成る程、ほうじ茶のほんのり苦いのがクリーム多めのロールケーキと合う。
抹茶のおかげで甘いだけじゃないんだけど、しかしクリームの量が量だから、油っ気が口の中に残ってしまって。
そこへほうじ茶の…………じゃなかった、別の食レポしに来たんじゃないんだ。
「…………あのさ、デンデン氏。デンデン氏は…………悪夢とか見る?」
「ほ? 突然ですな、そして随分………………子供みたいなこと言い出しましたな。怖い夢見てひとりは心細い、なんてのは美少女にのみ許された言動ですぞ……?」
ちっげぇよ馬鹿野郎! 要約するとそうなりかねないけど、僕としては違うと思ってるんだよ!
心細くないかと言われると…………まあ…………とっても心細いですし、だからこそ相談しに来たんだけど……
「……いや、昔にあった嫌なことを夢で見る時ってあるじゃない? そういう時……どうすると早く立ち直れるかなぁ……って」
「ふむふむ……して、それを何故拙者に……?」
そりゃあ…………ねえ。そういう思いもいっぱいしてるだろうから。
顔良し、声良し、職業もかっこ付くやつだし、お店も繁盛してる。
だけど、ひとりでお店出してここまで来るにはそれなりにキツイこと、つらいこともあった筈だ。
そうでなくても…………このコミュ障だ。子供の頃は対人関係で困ったりとかも……
「…………そうですなぁ。拙者は…………無理に切り替えなくても良いのではないか……と。そう考えますなぁ」
「切り替えない……それじゃいつまでもしんどいままじゃない?」
それはそうなんですけどな。と、ほうじ茶をすすって、そしてデンデン氏はケーキをひと口…………またお茶飲んで………………ケーキ…………え? ちょっと、終わり? それはそうなんだよねー。で、終わり⁈
なんだか勝手に慌てる僕を見て、デンデン氏は困ったように笑った。
「嫌な思い出を避けても、また別の嫌な思い出はやって来ますな。ならば、せめてそこに紐付けられている楽しかった思い出で上手く中和して…………中和しきれなかった場合は、まあ諦めてその日は鬱モードで生きていくしか……」
「ええ……全然解決してない…………でも、ふむ。紐付け……ねえ……」
ちなみにどんな夢を見たんですかな? 言いたくなければ無理にとは言いませんが。と、デンデン氏は妙に目を輝かせて…………意外とグイグイ来たな……ごほん。
まあ、笑ったり言いふらしたりする人じゃないのは分かってるけど…………とてもじゃないがなぁ。
「……詳しくはあんまり言えないけど…………自分のやったことで……良かれと思ってやったことで、大切な人が深く傷付いてしまう夢。本当にその時は悪気なんて無くて、そうすればきっと上手くいくって……自分はつらい思いするけど、きっとみんなが報われるって……そう思ってやったことで……」
「…………ふむ。それはまた……確かに立ち直りにくい問題ですなぁ」
楽しい思い出とはたくさん紐付いてる。最後の最後にアイツが頑張ってくれたおかげで、大概は平気なんだ。
だけど……今朝のは本当に最悪だったから。今でもまだ背筋が凍る思いだ。
デンデン氏は困った困ったと言いたげな顔で唸りだし、そしてケーキの最後のひと口を頬張った。
スポンジもクリームもふわふわだから、噛むまでもなくすぐに食べ終わっちゃう。
「……拙者も似たような苦い思い出がありますが、それについてはまだ克服出来てませんなぁ。いえ、する必要が無い…………してはならないとまで考えておりますが」
「克服しちゃいけない……? それまたどうして?」
戒めにしなければ。と、デンデン氏はふたり分の空いたお皿を片付けて、そして今度はほうじ茶の入ったポットを持って戻ってきた。お喋りしてると喉乾くもんね。気を使っていただいて申し訳ない。
「……同じ過ちを繰り返さぬように。その思い出を飲み下さぬところで保つのが、拙者に出来る唯一の罪滅ぼしだと思っておりますから。
喉元過ぎれば……と、諺にもあります故。それを克服した……乗り越えたという慢心、不遜は、いずれまた同じ過ちとして自身を焼きかねませぬ」
「なるほどなぁ……そういう考え方もあるもんか……」
あまりオススメはしませんがな。と、デンデン氏は笑った。
むほほでもデュフフでもない、静かな笑い声だった。
もしかしたら……僕がこんな話をしてしまった所為で、そのことを…………
「拙者の場合は、相手に謝る機会を逸してしまったが故の自己満足に過ぎませぬ。一番は、関わった、迷惑を掛けた人に謝罪し、償うこと。
それが難しければ……やはり、他の何かに対して代わりに良い行いを返すこと。
後悔して立ち尽くせばそこまで。しかし、それを糧に出来れば大きな燃料となることでしょう」
「……デンデン氏がまともなこと言うと、やっぱりその…………イラっとするな。良い意味で意外性の塊過ぎる……どうして普段もっとちゃんと出来ないのさ……」
んんw辛辣wwwと、また元に戻ってしまったデンデン氏を尻目に、僕は二杯目のほうじ茶を飲み干した。
さて……あんまり長居しちゃいけない、お互いの為に。僕も明日は早いんだ。
「ごめん、遅い時間に押し掛けて。でも…………うぐ…………ぐぐぐ………………来て良かった……ちょっとは楽に…………なったよ…………っ」
「なんでそんなに苦しそうな…………まあ良いですが。では、また。お互い頑張りましょう」
週末だからね。と、お互いに大きなため息をついて、そしてすぐに笑って解散した。
そうだ、明日は土曜日。こんななんだか分かんない不安で潰されてる場合じゃない。
明日明後日は修羅場だ…………っ。いや、本当に。
お店の人気も結構上がって、しかも花渕さんがいなくって。日曜日の営業は、いつも配達帰りの西さんまで総動員でてんやわんやの大忙しなのだ。
ただいま。と、玄関をくぐると、今日はすぐにおかえりと返ってきた。
うん……やっぱりひとりが心細かったんだな。
リビングに向かえば、そこには美味しそうな甘辛い醤油の匂いが…………すき焼き? 肉じゃが? おっと、牛丼か! いいね……我が家の牛丼。
牛丼屋さんで食べるあの甘めの牛丼ももちろん好きだけど、家で作るちょっと辛めの牛丼も好き。いえ、うちのレシピが砂糖少なめってだけなんだけど。
「………………兄さん、これ食べるの……?」
「た、たまにはな……良いだろう……」
しらーっと冷たい目を向けると、母さんが笑ってフォローにやってきた。
ここの所減塩に気を使い過ぎだったから、たまには味の濃いものも食べて良いだろうって。
お医者さんにも外食はなるべく避けて欲しいけど、家で気を使って作ったものなら多少は良いよって言われてるみたいだし。
「今日はお醤油を少なめにして、玉ねぎをいっぱい入れて。味の足らないところはケチャップとお味噌とおろした生姜を入れてね」
「へー…………ケチャップと味噌⁈ お、美味しいの……?」
食べてみれば分かるわよ。と、なんだか自信満々な母さんに押し切られて…………いえ、押し切られなくても食べるけど。
食べないわけないだろ、母さんがせっかく作ってくれたのに。
僕も割と急激に痩せて体調崩しやすくなってるしね、減塩とか健康志向は嬉しいのだ。さてさてお味の方は……
「アキ、先に手を洗ってこい。子供じゃないんだから……」
「っとと……いけないいけない」
でも、食欲が戻ったのは良いことよ。と、母さんは僕のこともフォローしてくれる。
やっぱり家はいいなぁ、ひとりじゃないって最高だなぁ。
念入りに手を洗って、うがいもして。よーし、ご飯ご飯! なんで僕はご飯前にロールケーキ食べてきてるんだろうね…………?
醤油とかケチャップとか味噌とか牛丼とか、結論から言ってあんまり違いは分からなかった。
母さんが凄いのか、それとも僕がバカ舌なのか。それはどっちでも良いんだけど。
さて……明日も早いからね。シャワーも浴びたし、さっさと寝よう。寝て起きたらまたアイツを………………
「……っと、違う違う。明日は土曜日……忙しいから早寝するんだよ。まったく……」
ほんと……全然立ち直れないなぁ。
デンデン氏のやり方を信じるのなら……このままアイツとの思い出に引っ張って貰っていっても良いのかな……?
でも……それじゃいつまでも子供みたいで…………成長が…………
「————なんだ——? どこだ————ここ————」
部屋の中真っ暗だ……おかしい。豆球は消さないし、そもそも窓から外の光が多少は入ってくるのに。
ああ、そうか。これは夢……真っ暗な中にいる…………夢…………っ。
「——また————まさかまたあそこに————っ」
夢の中のふわふわした状態でも全身に力が入る。
緊張感が鼓動を早めて、そして周囲の変化に気を配らせる。
もし……もしまたあの最期の瞬間を繰り返す夢だとしたら……っ。
いいや、乗り越える。
今日は————今日も勝利でこの夢を乗り越える——っ。
そうだ、何度も何度も勝ち残る、生き残るパターンの夢も見てきた。
負けるばかりが——嫌な思い出で終わってしまうばかりがゴールじゃない。
さあ……掛かってこいよ。僕はいつだって————
——————みーつけた——————
「————っ‼︎ 何が——————」
頭の中に不意に浮かんだのは、あの女の子の声————アギトと僕の名を——俺の名前を呼ぶ誰かの声——————
夢が終わる、世界が終わる。
真っ白な光に飲み込まれて————僕は——————
さわさわと風に擦れる草の音が聞こえた。
頰を撫でたのは少しだけ冷たい空気で、けれど……形のない温もりに包まれているようで。
なんだろう……まだ……夢…………? 僕は……いったい…………
「——あの——っ。お、起きてください————っ! 危ないですから、起きてくださいっ!」
聞こえたのは知らない声だった。
感じたのは知らない匂いだった。
いつかどこかで嗅いだことのある、むせかえるような青の匂い。
僕はそれを知っている——
知っているからこそ——————
「ああっ、良かった……馬車に轢かれちゃいますよ」
「————ここ——は————」
目を開けば、目の前には赤眼の女の子がいた。
周りには知らない景色が広がっていた。
空の色、雲の色、草の匂い。
そして……知っている、自分の手の形————
「…………っ! 予言の通りです! これより七度の夜明けを超えて、勇者は街に現れる。黒い瞳の少年こそが、救世主に違いない。占い師様の言う通りでした!」
目の前の少女は暗い茶褐色の髪を揺らしながら、何やら嬉しそうに飛び跳ねている。
僕を…………僕を見て、なんだか知らない言葉を並べて喜んでいるらしい。
可愛らしい仕草が、大きな目が、小さな身体が。まるでアイツみたいな無邪気で人懐っこい姿の別人が…………目の前に——
——————みーつけた——————




