後日談・弐
「よーっす。まだ潰れてない?」
えっ、いきなりめちゃめちゃ失礼。
閉店間際に入口のベルが鳴って、いらっしゃいませを言う前にそんな肝の冷えるセリフが聞こえて来た。
やめてよ、誰だよそんな本気で怖い話するの。って……
「花渕さん、久しぶり。どうしたの、今日学校は?」
「今日はサボり……いやいや、そんな顔しないで。言っとくけどね、アキトさん? けっ…………こう、暇なの。て言うか面白くないの。なんなら役にも立たないの。
まあ……単位だけ貰いに行ってる、卒業の形が欲しいだけだしさ。最低限だけ顔出して、後は家で勉強してる方が都合良いんだって」
え……こ、この不良娘! そんな子に育てた覚えはありませんよ! ごほん。
僕はほら…………中学もロクに行ってなかったからさ。高校の勉強なんて、何してるのか全くイメージ湧かないんだけど。
花渕さんのレベルと定時制の高校のレベルとでは、随分かけ離れてるんだろうなぁ……くらいは…………分かってなかったです、はい。へー……そんなに違うんだ……
「いや、実際全然友達出来ないし。暇も暇よ、暇過ぎてカビそう。って、それでサボってばっかりじゃカッコもつかないけどさ。分かってても…………ホントに苦痛よ……アレ……」
「あはは……そ、そんなになんだ……」
絶対卒業はするけどね。と、花渕さんは大きなため息をついてそう言った。
そしてお店の中をキョロキョロと見回すと……あ、お腹空いた? 賄いのご飯まだあるから食べてく? それとも今日はパンの気分?
「…………全然変わんないね、ここは。いや、褒めてないからね? 今ちょっとおこだから、姿勢正せこのポンコツ中年」
「ひぃっ……お、怒られるの…………? ってかおこって……うふふ、花渕さんでも流行り言葉使うんだねぇ」
しみじみ。いや、それもう割ともう古…………ごほんごほん。
何はともあれ、どうやら僕は今からお説教をされるらしい。
元バイトの、それも後輩の、今はただの女子高生に。
くっ…………いかん、シチュエーションだけ並べると、何かそういういかがわしいプレイにも…………
「私がいなくなってから相当気ぃ抜いてんね。掃除は流石にサボってないみたいだけど……ふんふん。
ほら、例えばここ。桜あんぱん。いやぁ、春だしねぇ。なんて、三月に店長が作ったは良いけどさ、流石にいつまでもこんなど真ん中に置いとくもんじゃないよね?
さっさと数減らして脇に退ける。ってかなんでこれ期間限定じゃないの……」
「ひいぃ……本当にお説教始まったよぅ…………うん、言われてみるとそうだね、何も返す言葉がございません……」
しっかりしなよ、正社員。と、お腹をつつかれた。
ちょっと、自分でつついておいてびっくりするのやめてよ。分かってるでしょ、つい最近まで太ってたことは。
一気に痩せるとそうなるの、お腹の皮だるんだるんなの。
その、ブルドッグの首の付け根みたいな感触がした……みたいな顔やめて。もう脂肪でパンパンの秋人は居ないの。
「……で、売り上げの方はどう? 順調? もしキツかったら……しょうがない、バイトもやめてロクにお金も無い苦学生の花渕さんが貢献してあげましょう」
「あはは、そうして貰わなくても平気なくらいには売れてるよ。人手が足りなくてたまにつらい時もあるけどね…………早い時間にだけでも戻ってこない……?」
戻りたいのも山々だけどね。と、花渕さんは小さくため息をついた。分かってるよ、そんな余裕は無いもんね。
いくらスーパーマンみたいな花渕さんでも、一度に抱えられるものには限度がある。
今は自分のことで手一杯。それでもきっと、僕よりずっと戦力になるだろうけど…………中途半端はきっと本人が認めないだろう。
やるからには全力。以前と同じか、それ以上の成果を出せないならやらない。完璧主義者だからね。
「ま、流石にさ。いくらこの花渕さんと言えども、環境の力には敵わないわけで。
やー、実際離れてみると痛感するよ。友達にさ、学年末のテスト見せて貰ったんだけど……まあ、酷いもんだったし。
いや……独学で追い付くのキッツイわ。絶対追い付くし、追い抜くけど。
やっぱり環境が整ってないと人は伸びにくいよ、絶対勝つけど。
勝手に学校やめといて、でも予備校には通わせてくれ……なんて言う気も無いし。
幸いこっちにはまだ四年あっからね、いくらでも取り返せるじゃん」
「相変わらずの負けず嫌い……でも、そうしてる方が花渕さんらしいけどね。もしつらくなったら田原さんとこ行きなよ。勉強出来るのかどうかは知らないけど」
今そこ関係無いし。と、じとっと睨まれ……でへへ、相変わらずの美少女。
これがどうしてあんな男に…………と、そういえばその後どうなったんだろう。
もう冷めちゃったのかな、それともまだ……?
とりあえず共通の知り合いとして、たまにデンデン氏と話題にあげることもあるけど。
学校が無い日は、以前のように閉店間際に顔を覗かせることもある。って、氏は言ってたが。
「はー、しっかし……アキトさんは話しやすくて良いわ。慣れって言うのか、まあ……半年一緒に働いてたしね、どう接したら良いか分かってるのデカイ。
いやもうさ……ほんと、地獄よ。別に見下すつもりもないし、見下せる立場にないけど。
今の学校だと、私は割と浮いてるから。悪い意味で。
流行りものなんて興味無いし、そうなると上っ面の会話はほとんど出来ないし。
お互い腹に嫌なもん抱えてるってケース多いからさ、どこまで踏み込んで良いものやら」
「それで珍しく口数が……いや、僕としても元気そうなとこ見れて嬉しいけど」
おしゃべりでごめんね。と、花渕さんは悪びれもせずにまた僕のお腹をつっついた。
悪びれる必要が無いことも理解してらっしゃるご様子で。
もう閉店だし、締め作業も大体終わってる。今ちょっと店長が出掛けてて、帰って来てからの仕込みの手伝いまでは割と暇だから、話相手は僕としても好都合なのだ。
「……そういうのも味わうとさ、やっぱアキトさんすごいわ……って。あん時、躊躇無く踏み込んで来たもんね。んで……気付けばこうだもん。
なんなんだろうね、アキトさんのソレ。人の警戒心を緩くする呪いとか受けてる感じ?」
「呪いって…………そんなこともないと思うけどなぁ。どっちかって言うと、むしろ友達出来ないタイプだったと言うか……」
基本コミュ障ぼっちだったからね……ぐすん。
最近……いや、去年一年で随分と成長したもんだ。
お客さんとも普通に会話するし……おばあちゃんがメインだけど。
冗談言い合ったり、相談に乗ったりもするし…………おばあちゃんがメインだけど。
うん……これについては多分、おばあちゃん側に警戒心を解く祝福系スキルが働いてるだけ。
別に僕は変わってない……太ったおっさんが小太りのおっさんになったくらいだと思うけどなぁ。
「……ま、言いたいことも分かるよ。多分、弱ってる人が頼りやすい空気出してるのかもね。
あ、だからって詐欺とかやめときなよ? マジで一番向いてないから、嘘つくの下手過ぎるし。騙してる最中に罪悪感で泣き出しそうだもん」
「ぐっ……そ、それは褒めてる……ってことにしておくね……?」
くそう、それは本当に言い返せないからやめてください。
嘘つくの下手……ってか全部顔に出るらしいんだよね。
はあ……どこ行ってもこれ言われるんだもんなぁ。っと、そうこうしてる間に閉店時間だ。看板変えてこなきゃ。
「ちょっとごめん、先に看板だけ変えてくるね。座って待っててよ、花渕さん発案のあの席にさ」
「発案って……別にただのパクリ……良いけど、別に。てか付き合わせてるだけだと悪いし、掃除手伝うよ。片付けながら話すのも久し振りで良いでしょ」
え、マジ? 助かる。って、いかんいかん。もうアルバイトじゃない花渕さんにそんなことさせるのは……って、ああん。もうモップ出してるし。手が早いんだもんなぁ、相変わらず。
こうなると何言っても聞かないって言うか、むしろ無駄話してる暇があったら掃除しろ! って言われかねないし。好意は受けておくか。
「————みーつけた——アギトっ————」
からんからん。と、入口のベルが鳴った。おっと、いかんいかん。閉店時間とは言えお客さんだ。
まあ……個人店だし、何が困るわけでもないし。存分に買い物して行って貰おう。
なんて、まあ随分と回るようになった仕事用の脳みそが答えを弾き出している間に、随分と幼い女の子の声が聞こえた。
「えっと……いらっしゃい。ひとりで来たの? お母さんかお父さんは……」
いらっしゃいませを伝える相手は随分と幼く、まだ小学校に上がったばかりかと思われる小さな女の子だった。
雨の予報も無かったってのに、両手で大事そうに傘を抱えて、ツヤツヤサラサラな黒髪を跳ねさせながら、女の子はぴょこぴょこ走ってお店の中に入って来る。
あれ……えっと、僕の名前呼んだ……よね?
知り合い…………の、娘さん? え? まさかデンデン氏——っ⁈
いやいや、それは無い。でも……アギト…………って。
「どったの、アキトさん。お、ちびっ子。親御さんは……あれ、すぐそこには居なさそうだけど。てか知り合い? 名前呼んでたし。え…………ま、まさかとは思うけど…………」
「ちが——違うよっ! 電話を出さないで! 通報しないで! 違うよ! 事案じゃない! 事件でもない! ごほん。えっと……ひとりでどうしたのかな? パン買いに来たの? お使い?」
ちょ、ちょっと……花渕さんや…………スマホと僕とを行ったり来たりするのやめて。通報した方が良いかなぁ……って顔やめて。
しかしどうだろう、本当に見覚えの無い子だ。
お母さんに連れられてお店に来たことがある……とか、そういうことならまあ。
名札もしてるし、名前を呼ばれたのも頷ける。
アギトとアキトじゃそう変わらないし、間違えて覚えたか、僕が聞き間違えたかだろうし。
でも……そういう記憶も無いのだ。
子供は走り回ったりして危ないこともあるからね、結構気を使って見てる分、顔を覚えてるんだ。
違います、犯罪の臭いはしません。ちがっ……花渕さんってばっ!
「……ねえ、アレなに? 虫? あのおっきいの」
「えっ⁈ 虫っ⁈ おっきいのっっ⁈ どこっ⁉︎ どこにいんのっ⁉︎」
困るっっっ! いえ、玄関直通だし、虫くらい入って来ることもそりゃあるけどさ。おっきいのとなったら話は別ですよ。
虫が苦手とかではない。と言うかもう……こっちの世界基準のデカイ虫程度では怯まないよ、耐性付いちゃって。
しかしここはパン屋、食べ物屋。もう閉店時刻とは言え、見失って明日の営業時間中にトレーの中に…………なんてことになった日には…………ぞわわわっ!
なんとしても見つけて殺…………すのは、子供の前だし。逃がさないと。
大慌てで女の子の指差した方……後方の天井へと視線を向ける。
どこ⁉︎ どこにいるの、でっかい虫! 正直、種類によってはまだ怖いです! 見栄張りました! まだおっきい虫怖いです!
「えっ、どこ……ね、ねえっ。どこら辺に……」
「…………っ! アキトさんっ!」
えっ、花渕さん見つけたっ⁈ どこっ⁉︎ と、慌てる僕の全身に嫌な汗が流れた。
汗の原因は痛み。苦しみ。そして…………絶望感。それらの原因は————
「————ほごぅ————おっ…………おおっ…………っ⁈」
「べーっ! アギトのバカ!」
僕はその場で力無く蹲って、そして逃げていく女の子の背中を目で追った。
傘…………っ。犯行に使われた凶器は……傘…………っ。
どうやら僕は、頭上に集中している間にゴルフスイングで………………秋人の……秋人の秋人が……っ。
大事な大事なデュアルコアを撃墜されてしまったらしい。ふぐっ…………し、死ぬ…………
「ちょっ、アキトさん大丈夫⁈ あんのガキ……って追っ掛けてもしょうがないか。えっと……ど、どうしたらいい…………?」
「ひぐぅ…………そ、そっとしておいて…………出来ればあまり見ないで頂けると……ぐぅっ」
こ、こんな情けない姿を見ないで……っ。
とりあえず看板変えてくるね。と、花渕さんは動けなくなった僕の代わりに、店先の看板を準備中にひっくり返して来てくれた。
ふぐっ……待っ…………これヤバイ、マジで待ってくれ。脂汗が止まんない……本当に…………本当に死ぬ…………っ。
その後、みっともないとか恥ずかしいとか言ってられなくなって、僕は花渕さんに腰をトントンして貰って一命を取り留めた。うう……どうしてこんな目に…………っ。




