後日談・壱
「————っつ——あ————アギト————ッ⁉︎」
——僕の身体は————手は、ミラの背中にやっと追い付いた————
ちくしょう、こんな小さいくせにやっと——手間とらせやがって——っ!
「————いっけぇえ————っ! ミラぁああ——————っ!」
バチバチッッッ——と、僕の手がミラの背中に触れると、とんでもなく大きな音がして強い光が弾けた。
ち、違う電気が混ざった……みたいな……? いや……理科の授業もっとちゃんと聞いておけば良かった……ではなく。
僕がぶつかって、ミラは勢いを増して魔王へと突進していく。丁度ビリヤードの球みたいに、僕がその場に滞空して…………ああ、そうそう。
僕がミラに追い付けた理由はひとつ。マーリンさんが言ってた、いざって時の為のリミット解除を使ったから。
本当に速くて…………速過ぎて……多分、すっごい顔してるんだろうなぁ……って。
だけど————
「——はぁああ————っ! これで————っ!」
「——っ————不届————」
だけど——これでミラはあそこまで届く————っ。
弾丸のように風を切って、少女の背中はどんどん小さくなっていく。
アイツは絶対に勝つ、魔王を打ち倒す。だったら——
「——っ。こん——のぉお————っ! 俺だって————ッ‼︎」
グルンと勢い良く体を反転させると、流石に目が回った……だけど。
その姿がくっきりと見える。
大口を開けて、僕を食い殺そうとする龍の姿がそこまで迫っている。
落ち着け、アギト。なんの為にお前は立ち上がった。
お前が教えて貰ったもの、唯一戦場で使えるものはなんだ————
「——半身に————必ず急所を————っ」
龍の勢いはとんでもなかった。
反射的に突き出していた右手から嫌な音が聞こえたけど、怪我の功名ってやつで、僕の体はその勢いでぐるぐると回転しだした。
ぐるぐる回って、そして龍の横っ腹を転がるように搔い潜って……
「————これで——終わりよ————ッ!」
ビシャァンッ‼︎ と、激しい音と光が世界を包んで、そして僕は地面に叩き付けられた。
無事……地面まで帰って来られた。
全身を強く打って、正直息するのもキツイけど…………生きてる……生き残ったぞ…………っ。
「——アギト————っ!」
「…………おう……勝った…………んだよな……?」
当たり前じゃない! と、ミラはボロボロ泣きながら僕の元へと駆け付けてくれた。
おいおい、勝ったってのになんで泣いてるんだよ。
ミラは全身からほわほわと緑色の光を出して、そして僕を急いで治療し始めた。
あっ、痒い。相変わらず痒いな……お前のコレ……
「アギトっ! 良かった……無事だったんだね…………はあ。もう……心配させないでよ…………」
「あはは……いや……その…………やっぱりイメージがヒュドラの方に近いかなー……って」
ヒュ……何それ? と、マーリンさんは困った顔で……でも、嬉しそうな顔で笑った。
そして治療を続けるミラの頭を撫で、次に僕のお腹を撫で。そして……すぐにフリードさんの所へ向かって、肩を貸してまた僕の所へ戻ってきた。
「……ありがとう、親友よ。どうやら、君の勇気が世界を救ったらしい。心から感謝する。そして…………最上の敬意を以って、君の名をまた呼ぼう。ありがとう、親友」
「フリードさん……いででっ。そっか……フリードさんには自己治癒は使えないから…………だったら早く戻って治療を……戻って………………っ⁈ じゃないっ! 戻んなきゃ! 作戦はここで終わりじゃないんだ‼︎」
そうだった! 僕達は魔王を倒しておしまいなんてヌルい作戦でここに来てるんじゃない!
いや……魔王倒すのだって、かなりキツイオーダーだったんだけど。
「急がないと! これで街が潰れちゃってたんじゃ意味が無い! ミラ、ありがとな。マーリンさん、フリードさんに何か…………ええっと……そ、そうだ! ミラ、お前脚折れてても歩き回れる……ってか体動かなくても無理矢理動けるようにする魔術使ってただろ! 昔ガラガダで! アレをフリードさんに…………? ミラ……?」
早く山を降りなきゃ! それからオックスや王様、レアさん達の無事も確認しなくちゃ! だから早く!
なんでこんな時に限ってモタモタしてるんだよぅ! いっつも僕のこと急かしてばっかりだったくせに!
「…………ミラ……? マーリンさん、フリードさん。ど、どうしたんですか…………?」
「……っ。ごめん…………ごめんね……アギト……っ」
ごめん…………って。火口湖から離れようとする僕と、しかしそこに留まろうとするみんな。
どういうわけか誰も僕の後に付いて来なくて…………ああ、そうだった。
「…………アギト……っ。ごめん……私達は…………」
「…………いや、うん……ああ、そうだったな」
世界が段々明るくなっていく。
山から見える景色、雲の向こう側の景色が消え、僕達が立っている場所以外が消え。
そして……このままこの世界の全てが消える。
「……ありがとな、ミラ。笑ってくれて、励ましてくれて。ホントにありがとう。お前が最後に頑張ってくれたおかげで……こうしてまだマシな夢を見られる」
「…………っ。アギト……頑張るのよ」
うん。と、小さく頷いて、そして僕の体は消えた。
意識だけがまだ漂っているその世界で、フリードさんが、マーリンさんが、そして……ミラが消えて————
ぴぴぴ……と、無機質なアラームに叩き起こされる。
ええと……おっと、いかんいかん。寝坊防止の十連アラームの内、既に第八関門まで突破されているではないか。
コレ逃すとマジで遅刻しちゃうやつ。
ぐいーっと両手を天井に向けて伸ばし、そしてぐっぱぐっぱと拳を何度も握っては開く。うん、快調快調。
「……頑張るさ、約束だもんな」
あの冒険からおよそ半年が過ぎた。
まだ——まだ僕は立ち直れないでいる——
あの日以来、夢を欠かさずに見るようになった。
ごめん、盛った。でも、大体週四くらいは確実に。
最初の内は、それこそ毎日のように見ていた。
今朝みたいに最後の瞬間を都合良く乗り切った夢だとか、ミラと共に旅をした街の風景の夢だとか。
あの世界の綺麗な景色を毎日見られるのは楽しかったけど…………流石にちょっと、シスコンが過ぎるよなぁ。
あの時から僕の心は変わらない。変わらせない。
アイツとした約束、頑張るなんて大雑把な誓い。
初めて会ったアイツに救われた、変わりたいという願望を僕は決して歪めない。
そう、変わってないものが多過ぎる。
僕は結局あの日々を忘れられていない、ずっと引きずったまま。
いつまで経っても、二日おきに、明日は切り替わるから……と、気持ち早寝をしてしまう。
これにはきっと……切り替わってくれたらな。なんて、そんな願望も含まれている。
隙を見つけては恥じらう乙女の構えを練習したり、あっちの文字をうろ覚えながら書き取りしたり。
毎晩毎晩アイツと旅をする夢を見たり、良いことがあると真っ先にアイツに話したくなったり。
そう、僕のシスコンが致命的に治っていない。
いかん……これでは完全におかしな奴だ……っ。あ、怪しい薬なんてやってないよっ⁉︎ ほんとだよ⁉︎
他にも変わらないものがいっぱいある。
例えば…………僕の料理スキル。
残念ながらそのスキルポイントはもう頭打ちで……と、そういう話ではない。
てかメッチャ上達してるよ、この間は花渕さん直伝の筑前煮だって作ったし。
そうじゃなくて……ついつい考えてしまうのだ。あっちの世界でも出来そうなレシピはないかなぁ、って。
結局、アイツに一度も食べさせてやれなかったから。どうしても心残りなんだろう。
それから交友関係。いやほんと……怖いわ、マジで。
あっちだと色んなところ旅してたし、行く先々で勝手に知り合いが増えてたんだけど…………まだ、こっちじゃデンデン氏としか遊びに行かない……っ。
違うんだ、僕が悪いんじゃない。
知り合いなんてそうそう増えないんだよ、このご時世!
だって、もうネットの中には割と完成して閉鎖的になりつつあるコミュニティを形成しちゃってるし。
リアルは…………頑張ってるけど、そもそもとして新しい出会いなんてそう無いし。
そしてそして……割と最近の僕の悩み……というか憤り。
デンデン氏の小説が停滞している。あの男! めちゃめちゃ良いところで連載休止中なんだ!
具体的には、ドロシーたんと主人公と、そして仲間になった金髪の少年とがラスボス戦に向けて旅立ったところ!
おまっ……こんな一番盛り上がるとこで……って、何回か文句も言ったんだけどさ。
ちょっとネタが浮かばなくてですなぁ。と、なんとも情けない返事ばかりを繰り返すのだ、あの男は。
でも、はあ……正直なところ、先を読みたくないって気持ちも無くはない。
自分はその先でつらい思いをしたばかりだから。凄く器の小さい男みたいになるけど…………物語の中の勇者の幸福を妬んでしまいそうだって、そう思うから。
しかーし! しかししかし! 当然変わっていることも多い! ショギョームジョーですよ奥さん。と言うか移り変わらずに残り続けるものって中々無いですしおすし。
「じゃあ、行ってきまーす」
「おう、行ってらっしゃい」
ああ、その前に。変わらないものまだあった。
家族は何も変わってない。
母さんもまだ元気、兄さんも……ちょっと……お酒のことで注意されたから殆ど飲まなくなったけど、以前とほぼ変わらない。
それを念頭に置いておいていただいて…………そう——我が家で唯一僕だけ変わったのだ。
具体的には…………体重が……っ。体重が…………三桁未遂から七十キロ弱にまで減りましたーーーーーーーっっっ‼︎
いえええええいっ! 痩せたぜーーーーーっ! めちゃめちゃに痩せた……ってかもう肥満体型じゃないぜぇええっ!
あっ、いえ……その…………やや、肥満体型です。
いえいえ、肥満じゃないです。やや、です。ええ。大事なことなんで。
そう……一番変わったのは僕の体型だったのだ…………と、これもネタバラシするとさ、精神的に参り過ぎて、ご飯なんて殆ど食べられない時期が続いたんだよね。
そうしている内に、僕を覆っていた脂身達はどんどん縮小していって……そして…………元気になった今も……その所為で胃が弱っちゃってて、あんまりご飯食べらんないんだよね。
老いを…………急激な衰えを感じてしまう…………っ。
で。僕の中で変わったもの、それは何も体型だけじゃない。
さっきは変わってないって言った人間関係だけど、その頻度については大きく変わってしまった。
デンデン氏とは相変わらずネットでいつも一緒だけど、花渕さんと顔を合わせる機会が大きく減ってしまった。
遂に嫌われてしまったか……とか、そういう話じゃないです。
やめてよ……割とナイーブな問題……っ。
そう……花渕さんは三月をもって、お店を辞め……ああ、えっとね。今は五月です、ええ。だから、今から大体二ヶ月程前にお店を辞めてしまいました。
違うよ、僕と一緒なのが嫌だったわけじゃないよ。
そこの真偽を確かめる術は無いけど、あの子がお店を辞める……違う道を選んだ理由なら分かってるから。
花渕さんは、夜間の定時制高校に通い始めたんだ。
県内屈指の進学校である白鷺女学院から定時制じゃ、天と地程の差かもしれないけどさ。あの子は自分で道を選んで、自分で歩き出したよ。
お母さんもしっかり説得したらしい。
高校の友達にもちゃんと説明して、今でも連絡を取り合ってるんだとか。うぐぐ……友達……良いなぁ……
「よーし……よっと」
ガラガラっとシャッターを開けて、そしてお店の中に入る。開店準備をしなくっちゃね。
え? なんか随分仕事が出来る人間みたいな振る舞いになったな……だって?
ふふん、そこも大きな変更点。
僕は……板山ベーカリーで正社員として働き始めた。
まあ……チェーン店でもないし、相変わらず売り上げ規模小さいけどさ。
そうして変わったことと言えば、お給料と、それに応じた仕事量と責任と。そして保険やらクレジットカードの審査やらと…………それと、個人的なモチベーション。
もう店長や花渕さんに任せっきり頼りっきりじゃない、お店の未来は僕も一緒に切り拓くんだ。えへん。
そうそう、お店と言えば…………デパートのパン屋さんとの生存競争にも無事勝ち残りました! いえい!
いえ、相変わらずあっちの方が人気ですけどね?
この店はこの店にしかない強みで、今もしっかり渡り合っているのだ。
え? 信じられない? こんなダメ人間を社員登用してるような店が……だとぅ⁉︎
遺憾のイ! 遺! え? イってそういう意味のイじゃない……? ごほん。
まあ……なんです。あの後、僕達は花渕さんのアイデアを採用して、店内に飲食スペースを設けたんだ。
ただし、やり方を特殊なものにして。
具体的には、僕達の賄い部屋をそこに移したのだ。
いえ、賄い部屋って言っても、キッチンの一角にあったものを持ち込んだだけって意味なんだけどさ。
保温ジャーを買ってきて、賄いで食べてたスープをランチタイム限定ひとり一杯無料って形で提供したんだ。
だから、本当にそこは食べるだけの空間。買ったパンと日替わりで色々出てくる落ち着く味のスープを楽しむ場所になった。
勿論、営業許可も取り直して貰ったし…………その所為で…………僕の社員採用の時にも資格いっぱい取らされたけど…………
そういうわけだからさ、デンデン氏こと田原さんにも改めて宣伝して貰えたんだ。
友達がやってるパン屋さんが面白いことを始めました。美味しいスープが一杯無料で、ありそうでなかった焼きたてパンをその場で食べられるお店。
そんな謳い文句は、悲しいかなこの田舎では結構な魅力になったみたいでさ。
そうそう、それと。共同で監修したグルテンフリーケーキもありますので、宜しければうちにも! なんて。
そう、ちゃっかりと言うか……しっかりしてるんだ、あの男。
宣伝の代わりに、魔女の田んぼの宣伝もやらせてくれ……と。
そういうわけで今うちのお店には、デンデン氏の店のメニューだとか割引券が置いてある。
それに伴って勝手が全然違う新商品を作ってしまうんだから、あの男のバイタリティと言うか……度胸はすごいよ。今あるものでも十分に売れてるってのにね。
さて……とか言ってる間にそろそろ開店時間だ。
準備は昨日やってから帰ったし、焼成ももうじき終わる。
店長は今日はお昼からだから、午前中はひとりで頑張らないと。
ああ、いや。西さんが配達の為に来てくれる。
そして、週四くらいで来るのに、その度に花渕さんの話をしてくれるんだ。
どうやらあの子は、母親と良い関係を繋ぎ直せてるらしい。
それを西さんのお喋り経由で知るってのも……意味分かんないけど、まあ朗報なので良し。
さーて……お店開けないとね。ふふん、こう見えてもう立派なパン職人…………って、名乗るのはまだちょっとおこがましいんだけど。店長が仕込んだものをタイマー通りに焼くだけだし。
でも、パン屋さんとしてはもう十分立派になったと言えるよね?
だから……みんな安心して食べに来てくれよな! デンデン氏! お前のことだぞ! 来いよ!
お客さんいたら気不味いし……とか言ってないで! 売り上げに貢献しろ‼︎
「さってと……じゃあ、行くか」
パシッと顔を叩いて、僕は準備中だった看板を営業中へと裏返した。
何処へ行くのか、って? さあ……?
なんかその……アレじゃない? より良い明日……的な。
いや、これに……言葉の方に意味は無いよ、ただの願掛けだよ。
こうすると……アイツの真似をすると、背中をドンっと押して貰えた気になれるから。
だから……じゃあ、行くか。で、合ってるんだよ。
「——いらっしゃいませーっ。あっ。おはよう、上本さん。あーえっとね、今日のスープは…………何が良い? あはは、まだ店長来てないから。希望があれば伝えとくよ……え……? み、味噌汁……? 良いけど……パンとは合わなさそうだよ……?」
意外に愛嬌があると近所のおばあちゃんに人気の店員として、僕はまだまだ頑張っていく。
アイツの半身としては、ちょっと人気度も知名度も足りてないかもしれないけど。そこはゆっくり追い掛けるさ。
今日も今日とて、板山ベーカリーの——原口秋人の一日は始まる。そして、続いていく————




