最終話・表
——ああ————また意識が————?
なんだろう……いいや。どこだろう、ここは。
すごく暖かくて……体が軽い……天国……?
そっか……まあ、おかしな話じゃないよな。
だって僕は一度死んでるんだ。
アギトの死に引っ張られて、秋人まで死んでしまった……って、笑いごとじゃないけど、あり得ないって目を背けられるものでもない。
だって、どちらも僕だったのだから。
「…………違う……ここ……」
けれど……どうやらそんな心配は無用だったみたいだ。
ここには覚えがある。
けれど……うん。こんな場所だったっけ……こんなに暖かかったっけ……って。
塗り潰された思い出の中から、必死にこの場所の記憶を引っ張り出す。
どうしても少しだけ一致しない、けれど雰囲気はそっくりだ。
水の中……暗くて周りが見えにくい、海底みたいな場所。
何度もこの場所に来る夢を見た。
最期のあの日も……そうだった。
「……だったら…………っ。最後なんだから……最後くらい…………っ」
最後にせめて顔が見たい。
僕の中にいっぱいあったのであろう願望の中から、叶えられそうなものとしてこの夢を見させてくれてるんだろうか。
この夢には必ず女の子が現れる。長い髪の小さな女の子。
それがミラなのか、それともレヴなのか。あるいはレアさんなのかは分かんないけど……その中のひとりに今は用がある。
そうだ……せめてお前に会いたい。声が聞きたい。
大好きだよって……召喚してくれて……一緒にいてくれてありがとうって。
死んじゃったことを受け入れるのなんてすぐには無理でも、せめてお別れの言葉くらいは言わせて欲しかった。
だって、僕達は家族だったんだから。
「…………ミラ……っ」
夢はいつもと同じように進む。
ゆっくりゆっくりと底の方へと沈んでって、そして薄暗い水の中で少女の姿を見付ける。
けれど……その日の夢はいつもと少しだけ違った。
少女はほんの僅かだけど大きくなっていて、髪は随分短くなっていた。
ああ……やっぱりそうだ。
これが最後の夢でも良い。お前に会わせてくれるのならば。
「————アギト——」
声が聞こえた。
そうすると、世界は一気に明るくなって…………顔が見える程度、やっぱり薄暗いのには変わりないんだけどさ。
でも……そこにいる女の子が誰なのかははっきりと分かった。
ミラだ。
初めて出会った頃と比べて随分と逞しくなった、そして甘えん坊になった僕の家族だ。
夢の中だってのにボロボロの服を着たままのミラが、ゆらゆらと波に漂ってそこにいた。
「——アギト————っ!」
「——ミラ————っ」
ミラはゆっくりと手をこちらに伸ばした。
なんだよ……手を取ったらまた……また戻れるって言うのか……?
ああ……そうだったら良いなぁ。
そうだよ……お前が僕を呼んだんだもんな、また呼び直すくらいは……って。
でも、その前にさ……
「——ミラ——っ! 勝ったか——⁉︎」
色々聞きたいことはあった。
話したいこともあった。
でも……真っ先に確認しなくちゃいけないことがあった。
だってそうだ、僕は勇者なんだ。
たとえ死んでしまったからといって、悲しいから……苦しいからつらいからといって、それから目を背けちゃいけない。
少なくとも……コイツの前では。
だって……僕達はふたりでひとつの勇者なんだから。
「っ…………はあ。もっと他にあるでしょうが……バカアギト。当たり前でしょ、私を誰だと思ってんのよ」
「……そっか…………勝ったか………………勝ったかぁ……」
そんなに不安だったわけ? と、ミラはどこか拗ねたように悪態を付いたが…………そりゃそうだよ……はあぁ。
もしかしてここがやっぱり天国で、ミラも僕と同じように死んじゃったから…………なんて、そんな最悪の可能性だってあったんだ。
いや、それについてはたった今気付いたんだけどさ。
でも……そっか。勝ったか……勝ったなら……
「…………アンタのおかげよ。アンタが最後、気付いてくれなかったら……私を押してくれなかったら……どうなってたかしらね。
まったく、最後の最後に良いとこ持ってくんだから。
胸張りなさい、バカアギト。アンタの勇気が——アンタの一歩が、文字通り世界を救ったわ」
「——っ。そ、そっか…………うえへへ……なんか…………勇者っぽくていいな、それ」
ぽいじゃなくて、本物の勇者でしょうが。と、ミラは大きなため息をついて、そして……笑った。
「……そっか……うん。夢でもさ、こうしてお前に会えて良かった。あ、そっか……夢だから……勝ったかどうかはこれも俺の勝手な思い込み…………」
「はぁ? ったく…………誰が夢よ、このバカアギト。本物よ、本物のミラ=ハークスよ。何、アンタ拾って貰った恩人の顔を忘れたの? 自分の上司をまやかしだって言うつもり?」
なん……べ、別にそういうつもりじゃ……ってかお前……ぐすん。そこはさ……家族で良いじゃんかよぅ。
兄妹の顔を忘れたの⁈ とかでさ……お兄ちゃん泣いちゃうぞ…………って、うん? 夢じゃないの?
って、いやいや……夢の中で、これは夢ですなんて言う奴……
「ここ、アンタは覚えがあるんじゃない? 私が直接来たことはないけど、アンタは一度ここでお姉ちゃんと出会ってる筈なの。ううん、一度じゃ済まないかも。縁が切れかけてたってことは、その分再接続の試行回数も多かった筈だし。その度にここへは来てるのかもね」
「再……な、なんて?」
再接続…………? え、何。ここケーブルの中なの?
ミラは僕の反応を見て、さっきよりも大きなため息をついて項垂れる。
な、なんだよう…………って、うーん?
まあ……夢なんてさ、あやふやなもんだし。何がどうであってもおかしくはないんだけど…………このミラは僕の夢に出てくるには少々賢過ぎる。
なんか……僕が知らない単語ばっかり……魔術の話ばっかりするんだもん……
「……ここは……そうね、繋ぎ目なのかしらね。召喚術式において、アンタの精神をお姉ちゃんと……ええと、今は私と。
しっかり繋ぐ為に私の精神がここまで潜って…………アンタ、まさかとは思うけどその時気付かなかったんじゃないでしょうね…………?
お姉ちゃんが潜って来た時…………そうよ! 絶対そうよ、その顔は!
おかしいと思ったのよ! お姉ちゃんがミスするなんて……いくら複雑で前例の無い術式だからって、縁の結び損ねなんてやるわけないのよ! アンタが全部悪かったんじゃない‼︎」
「ちょっ……今になってそんなことで怒るなよぉ! って言うか……いや……うん…………そうだな、ここに来るのは初めてじゃないけど…………お姉さんとこんな風に話をした記憶は…………無いと言うか……」
あっ…………えーっと…………あれ? もしかしてだけど…………も、もももしかしてだけど…………あの時か……?
初めて切り替わった日、なんだかすっごく好みな声が聞こえた気がして……うんうん、ふんわりと……なんとなーくだけど…………そんなこともあったような……?
い、言われてみると…………レアさんの声と……似てるような…………?
「……ってことは…………っ⁈ おま——っ⁉︎ お前、召喚術式を——っ」
「私じゃないわ。マーリン様が式を展開してくださったの。マナから魔力は幾らでも引っ張り放題だから、って。
あとは情報……えっとね、召喚術式に必要なもの……流石に覚えてるわよね? 覚えてるわね。覚えてる前提で話をするわ」
やだ、強引。
でも……うん、流石に覚えてますとも。
なかなかショッキングって言うか……僕が忘れちゃいけないものだったしね。
膨大な魔力と膨大な知識……情報。
それこそ、一流魔術師を何人も生贄に捧げる程の。
レアさん程の傑物の未来を投げ捨てる程のリソースを要求されるのだ。
「そのどちらにも、それぞれ別の用途があるの。
まず魔力。これはこうして潜っていられる時間…………そうね、川に潜る為に、空気を入れたチューブを持っていくようなイメージね。
魔力量が少ないと満足に潜れなくて、結果誰も見つけられない……見つけても縁を結ぶ前に呼吸が続かなくなってしまう。そんな風に捉えてくれれば良いわ。それで……」
「ふんふん…………って、なんで俺はこんなとこまで来て魔術教室に参加してるんだ……」
相変わらず話の腰を折ってばかりね。と、また悪態を…………しゅん。
お前……お前、最後の最後にどうして反抗期なんかに…………
「……情報……それは、アンタを探す為に必要な地図……ううん、明かりだと思って。
全く縁もゆかりもない世界に住む顔も知らない誰かに、潜っていられる短い時間でアクセスするには、相応に下準備が必要なの。
私達の世界に関する情報をありったけ持ち込んで、その時点で世界をここに構築してしまう。
それと類似した世界を因果によって引き寄せて、その中から無作為に選んで引っこ抜く。本来の召喚術式はこう。
でも……アンタとの縁はとっくに繋がってるんだもの」
「……? えっと…………? じゃあ…………ええと……その、あれか。情報はあんまり必要無かった……ってことか」
そういうことだから、あんまり心配しなくて良いわよ。と、ミラは呆れた表情で僕のお腹を軽く殴った。
へー…………いやいや、マジでなんでこんな時に魔術講座開いたんだお前。
ってか何しに来たんだ。お別れを言う的なイベントじゃないのかよ。
潜ってられる時間に限りがあるって………………ああ、無限魔力…………
「……で、今回は私が代表して、ことの顛末を伝えに来たの。アンタのことだから、元の世界に戻った後も、結果がどうなったかって気になってしょうがない! って……毎日不必要にそわそわしてそうだったから」
「うぐっ…………まあ、それは…………否定しないけどさ」
流石に分かってらっしゃる。
ミラはふふんと鼻を鳴らして、そして僕のお腹を何度も何度もつっついた。
なんだよ、かまってちゃんか。反抗期のくせに甘えたいんだな?
ああ、逆か。甘えたいけど反抗期だから……
「魔王は死んだわ。紛れもなく、正真正銘あれが魔の王で間違いなかった。
アンタのおかげで私の一撃が届いて、そして……そこで全部終わり…………って、そうならないのは忘れてないでしょうね?
魔王を討伐して、そして私達はマトモに走れないフリード様とアンタを担いで急いで下山したの。
マーリン様が嘆いてらしたわ。ザックがいれば! せめて僕の翼が残っていれば! ってね」
「あはは……そっか。フリードさん、重症だったもんな」
いやはや、簡単に想像出来る絵面だな……ふふっ、笑ってしまいそうだ。
せっかく勝ったってのに締まらないんだもんなぁ。
ああ、そっか。飛んで帰れたら……って、マーリンさんこのことを……
「オックスやゲン老人、それに王様とも合流して、私達は急いで王都へ帰ったわ。
それからは……マーリン様の独壇場。凄かったわよ、とんでもなく。
兵士をみーんな退がらせて、雪崩のように攻め込んでくる魔獣を纏めてずどーんっ! よ!」
「…………まあ……それも……想像に難しくないと言うか……」
まあ……そうだよね、だってね。
元々別格と言うか、頭おかしい威力の魔術ばっかり使ってたんだし。
それが今度は、威力マシマシで詠唱やら言霊やらのラグも消えて、しかも弾数無限でしょ? やっぱり一番チートくさいのはあの人だよなぁ……ほんと……
「……で、そんなわけだから……マーリン様は魔女の……翼の生えた姿を民衆に晒したわ。
全部魔獣をやっつけた後、あの方はひどく怯えていらっしゃった。
もう……人として受け入れて貰えないかも知れない……って。
それでも……みんなを守る為にそうすることを選んだ。
やっぱりあの方は、誰よりも素晴らしい大魔導士だったわ」
「……そっか。それも……うん。想像出来る」
でもね、やっぱりみんな馬鹿じゃないのよ! と、なんだか方々にケンカを売るようなセリフを、ミラは嬉しそうに口にした。
馬鹿って……まあ、うん。その顔見れば、言いたいことは分かった。
「みんな……みんなみんなみーんなが、マーリン様を受け入れたわ!
その裏に、王様がマーリン様を認める発言をしたってのもあったでしょうけど……そんなの無くても、きっとマーリン様はみんなに認めて貰えた……ううん、認められて当然よ!
そうして私達は、無事にあの戦いに勝利した。
街の被害は殆ど出てなくて、へインスさんや他の知り合いの騎士の人達も無事にお祝いしてくれたわ」
「…………本当にマーリンさん贔屓がすごいな、お前は。でも……そうだよな、頑張ってたもんな。じゃあ……大団円だったわけだ」
ミラは僕の言葉にぐっと何かを飲み込んで……そして暗い表情を浮かべて首を振った。
なんだよ、大団円だろ? と、流石にボケ倒してばかりの僕も口が裂けたって言えない。
というか……一歩手前で気付けよ……バカアギト……
「…………街に戻ってる間も、戻ってからも。ずっとずっと……一生懸命治したんだけどね。自己治癒で治るのは身体だけ……命までは…………戻らなかった…………っ」
「……そっか。じゃあ……やっぱり……」
ミラは顔を伏せたまま小さく頷いた。
それを認めたくないって、信じたくないって言いたげだった。
だけど…………僕とは違う、事実としてその瞬間を見届けているのだから。疑う余地なんて無かったことだろう。
「…………ごめんね……アギト……っ。せっかく最後の最後に勇者として認めて貰えたのに……みんなから褒めて貰えたのに……っ。なのに……一番活躍したアンタが…………っ」
「…………一番活躍した……は、流石に嘘だろ。最後の最後だけ、ちょっと間が良かった…………良かったはおかしいか。
て言うかな……一番はお前だったろ。
第一階層、第二階層と一騎当千の活躍してさ。
マーリンさんが生きてられたのもお前のおかげ。
フリードさんだけじゃ倒せなかっただろう魔王に届いたのも、やっぱりお前が最後の最後に成長したからだ。
俺は……あ、いや。お前と俺は一心同体だからな……そうなるとやっぱり俺の手柄か…………」
そうね。と、ミラはちょっとだけ笑って、そして、でもその後の王様への報告とか大変だったんだけどなー。と、わざとらしく嫌味なセリフを言ってみせる。
うぐぐ……ごめんて、それは俺の仕事だったもんな。
「…………そっか。じゃあ……本当に何も心配することは無いんだな」
「うん。ありがとう、アギト。何度だって言うわ。アンタのおかげで、私の大切な世界は守られた。真の勇者はアンタよ」
え? そう? いやぁ……照れちゃうなぁ。
ま、僕にかかれば世界のひとつやふたつくらい余裕ですとも、ガハハ。
っと……さて。顛末を伝えに来たってことは……もうそろそろなのかな。
「…………頑張りなさい、アギト。アンタ、初めて会った頃私に言ったわよね。変わりたい……って。それって……元の世界で、何か上手くいかない日々が続いてたってことでしょう?」
「ふぐぅーっ⁈ おま…………おまっ……今そんなめちゃくそな急所突く必要あったか…………?」
うわぁん! バレてんのかーい!
ううぅ……最後の最後にカッコ悪いお兄ちゃんだってバレてしまった……ひぐぅ。
でも……いや、まあ……隠せるもんでもないか、あのザマだったし……
「……胸張って、誰にも負けるんじゃなわよ。アンタは世界ひとつ救ったの。そこいらの貴族や政治家なんかよりずっと凄いの。
なんたって私と一緒に勇者してたんだから、もう二度と俯くんじゃないわよ!」
「…………はぁ。お前…………中々デカいプレッシャー掛けやがって。
でも……おう、任せろ。そっちの世界は任せた、俺はこっちの……俺の世界を守る勇者になるからさ」
ん。と、ミラは力強く頷いて……そしてニコッと笑った。
ああ……愛くるしい顔しやがって。なでなでしてやろうか? それともぎゅーってしてやろうか?
それとも…………うん。
「…………ごめん…………ごめんね……アギト…………っ。やっぱり…………無理だ…………っ」
「…………うん、分かってる。おいで」
ミラは笑顔のままボロボロと涙をこぼし出した。
それからは……もう止まらなかった。
決壊したダムのように涙は止めどなく溢れ出て、サイレンみたいにわんわん泣いて。
ミラはぐしゃぐしゃに顔を歪めて……そして僕の胸に縋り付いた。
「————ごめん——ごめん————っ! 約束したのに————守るって——約束したのに————っ! アンタは私が守るって——————言ったのに…………っ」
「……俺こそごめんな……っ。帰って来いって……待っててやるからって約束したのに……っ。ごめん……ごめんな……ミラ…………っ」
ミラは小さな頭をブンブン振って、そうじゃないと訴え掛ける。
ああ、分かってる。
でも、それはお前にだって言えることだ。
お前の所為じゃない、僕の所為でもない。
誰の所為でもない……強いて言うなら、お前の為になら……って。
「————こんなの——こんなのって——っ。こんなの……私が欲しかったものじゃない……っ。勇者の称号なんていらない……みんなに褒めて貰えなくてもいい……っ! 私は——っ! 私は……アンタと居たかっただけなのに…………っ」
「————っ。ごめんな…………ごめんな……ミラ……っ」
ぎゅうと抱き締めてやりたい。抱き締めて、頭と背中を撫でて。もう泣かないで、って……大丈夫だよ、ここにいるよ……って。そう出来ないことが苦しくてたまらない。
ああ、そうかよ。これが罰か。神官様も、王様も。こんな気持ちで何かを切り捨てて来たんだな。
街を守る為に、国を守る為に。そして僕はこの小さな家族を守る為に————自分の命を投げ打ってしまった。それがどれだけの傷をミラに負わせるものだったとしても。
「——アンタがいないと意味が無いじゃない——っ。アーヴィンに帰って……学校を作って……子供にいろんな勉強を教えて……っ。王都の畑を真似るのも、大きな荷車を使ってお祭りを賑やかすのも。市長として働く全部も……足りない何かを探しに旅に出るのも…………っ。
全部……アンタと一緒じゃなかったら…………意味無いじゃない……っ」
ミラは凄く強い奴だ。さっきまでの態度を……言動を、振る舞いを見てればそんなの疑う余地も無い。だけど……っ。
今僕の胸で泣いてる少女はあまりにも弱々しくて……あまりにも儚くて。あまりにも……遠すぎて…………っ。
「私はアギトと一緒に居たかったのに————っ! アギトと一緒に街で働いて、アギトと一緒にご飯を食べて。アギトと一緒に旅をして、アギトと一緒に…………っ。
アギトがそばに居てくれるだけで良かった、アギトが名前を呼んでくれるだけで良かった……なのに…………っ。そのアンタが……居ないんじゃ…………意味……無いじゃない…………っ」
どうしても————どうしても遠すぎる——っ。
僕にはもう、今のミラを抱き締める権利は…………いいや、権利なんてもんじゃない。
これは僕の罪で、同時に罰だ。
僕はもうミラを慰めてはいけない、もう……こいつの未来に踏み入ってはいけない。
だってそうだろう。僕達は…………お前は立派な勇者なんだから——
「……ミラ、最後なんだよ。ああ……これが最後なんだ。だから…………難しいかもしれないけどさ。笑って欲しいんだ」
「……アギト……?」
かつてその半身として共に歩んだものとして、その在り方を————気高さを穢してはいけない。
ああ——そうだ——っ。僕は勇者ミラ=ハークスと一緒に戦った男だ。ミラが何よりも大切にしてくれた、ミラが何よりも頼ってくれた。世界で一番かっこいい兄貴で居なくちゃいけないんだ。
だから——っ!
「ありがとう——っ! ありがとう、ミラ——っ。お前で良かった——俺を召喚したのが————俺を見つけて、拾ってくれたのがお前で本当に良かった——っ!
一緒に働いたのが、一緒に旅をしたのが、一緒に戦ったのが————お前で本当に良かった——。
なあ、頼むからさ。きっと俺は一生この瞬間を思い出す。その時のお前の顔がぐしゃぐしゃじゃ嫌なんだ。悲しそうな顔じゃ嫌なんだよ、ミラ」
だから、笑ってくれ。僕がミラにしてやれることはもう何もないけれど、でも……一緒にいるこの瞬間まで取り上げられることは無いんだから。
この世界は——この一瞬は僕達だけのものなんだからさ。
だから……どうか最後に、笑っていて欲しいって。
いいや……違う。最後の最後まで……ミラ=ハークスって人間の最後の時まで、きっと前向きでいて欲しいから。
だから……その時を見届けられないのは寂しいけど。せめてこの瞬間に、それを確信させる何かをくれよ。
「…………っ。アギ————っ。ぐしゅっ……ひぐっ…………っ! バカアギト! 泣いてないわよ! 悲しそうな……ぐすっ。悲しそうな顔なんて、私がいつしたっての!
まったく、耄碌するのはまだ早いわよ! 私がいなくなって大変なのはアンタなんだから、しっかりしなさいよね!」
「うおっ……い、言うなぁ。でも……そうだな、そっちの方がお前らしい。さーて……いや、しかしそれ本当に困ってるんだよな。お前にはいっぱい勇気貰ってたからなぁ」
しょうがないわねぇ。と、ミラはまだ真っ赤に腫れた目を細くして、そしてにんまり笑って僕に抱き着いた。おふっ……みぞおち…………
「ほら、いっくらでも撫でなさい。ふふん、最後だから特別よ。いっぱいいっぱい私のパワーを分けてあげるから」
「おっ、そりゃ助かる。よーしよしよしよし!」
わしゃわしゃと撫で回してやると、子供扱いするなーっ! って、文句を言いながらも嬉しそうに頭を擦り付けてきた。
なんだよ、この甘えん坊め! よーしよしよし、ミラは本当に可愛いなぁ。
「…………ねえ、アギト。最後に……最後にね……?」
「……? ミラ?」
ミラは真面目な顔でじっと僕の顔を見つめて、そして……なんでもない。と、目を伏せた。
ぎゅっと最後に力強く抱き着いてきたから、僕も目一杯抱き締めてやった。それが……最後だった。
「——じゃあね、アギト。私も……アンタで良かったって、そう思う。アンタと一緒に過ごしたこの九十九日が、一生の宝物よ」
「おう。じゃあ……うん。元気でな、ミラ」
——ああ————夢が覚める————覚めて欲しくない、永遠に続いて欲しい時間が終わってしまう。
だけど……うん、そうだ。前を向かないとな————
アラームが聞こえた……それと…………兄さんの声……かな。
えっと……目が覚めたのか。ああ……そっか。最後のお別れの為にアイツが……召喚術式で…………
「…………動く……な。よし、もう……大丈夫だ」
突っ伏したままでそこら中痺れまくってる体をゆっくりと動かして、そして…………いてて、流石にまだ立ち上がるのは無理か。
時間は……アラームが鳴ってるから…………っ⁈ アラームじゃない! これ着信音だ⁉︎ 店長‼︎
「……頑張んなきゃ…………いけない…………っ。頑張らなきゃ…………」
そうだ、頑張れ! 立て! 立って……まずはシャワーかな。ゲロまみれのおっさんの臭い……どう考えても食べ物を扱うお店に持ち込んでいいものじゃない。
だからさっさと電話に出てさ、シャワー浴びてさ。さっさと……やらなきゃ…………っ。
「————ぅぁ————ぁぁああ——ああああ————ッ‼︎」
————そんなの————出来るわけないだろ————っ。
「——俺だって————俺だってお前と一緒に居たかった————っ! もっと色んなとこに行きたかった、もっと色んなものが見たかった——っ。
お前と一緒ならどこに行くのも怖くなかった、お前と一緒だったから最後にも頑張れた————なのに————ッ!」
頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回される。まだ————まだ消えるわけもない痛みが残っている——っ。
体が磨り潰されるその瞬間の恐怖、死という本来味わう筈のない苦痛が頭の中で無理矢理反芻されてしまう。
わかってるんだよ————頑張らないと——アイツに誇れる家族で居ないといけないって————そんなの……わかってるんだよ………………っ。
「————あぁ——ぁぁ————お前が居たから————引っ張ってくれたから——僕は————」
ベッドの縁に両手で掴まって、そして許しを請う様に————復活を乞う様に額をそのまま押し付けた。
もう僕は勇者じゃないんだ……僕は……秋人はアギトとは違うんだよ…………っ。
「————ミラ————僕は————」
——ひとつだけ————試してみたいことがある——。
ミラは言った。必要なのは縁と、そして息継ぎ出来るだけの魔力。
魔力ってのは生き物全部が当たり前に持ち合わせているもので、魔術なんて一切使えなかったアギトの身体からもミラは吸い出していた。
だったら……僕の、秋人の身体にだって……っ。
そしてもうひとつ————僕が向かうべき光は——縁は、あっちの世界にはいくつもある筈だ。
「——ミラ——俺は————っ」
ミラが最後に縁を繋いだってことは、まだ僕の肉体は葬られてはいない筈だ。
レアさんとの縁、ミラとの縁。そして——アギトという直接の縁。
この肉体を生贄に————僕の持ってるこの世界とあの世界の情報を生贄に捧げれば——————術式は起動する筈だ————
「…………ミラ…………っ」
魔術をどう使うのかなんて知らない。でも……ただ、このまま苦しみの中で生きていくくらいなら……っ。
僕は大きく頭を持ち上げて、そして……目を瞑って勢いよく振り下ろした。
ああ、わかってる。これで何かが解決するわけじゃない。都合良くあっちの世界に——アギトとして生き返れるわけがない。
わかってるんだよ、そんなの。だけど…………
「————俺は————お前を忘れられないんだよ————っ」
————渾身の頭突きは柔らかい布団にぶちかまされた。
ああ、日和ったのか。いいや、違う。決してびびって死ねなかったわけじゃない。
だけど……まあ別に、それでもいいや。
「…………もう、お前を裏切れない。約束は必ず————今度こそ果たさなくちゃ————」
さっきまでビリビリと痺れていた脚はもう大丈夫だった。
手は……うん、握れる。身体も動く、重たいけど。気持ちも…………大丈夫。
目眩がするし、足取りもフラフラだけど……僕はやっと、部屋の鍵を開けて外に出られた。
「————アキ——っ! 大丈夫か! もう三日も何も…………アキ……? どこ行くんだ、アキっ!」
「……どこって……お店……サボっちゃったし、謝んなきゃ。今日も出勤日だし……ああ、その前にシャワー……」
思ってた以上にふらつく足元と、それからゆらゆら揺らめく視界にまっすぐ歩けなかったけど……でも、それは関係ない。
さっさとシャワー浴びてさ、行くんだ。シンドイけど……あの時の一歩に比べたら楽勝だよ、この程度。
「待て、アキ! フラフラじゃないか……店には俺から連絡しておくから、一回病院に……アキ!」
「あはは……大丈夫。うん、大丈夫。大丈夫だけど…………ここで裏切ったら大丈夫じゃなくなるから。だから……行ってくるよ、兄さん」
ちゃんと説明しろ! って、兄さんは煩かったけど……ごめん、説明は出来ないからさ。
シャワーを浴びると空腹感がやってきた、でも遅刻しておいて優雅に朝ごはんなんてアイツが許すわけ…………………………許しそうだけど、アギトが許さない。さっさと着替えて、歯も磨いて。
「…………っ。まっぶし……」
玄関を出ると鬱陶しいくらいにカンカン照りで、疲労感も相まっていきなり気が滅入ってしまった。
けど、まるでアイツが僕を引っ張ってくれてるみたいで————太陽になって、また道を照らしてくれてるみたいで————
「……じゃあ、行くか」
僕はこうしてその一日を始めた。ううん、この先の長い一日の全部を始めるんだ。
アイツがくれた勇気を持って、秋人も勇者として生きる為に。
アギトに恥じない、立派な男になる為に————
最終話は二本立てになってます、後日の更新をお待ちください。
最終話後にも後日談ほか、いくつか話が更新されますのでお楽しみいただければ幸いです。




