第六百九話
ズン————ズン————と、彼の振るう一撃は大気を震わせていた。
黄金の髪を靡かせ、ひと筋の光となって突き進む。
眼前に立ちはだかる龍の首を打ち砕き、蹴破り、そして六本目を叩き返した所で……
「——ちっ————」
勢いを失い後方へ退くフリードさんと入れ替わりで、はぁあッ! と、今度はミラが魔王へと飛び掛った。
目にも留まらぬ連撃で根をねじ伏せるが……っ。
どうしても破壊までは至らない、すぐに残る一本に追われて攻撃から防御へと態勢を変えさせられてしまう。
「っ……すみません、私の力不足で…………っ」
「いや、君は上手くやっている。相性の問題だ。己があの根を全て抑えることがかなったなら、その時には魔の王を討ち取って欲しい」
フリードさんとミラはもう何度目かも分からない突進を仕掛けた。
半端な攻撃では、根を跳ね返すことはおろか、寧ろこっちが貫かれてしまいかねない。
でも……ふたりとも既に全開で、それでもフリードさんが六本の首を落とすのが精一杯で。
このままだと本当にジリ貧で…………
「————不届き————不届きであるぞ————」
「させないって————言ってるだろ————っ!」
魔王もまた、もう何度目かも分からない蒼炎をふたりに放った。
しかしこれももう何度目かも分からないが、マーリンさんの放った紅蓮の炎に遮られてこちらには届かない。
戦況は拮抗しているように見える。だが……だが…………っ。
「……俺が…………っ。俺に戦う力があったら…………っ」
マーリンさんとフリードさんは出し惜しみなしの全力で攻撃している。しかし、それでも魔王には届かない。
そして…………あっちの余力については全くの未知数だ。
このまま打ち合って、消耗し合って。果たしてその先でどちらに軍配があがるだろうか。
マーリンさんの魔力が無限だと言っても、体力はそうではない。
四人への攻撃を全て警戒し、そして打ち消し続け。精神がすり減ってどこかで必ず限界が来る。
そしてそれは、何もマーリンさんに限ったことではない。
フリードさんだって人間だ、体力には限りがある。
一度負った傷はすぐには治らないし、わずかな出血だろうと重ねれば致命傷になる。
ミラの魔力だって、いつ底をつくか…………
「——っ——俺が————俺がもっとちゃんと————」
——僕が戦えたなら————っ。
分かってる。たとえある程度の力を持っていたとしても、付け焼き刃では僕の精神が耐えられない。
僕ではみんなのように勇敢に立ち向かえない、必ず何処かで日和って隙を見せる。
だからこそ、ミラもマーリンさんも僕に戦う為の魔具を与えなかった。
回避とたったひとつの役割に専念出来るように、余計な物を持たせなかったんだ。
分かってる。そんなの全部分かってるんだ。だけど…………っ。
「——アギト——っ!」
「え————わっ——」
気を抜いたわけでも目を逸らしていたわけでもない。ただ、雑念が…………欲が僕の動きを制限した。
魔王は龍の頭を僕……と言うよりも、僕の前に立っているマーリンさんに向けて差し向けたのだ。
マーリンさんはそれをヒラリと躱してみせたのだが、僕は竦んでしまっていて反応が遅れてしまった。
そんな僕を、マーリンさんが庇うように突き飛ばして——
「————不届きである——————」
「——しまっ————ミラちゃん————ッ!」
龍の頭は僕達の頭上を通り抜けたが、マーリンさんが僕を守った隙に、魔王は魔術による攻撃をふたりに向けた。
フリードさんは異常に気付き、即座に回避したが————
「——っ————」
「っ——ミラ——ッ!」
攻撃の途中で周囲を根に囲われていたミラは、それを回避し切れず、頭部を守った両腕を火球に焼かれてしまった。
そして痛みに怯んだ僅かな隙に——
「ミラぁああ————ッ‼︎」
龍は少女の腹を喰い貫かんと猛烈に突き飛ばした。
ミラの小さな体は宙を舞って、そして僕達よりもずっと後ろに叩き付けられた。
「っ! 魔女——っ!」
「分かってる————でも——っ!」
ばちんっ! ばちんっ! と、フリードさんの身体は強く輝きだした。
もしかして更に上の強化が……っ? なんて、そんな都合の良い話なわけが無い。
時間切れだ。最大出力の強化が解けそうになっている。
もしもそれを失ってしまえば、いくらフリードさんと言えどスピードもパワーも大幅に落ちてしまう。
だからもう一度強化魔術の掛け直しを……と、マーリンさんに呼び掛けるのだが……っ。
「っ。アギト、ごめん! 僕じゃ君のことを守り切れない! 全力で守るけど、撃ち漏らしはなんとかしてくれ!」
フリードさんでは首を六つ相手するのが精一杯なのだ。
故に、ミラがやられてしまった今、残りの二本はマーリンさんへと向けられる。
そして————そんな彼女が身を呈してまで守ろうとする格好の餌が、ここにはひとり転がっている。
「っ。マーリンさん、俺はいいからフリードさんを——」
「————不届きである————」
——やば————っ。それに気付いたのは、手遅れになってから。マーリンさんが自分の身を蒼炎と龍から守る為に、僕から目を離したわずかな瞬間だった。
文字通りすぐ目の前、顔から数センチの所に真っ青な火種が現れ————そして————
「————揺蕩う雷霆——ッ!」
熱さと痛みを感じたその瞬間に、僕の体は火柱の中から引っ張り出された。
顔を覆った両手が焼けて、そして熱い空気を取り込んだ喉が痛む。
だけど、僕は無事に炎からも龍からも離れた場所に連れ出されていた。
「——ミラ——っ!」
「言ったでしょ——アンタは私が守るって————だから——っ!」
バチバチと雷光を纏って現れたのは、まだ両腕が焼けたままのミラだった。
しかしそれもみるみる内に治癒して行き、僕を地面に下ろした時には全くの無傷に戻っていた。
「——ミラちゃん——っ! さっすが、ナイスタイミング————フリぃーーード——ッ‼︎」
応‼︎ と、マーリンさんの叫び声にフリードさんは短く応え、そして足を止めて六本の龍を真正面から受け止めた。
バチン——ッ! と、それで彼を覆っていた青い輝きは消え失せ、しかしすぐに————
「————不届きな——ッ!」
ド————バンッ‼︎ と、龍は纏めて吹き飛ばされた。
そして六本の残骸を潜り抜け、フリードさんは魔王へと迫る。
さっきまでよりも更に速く、そして靭い。や、やっぱり更に上の強化が……
「——護るべきものを前に————己が負けることはない————ッ‼︎」
「————っ————」
マーリンさんの所から急遽戻された龍の頭にも、フリードさんは見事に対処してみせた。
まず一本を掻い潜り、そして時間差——これは狙って緩急を付けたものではなく、恐らくは物理的な距離の差が生んだ偶然の波状攻撃だったのだが、その二本目を呆気なく殴り壊した。
しかしそうして生まれた隙に、たった今避けたばかりの最後の一本が背後から襲い掛かる。
フリードさんはそれを跳んで躱し、そして先程砕いた六本が再生しているのを見るとすぐに距離を離した。
まだ……まだ届かなかった。だけど……
「七本目————残り一本だな————」
「——不届き————」
フリードさんはさっきまでどうやっても届かなかった七本目まで打ち砕いてみせた。
もしかしたらこのまま……新しい強化に身体が慣れれば、もしかしたら……
「…………どういうこと……フリード様…………更に速くなってる…………」
「……? だから……マーリンさんがもっと強い強化を…………?」
あれ…………? もし今のブレイクスルーが新たな力によるものだったなら————魔術によるものだったなら、ミラならそれに疑問を抱かないんじゃないのか?
だって、こいつには魔術の痕跡や強度、属性なんかが分かる筈だ。それなのに理解出来てないってことは……
————強き者を前に己の拳は砕けぬ。弱き者を背に己の体躯は朽ちぬ————
思い浮かんだのは、麓で魔竜を相手に宣言した彼の言葉だった。
さっきも口にした“護るべきものを前に、己が負けることはない”という言葉だってそうだ。
もしかしてフリードさんは……
「ま、マーリンさん! もしかしてフリードさんって、何か特別な力が…………っ! そうだ、契約術式! 強い相手と戦う、弱い仲間を守るって条件下で強化されるような……」
憎たらしいけど、事実としてその可能性を僕は知っている。
因縁の魔人、ふたり目のゴートマン。
奴は日にひとりを殺めるという条件を満たし続けることで、ありえない程の——それこそ、ミラよりも高い戦闘能力を有していた。
特殊な条件を満たすことで発揮される異常なまでの強化。もしかしたらフリードさんも……
「……いや、流石にそんなあやふやな条件式では契約も結べないだろう。そして当然、アイツにはそんな術式は刻まれていない。覚えておきたまえ、ふたりとも。あれは————あの力は————」
バァン! と、また破裂音がして、そしてフリードさんは五本の根を蹴り飛ばした。
音の正体は踏み込みだろうか。彼の足下が陥没していた。
そして更に向けられた二本を飛び越え、そして最後の一本を————
「————ただの意地だよ————精神論だけであのバカは理屈をねじ伏せるんだ————」
「————不届き————ッッ‼︎」
フリードさんの拳は最後の根を突き破り、そして魔王の本体へと向けられる。
魔王は初めて自らの腕を使って頭を防御し、そして大きく仰け反りながらも、砕かれずに踏み越えられた根を使ってフリードさんを追い払った。
精神論って…………ま、まさか……
「負けらんないから負けない。理屈は通らないけど、確かにひとつの理想ではあるだろう。
契約術式というものが本当にあるのならば、アイツはアイツ自身の魂と契約してるんだ。
安心しなよ、ふたりとも。アイツは————英雄フリードは——護ると決めた十六年前から、ただの一度も敗走したことが無い————」
魔王は腕の痣を一瞥し、そしてすぐにフリードさんを睨み付けた。
先程までとは違う、明らかに感情を込めた眼差しだった。
マーリンさんもフリードさんも凄い——凄過ぎる。こんなにもふたりは凄いのに————っ。




