第六百七話
生還の安堵、新たな力の覚醒、そしてちょっとした休憩。ついさっきに感じられるそれらはもう遠く、僕達はピリピリとした緊張感の中、ひたすら山を登り続けていた。
幸いなのは、その傾斜があまりきつくないことと、道と呼べるだけの整備された場所があること。
獣道ではなく、れっきとした道。
人間か、或いはそれ以外の知能を持った生命がここから先へと頻繁に出入りしていた証でもある。
「……っ。マーリン様」
「何か見えたかい? フリード、後方の警戒を。敵陣が目前となれば、罠が仕掛けられててもおかしくない。二度目はごめんだよ」
沈黙を破ったのは、ミラの小さな警告だった。
それを受けてマーリンさんはフリードさんに指示を出し、そして僕は三人に囲まれる形で…………な、なんだか警護されてる要人みたいだな……
「…………この先でどうやら行き止まり…………火口湖……でしょうか。湖があって……その向こう側は切り立った岩壁になってます」
「火口湖か…………この山が休火山かどうかなんてのは今はどうだって良いけど、水辺があるなら生命はそこに住処を作るだろう。道理の通じない相手だってのは前提としても、生きている以上それは確かだ」
となると……ごくり。この先にあるというカルデラ湖に……あるいはその周辺に、魔王が拠点を…………あ、いや……いきなり魔王とは限らないのかな。まだ四天王的なのも出てきてないし……
「状況を見るに、ここから先へは何かが頻繁に出入りしてると見て間違いない。そしてそれは、間違いなく獣とは一線を画した知性を持ち合わせている。魔王がいるのか、それとも他に魔人がいるのか。或いは魔王の元に魔人が集っているのか」
「…………どちらにせよ、戦力を分散したままでは危険です。マーリン様、警戒範囲の縮小も承知で、フリード様もこちらに……」
戦力の分散というミラの言葉は、正直言って過剰な警戒のようにも思えた。と言うのも、フリードさんは僕から見ても目と鼻の先にいるのだ。
ミラが先頭、マーリンさんと僕が少し離れてその後を進み、フリードさんは更にその後ろ。
確かに、警戒範囲を広げる為に多少の距離を取っているけど、それはふたりの反射速度と俊敏性を考慮してのことだろう。
間違いなく、一番素早いのはミラだ。いろんな意味で。
危険を察知すれば後ろへと跳んで来て、それを見て僕達も危険が先にあるのだと判断出来る。
背後を守ってくれるのはこの中で一番タフなフリードさんで、彼もまた騎士として非常に高い戦闘能力を有している。
そんなふたり共が、それぞれ三歩ないし二歩で合流出来る距離を保っている。それを……
「……そうだね、こうなると一瞬が命運を左右しかねない。フリード、ゆっくり警戒範囲縮小。ここからは全員固まって行くよ」
承知した。と、フリードさんは周囲を用心深く見回しながら僕の側までやって来た。
そう、さっきのフォーメーション? で良いのかな。それが山を登り始めてからの基本陣形。
一番弱っちい僕と一番攻撃力のあるマーリンさんを、ふたり掛かりで全力警護するという方針。
勿論欠点もあるだろう、長所とは短所の裏返しであるが故に。って、なんかで見た。
僕が思い付く範囲では、ミラとフリードさんが少しでも撤退、合流に遅れれば、マーリンさんの攻撃は使えなくなる。
ふたりを信頼してのことだけど、やはりリスクはある。それを崩して全員を側に寄せたってことは……
「作戦もクソも無い。先制攻撃でさっさと片付けるよ。と、言いたいとこだけど。敵勢力を確認し次第、僕は全力で攻撃する。それに変わりは無い。ただ……」
「……魔術に対する耐性……いえ、熱に対する耐性と言うべきでしょうか。火炎も、凍結も、それに電撃ですら。どれも主な攻撃力は熱に依存しますから。
電流を受け流す低抵抗の鱗や、外気温の影響を小さくする厚い毛皮など。過剰な防御力も、知っていた上での備えであれば不自然でもありませんし」
うんうん……うん。熱……うん、分かってるとも。熱だよね、熱。うん……ぐすん。
どうやら魔術は熱を攻撃力にするらしい。ちょっと良く分かんないけど。
しかし、それらに抵抗を持っている生物は少ない……んだろう。
焼かれれば流石に殆どの生き物は死んでしまうし、氷河期で多くの生き物が絶滅してしまってるわけだから。
「それでもまずは僕が一発入れるのが正解だろう。少なくとも僕の最高火力は、今の今まで知られるどころか、僕だって把握しきれてなかったんだ。備えを打ち破って叩き潰せたなら御の字、防御を砕けたならそのまま波状攻撃で打ち倒す」
「……あ、あの……マーリンさん。その……」
ちょっと聞きたいことが…………あ……いや。どうしよう。
まだ四天王出て来てないし、ボス戦想定は待った方が良いんじゃない? なんて僕が言うのもおかしいよな……と、尻込みしていると、大きな手にポンと肩を叩かれた。
「親友よ、何かあれば臆せず伝えると良い。この場においては、少しの気付きですら命を救う妙手になり得る。また、どれだけ優れた戦士であろうと見落としをしてしまう緊張感もある。君の言葉を不勉強だと切り捨てる愚か者はここにはいない。さあ」
「っ。その……この先が行き止まりで、状況的に親玉がいる確率が高いのは分かったんですけど。それでも……やっぱり……」
フリードさんの言う通り、ミラもマーリンさんも僕の言葉に真剣に耳を傾けてくれた。
まだラスボスは出てこないんじゃないか。そして、罠を張っている可能性があると言うのならば、影武者を使って僕達の最高火力……マーリンさんの力を推し量られてしまうんじゃないか。
やはりと言うか当然と言うか、三人ともその可能性には気付いてたみたいで、でもそれをとっくに考慮したものだと僕を跳ね除けずにもう一度検討してみてくれていた。
「……そう、それは本当に厄介だ。僕の魔力は幸いほぼ無尽蔵で、弾切れという不安要素は無い。ただ、それでもそれに備えられてしまうのは気掛かりだ」
「先程あった通り、魔女はひとりではあまりにもか細い。そして、魔女を失えば己達は攻撃力を半分失うと言っても過言ではない。そこに気付き、魔女を隔離し、そして確実に仕留める。最悪の展開と言えるだろう」
うっ……実際にやられたことだからシャレになんない。
ミラの治療……治癒のおすそ分けも、死んでしまってからでは遅い。
やっぱり多少の余力を残すと言うか、マーリンさんって切り札を多少隠しながら進んだ方が……
「……が、それで後手を引いてたら意味が無い。身代わりを使って……と、そう企んだのならば、僕達はとっくにその術中に嵌っている。
この山全てが敵のナワバリである以上、さっきのも見られてた筈だ。それだけじゃない、第一階層でミラちゃんとお姉さんの魔術も見てる」
「手の内は既にバレている、と。そう仮定するのならば、加減をして力を隠すのは単なる利敵行為にしかなるまい。魔女はともかく、ミラ=ハークスの魔力には限りがあるのだしな」
えっと……と言うことは……やっぱり開幕全力ブッパが最適解ってこと?
まあ……その、ね。いつもいつも漫画読んでる時に思ってましたとも。最初から必殺技使えや、と。
でも……いざこうして実際にラスボス戦を迎えると、ちょっとその理由も分かっちゃう。
通用しなかったらどうしよう。これ以上無い攻撃をぶつけて、いきなりそれを打ち破られたら……って。これは僕が単にビビリなだけか……?
「アギト、そんな顔しないの。アンタにしてはまあまあ良いとこに気付いたんだから、意外と肝が座ってきたって思っておきなさい」
「ミラ……お前…………遠回しにヘタレって言うのやめろよ…………」
悲観的だなぁ。と、マーリンさんに頰をつっつかれた。だ、だって……ぐすん。
「方針は変わらず、けれどこの再確認には意味があった。僕達は今、追い込まれているが故に速攻を仕掛けなければならない。この事実を言葉にして共有出来たのは大事だ。緩むこと無く、しかし臆することも無く。進んで、そして勝つ。行こうか。この先はまだ最終決戦のひとつだ」
ぎゅっと僕の手を握り、そしてミラの手を握り。マーリンさんはゆっくり頷いてそう言った。
最終決戦……か。うう……全然ワクワクしない。マジで。
響きだけは大好きな奴なのに、緊張感が凄過ぎてお腹が…………? お腹も痛くならないくらい緊張してる…………っ。
「ミラちゃん、フリード。強化を掛ける、ふたりが先頭で一気に飛び込んでくれ。そして状況を把握したらすぐに退避、僕が焼くから援護をお願い」
「任せろ。己が呼吸を合わせる、自分の間合いで踏み込むと良い。ミラ=ハークスよ、彼の意思と力を継ぎし者よ。己は全身全霊で君について行く」
ふたりの指示にミラは大きく息を吐いて、そしてこくんと力強く頷いた。
バチバチッと青白い稲妻がミラとフリードさんを覆って、そして僕とマーリンさんもわずかな間をおいて強化魔術を身に纏った。無詠唱ってやっぱりずるいな……
「————行きます——」
——バチン——っ! と、雷鳴が響き、そしてふたりは姿を消した。
えっ、ちょっ、待って⁉︎ 速過ぎる! 置いてかないで! と、慌てふためいていると、僕の体はフワリと宙に浮いて…………マーリンさんにお姫様抱っこで運ばれていた。きゅん。
きゅんじゃない、足引っ張ってどうする!
「————アギト——このまま聞いて。君に掛けた強化は今までよりも少しだけ強く、そして特殊だ。君でも乗りこなせるギリギリの出力で、けれどいざという時の為に瞬間的な出力を上げられるようになってる。
難しいことは無い、ただ普段よりもずっとずっと強く地面を蹴るだけで良い。
筋肉に掛かった負荷に応じて、自動でリミットを一瞬だけ切ってくれる。
もし——もしも何かあったならば————」
はいっ! と、僕は力一杯返事をして、そしてマーリンさんが止まるのを待った。
ミラとフリードさんの姿が迫ってくる。ふたりは既に何かを見つけて立ち止まっている、警戒態勢に入っているってことか。
マーリンさんは僕をちょっとだけ乱暴に降ろすと、そのままふたりのすぐ後ろまで駆け寄ってその先を睨み付けた。
————みんなが睨む先——カルデラ湖の中心————そこにあったのは、真っ白な男の姿だった——————
「————っ! アギト! 伏せて——ッ!」
っ‼︎ まさか敵っ⁉︎ ミラが物凄い勢いで僕の方へ飛んで来るもんだから、それはもう後ろから敵が来てるもんだと思って慌てて振り返ったのだ。
しかしそこには何も無く、敵から目を逸らさないで! と、なんだかちょっとだけ理不尽なお叱りを受けて前を向かされ——
「——っ。これ——なん————」
大きな湖を——男を中心に、氷で出来た透明な箱が幾重にも形成された。
まさか盾……結界っ! マーリンさんの攻撃力を警戒して、やっぱりもう迎撃の準備を……と、そんな危惧や恐れが、全く見当違いなものであるとすぐに理解した。
これは——この箱は————
「————終わらせる————」
一番内側の箱の中で猛烈な爆発が起きた。
その箱の中には間違いなく男の姿があって、そして広さもそう大したものじゃない……ちょっとしたコンテナくらいだろう。
そんな狭い空間の中で、謎の男は爆炎に飲まれた。
轟々と燃え盛る炎に氷の箱はすぐには溶かされることもなく、しかしその膨張によって次第に形を歪めていく。
まるで金属の箱のように、割れるのではなくたわむように。
しかしそれでも——
ビシビシ——と、ひとつ目の箱は悲鳴を上げ始めた。
氷は氷、決してその性質は変わらない。
硬く、しかし柔軟性に欠け、そして熱に弱い。
まだ中の空気を押さえ込んでいるのが奇跡的な程大きな亀裂が入ったのが見えた。
しかし……しかし箱は、内側から蹴破られるのではなく、むしろ外から潰されているかのように、また逆にたわみ始めたのだ。
「——なんだ——これ————」
箱の中の景色が暗くなっていく。
煙で視界が悪くなっているという意味ではない、段々と明度が落ちていくのだ。
理由は……分からない。
けれど、箱が割れる瞬間が訪れるのだけは分かった。
パキッと甲高い音が響くと、それはあっという間に崩壊して、爆炎を次の箱の中にぶち撒ける。
熱を、膨張した空気を、エネルギーを……放出した筈だ。筈だった。
「——っ! まさか————マーリン様は重力まで————」
「重————それって——」
ふたつ目の箱もすぐに内側に向かって潰れ出した。そう、内側に向かって。
何かに引っ張られているかのようだった。
ぎゅうぎゅうと引っ張られて、そしてふたつ目の箱も敢え無く潰れてしまう。
透明だし、真ん中だけ妙に色がくすんできた所為で分かりにくいけど……箱はあと三つ残っていた。
「っ……フリード様!」
「分かっている——っ! 最後のひとつ、もし壊れるようならば——」
フリードさんはミラの呼び掛けに、振り向かずに頷いた。も、もしかしてここもやばい……?
三つ目の箱もすぐに亀裂が入って、ひとつ目の箱があった辺りはもうとっくに真っ暗だった。
重力ってミラはさっき言ってたけど……そ、それも魔術の範囲なの⁈
「っ。四つ目…………ミラ、もしかしてコレって……」
「……相当…………やばいわ……っ」
そ、それってマーリンさんがだよねっ⁉︎ マーリンさんが凄過ぎてやばいんだよね⁉︎
決してその……制御しきれてない! やばい! とか、敵の抵抗がやば過ぎる! とかじゃ————
「————跳べ——ミラ=ハークス————ッ!」
叫び声は最後の箱が壊れる瞬間に聞こえた。
そして僕は、ミラに抱えられて湖から遠ざかるように飛んで、そしてフリードさんもマーリンさんを抱えてこちらへ————っ!
「——フリード様————っ!」
「————ぉぉ————オぉおお————ッ‼︎」
重力と言われても実はピンと来てなかったけど、その光景を目の当たりにしてなんとなく納得した。
最後の箱が砕けると、ミラとフリードさんのスピードがガクンと落ちたのだ。
そして、周りにあったもの……木や岩や、それから湖の水なんかが、全部一点に向かって吸い寄せられていくのが見えた。
ある一点に全部吸い込まれるように————まるでブラックホールみたいに————
「——っ! く——ぉおおお——ッ‼︎」
フリードさんは間一髪のところでその引力から逃れて、僕達の所まで逃げて来た。
力は次第に収束し、そして景色も段々と明るく戻っていく。
い、いったい何やらかしたんだ、このポンコツ大魔導士は——っ! と、そう怒鳴り付けられる状況ではまだないらしい。
マーリンさんも、ミラも、フリードさんも。みんなまたしっかり構え直して、爆心地に向けて警戒を強めていた。
「————っ——そんな————」
「——魔女——————どうやらお前の一撃は————」
まず驚嘆の声をあげたのはミラだった。
何かを見てしまったと言わんばかりに目を丸くして、そして肩を震わせていた。
次に笑ったのはフリードさんだった。
魔術師達が新しい問題を前に心躍らせるみたいに、その人もまた子供のように目を爛々と輝かせていた。
僕とマーリンさんは、そんなふたりの視線を追って————
「————不届き————」
それは紛れも無く人間の形をしていた。
真っ白な男の姿をしていた。
頭髪も、肌も、衣服のように見えていたものも。何もかもが白かった。
きらきら長い髪を暴風になびかせ、そして男は花弁のような物に包まれた下肢を大地に根ざしている。
大きな湖の真ん中に、男だと思っていたものは根を張ってこちらを睨んでいる。
「——っ。さて————もう間違いないね——コイツが————」
————魔王————。その邪悪な響きに負けぬ異常がそこには在った。
僕達に出せる最高の攻撃力を以ってして、表情のひとつも窺い知れぬ程動じない生き物。あまりにも桁外れの脅威を僕達は前にしていた。




