第六百一話
「——っ。マーリン様——っ!」
ミラの悲鳴は轟音にかき消される。
檻を前に、僕達はこの異常な状況をまだ飲み込めないでいた。
マーリンさんのあの姿は……そしてこの魔術の威力はいったい……
「————魔女————っ」
「……フリードさん……? もしかして何か知ってるんですか⁉︎」
付き合いの長いこの人なら……と、そんな僕の期待も虚しく、フリードさんは苦々しい顔で首を振った。
荊棘の檻はギシギシと音を立てながら歪んでいく。焔は今にもその隙間から溢れ出しそうだった。
「——己もこれは……魔女の言葉については何も分からない。だが——だがひとつだけ————っ。魔女は——魔女はこのままでは死ぬ——っ。アレではあの男には勝てない」
「マーリンさんが…………っ⁉︎ こ、これだけやってもまだ……」
まだ足りないってのか……っ。そんな僕の不安を助長させるように、檻の中に一筋の光が走る。
それが剣によるひと太刀であると理解したのは、炎を切り裂いて男が飛び出してからのことだった。
「っ! 嘘だろ……あんなの食らって…………」
煤だらけで真っ黒になりながらも、ユーリさんは無傷で炎の中から帰還してしまった。
あり得ない……マーリンさんの今の魔術も規格外だが、それを平気で耐えてしまうこの人も……っ。
しかし、その様子がおかしいことにもすぐに気付く。
いいや、その場の様子が変だと……人影が足りていないことに、僕達も遅ればせながら気付いた。
「——マーリンさんがいない…………っ!」
檻の中は、未だ鎮火し切っていない炎と煙で最悪の視界だった。
しかしそれでも、ここにはミラがいる。ミラがいて見つけられないなんてことが…………?
「……? ミラ…………?」
「…………おかしい……こんなのあり得ない…………」
あり得ない……? えっと……それはこの威力の話?
そりゃまあ確かに、今までマーリンさんが使ってみせたどの魔術よりも……それこそ、麓で魔獣の大群を消し飛ばした時よりも威力が高かった。
旅の間に教えて貰った知識を元に考えると、おかしな点は確かに幾つもある。
その最たる例として、ただの言霊がどうして詠唱まで完全に揃えた魔術よりも強かったのか、という点。
言霊や陣、詠唱というのは、魔術を作る式。それがしっかり組み上がっていればいる程、正確に積み重なっていればいる程、魔術の質は上がるのだと教わった。
だから……えっと、そう。あり得ないってのはこのこと——
「————魔力痕が無い——この魔術はマーリン様のものじゃない————っ」
「魔力痕が……マーリンさんのじゃないって……どういう……」
分からない。と、ミラはそう答えて檻の中を必死に探していた。マーリンさんを探すことさえ後回しにする程、それは凄くやばいことなのか……?
「——契約————」
「————っ! どこに——」
煙の中から声が聞こえた。
紛れもなくマーリンさんの——そして今度は、また詠唱を始めたらしい声。
聞き覚えのある一節、二節が次々に唱えられていく。
しかし……声の出処が分からない。
それは僕だけじゃなくユーリさんも同じみたいで、剣を振るって煙を払っては周囲をキョロキョロ探していた。
だがそれも——
「————焼き尽くせ、世界樹————」
——それも時間切れを迎え、檻の中は再び炎に飲み込まれた。いいや、これは間違いなくさっきのよりも強い。
まだ……まだまだ上があるって言うのか。マーリンさんの魔術はどこまで……っ!
「っ! まさか……このまま戦ったら魔力が保たない……? こんな規模の魔術連発してたら、いくらマーリンさんでも……いくら秘策があるって言ったって……こんな所じゃそれも……」
焔は再び切り払われた。そしてどうやら、ユーリさんはマーリンさんの居場所に目星を付けた様子で、キッとその先を睨んで思い切り剣を振り抜いた。
自らの頭上に向けて、姿を隠していた煙を一撃で吹き飛ばして——
「————成る程、飾りではないと。その姿はハッタリではないと」
煙が晴れ、マーリンさんの姿は上空で発見された。どうやら爆発の突風と上昇気流で飛び上がっていたらしい。
大きな翼を広げ、杖を構えて。文字通り眼下にいるユーリさんを見下ろしていた。
「——ですが————果たしていつまでそうしていられますか——? これだけの規模の魔術を、貴女はあと何度————?」
ユーリさんの挑発まがいな問い掛けに、マーリンさんはその場に滞空しながら首を振った。
ばさりばさりと羽ばたく度に、うっすら残っていた煙や炎が渦を巻いて払われている。
「——ちゃんと名乗りを上げた筈だ。大翼の魔女。マナの化身、大地の権能。僕は————」
マーリンさんはユーリさんを見下したまま大きく手を広げ、そしてその場にあるとんでもなく大きなものを鷲掴みにしてみせた。
彼女の言葉に、ありえない。と、ミラはまたそう呟いた。
「————僕はマナを操る。この大気——大地————自然界に存在する魔力こそが————僕の魔力の総量だ——————」
——燃え盛る紫陽花————。
再び火炎がユーリさんを包み込んだ。
マナ……その話はミラから聞いた、とんでもなく御伽噺な単語だ。
それさえ使えたなら、きっと魔法も使えるだろう。
それが出来ないから、魔法はあり得ないものとして扱われる。
そう説明を受けて……だから……
「——じゃあマーリンさんの魔力は————絶対に————」
魔力切れは無い……ってこと……? 僕のそんな稚拙な答えもどうやら間違っていないらしい。
ミラは凄く苦しそうな顔で檻の中の炎を見つめていて、フリードさんもまだ拳を震わせたまま立ち尽くしていた。
じゃ、じゃあ……マーリンさんはこのままずっと……ユーリさんが耐えられなくなるまで、この威力の魔術を撃ち続けられるって…………
「————ミラ=ハークス——っ。次にこの檻が開いたら、全力の強化を己に掛けろ。奴の話ぶりからして、魔女の次は己を狙う筈だ。今の君の強化魔術ならば、魔女のものにも引けを取るまい」
「————? フリードさん……? えっと……何言って……」
え……あ……ああっ。そうだった、ユーリさんはふたりを抑え込むために檻を開発したって言ってたっけ。
それに、マーリンさんはこのままだと負ける、って。
でも……でもそれって、粘り合うと先に魔力切れを起こすからマーリンさんが不利だって話だよね?
だって……こんな威力の魔術を撃ち込まれ続けてたら、いくらこの檻が頑丈でも、ユーリさん本人は……
「——親友よ——っ。もう一度だけ言う。魔女はあの男には勝てない。魔力切れや、非情になれない弱さは関係無い。魔女ではこの戦いに勝てない。あの男には、絶対に勝てないのだ——」
「……な——なんで——っ! だってこんなにすごい魔術で……今だってどう見ても押してるのはマーリンさんで————っ」
ぶわぁっ! と、再び大きな音がして、そして檻の中の炎と煙がひと振りで全て吹き飛ばされた。
やはりユーリさんに傷は無く、それと同時にマーリンさんにも疲労している様子は無い。
勝てない……って…………っ! もしかして……
「……そっか…………そうだっ! 俺達がこのままここに釘付けにされたら街が……みんながっ! そうなったら、この場の勝敗なんて関係無く俺達の————」
「——違うのだ————っ! 聞いてくれ——親友よ……っ。個対個の戦いでは魔女に勝ち目が無いのだ……っ。
アレは群に混ざり群を薙ぎ払うことに特化している。個を払うにはその力は極大過ぎる。
そして何より——個で生き残るには、あまりにもか細過ぎるのだ————」
何言って……群に……? ユーリさんを倒せなくて時間切れで負けになるってことじゃないのか……? 本当に……本当にマーリンさんが…………?
「……例え魔女の言葉が真実で、あの魔術を無限に撃ち続けられるのだとしてもだ。その前に魔女は必ず捉えられる。アレが逃げ果せられる程度の時間では、あの男の罠を突破しきれない」
バガンッ! と、鈍い音がして、慌てて檻の中に視線を戻すと、物凄い勢いで岩が飛んでいくのが見えた。
それは上空、マーリンさんがいる方向に向けて、切り落とされ蹴飛ばされたユーリさんの数少ない対空攻撃であった。
ほら……ほら、見ろ。大丈夫だ。ユーリさんがどれだけ強くても、空を飛んでいるマーリンさんを撃ち落とすのは簡単じゃない。
スイスイと軽やかに旋回し、マーリンさんは飛んでくる岩などものともしていなかった。
「凍てつく——————っ!」
「——っ! マーリン様——っ!」
ドガンッ! と、再び鈍い音が響き、そして岩が蹴り飛ばされる。しかし————
「——これは覆しようの無い事実だ。魔女はひとりで戦う想定の下に鍛えられていない。ひとりで戦えるだけの戦士になれると、最初から誰も思っていないのだ。
魔女ではあの男には勝てない。魔女の知識が、魔力が、そして攻撃力がどれだけ勝ろうとも——ただ、この場において魔女はあまりにも——脆い————」
岩は先程とは違い小さな礫にまで蹴り砕かれて、そしてショットガンのように上空に向けてばら撒かれた。
ただ石飛礫をばら撒いたのではない。ユーリさん程の騎士が…………魔人を自ら名乗る程の豪傑が蹴飛ばしたのだ。
避け切るなどという芸当は当然不可能。マーリンさんは上空で礫の雨に襲われて言霊を遮られる。そして……
「——っ! く——っ!」
跳び上がったユーリさんの剣戟を間一髪のところで躱したものの、その為に翼をたたんでしまった為に、マーリンさんは墜落という形で再び地表に降り立った。
そこへユーリさんの容赦無い追撃が襲い——
「——まず————ひとつ————」
——逃げようとしたマーリンさんを無慈悲な剣が貫いた。
肩を貫かれた痛みに絶叫するマーリンさんを蹴飛ばして、魔人ユリウスはひどく邪悪な笑みを浮かべていた。




