第五十九話
魔術師の隠れ里、クリフィア。そう彼女は言った。街並みはアーヴィンと同じ、石レンガを積むか木を組み上げるか、ともかく現代の鉄筋コンクリートのアパートメントなんて無い、中世のような建築物たち。違うことと言えば、アーヴィンに比べて人気が少ない……いや、窓が無いのか? 建物の前には商品を並べるカゴがあって、人が立ってて、声を上げて客を呼び込む人の姿がある。それが商店の多いアーヴィンの印象だった。もちろん、お店としての機能を持たない一般家屋も存在したが、そっちはそっちで縁側…………バ、バルコニーって言おうか。バルコニーだったり庭だったり、それから畑があったりで人の姿を日中は何処でも見たものだ。しかし……
「……な、なんて言うか……暗い街だな……」
僕はまだ体重の殆どを背中に預けっぱなしのミラにそう言った。彼女もその光景が珍しいのか、はたまた寂しいと思ったのか、キョロキョロと不安と不思議を浮かべた顔を周囲に向けていた。
「そう、ね。本当アーヴィンとは大違い。其処彼処に魔術痕があるなんて……」
「……魔術痕…………?」
どうやら僕とは見ているものが違ったようだ。だが……なんだったか、聞き覚えがある話だ。そう、かつてボガードさんに聞いた話。錬金術に使った金床に、見たことも聞いたこともない属性の痕跡があったとかなんとか。
「アンタには分かんないでしょうね。手っ取り早く言えば……ほら、切り株。見たとこ子供の遊び場にでもなってるんでしょうけど、もう何が何だか分かんないくらい複数の属性痕が染み付いてる。金床も陣も無しに、子供が遊び感覚で魔術や錬金術を使ってるのよ」
「子供が……遊び感覚で……ねえ、それって……」
「ええ。とても危険で見過ごせた話じゃ無いわ。でも、この街にはそんな常識すら通用しないレベルで魔術が浸透しているのかも」
街の住民みんな、子供に至るまでが彼女の様に炎を飛ばしたり嵐を起こしたり出来る、という事だろうか。ううん、なんと恐ろしい。そして、先に彼女が言っていた言葉に偽りのない街だろう。この街は剣や鎧を鍛えた兵士に持たせて戦うのではなく、誰も彼もが学んだ知識を以って魔獣を退けているという事か。
「とりあえず飯屋だ、飯屋。ほら、なんか食べ物の匂いとか分からないか?」
「……アンタ、私を犬かなんかと勘違いしてない? ちなみに匂いならこのまま真っ直ぐ、三つ目の十字路を左に曲がった辺りから少し」
いや、分かるんかーい。冗談半分だったのだが……視力の件と言い、彼女は優秀な盲導犬になれるかもしれ……信号でちゃんと待て出来るだろうか。ともかく僕は彼女の野生的な嗅覚を信じ、どれもこれも似た様な建物の中、三つ目の十字路を左に曲がった。
「…………本当にあるなんて。芸でも仕込めば路銀の足しになるだろうか。よし、ミラ。お手だ」
「はっ倒すわよ」
冷たくあしらわれてしまった。冗談半分、つまり半分くらい本気だったのだが。そんなふざけたやり取りをしていると、なるほどここまで来れば僕にも匂ってくる。嗅ぎ覚えのある……これはビーフシチューの様な、酸味も少し混じった甘辛いソースのような強い香りが漂ってくる。匂いの元は……突き当たりの少し大きい建物だ!
「ごめんください」
店と言うには随分飾り気も看板も無い建物に、僕は勝手に上り込む無遠慮な真似は出来ずドアを叩いて返事を待った。しばらくして出てきたのは、愛想の悪い腰の曲がった老爺だった。
「すいません、どこかこの辺りで食事が取れるところはありませんか?」
アーヴィンで培った会話力で僕は、いい匂いがするから俺たちにも食わせてくれよ。へっへっへ。を、出来るだけ穏やかに伝えた。ミラは顔に出やすいから、事前に僕の後ろにしっかり隠れて貰っている。正直首元がこそばゆいが仕方がない。慣れ親しんだアーヴィンの人からすれば可愛らしいものだろうが、見ず知らずの土地においては卑しい子供のように映りかねない。
「……“メズ”に食わすもんはねえよ」
それだけ言って老爺は非情にもドアを閉めた。ちょっと待ってくれよ! めっちゃくちゃに良い匂いがしているじゃあないかよYOU!
「……メズ…………? 今あのお爺さんメズって言った?」
「へ? ああ、確かそんなことを……」
メズ、と言うのはなんだろう。余所者、のこの地特有の言い方だろうか。
「どんな意味なんだ?」
「…………さあ?」
いや分からんのかーい。なんだったのさ、さっきの意味有りげな、思わせぶりな発言は。ともかく良い意味じゃないのだろう、と言うのだけはあのお爺さんの目でわかる。僕のことを相手にしようなんて考えもしていないと言った顔だった。
「なんだったか…………聞き覚えはあるんだけど。うー……ここまで出かかってるのに」
「はいはい、いいから次行こう。次にいい匂いがするところは?」
流石に頭を叩かれた。僕の首を締めながら、私は犬じゃない! 次はあっち! と、忠犬は影の伸びる方を指差した。いや、忠犬は言い過ぎだろう。これは躾のなってない放し飼いの子犬だ。
二件目のお宅は僕の顔を見るなり帰れと言った。さっきのお爺さん程では無いが、高齢の男性だった。次は……と、案内されたお宅では、窓越しに僕の顔を見ただけでカーテンを閉められてしまった。ここもまたご高齢そうな女性だった。次! と、辿り着いたお宅では、ドアを叩く前に二階の覗き窓から罵詈雑言を浴びせられ、撤退を余儀なくされた。やはり、というかまたしても老人の声だった。
「おなか…………お腹すいてるだけなのにぃ……」
「この街の人は随分冷た……内向的なんだな。それに妙にお年寄りばっかだ」
こう何件も何件も立て続けに断られ続けると流石に堪える。なにより人に拒絶されたり、無視されたり、失敗したり……無下にされたり…………ううっ。トラウマを抉られる。
「……ねえねえ。お兄ちゃん、おなかどうしたの?」
空腹に耐えかねてお腹を押さえていた僕に、ようやく優しい言葉がかかった。見ればまだ六歳か七歳か。いや、ミラの例もあるから案外もう十二、三歳かも知れないが。ともかく小さな、それこそ童女といった風体の女の子がふさぎ込んでいた僕の顔を覗き込んできた。
「お腹痛いの? 知らない人だね? 新しく来た人?」
「え……あ……うん。違う街から来たんだ。お腹が減っちゃってね……」
知らない人に話しかけちゃいけません! なんて常識はここじゃ非常識だ。そりゃあ本当に不審者もいるだろうが、街が一体となっていると言うか、人と人が強く結びついていると言うか。少なくともアーヴィンはそんな街だった。いえ、家から出てないから知らないだけかもしんないんですけどね?
「おなかすいたの。あたしのおうち来る? おなかすいてたらやだもんね?」
「え? いやでもお家の人とか……」
少女は無垢な瞳をキラキラさせながら、僕の手を引いて歩き出してしまった。力も歩幅も全然違うのだが、いつかこんな綺麗な目で、小さな手で連れまわされたこともあった。当の本人はもうグロッキーで、僕の上でノびて顔も上げられなくなってしまったようだけれど……
「ただいま! おかあさん! おなかすいちゃったんだって!」
とてとて……と、か弱いながらも力強く僕らを引いて街を進み、少女は街の中心部から少し離れた……住宅街だろうか、随分密集した家々の中の一つに、勝鬨の様な勇ましく誇らしげな声を上げて入っていった。気になるのは随分とこの辺りの家が小さく、また他に比べても古く感じることだ。
「まあ、ポーラ。すいません、うちの子が」
「あ、いえいえ。お腹が空いたって言ったら心配してくれたみたいで。あの…………それでですね……」
ああ、やはり子供相手というのは苦手だ。距離を取ろうにも容赦無く踏み込んで来る無邪気さが……いえ、背中のは一回置いておいてですね。その点大人はある程度テンプレじみた礼儀をキチンとすれば対応出来る。果たしてこれで良いのだろうかと思わないでも無いが、楽なことは良いことなのだ。
「……あまり大したものは出せませんが、それでもよろしければ」
「本当ですか⁉︎ ありがとうございます‼︎ ほら、ミラ! ちゃんとお礼言って‼︎」
ご飯! と、大きな声を上げることも出来ないのだろうか、ミラはもぞもぞと動き出して僕の肩口からようやく顔を出した。なんてだらしのない。ほらシャキッとして。と、僕が彼女を揺さぶっている時のことだった。それは予期出来た……いや、予期すべき出来事だったのかもしれない。