第五百八十六話
第一階層、第二階層と呼ばれる魔獣への対処は分かった。
およそ納得出来るものではなかったけれど、このふたりがそれを是とするならば覆しようもない。
元より僕では代替案など出せないのだし、そもそもとして危険に身を晒すのはいつだって……
「……っ。マーリンさん……その……わ、分かってます。すごく失礼と言うか……無礼と言うか……分かってるんですけど。それでも、俺はそういう結末を何度も目にしてるから……どうしても気掛かりがあって……」
「…………僕の魔力はどこまで保つのか。そして、僕の魔力が尽きた後で、果たしてふたりで魔王に敵うものなのか。そうだね、僕と出会う前の君達にいつも付き纏っていた不安要素だ」
いつだって、僕を助けてくれた誰かが苦しい思いをしなくちゃいけなかった。
マーリンさんの実力の全ては確かに知らない、想像も出来ない。
けれど、これまで圧倒的な力であらゆる敵を叩き伏せてきた彼女にも必ず限界はある。
少なくとも、ミラはそうして何度も何度も窮地に陥り、その度に自分の体を犠牲にして無理矢理乗り越えてきた。魔力切れの度に負荷の大きな薬で無理矢理戦ってきた。
けれどそれも、ミラの体に宿る魔力を使用可能にする、ある種の制限解除でしかなかった。
無が有になるわけではない。だから、マーリンさんはガス欠になればそこで……
「ハッキリ言って俺とミラじゃ……っ。ミラのことは信頼してるし、勿論認めてます。でも……でも…………っ」
「……そうだね、ミラちゃんひとりではとてもじゃないけど。僕の限界は全員の限界、この作戦の最大の欠陥だろう。でも……うん。でも、安心しておくれよ……と。いつも通り、僕は君にそんな言葉を送ろう」
マーリンさんは優しく笑って、そして僕とミラの頭を撫でた。
安心、信頼。この人に向けるその感情は今まで通りだったけど、だからって不安が和らぐわけじゃない。
だって言うのに、そんなことくらい分かってる筈でもそう口にした。じゃあ……マーリンさんは何か……
「勿論、秘策のひとつやふたつは隠してるさ。ミラちゃんがやってみせたように、自分の弱点は自分で補う。
魔力不足になれば間違いなく足手纏いになる、それが分かってて燃料切れを黙って待つ程間抜けじゃないよ。
魔力を一時的に代替するだとか、短時間で急速に回復させるだとか。
まあ……厳密にはちょっと違うけど、そういう技を持ってるんだぞ……って、そんな風に捉えておくれ」
秘策……はあ。頼もしいしちょっとだけ安堵と言うか……ホッとしたけど、同時に怖くてしょうがない。
お前達術師の秘策ってのは大抵ロクなもんじゃないんだ。戦いが終わったら寝たきりになるとか、二度と魔術が使えなくなるとか。そういうのだけはやめてくれよ……
「……さて、アギトの不安にも答えを出した。次へ進もう。と言っても……」
「そうだ、これより先は何ひとつとして詳細を得られていない。
どれだけの魔獣が控えているのか、そもそもとして魔王の力は如何程なのか。何も分かってなどいない。故に」
僕達は君達をそこへ送り届けることを決めた。と、マーリンさんはフリードさんの言葉を遮るようにそう言った。
何も分かんない危険地帯に、僕達……を…………お、鬼!
「あはは、睨まない睨まない。やっぱりと言うか、当然と言うかね。僕達はミラちゃんの力に期待するしかない。
君のその適応力、危機察知能力、観察眼、瞬発力に冷静さ。何が起きるか分からない以上、何が起きても最速で対応出来る人物に先頭を任せるしかない。
だらしない言い方をすると、僕がやられないように全力で守っておくれ」
「っ! わ、私なんかで…………っ。いえ、分かりました! 任せてください、命に代えてもお守り致します‼︎」
命には代えないでね……? と、マーリンさんは苦い顔で笑った。
勇者が弾避けかよ……いや、でも。前衛後衛どっちもいける魔法戦士と、超火力だけど後衛専門の魔導士。それと…………うん。
この三人パーティなら、ミラが前衛になるのは当然か。急募、本職タンクの方。うう……どうしてこんな少人数で……
「さて、ここからは心構え……うん、持っておくべき想定の話をしよう。僕が倒されたらどうするか……と、さっきの疑問みたいにね。その場で慌ててたんじゃ手遅れだ、先に決めごとをしようか」
「まず第一。あり得ぬこと、そしてあり得てはならぬことだが……己が斃れ、挟撃に遭った場合。その時は素直に撤退する必要がある。
敗北は必至。しかし、それでも抵抗する気力を失えば何もかもが絶える。
もしも勝機が無いとみなした場合、全力で撤退し街を……国を護る。
問題の先送りにしかならないかもしれないが、勇者を失えば再起もかなわない。
勝利以外を考える必要は無いが、敗北を嗅ぎ取ったならば背を向ける。魔女を犠牲にすればなんとかなるだろう」
犠…………な、なんでそんなこと言うのさ。しかし、マーリンさんもそれに対して怒ったり不服そうな顔をしない。
それも……それも十六年かけて決めたことなの……?
何があっても勇者を守る、未来に希望を繋ぐ。残されたものがまたこうして……と。
「第二、逃げられそうにないと思った場合。これはまあ……そうなるより前に逃げなさいとしか言えないよね。でも、いつだって厄介ばかりが現実になるもんだ。
ミラちゃんをして逃げられないとなった場合、その時は緊急信号を送ること。
それは僕やフリードに対して助けを求める為のものではなくて、人々に逃げろと指示を出す為のものだ。
もしもの場合、この国の滅びを避けられなくとも、人々の死は可能な限り減らしたい」
「……っ! そ、それって……」
ごめんね。と、マーリンさんは沈痛な面持ちで目を伏せた。
最悪の状態、助かる道が無くなった絶望の中でも、冷静に街の人を守る選択をしろ。と、マーリンさんはそう言っている。
分かってる。最前線に僕達しかいない以上、現場の状況を伝えるのも僕達の仕事だ。
僕らの勝利を信じて戦っている騎士にも、平和を祈って生活している人々にも。誰ひとりとして漏れなく、キチンとその敗北を伝え、逃げて貰わないといけない。
「……うぐっ……うぐぐぅ……さ、さっきからネガティブなことばっかり……」
「あはは、しょうがないだろう。もしもの話をしてるんだからさ。万事順調に行くように準備してきたし、それ以外あり得ないつもりでもいる。だからこそ、もしもの話をしておくのさ。僕とフリードは勝つことしか考えない、だから……」
だから…………ああ、はい。その為に僕のビビリが……こんな形で必要とされてたまるか!
うぐぐ……そうかよ、全員ポジティブだから、ひとりくらいは……って、そういう話かよぅ。うう……
「……期待してるよ、アギト。君は文字通り最後の砦だ。何かあった時、大勢を守るのが君の使命。虚勢を張らない君の弱さが、逃げ出したいと叫ぶ脆さが。かつての僕達に無かった最大の切り札だ」
切り札……か。逃げられなかった、逃げ出したかったかつての勇者様に一番必要だったもの。
マーリンさんはまた僕とミラの頭を、今度はちょっとだけ乱暴に撫でてまた笑った。
「……さて、今出来る説明はこれで全部かな? いやはや情けない話だね、十六年掛けてこれだけしか準備出来なかったとは。このザマで負けたら彼に顔向け出来ないよ、ホント」
マーリンさんはそう言って大きなため息をつくと、キッと地図を睨み付けて口を真一文字に結んだ。
ゆっくりとその視線を山の麓……第一階層と説明された地点に注いで、そして……
「————覚悟は済んだようだな。では————アンドロフ=ハイン=ユゼウスの名の下に——アギト=ハークス、ミラ=ハークスを勇者として任命する————。議会の承認は不要、その活躍を以って自らが相応しいと証明してみせよ——」
「——っ! は——はい——っ!」
勇者として————っ。
ずっと待ち望んでいた筈のその言葉に、僕もミラも嬉しさや興奮ではなく、不安と恐怖から体を震わせた。
その肩書きはあまりに重く、そして危険なものだ。
いくらミラでも、それと面と向き合って笑ってはいられないらしい。無理矢理形作ったような凛とした表情も、どこか青ざめて見えた。
「王よ、出発は……いえ、全指揮権は私が預からせて頂きます。巫女として、最も相応しい刻を見定めるものとして」
「よかろう。では、健闘を祈る。必ずユーザントリアに勝利を」
指揮権を……出発…………? マーリンさんが何やら悪巧みしてるっぽいけど、流石にそれが何かまでは分からない………………って、そんな考えもやっぱり表情からダダ漏れだったみたい。
王様に頭を下げ、そして三人揃ってマーリンさんの仕事部屋に戻るや否や、ばしんと両手で顔を鷲掴みにされた。
「相変わらず……いや、どっちにせよ尋ねるつもりだった。アギト、次の切り替わりはいつだ。
その……不安にさせることを言うかもしれないけど、こちらでの君の死が、向こうの君にどのような影響を及ぼすか分からない。
たった二日で後悔を残さないようになんて言えないし、事情を知らぬ人々に別れを告げることも難しいだろう。
でも……でも、君の言う少し遅れてやってくる感情ってのがあるなら、一度冷静に向き合ってから出発すべきだ。
浮き足立って、不安や恐怖に麻痺したままじゃ危ないからね」
「そ、それで出発を自分で決めるって…………」
そこは今は良いんだよ! と、掴まれたまま顔をぐわんぐわん…………でへへ、ちょっと嬉…………ま、マゾじゃないです……っ。
久し振りにマーリンさんとじゃれてると言うか……でへ。と、違った違った。
「切り替わりは今日……タイミング良いのか悪いのか、明日起きた時には向こうで二日経った後です。その……そうですね、一回向こうに戻ってからってのは、俺としても都合が良いと言うか……」
「……そうか。じゃあ出発は明日、明朝に。荷物の準備はこっちでしておくからさ、ふたりはしっかり休んでね。ミラちゃん、浮き足立って魔術の練習なんてしたらダメだよ? 君の魔力残量が勝敗を分ける可能性は非常に高い。負けた時の切り札がアギトなら、君は勝つ為の切り札だ」
はいっ! と、気合い十分な返事をして、ミラはふんふんと鼻息を荒げて僕の背中を何度も叩いた。相当な興奮状態にあるのは分かった……痛い痛い。
僕達はその後、すぐに部屋に帰された。荷物の準備が出来たらまた呼ぶよ、と。それだけを伝えられて。




