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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第五十七話

 フワフワと彼女の髪が揺れている。風が吹き込む度に踊り、甘い香りを振りまいて……ああ、何故。何故なんだ。何故ゆっくりと堪能させてはくれない。掴み損ねた幸福が、今降り掛かっている不幸をより一層際立たせる。バタバタいう羽ばたきが近くでも遠くでも聞こえて、その度に僕の心臓は跳ねた。

「…………音が近過ぎる……これじゃ外の様子も確認出来ない……」

 口惜しそうに彼女はそう呟いた。音から察するに、表にはどれだけ少なく見積もっても二、三十頭の怪鳥が待っている。これから増えるのか減るのかもわからないが、もしまだまだ帰ってくる個体がいるというのならもう絶望的だ。くそぅ、鳥のクセに夜行性ってどういうことなんだよ。

「ミラ、さっきみたいにいっぺんにやっつけられないかな? 俺なら多少は大丈夫だから……」

「……残念だけど」

 耳を当てていた壁のすぐ向こうで、ギイィ! と、大きな鳴き声と羽ばたく音が聞こえた。彼女はすぐに壁から離れて僕の手をぎゅうと握る。僕を庇う様に前に立ちはだかり、それがこちらに気付いた咆哮では無い事が分かるまで彼女は拳を握り続けた。

「…………アギト。今から半日、もしかしたら一日。最悪数日ここに留まるだけの覚悟ってある? もちろん飲み食いも、匂いでバレるからトイレも無し。度胸があるなら睡眠くらいはとれるけど」

 僕は当然首を横に振った。そりゃそうよね。と、彼女も引きつった笑顔でまだ壁を睨んでいた。しばらくして少女が視線をドアの方へ移したのは、きっと何か策を決行する覚悟を決めたからだろう。

「強行突破するわ。もちろん振り切れないだろうから、何処かで立ち止まって迎え撃つ必要が出てくる。最大火力で道を開けて、最高速度で駆け抜けて。その残りカスみたいな魔力が切れたら負け。どう? 良い作戦でしょ」

 そいつはご機嫌だ。ジャンヌ・ダルクも尻尾振って付いてくるだろうよ。と、そんなことを言うだけの余裕は僕には無かった。ただ僕は彼女に頷いて、同意を示すので精一杯だった。

「…………それじゃ、十数えたら出るわ。しっかりしがみついてなさいよ」

 そう言って彼女は僕の手を引いてドア側まで歩いて……しがみつくの? 成る程、おぶされば良いのか。背中を向けて膝をつく彼女を見て理解する。ついこの間全く逆の状態だっただけに、これほど皮肉な作戦もない。なんだってこんな小さな女の子に背負われて逃げなくちゃならないんだ! やるけど!

「……九……八……七……」

 カウントを始める彼女に、僕は恥も外聞も投げ捨てて抱きついた。今更投げ捨てる程立派な外聞なんて無い気もしたが、それはそれ。どうしたことか、本当ならボーナスタイムに楽しむ筈だったものがこんな窮地で。これはこれで幸運なのか?

「……四……三……あっ」

「あ? え? ミラ?」

 間抜けな声を出した彼女に僕は小声で様子を窺った。別に表が騒がしくなったとか、こちらの存在がバレた様子は特に無い。“あっ”の意味が分からなかったのは、ミラが嬉しそうにこちらを振り向く直前までのことだった。

「……ごめん、痺れるかも」

「…………え?」

 いち。僕の耳に届いたのはその二音。そして————

「——三又の槍灼(トリリアージ・フラン)——ッ‼︎」

 僕は堪らず彼女の髪に顔を埋めた。ちっ、違います! 痴漢じゃ無いんです! 僕は吹き飛ばされない為に、彼女に少しでも強くしがみつく必要があったのだ。突風は木造のドアなど蹴散らして、爆炎を伴って開けた視界の魔獣達を焼き払う。そして数メートル進んだところで穂先は三つに割れ、より広範囲を穿つ焔の槍となった。

「絶対離さないでよっ! 揺蕩う雷霆(ドラーフ・ヴォルテガ)ッ!」

 バチンッと耳元で空気が弾ける音がした。散々耳にして聞き慣れた雷電を纏う言霊に、熱された空気も容赦なく切り裂かれる。そして……

「い——っっ⁉︎ こここん————っ⁉︎ きびびびびびてない——————っっ‼︎」

 口はマトモには回らなかった。彼女の髪に顔を埋めたままだったのは幸なのか、はたまた不幸なのか。きっと前者だろう。前など見えやしないが、ものすごい風が頭頂部と背中に叩きつける。指一つ動かないどころか感覚すら無い、全身が無数の針で刺されている様な痺れ以外の一切の感覚を失ったこの状態で、もし上体を起こしていたのならムチウチでは済まない。それにしてもこれは…………痛いッ!

「————アギト! 動けないだろうけど、絶対に動かないで!」

 ほんの数秒後、僕は柔らかい草地に投げ捨てられた。なんて乱暴な降車だろう。彼女の言う通り全く感覚の無い手足を出来るだけ引き寄せ、小さく丸まってなんとか彼女の方に視線だけを向ける。

「…………大丈夫。アンタは私が守るわ」

 かっこよすぎる少女のセリフと背中にキュンとしている間も無く、僕らの視界に大量の魔獣が飛び込んでくる。住処を荒らされたのだ、怒り心頭で僕らを追いかけてきたのだろう。間違いなく殺意や敵意を向けているのが分かった。

「——————荒れ狂う——雷霆ハルクスス・ヴォルテガ——ッ‼︎」

 これまでのどの言霊よりも力強く詠唱された轟雷は、周囲の全てを切り裂きながら吹き荒れる。すぐそこまで来ていた魔獣の第一陣は竜巻に飲み込まれ、続く第二陣、第三陣も逃げる事すら許されず渦に飲み込まれていった。チリや砂、草や枯れ枝と言った周囲のゴミがスパークによって燃え、竜巻に赤く点を打つ。もうどれだけの魔獣を飲み込んだであろう貪欲な暴風は、未だ鳴り止む気配は無い。視界は舞い上がった砂や魔獣の肉と血飛沫で全く利かないが、悲鳴みたいな甲高い鳴き声はまだ止まない。まだ……まだまだ……まだまだ居る……っ!

「——っくうっ……まだ……まだまだ!」

 苦悶の表情を浮かべながら彼女は空を睨む。天変地異の様な雷の嵐は、遂に十分足らずの間怪鳥達を貪り続けていた。

 空が白んで来た。朝日が昇るのだろう。嵐は去り、僕らの周囲はまるで何も残っていない、爆心地と呼ぶに相応しいだろう景色になっていた。ミラは……苦しそうにゲホゲホと咳をしながら膝をついている。僕はもう動けるように……多少はなった。空は、残念なことにまだ暗い。一体どれだけの数がいたのだろう。まだそこには目視出来るだけで十数頭。アレだけの災害を前に、仲間を挽肉にされた事への怒りを恐怖よりも優先する、随分と仲間思いなバケモノどもが僕らを見下ろしていた。

「…………ぐっ……」

 彼女も顔を上げ、遥か頭上で佇むソレを睨みつけた。きっと飲み込まれない高度に避難していたのだろう。無傷の魔獣は今にも襲い掛かろうと、それでもやはり警戒心を高めているのか、牽制する様に僕らの頭上をグルグルと旋回し出した。もう……アイツらをなんとかする術は……

「……アギトっ! もうちょっとだけ伏せてなさい!」

 絶望に打ち拉がれる僕をミラの怒号が襲った。見れば彼女はポーチから何か、小さな薬瓶を取り出して……

「ミラ! まさかっ!」

「っは! 言ったでしょ! 守るって!」

——揺蕩う雷霆(ドラーフ・ヴォルテガ)——

 魔力を枯らした彼女が頼ったのはやはり霊薬だった。吼える様に唱え、彼女は僕の視界から消え——

「……ミラ?」

 鳴き声が聞こえた。それを辿って頭上を見上げると、蹴り貫かれた魔獣の姿が……いや、貫いていない。魔獣は……いや、彼女は魔獣を蹴破るのではなく、首を引っ掴んで電流で焼こうとしている。

「……二匹目!」

 僕はまた少女の姿を見失った。代わりに凄い勢いで吹き飛んでいく魔獣を目撃した。吹き飛ばされ、そのまま力なく墜落するソレを目で追っているうちに二頭、三頭と同じ様に魔獣は落ちていく。僕が状況を理解したのは、空の影が残り五——いや、四になった時のことだった。彼女の動きが遥かに速くなっている。今までも目で追えなかった動きが、今度は昨日回避してみせた魔獣すらも反応出来ぬ程に————っ!

 最後の一頭が血飛沫をあげながら落ちていく。そしてようやく僕はミラを見つけた。どういうカラクリかは分からないが、彼女は相性が悪いと言っていた魔獣を相手に、全く戦法を変えることなく勝ったのだ。僕は強い風を纏いながら降りて来た彼女に駆け寄って…………っ!

「っ⁉︎ ミラ‼︎」

 そのまま仰向けに倒れていく彼女を抱きとめた。目の焦点が合っておらず、眼球が細かに振れて……目を回しているのか。真っ青な顔をしていて、体を起こすと鼻血も流れ出た。

「ミラ! おい! しっかりしろ!」

 彼女の顔色はどんどん悪くなる一方で、しかし彼女は突然僕の手を払って……

「うっ〜〜〜〜〜〜ッッッ‼︎」

「ミラ⁉︎ 何処行っ——」

 僕から逃げるように走り出し、そしてすぐに左に倒れたミラにまた僕は駆け寄って抱き上げた。口を押さえながら涙をいっぱい浮かべて彼女は何かを訴え……

「離れっ…………みっ、見ないで——」

 彼女はそのまま僕の方へ倒れ、僕の腹に生暖かいモノがブチまけられた。ああ、成る程。と、全てを理解した。たしかにソレは見られたくなかっただろう。彼女はその後もしばらくえずきながら僕の腕の中で震え続けた。

「……もう…………お嫁に行け……うぷっ…………」

「…………悪かった。察しが悪くて……」

 これは…………ご褒美…………では無い。断じて。


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