第五百六十八話
アギトはとても真剣な様子だった。まあ……そうさせたのは僕だけどさ。
ここからが本題、一番大切なお話。星見の巫女にそう言われて尚呆けた顔をしていられる程この子の頭は弱くないし、神経も鈍くない。
そう、ここからが一番大切な……
「……ミラちゃん、何か変わった様子はあった? 何も変わらないってわけもないだろうから…………そうだね。君に対する態度……行動、言動。それに、君と一緒にいるときに見せる仕草……とか」
僕に言われて意識し始めたから……と、それとは関係無く、あの子には変化が出てるだろう。
むしろ変わっていなかったとしたら大問題、それはきっとまたあの子は甘えん坊の皮を被ってアギトとの関係を偽装しようとしてるって話になる。
それは……流石にそれは無いだろうけど。一応だよ、一応。念の為の確認も兼ねて、僕はまだ真面目そうな顔をしたままのアギトにそう聞いた。
「………………そう……ですね。ずいぶん変わりました」
「っ。ほ、ほほーう。で、どんな風に?」
よしきた。次に確認したいのは、僕の言葉を意識しているかどうか。
意識していないなら……やはりアギトは家族だと、今までの関係を今度はキチンと面と向かって構築するのだと考えたならば…………どうだろう。
真面目で几帳面な子だ、きっとその旨を真正面から伝えたりするのかな。
家族として、市長の秘書として。そして勇者の片割れとして。もう先が長くないと分かっているこの子に対して、きっと遠回りなんてせずに最短ルートで最高の関係を築こうとする筈だ。
だってあの子にとってそれは、何よりも大切な憧れでもあったんだから。
「……前みたいにべったり甘えたりは無くなりました。なんて言うか…………俺のことを避けてる…………みたいな。距離をとってこっちの様子を伺ってるって感じで。
遠巻きにじーっと見てきたり、近寄るとするする逃げたり。かと思えばそっぽ向いて丸くなったり……」
「………………なんだか珍獣の様子でも語るような口ぶりだね…………ごほん。以前のようにスキンシップを取らない、と。それについて特に何か言ってた? ちょっと距離を置いてみたい……とか。そういう提案は」
全くありませんでした。と、アギトは神妙な面持ちでそう答えた。
そっかそっか。そっかー……ぐふふ。いやね、こうも真面目な顔した少年の前でこんなこと考えてるのもすっごく申し訳ないんだけど、大体僕の構想通りにコトが運んでるじゃないか。
確信した。ミラちゃんは間違いなくアギトを意識してる。
観察……そうだね、きっとアギトを観察してるんだ。
それはアギトの生態を……今まで近過ぎて見えなかった部分を見ようとしてるんだと思う。
そして、それを知ることで自分の中にあるとされる恋という感情についてのヒントを得ようとしている。
観察、採取、実験、計測。僕達術師が未知と出会った時、取るべき行動はいくつかに絞られる。
「寝る時も布団の端っこの方に小さくなってて……それに、ちょっと声掛けただけで目を覚まして。今までのアイツからは全く考えられないような行動ばかりです。でも…………それも仕方ないのかな……って」
「……? 仕方ない……ってのはどういう……」
ちょ、ちょっと待って。おいおい、やめておくれよ。あんなことがあったんだから、内心では嫌われててもおかしくないんだ。とか、そんなトンチンカンな話にだけは発展してくれるな。
君は一度思い込むと中々考えを変えないからな、余計な回り道はせずに…………
「……アイツは多分、変わろうとしてる……変えようとしてるんだと思います。今までの関係を……家族同然だって、ずっと一緒だって約束したあの関係を。もう一回そこに戻るんじゃなくて、新しい関係を……作ろうとしてる……って。そんな風に感じるんです」
「……っ。そうだね……ミラちゃんはきっと、前以上に君との絆を深めようとしてるんだろう。それこそ————」
————そう——今度こそ本当の家族になる為に————っ。僕の耳に届いたのはアギトのそんなセリフだった。
うん……そう、家族に…………まあ、将来的には家族だ。間違いじゃない。
でも……ちょっと気が早くないかな? いやいや、流石にそれは生き急いでるというか…………じゃない……よね⁈
アギト⁈ ちょっと⁉︎ 僕の予想と全然違う方向に走り出そうとしてない⁈
「今までの俺達は、確かに家族同然だった。ずっと一緒にいたし、何をするにも半分こだった。
だけど…………だけど、本当の家族ってそうじゃないと思うんです。
隠しごとをしてたことが家族らしくないってわけじゃない。でも、大切な相談は気兼ねなく出来るって相手こそが真の家族だと俺はそう思うし……きっとミラだって。
いつもベッタリで、何をするにも一緒で。そりゃ確かに仲良しに思えるかもしれない……でも!」
本当の家族は、仲良しにならなくても強い絆で繋がってると思うんです! と、なんだかちょっぴり涙を誘う良い話を少年は始めてしまった。
ち、違うんだよ⁈ アギト⁉︎ そうじゃなくて! そんなお涙頂戴な家族愛の物語を演じて欲しいんじゃなくってさ⁉︎
「うわべの信頼や愛情じゃない、一番深いところで絆を繋いでいく。その為にはまず、お互いをしっかり知らなくっちゃいけない。
だからアイツは、僕が本当はどういう人間なのかを確かめようとしてるんだと思います。
信頼に足る人間か……ではなくて。どういう部分で信頼出来て、どういう部分はフォローしてあげないといけないのか、って。
家族として生きていく上で、お互いがどう補い合うのが正しいのか、って」
「えっと……あのー、アギト? そ、それは違うんじゃないかなー……なんて……」
いいえ! 違いません! と、少年は珍しく頑なに首を縦に振らなかった。
ち、違うと思うんだよ……違って欲しいと言うか……そういうのじゃなくってさ…………
「アイツは以前の家族ごっこ程度の関係は求めてない。もっと本気の……そう、血の繋がりよりもずっと深い絆を求めてるんです。
両親もお姉さんもいなくなった、宝物にしてる思い出だって自分自身の経験じゃない。だからアイツは家族を欲したし、家族のように接してくれる俺に嫌われたくないって考えた。
だけど——ッ!」
本当の家族ってそういうものじゃないんだって、アイツも気付いたんだ——っ! アギトはそう言って、固く拳を握り締めた。
だ、ダメだ…………彼の言葉からはもうどうしようもないくらいの固い決意が感じられた。
ちが……違うんだって……僕はさ……ふたりにはもうちょっと、こう……あのさ…………
「アイツは今まで以上の愛情と、そして信頼を俺に向けられるのかって吟味してる。もっと正確に言えば、今まで俺から向けられていた愛情はこれからもちゃんと向けて貰えるのか……って。
俺はどう変わってしまうのか、どんな人間になってしまうのか。そんなこと考えて怯えてるんだ。だから俺は……っ。俺は絶対に変わらない——ッ!」
「あのー…………アギト、話を聞いて…………」
だ、ダメだ…………この子の中でもう仮説が確信に変わってしまっている。
早いよ! もっとこう……大勢の意見を取り入れるべきだ!
もっと精査して、理論に穴は無いかとしっかり協議すべきだ!
君もフリードも、それに彼もそうだった! 君達はちょっとばかし感情的に物ごとを考え過ぎだ!
「俺は今までと絶対に変わらない、ミラが知ってる俺が全部本物なんだって伝え続けます。
アイツの唯一の家族として、ハークスの名前を貰ったものとして。
俺は——っ! 俺はアイツの最高のお兄ちゃんで居続けてみせます——ッ!」
「……………………お……お、お兄……」
そうです! と、とってもさわやかな……それこそ、今まで見た彼の表情の中で、最も自虐や謙遜……自分を卑下する感情を含まない真っ直ぐで強い目をしていた。
ここで……こんなとこであの日見せた顔をまた見せてくれなくても良いんだよ……っ。
え……ええ……? お、おかしい……キリエで初めて出会った時、間違いなくこの子はミラちゃんをひとりの女の子として意識してた筈だ。
それがどうして、そんな感情はまるで一切持ち合わせておりませんって顔になってしまったんだ。
「……あれか……やっぱりあの時か……? アーヴィンを出てからなのか…………?」
思い当たり過ぎる節がある。
そう、この顔だ。僕はこの顔を、アーヴィンでも一度目にしている。
ハークスの過去を知り、ミラちゃんとレヴちゃんの因果を知り。そして……彼女が真に求めたものに気付き、その事実に涙を流して怒った男の顔だ。
自分が代替品であると、家族の代わりであると知って尚それを受け入れた時の目。
真っ赤に腫らしておきながら揺るがぬ決意を秘めた強い目をまた…………余計な勘違いと一緒に見せてくれている。
違うんだ……違うんだよアギト……そっちじゃなくって……
「…………俺はアイツが大人になるまで一緒にいてやれないかもしれないけど、それでも最後の瞬間までには本当の兄妹になってみせますよ。アイツがそう望む以前に、俺はとっくにアイツの家族でいるつもりですから」
「…………お……おう……」
なんて……なんて晴れやかな顔をしてやがるんだこの大馬鹿は! カッコ付けんな!
違うんだよ! そうじゃないんだよ! ミラちゃんは! 君達は! 兄弟じゃなくて恋人に…………そしてその先で家族になるんだよ! 近道をしようとするんじゃない‼︎ って…………怒鳴り付けたいのに……っ。
言えない…………今のこの子にそんなこと言ったら、間違いなく本人に茶化してしまう。
マーリンさんが言うんだよ、俺達は恋人になるんだってさ。全く変な話だよな。兄妹だってのに、なんでわざわざ家族の括りから一回外れなくちゃいけないんだろうな。みたいな、良く分かんない変なボケでミラちゃんを茶化しかねない。
そうなったらもうおしまいだ! ミラちゃんは二度と自分の感情をアギトに告げられない、アギトは二度とその感情に気付かない。違う……違うんだアギト……っ。
「思い出してくれ……っ。君の中には確かにあった筈なんだ………………っ」
「……? な、なんですか……そんなに睨んで……」
ほんっとうに鈍いな君は! アギトの中には間違いなくあの子への恋心…………下心と言い換えても良いかもしれない。そう呼ばれたものがあった……いや、今でもある。
だけど……兄妹として接する時間が長過ぎた。そう振る舞い過ぎた。
大き過ぎる兄妹愛なんて余計なものに埋もれて、本当に必要な感情を見付けられてないんだ。
これは…………これは……ちょっとやらかしてしまったかもしれないぞ……?
「……と、とりあえず話はこれで全部だ。君の言う本当の家族って関係に早くなれるといいね。でも……でもさ、もっと別の関係だってあり得るんじゃあ……」
「あり得ないですよ、そんなの! 俺とミラは世界一……いいや。こっちの世界と俺の元いた世界のふたつの世界を合わせた中でも一番の仲良し兄妹なんです! これは覆らないし、アイツだって間違いなくそう望む筈です!」
そ、そっか……そっかぁ。すごい圧を感じる……っ。
じゃあミラと一緒に朝飯でも食べてきます。と、アギトはそう言って部屋を飛び出して行った。いやぁ………………そっかぁぁ………………っ
「…………ごめん……ミラちゃん。僕は物凄く余計なことを言ったのかもしれない…………」
アギトにもその感情があるって……互いを更に大切なものだと認識し合える関係だって……僕が読み違えてしまった。
ごめん、ミラちゃん。君に唆したその感情……行き着く先は険し過ぎる山道みたいだ……っ。
いや、僕は悪くない! アギトの突拍子も無い理論が全部悪いんだ! ああ……頭痛い……どうしてこんなことに……はぁ。
「…………最終的に落ち着くとこに落ち着いてくれれば……まあ……それで良いか………………良くないだろ……どう考えても…………ううぅ……」
うわあぁぁぁん、アギトのお馬鹿ぁ…………これじゃ僕は幼気な少女を唆しただけの厄介な耳年増じゃないかぁ…………ぐすん。
どうすればアギトにあの感情を思い出して貰える。どうすれば今からでもミラちゃんを止められる。そんなことばかりを考え始めて、その日は全く仕事が手に付かなかった。
アギトのばかーっ! 超ビビリ奥手空回り童貞―――っ!




