第五百六十話
その表情はおかしい。その感情はおかしい。って、そんな困った顔で僕を見てるマーリンさんがいて。後ろでは必死に泣くのを堪えてるミラがいて。
僕は……僕も、いまいち何がどういうわけなのか分かっていなくて。
ただ、ひとつだけはっきりしてるのは……
「……ふぃー……そっかぁ……いや、まあそりゃそうなんだけど。そのうち死ぬのかぁ……」
「っ⁉︎ あ、アギトっ、君……そんな軽く……」
別に死ぬのが怖くないわけじゃな……あれ? 死ぬ……で、合ってんの? 居られなくなるってことだし、まあ少なくとも生きてはいられないんだろうけどさ。
ミラの口ぶりからするに、きっと二度と切り替わらなくなって、向こうの生活一本になるってことだろう。
あれ、そもそもミラって僕の切り替わりのこと知ってるの? あれ? いかん、やっぱり聞いとくべきこといっぱいあったぞ⁇
「……別に、軽く受け止めてはないです。いやー……正直心臓凄いことになってるし、お腹も痛いし。でも……うん。まあほら、永遠に生きるなんて誰にも出来ないわけですから。そしたら……他の人の倍も楽しく生きてられる時間には、そりゃあタイムリミットもあるかなー……って」
とても怖い。怖いし寂しい。知らなかったら……ミラと出会わず、ずっとひとりで引き篭もっていただけだったなら、きっとそんな感情を得られなかった。
この楽しい生活を失うことが、大切な家族と離れ離れになることが。凄くつらくて、ずっと一緒にいたいと願ってしまう。
だけど……きっと悔しくは無いのだ。
ミラが大人になる瞬間を見届けられないことも、立派な市長になったその隣に立てないことも。寂しいけど、悔しくないんだ。だって僕は、人生二回分も幸せにして貰ってるんだから。
これ以上望むと、それはもう業突く張りってもんだろう。いや、貰えるもんなら貰いたいけどさ。
「……じゃあもう一分一秒も無駄に出来ないな。さっさと勇者になって、世界救って。エルゥさん連れてガラガダに行こう。んで、オックスも連れ出して。ロイドさんのお店に、ちゃーんとお金持ってご飯食べに行って。やることいっぱいあるんだから」
「…………アギト……その……本当にそれで良いの……? だって考えてもごらんよ、君の前には大魔導師マーリンがいるんだよ? 縁を繋ぎ直すとか、術式を再構築するとか。そういう望みは本当に無いの……?」
えっ⁉︎ 出来るのっ⁉︎ それならそっちの方が良い! 居られるもんならずっと居たいもん! と、駄々をこねたい気持ちもありはするけど……まあ、ね。
「それを黙って実行しないってことは、したり顔で任せておきなさいって言わないってことは。まあ、そういうことなんでしょう? 縋りたい気持ちもありますけど、それはそれということで。さて……ごめん、ミラ。さっき聞きそびれたことがあったからさ、色々聞いてもいいか?」
「……え? あ、うん……良い……けど……っ」
マーリンさんと違って呆気にとられたって感じも無く、ミラはずっと寂しそうに俯いたままだった。
僕のリアクションが想定の範囲内だった……わけでもあるまい。僕がどうであれ、どんな風にそれを捉えるとてミラはつらいのだ。つらいって、本気で寂しがってくれてるんだ。
ふふ、本当にお兄ちゃんっ子だなぁ、お前は。でも、そんなミラを甘やかす場合でもない。あれは本当に終わりが無いからな。
夜になったらひたすら撫で回してやるから、ちょっとだけ辛抱してくれな。
「そのさ、お前は俺の……えーっと。俺がもう一方の……元々の生活も一緒に送ってること、知ってたのか? 今更だけど、切り替わりに異常が起きた時、お前は絶対にその違和感に気付いてた……っぽいから」
「っ! それ……は、知らなかったわよ……? ほ、本当に……? 本当にアンタ……ふたり分の生活を……?」
え、そんな驚かれるんだ。まあ確かに大変ではある、ちょっと物忘れも激しくなりつつあるしな。
だけど……うーむむ。慣れてるから当たり前になっちゃってたけど、実は僕って凄いのか……?
「…………そっか……はあ。お姉ちゃん……そんなことまで……」
「あはは……ミラちゃんの心中は察するよ。偶然そうなった……とは思えないよね、こんな奇跡を起こしておいて。意図的にそうしたんだろう。まったく、僕もマグルも、現翁も。みんな面目丸潰れだよ」
あっ、僕の話ではない。そうですかそうですか……しかし、そんなに凄い術式で呼ばれたんだ、僕って。
光栄と言うか身に余ると言うか、勿体無いと言うか申し訳ないと言うか。
しかし、そのとんでもない奇跡みたいな魔術の話題になって、ミラも少しだけ元気になってくれた。やっぱりこれがあるべき姿だろう。
まだどこか浮かない顔ではあったけど、お姉さんの残したトンデモ魔術に、あーでもないこーでもないとふたりの術師は頭を抱え始めた。
「……っと、そうそう。昨日マーリンさんにも話をしたんだけどさ。そういう事情があって、俺は行ったり来たりで生活してるんだ。それで……その……」
「…………分かってる。アギトの言う通り、私はアンタの異常に気付いていた。気付いて……でも、私じゃどうしようもなくて。
術式を解読しようと毎日頑張ってきたけど、もうアンタにはそれが残されていない。
残ってるとすればお姉ちゃんか……或いは、お祖父ちゃんが隠し持っているのか」
そっか。じゃあ尚更怖かったんだな。
僕にはそれがどんなものか分からないけど、ミラにはきっと僕が二度と起き上がらないものになってしまったように映った筈だ。
ただ眠っているだけだとマーリンさんに言われても、もうそこに僕の精神が存在しないのだと不安になってしまった。
僕にどうこう出来る代物じゃないけど、凄くつらい目に遭わせてしまってたんだな。
「……ありがとな、ミラ。全部分かってて、俺の言葉を信じてくれたんだよな。本当にありがとう」
ミラは小さく首を振って、そしてそのまま俯いてしまった。
なんとかしてあげられなくてゴメン。とか、そんなところだろうか。
いやはやもうお前の感情は手に取るように分かるな。きっとミラから見た僕も同じようかもんなんだろうけど。
こんなに仲良しになった相手とお別れしなくちゃいけないなんて、それももう二度と会えないなんて。それは……それは、ちょっとこの寂しがり屋には重苦し過ぎるか。
「……さてと。それじゃあテキパキ働きましょう! 時間が無いと分かった以上、マジでさっさと諸々片付けちゃわないと! 言っときますけど、向こうの俺はめちゃめちゃ神経細いんで、魔人の集いのアレコレとか残したまま帰ると寝れないんですからね! ずっと吐いてばっかりでそれはもう……」
「あはは、それはなんとなくイメージ通りだね。しかしアギトの言う通り、君が居る間に魔王の問題をなんとかしなくっちゃ。
彼と同じ異世界からの使者……フリードの言葉を借りるならば、運命じみたものを感じざるを得ない。
君を欠けばきっと成し得ない、そしてもうその機会も失われるだろう」
ちょっ……な、なんでプレッシャー増やしたの……? 神経細いって言ったよね………………って、イメージ通りってどういうことだ! まったくもう! マーリンさんには僕がそんなヘタレチキンに見えてるっていうのか! ぐすん……言い返せねえ…………っ。
「……と、その前に。アギトに行ってきて欲しいところがある。会って欲しい人と言うべきかな? あんなことがあった直後だ、護衛と案内も勿論付ける。行って貰えるかな?」
「俺に……ですか。分かりました。えーっと…………ち、因みに偉い人……でしょうか……? 何かこう……心の準備が必要そうな……」
気負わずに行っておいで。と、マーリンさんは優しく、悪魔のような微笑みを浮かべた。
ま、待ってよ……本当に誰に会わせるつもりなんだよ……っ。い、いかん……腹が……胃がぁ…………っ。
「ふぐぅ……じゃ、じゃあ行ってきます……これでマジですっごい偉い人だったら、どうなったって知りませんからね……」
「どんな人が相手でもちゃんとしなさい……もう。ではマーリン様、失礼します」
あ、ちょっと待って。と、マーリンさんは僕らを……いいや、ミラを呼び止めた。
おいでおいでと手招きして、さっきまで僕が座っていた椅子にミラを座らせて……
「……その頭で人前に出るつもりかい? 綺麗にしてあげるから、ちょっと待ってて」
「えっ……あの、でも……」
そうだった……ミラは先日の件で髪を……っ。
自己治癒の力……なのかな、毛先の黒みは既に消えてしまっていた。
それでも、無理矢理焼き切っただけのその髪は、とても綺麗に整えられているとは言い難い。年頃の女の子がこれじゃあまりにもかわいそうだ。
「ほら、アギトにも仕事を任せるって決めたんだろう? もう何処にも行かない、ちゃんと帰ってくるって約束もしたんだろう? 信じてあげて」
「そうだぞ、バカミラ。ちゃんと帰ってくる………………帰ってこられるように作法も頑張るから。綺麗にして待ってなさい」
でも……と、ミラは凄く不安そうな顔をしていた。
いや、うん。ごめん……信頼出来ない情けない男で……っ。
それでもまあ、今回はちょいとばかしひとりで行かなきゃいけないのだ。
頼まれたというのも理由のひとつ。失った信用を取り戻すというのもひとつ。ミラの体力……魔力が戻り切っていなさそうだというのも、またひとつ。
「じゃあ行ってきまーす。マーリンさん……ほ、本当に俺ひとりで会って大丈夫な人なんですよね……?」
「…………大丈夫だってば。でも、暗い顔してるとどやされるかも、だ。ちゃんと胸張って行くんだよ?」
やだぁ……怒られたくないよぅ……ぐすん。ではなく。
どうしても寂しそうな顔のままのミラに笑って手を振って、帰ってくるから安心しろと部屋を後にした。
部屋まで戻って荷物を整理して、多分またロダさんが面倒を見てくれる筈だから、そのまま門の方へ……
「…………っ。そっか……そうかよ…………っ。俺は……もう……っ」
マーリンさんはどうにも人の心を読むのに長けているな。
どうしても……どうしてもひとりになる時間が必要だった。
受け入れられるわけがない。
僕にはふたり分の脳みそと心がある。
秋人という、ミラに救われつつも出会ったことの無い男の心はそれを受け入れた。だけど……っ。
僕は……アギトは声を押し殺して泣いた。
その男にとって、秋人という生活は所詮裏側なのだ。
たったひとりの家族との別離を、自らの終焉を。そんな絶望を黙って受け入れられる程、僕は勇敢で無神経な男ではなかった。




