表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
55/1017

第五十五話

『アギトっ』

 はいはい。

『アギトアギトっ』

 はいはい、なんですか?

『ねえ、アギトってば』

 はいはい、今行きますよ…………はっ⁉︎

 午後……七…………時? 十九時? あれからもう三時間⁉︎ まだ電話入れてないんだけど⁉︎

「アキ、晩御飯冷めるぞ。早く食べろよ」

 PCに映し出された小さな19:07という数字に驚嘆する僕に、兄さんはドア越しにそう言った。嘘だ、三時間だって⁉︎ 僕は三時間もの間、表情モーションテストに彼女が言いそうな台詞を脳内でアテレコする遊びに興じていたというのか⁉︎ お、恐ろしやキャラクリエイト……

「ごめん、すぐ行く」

 とりあえずPCから離れよう。『待って、アギト!』ああ! 違う! もうそれは終わったんだ‼︎ やめろ! タブが! タブが閉じられなくなる‼︎

 必死で何かと格闘し、十分かけてPCをシャットダウンした男の目には涙が浮かんでいた。なぜ俺はあんな無駄な時間を……っ。しかし、それはそれとしてもやはり腹は減る。急いで母さんの待つリビングに向かって、大ぶりな唐揚げとワカメ汁をかき込んだ。母さんの作るご飯が一番うまい。とは、流石にベタだろうか。

「ご馳走さま。片付けくらいはやるよ」

「ありがとう。あ、そこの手袋使っていいからね」

 テレビにかじりついて皿を下げるのも億劫そうな母さんに、罪悪感も手伝って僕はそう言った。手袋とは成る程、手荒れ防止のゴム手袋か。母さん、もう随分手があかぎれしていたものなぁ。きっと痛むのだろう、もっと早くから手伝っていたなら……などと、戻らない時間を惜しみながら僕は手袋をはめ……はめっ……入らない……っ!

 午後十時。洗剤で脂が落ちて滑りの悪くなった指でスマートフォンをいじり続け、知らず知らずにもうこんな時間になってしまった。え? 電話? ほら、もう遅かったし、迷惑かなって。明日こそちゃんと、開店時間の少し前に電話しよう。兄さんに貰った住所と電話番号の記されたメモを見て、今更ながら僕は決心する。開店は確か朝六時……間に合わないなこれ。しょうがない……

「兄さん、ちょっといいかな?」

 しょうがないから兄を頼ろう。別に代わりに電話して貰おうとかではなく、何時頃電話すべきかと相談するだけだから。これくらいは許されていいよね?

「ん、そうだな。十時ごろには落ち着くんじゃないか? 俺が連絡しておいても……必要なさそうだな」

 兄さんの提案に僕は必死で首を横に振った。それはならない。兄の人脈をアテに今日一日ダラダラとしてしまった身で何をと思うかもしれないが、僕はやはり自分で変わらなければならないと思うから。アドバイスも貰って、僕は兄さんに礼を言ってさっさと布団に入った。明日は気合を入れなければ。兄さんの沽券(?)にも関わることだ。なに、幸い明日を乗り切ればボーナスステージが、長ければ一時間、短くとも十数分は確定している。それさえ思えばどんなことでも乗り越えられるさ。僕はまだ眠くもない瞼を閉じ、布団の中で出来るだけ良いイメージを浮かべた。さあ、どんとこいだ面接。僕は準備万……じゃない! 風呂!


 昨日とは打って変わって、僕は何の助けも借りず目を覚ました。昨日の晩しっかりお風呂には入ったというのに、既に顔が脂っぽい。やはり行く直前にもう一度入ろう。午前四時。成る程、午後十時に眠るとこんなにも早くに目が醒めるのだな。僕は仕方無しに時間を潰し始める。

 さて困った、時間が流れない。今は……まだ二十分か。ゲームはしない。と、決めて何か為になる、身になることをしようと決意したのだが……これがあまりにも時間を潰せない。筋トレをしよう。と、しかし腕立て伏せは五回もしたところで苦しくなった。何か勉強をしよう。と、スマホで検索フォームを開いたが、何を勉強すれば良いのかも……否、勉強とは何をすることなのかも分からなかった。せめて面接の練習をしよう。と、思い立ってそのまま検索をかけ、飽きて暇になるまでがおよそ十分。ダメだ、僕にはゲーム以外に時間を潰す手段が無い。

 仕方なく、本当に仕方なく。嫌々なんだこれは、うん。仕方がないから、嫌だけど、ゲームをしよう。と、PCの電源を入れた。アーヴィンではあんなに早く流れていて、それでいて濃密な時間を過ごしていたと言うのに。こっちでは振り回してくれるあの少女はいないのだと、もう何度目かも分からないが痛感してしまう。

 こんな時間だ、ボイチャはやめておこう。キーボードも静かに叩いて……音量は……ヘッドセットしていないのだからイヤホンを繋ごう。さて、こんな時間に人は集まるかな? うん、入れ食い入れ食い。流石廃人アカウント。

『アギトさん今日繋がないの?』

「ああ、こんな時間だし。家族起こしちゃいけないから」

 ある程度は予想できていた。うん、だから怒ってない。怒ってないし泣いてもない。だけどお前ら『意外』とか『悪いもんでも食べた?』とか『今日は槍だな』とか。夜道に気をつけろ、ちくしょうどもめ。

 よし……よしよし、連勝。『乙―』『乙。そろそろオチ』『自分も。乙でーす』見ればもう午前六時半。うん、やりすぎたね。

「俺も落ちるわ。乙」

 一斉に返ってきた失礼な返信に、心の底からこれまでの行動言動を反省する。すると共に、夜道に気をつけろ。とだけ送信してタブを閉じる。今朝の献立はなんだろうか。と、胸を踊らせる反面、またコイツは何の手伝いもせず……と、自分を毒突いた。今朝は気合を入れようと決めていたから、僕はご飯をお代わりまでした。完全に穀潰しである。ちなみに献立はウィンナーと出し巻き卵、それから昨日のワカメ汁。

 さあ! と、気を吐いたのは、二人を見送ってスマートフォンの通話ボタンに手を掛ける直前のことだ。しかしこの、さあ! という掛け声を、僕は既に五回聞いている。さあったらさあなんだ。さあって言ってるんだからいい加減通話ボタンを押したらどうだ、さあ! あっ⁉︎ 本当に触っちゃ——っ⁉︎

『——はい、お電話ありがとうございます。板山ベーカリーです』

「あ、あの。原口と申しまして(?)アルバイトの応募をしたいのだすけれど……」

 第一声からグダグダだった。原口という名前とアルバイトの応募いう事で、向こうはすぐに僕を兄さんこと健司の話していた弟であると理解したようだ。

 話はあっという間に纏まった。今日の閉店後、夜の七時に店に来てくれとのことだった。時間はまたたっぷり残され、これの処理に相変わらず困ってしまう。ゲームは……やらないって、今度こそ決めた。なら何をしようか。店の様子を見に行く? 不審者じゃないか? 何か……何かないか。僕の人生が少しでも前に進む、そんな素晴らしい何かは。

 無かった。そんなものは無かった。よーしこれで五キル。連勝連勝、ポイントが美味い。ゲームの誘惑には勝てなかったよ……

「僕ってこんなに堪え性なかったんだな……」

 ボイチャを繋いでいないからか、さっきから弱気な独り言が多くなっていた。何もしていないという背徳感から、何をするにも焦りが生まれてしまう。早く結果が欲しい、と。とにかく今すぐ許されたいと、そんな考えに至ってしまっているのだろう。まだ昼だ、取り返しはつく。まだ昼かぁ……

 ヨガをやってみた。一つめの姿勢が取れなくてすぐにやめた。料理を勉強したくて、レシピを検索してみた。だがそこで満足して、お昼はレトルトで済ませた。わざわざ母さんに、昼は自分でやるって言ったのに。ならば。と、向こうで少しでも役に立たないかと、合気道の動画を見て真似をしてみた。足の小指をベッドの足にぶつけ、恐らくだがこれで悶えていた時間が一番長かった。何も……何も続かない。

「どうしようか。あと六……準備も考えたら五時間……」

 遠すぎる。遠すぎる十九時に途方にくれた僕の元に、一通のダイレクトメールが届いた。差出人はどろしぃ……こと、デンデンさん。

『よかったらボーストで遊びませぬか? クラサガのサービス開始待ちきれぬでござる』

「わぁい、喜んで」

 仕方がないんだッッッ! 誘われちゃったからッ! 時間も潰せないしッ! これは! 仕方がないんだ‼︎

 母さんが帰って来た音がした。しばらくして兄さんも帰って来た。僕はデンデン氏とバイバイして、そのまま体の垢と油ともバイバイした。

「行ってきます」

 僕は颯爽と夜の街(田舎)に繰り出した。僕は一つの真理に到達したかもしれない。

 ゲームは————楽しい——ッ‼︎


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ