第五百二十七話
今朝も板山ベーカリーは妙な賑わい方をしていた。
せっせか働く僕と、事務仕事で奥に引っ込んでる店長は別として。
配達の積み込みが終わってやや時間を持て余した西さんに、どういうわけかお休みな筈の花渕さんが捕まっているのだ。
「それにしても美菜ちゃん、毎日おるねぇ。お家のこともやっとるんでしょう、大変じゃぁない? お休みの日くらいは家でゆっくりしたらいいのに」
「ぐっ…………ま、まあ……」
的確に急所を抉らないであげて!
打ち解けた、仲良くなった。それは間違い無いんだけど、どうにも花渕さんにとって西さんは天敵のままだ。
無遠慮と言うか……良かれと思ってと言うか…………うーん、なんだろう。
多分、お節介を自覚した上で、あの子を気に掛けているんだろう。
自分が嫌われるとか、厄介者と呼ばれることに抵抗が無い。
気の抜ける訛った喋り方とボリュームのおかしい笑い声とに惑わされるが、どうもこの人は切れ者のようだし。
「……それにしても防戦一方だよなぁ。珍しいと言うか……初めてと言うか……」
この店で花渕さんと言えば、傍若無人な若き暴君というイメージ。
実際、誰よりもお店のこと考えて、危機感を持ってあれこれ動いてくれていた。
結果としては店長の策でお店は軌道に乗り始めたけど、彼女の頑張り無くしてはそう上手くはいかなかっただろう。
だから、店にとっての王様は彼女。店長は…………その陰で暗躍する参謀とか、そういうの。
まあそういうお店の事情は置いといても、彼女はこの店のヒエラルキーの頂点に立つ存在だ。
十六歳のアルバイトが頂点ってのもまあよく分かんないけど。
彼女が笑えと言ったら僕も店長も笑うしかない、そんな存在だったのに……
「あっ。美菜ちゃん、もう白髪生えとるに! ちょっとハサミ持っておいでん、切ったげるで」
「っ⁈ えっ、うそ⁈ じゃなくて、それくらい自分で……」
こんな若いのに髪なんて染めるもんで。と、西さんは少女の細い腕を掴んでバックヤードへと消えて行った。
白髪…………やっぱり苦労してんだね、しみじみ。
僕もなんだかんだ白髪はあるからなぁ………………僕のは普通に老化だな、苦労とかが原因じゃねえわ。
そうなんだよな……たまにスッと忘れるけど、僕はもうおっさんなんだよ……な……っ。
「西さん、新しくチラシ作ったんで…………あれ、いない。原口くん、西さんは? それと……花渕さんもいないけど、ふたりでどこかに?」
「あ、ああ。はい、なんか…………えっと、花渕さんを連れて裏に」
白髪の件は黙っていよう。だってそりゃ、本人気にしてるだろうし。
さっきも結構ショックってリアクションしてたし、十代の女の子が白髪で喜ぶわけもないんだから。
しかし髪染めてるのと白髪って関係あるのかな……? なんかそれが原因みたいな言い方してたけど……
「ああ、店長さん店長さん。ちょうど良かった。あのねぇ、お店の名前入った袋がもうそんなに無いもんで、どこかに新しいのありますかねぇ」
「紙袋ですか? ちょっとまだ作って貰ってないです、すみません。今日中に必要になりそうですか?」
もう何日かは大丈夫だけんど。と、せかせか喋る西さんとのんびり喋る店長との緩急に耳がなかなか慣れない。
店長の後に喋る西さんは倍速再生に聞こえるし、逆はめちゃめちゃスローに聞こえる。
なんとも間の抜けたおっさんおばさんの会話だが、これでちゃんと業務上必要なやりとりが無駄なく行われているのだから凄いものだ。
これだけ互いにギャップがあると、どっちかはヤキモキしそうだけどなぁ。
ひとりよく分かんない感心をしていると、何やら髪を気にしながらしょんぼりと肩を落とした花渕さんが戻ってきた。うん……やっぱり落ち込んでるよね……
「分かりました、じゃあ紙袋とそれから新しいトレーの発注はかけておきます。袋は明日明後日には届くと思いますんで」
「はい、ありがとうございます。チラシはビニールの袋に入れてお出ししたら良かったですよね? 紙袋に入れずに」
それでお願いします。と、店長の言葉を聞き届けて、西さんは僕ら全員に行ってきますと頭を下げて車を出した。
意外とな、テキパキ進むんだよな。
もうちょっと情報が上手く伝わらなくてもおかしくないと思うんだけど、どういうわけかこのふたりは妙に連携が取れていると言うか……あれだけ訛ってて早口で、店長も割と抜けてるのに、どういうわけか情報伝達にミスが無い。ほわい?
僕と花渕さんなんてメモまで取らされてるのに伝わってないケースがあるんだよ? 全面的に僕が悪いですが……っ。
「……西さんって早口なのにちゃんと伝わってきますよね、言いたいこと。なんなんでしょう」
「あはは。まあ、伝え損ねが許されない場所で働いてたからじゃないかな? さて、お客さん来るまでもうちょっと裏にいるから、ふたりとも任せ…………原口くん、任せたよ」
ナチュラルに花渕さんを戦力に加え入れてしまう、あるある。あの子はお休みです、働けって言ったら働きそうだけど。
しかし西さんの件は納得、そういえば看護師でしたね。
うーん……もしかしてあの喋り方に秘密があるのかな、実は。
訛ってて早口で……と、そんな単純な話ではなく、実は高度に考え抜かれた人の耳に届きやすい喋り方……だとか。いや、流石に考え過ぎか。
「やっと行った……あのおばん、やっぱり苦手だわ……」
「あはは……おばんって……」
今時そんな言い方しないでしょ…………引っ張られてるよ、完全に。
まだどこか半泣きで、手鏡で必死に頭髪を気にする姿がやや可哀想にも思えてきた。泣くほどショックだったの……
「…………アキトさんも白髪あるよね。染めたら? ちょっと明るくしてさ、そしたらもうちょっと垢抜けるんじゃない?」
「この歳になって垢抜けるって言われると思わなかったよ……でも、うーん。確かにちょっとみっともないかなぁ」
そこまでは言ってないけど……と、しょんぼりしてしまった花渕さんの姿に配慮不足を感じた。
違うんだ……僕の話であって、花渕さんがみっともないなんてわけないんですよ。
そんなにショックだったの? めちゃめちゃ引きずってるんだけど……そ、そんなにショックなことなんだ、白髪って。
その後、お店は何ごとも無く営業を終えた。
売り上げもそこそこ、西さんの配達も問題無し。
僕もミスしなかったし、花渕さんも西さんが帰ってくる少し前に退散した。どんだけビビってるんだ……じゃなくて。
いつも通りの平日って感じで、まあそれが当然といえば当然なんだけど。
しかし……この時は思いもしなかった。
そのいつも通りの平日が、当たり前にやって来るものじゃないってことを。
家に帰ると珍しく兄さんがお酒を飲んでいた。
こらこら、お医者さんに控えるように言われたでしょうが。それにおつまみだって塩っけの強いものばっかり……
「おかえり、アキ。そうだ、お前もちょっと飲んでみるか?」
「ただい……ええ、突然何さ……」
すでに出来上がってるのか、それとも良いことがあって楽しく飲んでいるのかは知らないけど、僕は帰宅早々兄さんに手招かれた。
お酒……まあ飲んでみたいけど、飲めるのかな…………法的にはもうとっくにセーフなんだわ……自己責任が発生するだけだ……
「ていうか兄さん、こんな塩っ辛いものばっかり…………お医者さんに言われたんじゃなかったの?」
「いや、それがな。今日行ってきたら、随分と数字が良くなっててな。これならたまに飲む分には良いだろうって。つまみもな、週に何回か。辛いもの食べ過ぎなければもう大丈夫だそうだ」
めちゃめちゃご機嫌に語る兄さんの姿に、僕も母さんもやや不安というか…………呆れてしまった。
そんなに我慢してたのね。どんだけ塩辛い味が好みなんだ。
でも……そっか、だいぶ良くなったんだね。
そういうことなら、偶の楽しみとして目を瞑ろうじゃないか。出来ればもうちょっと控えて欲しいけど。
「ほら、アキも飲んでみろ。親父は飲兵衛だったからな、お前も案外強いかもしれんぞ?」
「またそうやってよくわかんない理屈を……まあ気になるから一口……」
そうだな、とりあえず一口。と、兄さんはコップにビールを少しだけ注いで僕に差し出した。
ビールって美味しいの? と、尋ねると、ビールは美味いがこれは大して美味くない。と、笑って答えられた。ええ……これってビールじゃないの……?
兄さん曰く第三のビールだそうだが…………第二はどれだよ、第四はあるんかよ。
「んぐっ…………っ⁈ ぅえっ、にっが⁉︎ こ、これが美味しい……の……?」
「あっはっは、美味しくないか。帰ってきてばかりで喉が渇いていればと思ったが、流石にそうでもなかったか。あっはっは」
めちゃめちゃ笑うじゃん、どうしたの。酔っ払いのテンション、読めない。
おつまみの枝豆とさつま揚げをつまみ食いして席を立った僕に、頭が痛くなるからお水を飲みなさいと母さんは冷たい水をコップになみなみ注いで渡してくれた。
いや、過保護だな。一口飲んだだけじゃないか、もう。喉乾いてたから飲むけど……




