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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第五十二話


 野を超え森を超え、それでも僕らは歩き続けた。正午に出発した筈だが、もう影もずっと長い。辺りに人里は無く、また人の気配も無く。轍も無ければ足跡も、舗装はおろか獣道すら無い、無限に広がるかの様な広野。はて、もしかしてコレは野宿コースなのでは。そんな悲嘆に暮れ始めた頃のことだった。

「ねえ、何か変じゃない?」

「変、ねえ。予定も目的地も、アテもなく街を飛び出しちゃった旅より変なものはそうはごぜえませんで」

「もう、いつまで引きずってんのよ」

 引きずりもしますよ。むしろ引きずられてここまで来ましたとも。僕は文句を飲み込んだ。彼女は立ち止まって、辺りをキョロキョロと見回していた。前を向いては草原。右を向いても草原。左を向けば遠くに見える山々と、草原。背後には通り抜けて来た深い森が見え、その手前に人が二人通った後のある草原。こんな開けた平地の真ん中で、一体何を見つけようと言うのだろう。

「…………ねえねえ? 例え話よ? 街から街へ向けて馬車が走ったとするじゃない? そうしたら、森なんて避けて通るし、轍が出来るし、背の低い草だって踏み荒らされてると思わない?」

「………………え? え、待って? 何その例え話? 嫌な予感がするよ?」

 確かに。どことは言わないが、王都へ向けて騎士団を乗せた馬車が移動するのなら。彼女の言う通り鬱蒼として車の通れないような森は迂回するし、よほど硬い土壌でない限り轍が出来る。馬の蹄跡や、もしかしたら走った人物の足跡も付くかもしれない。しかし、それがどうしたと言うのだろう。確かに僕らの出発する直前に、王都から来たという騎士団が帰還の為に出発しているが……それとはきっと無関係な話だろう。例え話だもの。例え話だものね?

「ミラさん。ちゃんとこっち見なさい」

「…………」

 ミラは黙り込んでそっぽを向いた。キョロキョロするのもやめて、ただ僕から視線を背け続ける。

「ははは、恥ずかしがり屋さんだなあミラは。ほら、こっちを見なさい」

「………………」

 柔らかいほっぺたを両手で鷲掴みにして、僕は少女の顔をこちら向きに捻った。それでも彼女は視線を僕から背け続ける。

「……ミラさん。嘘だよね…………ね?」

「…………大丈夫。私は貴方の背中があれば何処でだって眠れます。安心して。天に御坐す我らが父は、貴方の道行きを加護なさいますでしょう」

 聖母のような笑みを浮かべ、彼女は両手を胸の前で組んで見せた。なるほど、神様の加護があるならそいつぁ頼もしいや!

「……おい! おいっ‼︎ おぉいっ⁉︎ 迷子だよね? 絶対迷子だよねっ⁉︎ あとお前、昨日神前でとんでもねえ発言したの忘れてないからなッ⁉︎」

「ちっ。そうよ迷子よ、悪うございましたね。しょうがないじゃない、街の外なんてついこの間初めて出たんだもの」

「開き直ってる場合か‼︎」

 悪ガキすぎる彼女の表情にももう驚かない。その百面相ぶりにも慣れたものだ。と、感心している場合で無くて。本当にマズい。

「やっぱり一回引き返そう⁉︎ 足跡辿ればアーヴィンには帰れるわけだし⁉︎」

「ダメよ! 言ったでしょ、これは試練でもあるの。大体どのツラ下げて帰るのよ!」

「それはもう涙いっぱいのぐしゃぐしゃなツラ下げて帰るよ‼︎ お願いだから考え直してよ‼︎」

 悪態をつく彼女の肩を掴んで思い切り揺すった。鬱陶しいと言わんばかりに僕の手を払いのけ、尚も彼女は足跡とは反対側へ歩き始める。強情にも程がある。何度も何度も説得の言葉をぶつけながら、僕もその後を追った。

「大丈夫よ! 魔獣なんて出そうにも無いし、出ても困んないし。むしろご飯にありつけてラッキーじゃない」

「食うの⁉︎ お願い、あんまり物騒なこと言わないで⁉︎ 女の子なのよ⁉︎」

 普段の仕草を見る限りでは、彼女は育ちのいい方だと思っている。安食堂に見合わない丁寧なテーブルマナーに、物が少ないとは言え部屋も綺麗に片付けられている。時たま壊れるが、目上の人間に対する言葉遣いや市長として違和感の無い立派な振る舞いに、僕は彼女を歳不相応に大人びていると評したものだ。しかし、時たま見せる子供っぽさと言うか……粗野なところが全面に押し出され、これはこれで歳不相応に子供っぽいと言わざるを得ない。一体どんな家庭環境だったと言うのだ……

 僕の制止など歯牙にも掛けず、遂に後方の森が霞んで見えた。その時だった。

「…………ねえ! ねえねえ! あれ、村じゃない⁉︎」

 彼女は底にへばりつきかけていたテンションをマックスにして、前方を指差して僕の方を振り返った。村……? 彼女の指差す方には、かすかに見える木々の濃い緑以外何も見えない。尤も、彼女の視力が獣並みであることは先の健康診断で分かっていた事だ。一目散に駆け出した彼女を信じて……信じずとも手を引かれているので、僕も全力で走り出した。

 しばらく走ると、確かに遠方に村か人里か……集落と言うべきか、林に身を隠す様に集合した家々が見えた。その周囲を囲うように広がる田畑と、もう少し近付けば、獣避けだろうか、柵のみたいな物も見え始める。

「ほら! 言ったじゃない! なんとかなるもんなのよ、大体のことは!」

「わかっ……分かったから! 一回ストッ……」

 更にギアを上げて彼女は軽快に草原を駈けぬける。まるで短距離走の様な走り方だが待って欲しい。まだ、村は、遠くに見えただけだ!

「本っ……本当にスト————」

「っ? アギ——」

 爽やかな緑一色の草原にサンドウィッチだったものがブチまけられた。そして僕は力無くその柔らかな大地に全身を預ける。はっきり言おう。このままでは殺される。

「げほっっ……ぅうっ……げっ……おええぇ…………」

「ご、ごめん。ほら、元気元気……じゃないわね。ごめんなさい」

 横になるとこみ上げてくる朝食に、僕はたまらず重い体を起こして四つん這いの格好になる。もうやだ……走りすぎて吐くなんて小学校の運動会以来なんですけど……? 申し訳なさそうに僕の背中をさする彼女を睨む余裕も無く、僕はひたすらに吐き気と手足のしびれと格闘し続けた。

「…………ごめん、ちょっとだけ手止めるね」

 心地よいペースで背中をさすっていた暖かく小さい手が離れていく。こうなった原因でもあるのだが、やはり惜しくなって視線を向けると、そこには拳を握って周囲を警戒するミラの姿があった。

「…………揺蕩う雷霆(ドラーフ・ヴォルテガ)ッ!」

 ビシビシと草が裂ける音と共に、彼女の身体が仄かに青白く発光する。時折チリチリと音を立てながらスパークするその姿に、僕は周囲の異変にようやく気付いた。さっきまで二人分の影しか無かった草原には、無数の大きな影が縦横無尽に走り回っている。視線を頭上に向ければ、そこには街中にいるカラスなど比にならない、巨大な翼を持った筋肉質な怪鳥が飛び回っていた。

「——ッしゃあぁっ‼︎」

 怪鳥がその大きな翼を羽ばたかせ彼女に狙いを定めた瞬間、彼女は高く疾く跳んだ。そして繰り出された殺人蹴りが…………当たらない——っ! 着地後また跳び上がり……ダメだ! 彼女が繰り出す直進的な蹴りは、全て跳び上がりの時点で回避に移られてしまう!

「ッ——もうっ! 鬱陶しい!」

 低空飛行で飛びかかる怪鳥に繰り出した回し蹴りがようやくその首を捉え…………これは…………うぷっ……

「アギト! そのまま蹲って動かないで!」

 惨たらしくへし曲がってしまった怪鳥に気分を悪くしている僕に、別個体が容赦無く襲い掛かる。しかし彼女はそれを軽く追い払うと、ついでって感じでそう言った。そして僕のすぐ側でまた新たに言霊を唱え出す。さっきまでの甲高いスパーク音では無い、ヘソの奥にまで響く様な雷鳴が轟き始めた。

荒れ狂う雷霆ハルクスス・ヴォルテガ——」

 轟音にかき消されそうな小さな言霊は、すぐに暴風となって僕達の周囲を薙ぎ払う嵐を起こす。空は快晴、周囲は雷。つむじ風と呼ぶには余りに脅威的な、稲光いなびかりする竜巻に巻き上げられた怪鳥は跡形もなく焼け焦げ、その身を空中で切り刻まれ…………ぅおえぇぇ……

「ふう。よし……じゃ、なさそうね」

 もう焼き鳥はしばらく食べられなさそうだ。さっきまでの戦士の顔などどこかに置き忘れ、彼女はいつもの笑顔でえずく僕の背中をまたさすりだした。


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