第五百十四話
居心地が悪い。絶望的に居心地が悪い。
すっかり朝になって明るくなった空を見ながら、僕らは空腹に耐えかねた寝坊助の起床を待って大食堂へと移動した。
晩御飯食べてないし、流石に僕ももうお腹ペコペコだったからね。
うん……そう、大食堂。
僕もミラもそれが当たり前だったから……大食堂でご飯を食べることと、その人と一緒にご飯を食べることの両方が当たり前のことだったから……
「うふふ……えへへ。いっぱい食べて大きくなるんだよ」
「……………………」
息苦しいと言うか……ふぐぅ、ご飯が喉通らないんですけど……っ。
僕の横にはそれはもう一心不乱にご飯を食べているミラがいる。
相変わらずの食べっぷりに、周囲はまだまだ慣れてはなさそうだ。
そしてその向かい側に、にこにこデレデレした顔でじーっとその様子を眺めているマーリンさん。
時折ミラがそれに気付いて、あざとくにへっと笑い掛けるもんだから……もう大惨事である。
でへへとかぐへへとか薄気味の悪い笑い声をあげながらヨダレを垂らす姿は、正直不審者である。そして…………
「…………すっごい見られてる……」
横にミラ、前にマーリンさん。視線を集めすぎるふたりに囲まれた結果、僕まで何やら注目されてしまってるような錯覚を感じてしまう。
いつもならがやがやと賑わっている大食堂も、今日に限ってはひそひそと内緒話が聞こえるか聞こえないか程度に静まり返ってしまっていて、僕らの周りにはまるで結界でも張ったかのようにぽっかりと誰もいない席が並んでしまっていた。
そりゃ近付けねぇよな……だって巫女様来てんだもんな…………
「むふっ……えへへ……おや、アギトは全然食べてないね。ダメだよ、君も食べなきゃ。まだまだ伸び盛りなんだから」
「…………はい……」
こんなところで、こんな大勢がいるところで、いつもみたいに気軽につっこむなんて無理だ。
違うんだよ……アンタを連れて来ちゃった所為で空気がえらいことになってるんだよ……っ。
迂闊だった……いいや、迂闊過ぎた。
ここでご飯を食べる、マーリンさんとご飯を食べる。どっちも僕らにとって当たり前過ぎて、こんなことにさえ気が回らなかったなんて。
うう……ひたすら居心地が悪い。ご飯くらい気楽に食べたいのにぃ……
「…………アーギートー。もう、さっきあんなにお腹空いたって言ってたくせに。あ、さてはキノコだな? 好き嫌いはダメだよ、そんなんじゃ強くなれないぞ」
「…………うす……」
だーれも食わず嫌いなんてしとらんわい! ダメだ……食べないとこの場から離れることさえ出来ない……っ。
幸いご飯は美味しいし、空腹だから捻じ込めばなんとか入る。
あとはミラがどれくらいで満足してくれるかだけど……ええい、とにかく今は自分に出来ることをしよう。
キノコとほうれん草……かな、濃い緑の葉野菜とベーコンのソテーを掻き込んで、僕はミラのご馳走様を待つことにした。
美味しい……美味しいけど、出来ればこんな状況で食べたくはなかった……っ。
でもマーリンさんと三人で別室で、ってのもまた寂しいしなぁ。明日からと言わず、今日のお昼からどうしたものか……
「むしゃむしゃ……ごくん。ごくごく……ぷはっ。ご馳走様でした」
「うんうん、相変わらずいっぱい食べたね。ふふ、口の周りをこんなに汚して。よしよし……」
いかん、ミラへの愛情が本気でバグってる。
マーリンさんはミラの口元を布巾で拭うと、そのままぎゅうと抱き締めて優しく頭を撫で始めた。
ああ……お腹いっぱいになったばかりだから、みるみる眠たそうに……
「部屋に戻ろうか。ミラちゃんはもうちょっと眠りたいみたいだし、僕ももうちょっと話したいことがある。アギト、忘れ物の無いようにね」
「…………はい」
忘れ物も何も、荷物なんて持って来てないでしょうに。
昨日と朝方と、それに今。どうにもこの人は本気で寂しかったらしい。
まあ……それだけ僕らのことが好きだって、少しでも頼りにしてくれてるんだって思えば嬉しいんだけどさ。
それにしたってこのありさまはどうしたものか。
すっかり眠りこけてしまったミラを抱っこして歩くマーリンさんの後ろを、僕はひたすら影を薄くすることだけを意識しながら付いて行った。
余談だがこの日、星見の巫女様はどうやら独り身が寂し過ぎて、持て余した母性を注ぎ込む相手を連れ帰っただけらしい。なんて、メタクソに無礼だけど強く否定出来ない、困った噂話が流れることとなるのだが…………
それが当事者である僕らの耳に届くことは無いのだった。
部屋に戻るや否や、マーリンさんはベッドに寝転んで、なんとも嬉しそうにミラの頭にすりすりと顔を擦り付け始めた。
分かる。ふわふわしてて気持ちが良いんだよね……朝起きた時は寝癖もあってちょっとこそばゆいんだけど。
別に良いんだけど……そう、ミラもマーリンさんが好きだし、マーリンさんもミラが好きだから別に良いんだけど…………そこは僕の席だからな? 分かってる?
ミラを抱っこするのは、本当はお兄ちゃんの役目なんだからな?
久しぶりで舞い上がってるし、今日のところは許してあげるけど……
「うふふ。さ、アギトもおいで。色々聞かせておくれよ、僕がいない間に君達が何を見たのか。もう街には出た? どこまで見て回った? 君達が何を見て何に感動したか、一から十まで全部教えて欲しいな」
「……そうですね、色々報告したいこともありますし。それには一から話した方が手っ取り早いか」
ほらほらおいで。なんてマーリンさんはニコニコ笑ってひたすら手招きをする。いや、もう十分近付いたでしょうが。
マーリンさんはベッドの真ん中でゴロゴロしてて、僕はベッドの端に腰を下ろした。これ以上近く必要ないでしょうが、話をするだけなら。
だから手招きをやめなさい、そんな顔するのもやめなさい。やめ……捨て犬みたいな顔するんじゃないよ。
「……俺達はあの後、マーリンさんの言う通り王様に謁見しました。そこで……まあ、なんて言うか。失敗してしまったと言うか……元々そういう予定だったのかもしれないですけど。
とにかく、身元不明なふたり組では勇者としては認められないってことで、王様の命令で色々この街で仕事をする流れになったんです」
「ふむ……ううむ、まあそうなるとは思ってたけどね。僕が一緒なら……いや、僕が言っても聞かないか」
相手は議会ですからね。
おいでよーとでも言いたげにパタパタと片手で布団を叩くマーリンさんを無視して、僕は連日続いた仕事内容について説明した。
湖の周囲の魔獣討伐、そしてその調査。地質調査の手伝いだとか、物資運搬の手伝い……それとその馬車の護衛だとか。
騎士に混ざって訓練をしたことも、また僕が起きなくて寝坊してしまったことも。
それが原因なのか、書庫の整理なんて簡単な仕事が回って来たことも。
この一週間と少しの間に積み上げた多少の努力を、僕は何の装飾も無くそのまま打ち明けた。
「ふーむ……うむむ。分かってはいたけど、全然信用されてない感じだね。
僕がいたらもうちょっとマシな仕事を持って来させたんだけど……まあそれを言ってもしょうがないか。
大勢の知らない人と一緒に何かをするって経験は、君達にとってはほとんど初めてだよね。それだけでも十分な収穫と言ってもいいだろう」
「あはは……まあ基本的には多くて四人、基本三人でしたからね、旅の間は。あとそれと……」
これは言うべきだろうか。
僕らにとって楽しい思い出のひとつだし、それに多分一番重要というか…………重たい出来事でもあるから。
話して当然だって思ってはいるんだけど……どうにも言葉に詰まってしまう。
僕らがマーリンさんと離れ離れになっている間、話し相手をしてくれた人が……とんでもない大物がひとりいる。
それが持つ意味も、その影響もはかりしれない。
悪いことじゃないんだし話しても良いかなって思うんだけど……
「……アギト?」
「…………いえ、その……やっぱり例の鎧の件が……」
いや、やっぱりダメだ。
ほぼ毎日のように王様が部屋に遊びに来て、そして僕らの旅の話を聞いてくれた。
楽しかったし嬉しかった。正直、旅の間に持っていた悪いイメージはほとんど掻き消えたくらいだ。
けれど……その王様が言ったのだ。マーリンさんは王様に対して、強い敵対心を抱いている、と。
否、恨みを持たせることでその精神を安定させようとしているのだと。
とても悲しい話だって思ったけど、同時に王様の覚悟みたいなものも垣間見えた。
僕らがそれを台無しにしちゃいけない。
王様と仲良くなりましたなんて言ったら、マーリンさんはどんな顔するだろう。
僕は…………僕はゴートマンって男のことで、きっと凄く嫌な顔をふたりに向けた。
そんな感情をふたりに向けてしまったことをやっぱり後悔してるし、だったらこの人にそんな思いをさせちゃいけないって思うから……
「…………何か言えないことがあるのかな。いいよ、そういうのは無理に言わなくても。でも、楽しかったことは出来れば全部僕にも教えてほしいな」
「……はい。じゃあ……その、ジェカフさんって騎士と仲良くなった話を。太陽の紋章を掲げた、気さくで優しい人の話をしましょう」
うげぇ。と、露骨に嫌な顔をされてしまった。
なんて顔するのよ……もう、自分の部下でしょうが。まあ……名前を覚えてるのかどうかは定かじゃないんだけど。
本当に覚えてない説。覚えてるけど意図的に呼んでない説。
へインスさんが言ってた昔話と、それに伴う逸話の話。
ミラは怒ってたけど……まあ、無くはないだろう。案外ナイーヴな人だしな。
それと…………一応覚えてるけど、仲良くなるまでは名前を呼べないコミュ障なだけ説。まあどれでも良いけどさ……
「大勢の騎士と一緒に仕事しましたからね。当然、マーリンさんの話を聞く機会も多かったですよ。そこら中でいろんな武勇伝が流れてますね」
「…………むう」
本気で拗ねるのやめてよ、可愛いな。
マーリンさんはとっても不服そうに唇をとんがらせながら僕の話に耳を傾けていた。なんだかんだ自分の評価は気になるんだろうな。
そして全部を聞き終わる頃には、べちべちと僕の手を叩きながら、ふるふる震えて涙を浮かべてしまっていた。
僕に八つ当たりしないでよ……




