第五百五話
ミラは嘘をついた。なんの為に……かは分からない。
それでもとにかく嘘をついた。
僕が起きない理由に目星が付いていると、精神的に参っていて眠ってしまうのだろうと。
真実を知っていてそれを隠そうとしている……いいや、それはやはり少し違う。
別の心当たりがあるが、それを口にするわけにはいかない……とか。
或いは全く予想なんてついてなくて、僕に仮の答えを与えることで安心させようとしているのか。
ともかくミラは、下手くそな嘘をついた。
「おーい、ミラ。これってこっち……また……お前なぁ」
「…………ひゃぁう⁉︎ なん——何⁉︎ 何ごと⁉︎」
さて。それはそれとして、僕は座り込んで本に夢中なミラの首筋をつっついてみた。
日付を跨いで今日、僕らは王宮に備えられた蔵書の整理を命じられていた。
遂に外にも出ない依頼が来たか……と、ネガティブに捉えるべきか否か。
まあ精神的に参ってしまったらしいなんて説明をしたんだ、じゃあ任せられるのはこのくらいしかない、となってもおかしくはない。
それでも、今の僕らは与えられた仕事で評価を取り戻すしかない。
それしかないのに……ミラは見たこともない本の山に目を輝かせて、少し片付けては読み耽ってを繰り返していた。
「お前は誘惑に弱い奴だなぁ、もう。また今度ロダさんに頼んでここへ……いや。そもそも王宮内を歩き回って良いって言われてるんだから、終わってからまた来ればいいだろ」
「うう……分かってるけど……」
ミラの物惜しげな視線の先には、やはりと言うか当然と言うか、魔術や錬金術の学術書が並べられていた。
いつかアーヴィンの図書館やキリエにあるマーリンさんの別荘でも、多くの本を目にしてきた。
しかしここは王都、王宮。この国の全てが集まる場所。
文字通り初対面なこの場所には、初対面な世界が多く集まっている。
ミラの長所である旺盛な好奇心が、今日に限ってはマイナススキルとして機能してしまったみたいだ。
「……そんなに楽しいのか? うう……なんで俺には……」
「楽しい……うん、楽しいわ。本に載ってる魔術を使えるか使えないかは別としても、私が考えたこともなかった切り口で最奥へとアプローチしているって発見が楽しい。
それが効率的なら取り入れるし、そうでなくても選択肢として……特殊な事情を考慮すれば、使い道がある可能性のひとつとして頭の片隅に残しておく。
知識が増えることが楽しいのよ」
うっ……耳が痛い。
ミラは熱心に語って、そしてすぐに罰の悪そうな顔で積み上げた魔術書を本棚にしまい始める。うん、今はそっち。
本の整理をする為には、どうしてもそのタイトルや分類をしっかり確認しなくちゃいけないから、僕だって気になるタイトルが現れれば一瞬手が止まる。
でもほら、これ以上評価下がると本気でやばいからさ。
「…………自分で調べてみるべきか、色々と」
色々と、だ。僕の置かれている現状について、異界から何かが現れた時の対処方とか。
或いは……ミラの言っていた、精神的な原因での睡眠障害みたいなものについて、とか。
ミラは確かに嘘としてそれを口にしたが、こうして少し落ち着いてみると、成る程筋の通った話でもある。
理屈を優先して考えた結果、この答えに至ったのかもしれないけど。
僕は切り替わりに……自分の置かれた状況に異状が発生したと考えていた。
けれどそれは間違いで、ミラの言った通り、本当に睡眠に問題があるのかもしれない。
本気でこっちの身体が眠りを求めた結果、従来の切り替わりタイミングでは意識が覚醒せず、代わりに反対側でもう一日過ごすことになったとか。
原因と結果が逆なのかもしれない、と。
切り替わりに異常が起きたのではなく、異常が起きたからスムーズに切り替わらないんじゃないかって。
もしそうなら……と言うよりも、むしろこっちの方が自然と言うか、当然の理屈だろうか。
勿論、僕の存在が不自然なだけに、筋が通っている方が正解だなんて根拠も無いんだけど。
「……となると医療関係の本は読みたいよな。それと……」
僕のもうひとつの異状、魔術が全く使えない特異体質について。
初めてマグルさんにその話を聞いた時、それは僕がそもそもこの世界の住人ではないからだろうと結論付けてしまった。
魔術なんて存在しない世界の人間だから、当然そんなものが使えるようには出来てないのだと。
でも、やはりこれも順序が逆なのかも。
何かしらの原因……血栓みたいなもので魔力が堰き止められてるとか。
案外簡単に解消する問題で、僕にも魔術を使えるようになる日が来るんじゃないかな、なんて。
勿論、魔術の第一人者でもあるマグルさんや、術士五家の血族であるミラに、星見の巫女マーリンさん。これだけの錚々たるメンツが、揃って僕を特異体質だと言ったんだから、やっぱりそう簡単には覆らないだろうけど。
でも…………やっぱり羨ましいと言うか、憧れるのでして。
僕だってああいうかっこいい奴欲しいんだよ……っ。
ミラが電気、マーリンさんは炎だろ? いや、他にも使うけど、メインウェポンがって話。
じゃあ僕は……風……は、オックスがいるな。
じゃあ氷とか水とか、クールな二枚目キャラを目指そう。フールな三段腹キャラじゃないよ、こっちはちゃんと痩せてるよ。
「……いかん、俺までサボったら本当に終わらなくなる。後で一緒に調べに来れば良いんだから…………おいおい、あのバカ……」
っと、いけない。ミラに注意したばかりなのに、僕の方が集中を切らしてしまっていた。
今は本を読みに来てるんじゃない、本を読みに来る人達の為に整理整頓をしに来てるんだ。
いつの間にか、棚に並んだタイトルから気になるものを探し始めてしまっていた。
違うぞ、そうじゃない。と、ブルブル顔を振って意思をしっかり持つと、また視界の端で本を平積みし始めるお馬鹿さんの姿を捉えた。あのなぁ……
「…………ぴぎっ! いたぁ……な、何すんのよ……」
「何すんのよ……じゃないわ。仕事しろ、仕事。お前そんなに集中力無かったか? どっちかって言うと口煩く言ってくる方だろ」
立ったまま本に熱中しているおばかちんの脳天にチョップを叩き込んでやった。
そんなに痛くしてないだろ。と思いつつも、頭を抑えられるとやり過ぎちゃったかな? って罪悪感が…………罠だ! そうすれば僕にこれ以上怒られないって分かっててやってるだろ! その通りだけど!
煩くないわよなんて力無く文句を言うものの、やはり怒られたって罪悪感があるらしくて、俯いたまま寂しそうに本を棚へと戻し始めた。
うむ……そうしょんぼりされるとこっちもつらくなるんだがな。
まあそれはそれ、一心同体なんだからお互いにお互いをきちんと見張ってなくちゃな。
さっさと片付けて、それからゆっくり調べ物しような。
夕暮れまでには蔵書整理を終わらせて、僕らは夕食後に再び書庫を訪れていた。
当然、こんな雑務では王様への報告なんてものも無い。それがまた一段と堪えた。
僕らはやはり信頼を大きく損ねてしまったんだな、と。そう考える他に無いのだから。
「えーっと……ふむ、睡眠と健康……不眠の書……寝ずに生きていく為に必要なもの…………はぁ。どこへ行っても寝ずに働くみたいな論はあるんだな」
エナドリ爆売れしそうだ。
これまでの街では、徹夜にほとんど意味が無かった。
と言うのも、夜は暗くて本も読めないのだ。
外で作業をしようにも魔獣の脅威がある。
しかしこの王都では、照明球で夜だろうが部屋の中は明るい。
それに、魔獣は街中までそう入って来れないからね。
例えば、照明球も使って深夜まで営業する飲食店があってもおかしくない。
そんな遅い時間に街を見てないから分かんないけど。
ともかく、この街においては夜もまた貴重な時間なのだ。
ただ眠って明日に備えるだけのチャージフェイズじゃないって話。
「ミラ……は、もう夢中か。久しぶりだな、あんな顔見るのも」
あんな顔……というのは、マーリンさんに教えられながら魔術を研究している時の真剣な顔のこと……ではない。
それにも近いんだけど。アーヴィンを出てすぐの頃は割といつもあんな顔だった。
目の前にある、自分の知らないものに対する興奮。
楽しい、面白いって感情を剥き出しにして没頭する、真剣だけどどこか子供らしい表情。
僕のことでまだ悩んでたり不安を抱えてたりしたらどうしようかと思ったが、それも今回は杞憂に終わってくれそうだ。
慣れたわけじゃないだろうけど、前ほど取り乱さない位には僕のことを信じてくれてるのか。
はたまた……うーん、やっぱ僕のことを解決する為に真剣に調べ物してるとか? それっぽいなぁ……お兄ちゃんっ子だからなぁ、うふふ。
「……異世界転生ものって無いかな。ラノベでも良いから、この際……」
なんでも良いからサンプルが欲しい。
ラノベ……と言うかまあ、読み物として。御伽噺とか伝承みたいな形で、そんな話がどこかに転がってないだろうか。
相変わらず面白味もクソも無い学術書って感じの本ばっかりで……はぁ。
調べ物を切り上げたのは、ロダさんがそろそろお休みになられて下さいなんて注意をしに来てくれた頃だった。
い、いかん……余計なとこでまたバツが付いてしまった。
王様は多分、暫く部屋へは来ないだろう。話の続きはマーリンさんも交えて、って言ってたし。
それに……うう、呆れられてしまったかもしれないしね…………




