第五十話
結局の所、彼女は焦っていたのだろう。どう言う経緯かは分からないが、前の市長……彼女のお姉さんが亡くなって、彼女がその地位について。彼女は認められたいと、頼られたいのだと頑張った。そして、多分街の人々は彼女の負担を減らそうと頑張った。あの余所余所しい、未だ胸中渦巻く疑念に満ち満ちた空気の答えは出ないが、そんな肩透かしを食うような笑い話でこの話を終えてもいい筈だ。
「ほら、拗ねるなって。見栄っ張り。泣き虫」
「もーーーっ! いい加減怒るわよ‼︎」
彼女にこれ以上辛い未来があって欲しくない。きっとこれは僕が見たくないと、そこにある異変に気付くまいと目を逸らしているのかもしれない。たとえそうだとしても……
「ミラ=ハークスよ。もう一度だけ問う。二言はないのだな?」
さっきまで僕と睨み合っていたミラだったが、老爺の言葉にどこかバツの悪そうな、モジモジとした態度でもう一度彼と向き合った。そして深呼吸をして、胸を張って口を開く。
「……はい、ありません。私はこの街を出ます」
「そうか。それもよかろう」
僕は多分、この時凄く勘違いをしていたのかもしれない。彼女はきっとこの街に残りたいのだと。“この街で”大きく成長して、みんなの為に何かを成したいと。そう思ってくれている、と。きっとそれは、僕の勝手な願望だったのだろう。
はっと気付くと、僕らはダリアさんに見送られて神殿を後にしていた。記憶が飛んだとか、意識が無かったとか。ただ僕は何も考えられなくなって、それから……
「……巻き込んでごめん。でも、これはこれで決めてたことだから」
「…………なんで……」
彼女はこの街を出て行く。僕もきっと彼女に付いて行くのだろう。だが、一体どこへ行くのだ。分からない。こんなに良い街で、良い人達で。友達とは言わずとも、話をする相手もやっと出来た。なのに……
「……この街で……アーヴィンでやりたいことがあったんじゃないのかよ。立派な市長にって……この街で……」
「……うん。私はアーヴィンの人間として、アーヴィンの為に何かをしたい。でもそれは、このままここにいたんじゃとても叶えられない」
俯いてしゃがみこんだ僕に、彼女は手を差し伸べた。いつかもこんなことがあったろうか。でも、いや。どうしてもダメだ。これは——変化を極端に嫌う僕の性質は、まだ全然治ってなんかいなかったんだと実感する。
「ね、アギト。一緒に来て……くれるわよね?」
「俺は…………」
だから……っ。言い訳じみていて嫌になるが、まだ変われていないから僕は彼女の問いにも即答出来ないでいる。頭の中では決まっているんだ。彼女に付いて行く。そもそも僕一人がこの街に残っても、ロクに働けもしないまま野垂れ死ぬだけだ。何より約束もある。帰るべき場所として、彼女に付いて行かなくてはならない。そんなの、とっくに腹は決まっているのに……
「…………え……? 来て……くれない……の?」
「……そんなっ……こと…………ミラ?」
顔を上げると、涙を浮かべて青い顔をしている弱々しい少女の姿があった。うん? えーと、これはどう言うことだ? 怒るとか、悲しむとか。いや、むしろ寂しそうな顔をしながらも僕の意見を尊重するとか! なんだその、全く想定してなかったって! え? 嘘? 来ると思って予約とっちゃったわよ! みたいな顔はなんだ⁉︎
「……そっ! そうよね! アギトはアギトのやりたいこともあるだろうし! あはは、ごめんごめん! 勘違いしちゃったなーもう! 恥ずかしいから早く忘れて!」
滝のように汗をかきながら必死に泣くのを堪えて……ああ、これは本当に僕をアテにしていたやつだ。ついこの間は街に置いて行くって言っていたクセに。僕も大概だが、彼女も絆されやすすぎやしないだろうか。
「え、いやいや。行く行く! て言うか残ったって仕事無いし! 見捨てて街に残ったなんて言ったら袋叩きにあうし‼︎」
「っ‼︎ そ、そうよね‼︎ 行くわよね! 行くに決まってるもの! ね‼︎」
目をキラキラと……ああ、なんだろうか。おやつをチラつかされた犬の様な……いやいや、失礼だろう。ともかく、随分と嬉しそうに彼女は僕の両手をとった。何も無い広場とは言え、流石に人目につきたくない状況に僕は、座り込んでてもなんだから! とりあえず帰ろうか! と、なんだかギクシャクしながら帰途に就いた。行きはあんなに特急だったのに、言葉少なになった帰り道が随分遠く感じられた。
「……ミラ?」
市役所……もうすぐお別れになる仮住まいを前にして彼女は立ち止まった。やはり思うところがあるのだろう。辛く報われない時間だったとは、言え彼女が注いだ熱意は本物だった筈だ。今の僕に出来ることは……うん、ひとつだけか。
「…………おかえり、ミラ」
「……ふふっ。ばーか。ただいま」
先に中に入って数歩で振り返る。ああ、気が付かなかった。もう日が暮れる。彼女の笑顔がオレンジの空に映えるだなんて感じるこの時まで、空の様子にも気付けなかったのか。跳ねる様に彼女は僕に続いて家に帰ってきた。そしてそのまま僕の手を引いて…………ナンデ僕ノ部屋ノドアヲ開ケルノデス?
「ミラさんミラさん? 貴女のお部屋は隣で……」
「ざんねーん。もう市長でもない、秘書でもない私達はどの部屋の住人でもありませーん」
屁理屈だ! あっ! 待って! そんなにズカズカと男の子の部屋に上がり込まないで‼︎
「……アギト。出発前にいろいろ……うん。いっぱい、謝りたくて」
「謝るって……まあ、いろいろ振り回されたけど……」
そうじゃなくって。と、彼女は照れ臭そうに僕の口に指を当てた。そして寂しそうに、それもあるのかな。なんて笑った。
「……私が移民や難民に手を差し伸べたのは、確かに救いたいと思ったから。でもそれだけじゃない。私が、私の為に。私の居場所が欲しくて始めたの」
「……居場所?」
相槌くらいしか打てない僕に、回れ右をさせてから座る様に指示を出す。彼女はそのまま、何を思ったか僕の背中に抱き付いてきた。
「そう、居場所。この街には私の——ううん、ミラ=ハークスの居場所はいくらでもあった。でも、市長の真似事をする小娘の居場所は無かった。でも、事情を知らない人なら……って。ボガードさんに工房を明け渡したのも、ロイドさんがお店を建てるのを手伝ったのも。アンタに声をかけたのも。何も知らない人なら、私を市長として見てくれると思ったから」
ぎゅうと抱き付く力が強くなった。辛いのだろうか。苦しいのだろうか。僕は……自分の弱さとちゃんと向き合ってこなかった僕には、それが分からない。ただじっと、震えた声が独白を続けるのを見守るだけだった。
「成果は上々。ロイドさんは……義足の件は想定外だったけど、私を街の長として扱ってくれた。アンタだってそう。私の、市長の在り方について疑問を抱いても、私が市長だってことには疑問を持たなくなって。こうして馬鹿な小娘の道連れになろうとしてる」
それは……そう言われてみれば。初めはこんな少女にそんな大役が? と感じていた筈だ。
「でも! でもね、分かったの。ここは私の居場所じゃない。アンタが呆れて出て行っちゃった時、胸が苦しかった。またひとりになるんだって。別にアンタ以外にも私を市長って呼んでくれる人はいるのにね」
次第に嗚咽を漏らし始め、しがみついている手を握れば冷たくて。ああ、そういえば僕も彼女に打ち明けること——謝ることがあるんだった。僕もその時こんな風に、緊張したり怖くなったりするのだろうか。
「だからね、今はアンタさえいてくれれば怖くない。怖くないけど、やっぱりさみしいから。私は、本当の意味でこの街の一員となる為にこの街を離れようと思う。きっと立派に、お姉ちゃんみたいな市長になれる様に。色んなものを見てみたいの。だから、ごめん。ちょっとだけ付き合って」
「……わかった。その代わり、危ないのは無しな」
背後で小さな笑い声が聞こえた。手は離れていって、僕がゆっくり振り返る頃には赤い目で笑うミラが座っていた。
「ごめん、そんなわけだから。お給料は帰ってくるまで待ってね」
「おいおい……やっぱり出ないのね」
「出さないわけじゃないわよ。でも、今は財源も無いし。事実私達は何も仕事してないんだから」
仕事してない。仕事して……ない……か。僕なりに色々頑張ったんだけどなあ。あれも全部おままごとだった……なんてオチがつくとは……
「はぁ、いいよもう。別にご飯食べるくらいしか使い道もないし」
ゲームもアニメも漫画もないしネ。うん、それはそれとして……
「…………ところで、さっきの。ちょっと愛の告白っぽくてドキドキしたんだけど。ちょっと付き合って、のとこだけもう一回……」
ああっ! クソ! 忘れてた‼︎ 彼女は暴力系ヒロインだ‼︎ そんな第一印象を思い出したのは、鉄拳が顔面を凹ませてからのことだった。