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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第四百九十六話


 右手がこそばい、そしてたまに痛い。

 原因ははっきりしてる、毎度お馴染みがじがじミラちゃんです。

 さて、僕らは王様に鍛錬の感想とこれからの抱負を語るなんてなんだかちょっぴり学生っぽいイベントを終えて、少しの間の何も無い時間を迎えていた。

 何も無いっていうのはまあ……ちょっとした比喩というか。

 ロダさんから明日の予定ももう聞いた、ご飯も食べた。王様も来た……というかもうなんなら帰った。

 そして……眠るにもまだ早い時間だった。

 ちょうど何もしなきゃいけないことが無い時間。自由時間なんて呼んだらこれもまた学生っぽいだろうか。

「んー……あー…………えーっと…………いでっ」

 いつもなら早めに寝ちゃうかなんて言ってミラを布団まで運ぶのだが、今日はそのミラから提案があったのだ。折角だから文字を覚えなさい、と。

 うん……本当にごもっとも、むしろ今更感すらある。

 けど、諸々の事務作業を僕が担当するって決めた以上は避けられないよな。今朝も報告書書くのに手間取ったし。

 そんなわけで、分かんないところがあったら教えてあげるから。と、なんとも頼もしいことを言って、そばで寝転びながら本を読んでいたミラだったが…………

 手近なとこにいるからさ、手持ち無沙汰解消に頭とか顔とか背中とかお腹とか、とにかくそこら中撫で回してたらスイッチ入っちゃって。

 今は僕の腕を両手両足でがっちりホールドして、手のひらをかじかじと甘噛みしている状態。

 たまにちょっと強く噛むくらいで、もう微動だにしない。

 慣れたし、可愛いから良いけど…………お前どんどんペット感増してくよな。

「……その内吠え出したらどうしような。夜行性じゃないのが救いか」

 手を動かすたびにあぐあぐと必死に追い掛けてくる姿は、おもちゃで遊んでる犬か猫みたいにも見える。いや、犬か猫にしか見えない。

 殆ど無いに等しい可動域で上手に噛み付きを躱しつつ、喉やらほっぺやらを撫でられた時の達成感。いかん、全然勉強に身が入ってない。

「はあ。これで立派な勇者に……市長になれるのかね。いてててっ……こら、強く噛むなよ」

 ギャップがね。

 そりゃ昼間のビシッとした姿を見れば、コイツ以上に勇者にふさわしい者もいないと思えるんだけど。

 どういうわけかすぐに甘えん坊に戻っちゃうもんだから。

 最近はちょっとだけ落ち着いてたんだけどな、この甘えグセも噛みグセも。寝てる時は除いて。なんかあったのかな、今日。

 鍛錬……騎士の人達と一緒に走り回ったのが思いの外楽しかったとか。

 ありえる……お外で走り回ってるタイプの子供だからな、コイツは。

 インテリぶってるけど、実際泥んこになってはしゃいでる方が似合ってるだろ。

「ぐむ…………ぐぁ……あむ。むぐ…………んむ? んふふーっ」

「お前なぁ……よだれでべちゃべちゃじゃないかよ……はあ。噛む力がどんどん弱くなってくな、もうおねむか。よしよし、じゃあ今日は寝るか」

 ちょっと。あんまり進まなかったんだけど。

 時間にして三十分ほど、小学校の授業より短い。

 変なスイッチ入ってなきゃもうちょっと起きてられただろうけど、はしゃいで身体があったかくなって。で、寝転んで頭を撫でられたりして。

 眠くなっちゃうよな、しょうがないよ。お前はまだそうやって可愛い可愛い妹でいてくれ、お兄ちゃんっ子のまま小さいままで。

 とろんとした顔しておいて腕から離れる気配の無いミラを無理矢理抱き上げて、僕はちょっとだけ乱暴に布団まで運んで一緒にシーツを被った。

 ち、違うよ。腕が不自由だったからちょっと乱暴になっちゃっただけだよ。そんなに睨むなよ…………


 目を覚ましてまず最初にしたことは、カレンダーとシフトの確認。

 今日は……水曜日、祝日とかも無し。よし。

 何がよしかって? そりゃアンタ……決まってまさぁね。

 二度寝ですよ、二度寝。ちょっとばかし久しぶりな休みだ、それはもう死んだように寝るぞ。ああ寝るぞ、俺は寝るとも。

「………………そういう…………わけには…………ひぐぅ……いかない…………ぐぐぐ……」

 本能が……っ! 本能が叫んでいる……っ! 眠れ、と。

 義務は無いんだ、休みの日にまでわざわざ早起きする義務は無いんだ……っ。

 だから……眠れ……っ。二度寝…………快楽に……悦楽に沈め…………っ。

 堕落しろ、そう本能が叫んでいる。

 だが……そういうわけにもいかないのだ……っ。

 ちゃうねん、勇者がどうこうとかもあるけど、そんなのちゃうねん。

 もっとこう……身近と言うか……いや、一応僕自身の問題を身近でないと言ってしまうのも変な話だけどさ。

 あの、あれよ。こっちの世界の、って区切りをするとさ? うん、ちょっとだけ遠く感じると言うか……こっちの僕にとってもっと大きな問題があると言うか……

「…………くぅっ……やられた……っ。花渕さんめ……」

 昨日食べたご飯が美味しすぎたんだよぉぉおおおっ!

 あれを花渕さんが……僕と似た境遇にある花…………ち、違うってば! 別に女子高生とおっさんの価値を同等になんて見てないよ!

 年齢がそのまま境遇の差に繋がることも承知の上だよ! そうじゃなくて!

 同じく日々の過ごし方で悩んでいるあの子が、あれだけのスキルを見せてくれたんだ。否応にもやる気が出るってもんだ。

 見栄を張りました、はい。

 やる気を出さなきゃ…………負けじと頑張るくらいの気概を見せなきゃ……人として終わってるって…………っ。

 僕の中の余計なプライドとか対抗意識みたいなものが、これ以上の堕落を許さない。

 そんなものあったの? その割には随分な二十代だったね笑笑とか言ったらマジで怒るからな。そんなの僕が一番分かってるんだよおぉ……

「……よし。やらなきゃ、継続しなきゃ意味無いもんな」

 朝っぱらから中華生活は正直キツイ、でもいつまでも母さんの朝ごはんに甘えてばかりもいられない。

 せめてローテーションに僕を混ぜて貰えるようにしなくちゃね。

 その為にも、まずは自分のご飯くらい自分で準備しなくては。

 全員分作らない以上、結局は母さんも作る羽目になるんだけどさ。

 まあ……無理矢理にでも練習の機会をねじ込まないと、一生このままだし。

「何にしようかな……うぐ……正直朝から中華は本当にキツイしな。若くないんだな……もう……っ」

 もっと運動してたりしたら違うんだろうな、兄さんは朝からでも割とガッツリ食べるし。

 ガッツリ……油分と塩分の摂り過ぎも倒れた原因なんだけど。

 よし、兄さんが食べることも想定した朝ごはんを練習しよう。

「……ざるうどんにするか。うどんはもう一回失敗してるし、反省点も洗い出した。涼しくなってきたとは言え、朝のちょっと乾いた口には冷たくてするする食べられるうどんはぴったりだろう」

 レパートリーねえなあとか言わない、事実だけど。

 うどんは良いのだ、とても。何ってもう茹でたら出来るもん、乾麺最高。冷凍麺万歳。

 薬味とか無くても美味しいしね。チューブの生姜とつゆだけあれば困らない。

「……お、アキ。最近早起きだな、今日は何作るんだ?」

「おはよう兄さん。今日はうどんにしようかなって。折角ならみんなの分も茹でちゃって良いかな?」

 そうだな。と、兄さんはキッチンの引き出しの奥の方から大きな鍋を引っ張り出しながらそう言った。そ、そんなのあったんだ。

 大きな鍋……と呼ぶにもちょっとばかし大き過ぎるような……?

 僕の準備した雪平鍋の倍はあろうかという鍋に水を張って、兄さんはそのままコンロに…………ちょっと! 僕がやるの! 子供か。

「そんな鍋あったんだね……もしかして、みんなの分を一気に作るときはそれで?」

「ああ……まあ、そういう意味もあるけどな。乾麺はくっ付くだろ、小さいのでやると。パスタでもそうめんでも、まあうどんでも。大きい鍋でお湯を多めに使うもんだ」

 そういうの…………先に言おう……? 前回そんなものがあるとはつゆ知らず、ふつーうに雪平鍋で作っちゃったよ。

 しかも、前回の吹きこぼれの件を気にしてちょっと水少なめに準備してたよ!

 ちくしょう! 誰だ! うどんなら茹でるだけとか言ったやつ! 僕だ! もう! この無能! 穀潰し! 三十路童貞! うぐ…………自虐ですら胸がぎゅううってなる……っ。ふぐぅ…………

「冷凍の麺と違ってそれなりに深くないと、柔らかくなる前に鍋の縁で焦げたりすることもあるからな。

 お湯の量もどうしたって多めに必要になるから、小さい鍋じゃ吹いちゃて危ないんだよ。

 そういうわけでそっちの鍋はつゆでも作るか。それとも冷たいうどんの予定だったか?」

「あー、うん。一応。でも……そうだね、今朝は涼しいし、あったかいのにしよう。なら水は一回捨てたほうがいい…………のかな? え? うどんのつゆ……あったかいのってあのストレートのやつ使う……んだよね……?」

 希釈するめんつゆがあるだろ。あっちの方が美味いぞ。と、なんだか物議を醸しそうな発言をしながら、兄さんは冷蔵庫からちょっと大きめのペットボトル容器を引っ張り出した。

 一リットルくらいある……のかな? 僕が出したストレートタイプのが…………えーっと……うん、五百だから、倍くらいはある。

 え? もうそんなの業務用じゃん。うちってそんなにめんつゆ使うの?

「………………うどんのつゆとかも出汁から作ったり出来るんだろうか……」

「昔凝ってた時はやってたな、母さんも。なんだ、料理に目覚めたか?」

 やってたんだ…………ってことは、昔部屋で食べてたうどんとかはお出汁から作ってたってこと? おおふ……そんな身近にサンプルがあったとは。

 多めのお湯はなかなか沸騰しなくて、その間にも僕は兄さんに花渕さんに食べさせて貰った料理と、いつも店長に食べさせて貰う賄いの話をした。僕の大切な場所の、大切なものの話を。


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