第四十九話
これで三度目だがまだまだ慣れない。廊下の装飾だとか調度品が、と言うのもあったが、靴が床を打つ音以外何も聞こえない空気の重さ、厳かさが僕の肌を刺すかの様に感じられた。
「……随分早い再開となりましたね」
「え? ええ……そうですね」
珍しく、というか、今日の昼に一度会った時以外は全て業務連絡しかしていなかったのだが、ダリアさんの方から僕に——そう、ミラではなく僕に話しかけてきた。だから僕はテンパって、しょうもない、話の広がらなさそうな返しをしてしまった。なるほど、これがコミュ力……っ!
「では、すみませんが先に市長様」
「え? あっ、そうでした。すぐに着替えてきます」
神殿に入ってすぐ、ダリアさんに指摘されてミラは急いで別の部屋へと走っていった。きっとこれも神殿の謎の一つなのだろう。と、流してしまってもいいのだが……ううむ。どう見ても前回来た時と間取りが違う、前回は廊下の途中に扉など無かったし。あんな一本道に案内人がいると言うのも、そういうことなら納得出来るだろう。いや、全く納得出来ない。断じて納得してはならない理不尽が起こっているように感じる。
「…………あれほど……」
「……ダリアさん?」
ぼそりと何かを呟いたダリアさんの方をふと振り向くと、彼女にものすごい剣幕で胸倉を掴まれ壁際に追いやられた。
「なっ! ダリアさん⁉︎」
「あれほど念を押したはずですが。六日後に、と」
それは怒りの感情だろうか。いや、疑問に思うまでも無い。彼女は間違いなく僕に憤っている。初めて見る彼女の感情が反映された表情は、眉間にしわを寄せ僕を今にも絞め殺さんと言わんばかりに睨みつける激憤の表情だった。
「……失礼。八つ当たりですね、これでは」
しかし、それもほんの一瞬のこと。彼女はまたいつもの無機質な表情に戻って、僕の乱れた襟を真っ直ぐに直してくれていた。
それから少しするとミラが戻ってきて、彼女の姿を見るやいなや頭を抱えたダリアさんがもう一度扉の向こうへ連れていった。そしてすぐに、今度こそキチンと着飾った彼女を連れてまたダリアさんは戻ってくる。正直、ミラ一人で着付けと化粧が出来るとは僕も思っていなかったが……
「では、粗相の無い様に」
なにか見透かされているかの様に釘を刺され、僕らはまた地母神様と神官の待つ部屋へと通された。そして、二人の前にずいずいと躍り出たミラと老爺が対峙する格好になる。
「効果はてきめんだったようだ。残念ながら」
「はい、残念ながら」
おや…………? ちょっと待って欲しいのだけど? 僕に色々言ったくせに随分不敵というか……全くかしこまる気がないぞこの娘!
「神官様。この度は二件の報告に参りました。あ、いえ。三件ですね、失礼しました、三件の報告に」
全く! 全くかしこまる気も敬う気もない‼︎ あんなに! 散々! 気を揉んでいたくせに⁉︎ もしかして彼女は壊れて……というか吹っ切れて開き直って……
「申すが良い」
「はい、まず一件目。私はこれから王都に向かおうと思います。星見の巫女様からの使いが来たことはどうせご存知でしょう」
ちょ、ちょっと! 僕はミラの手を引いて二人から距離をとった。いくらなんでもマズイだろう。僕と違って一応立場のある人間なんだから。と注意したのだが……
「いいのよ、もう。いいの」
そう言って彼女は僕の手を振り払ってもう一度老爺と睨み合う。
「二件目、私はそのまま。貴方の望む通りこの街を出ます。さようなら」
だから言葉づか……っ⁉︎ ちょっと今なんて言った⁉︎ この街を出る⁉︎
「三件目。市長の肩書きは返します。結局、何もさせてはくれませんでしたね」
「……二言は無いのじゃな」
彼女は黙って頷いた。待て、待て待て! 待ってくれ! 僕の知らないところで話が進みすぎている‼︎ 街を出る? 市長を辞める? 馬鹿言って……ああ! もう!
「ではこれで。身元がわかる物を持っていきますので、届いた骨は好きにしてくださ——」
僕は物騒なことを言う彼女に背後からドロップキックをかました。かましたのだが、残念。攻撃は外れてしまった。僕は思い切り尾てい骨を強打して、あまりの痛みにその場でのたうった。
「何してんのよアンタ。地母神様の前よ」
「痛っっ〜〜たッ! って、それはこっちのセリフだよ! あんだけ散々! 人に神前だとか色々言ってたくせに! なんだその態度は!」
尻をさすりながら、涙をこらえながら食ってかかる僕に、彼女は大きくため息をついた。そして信じられない程悪態をついて言い放つ。
「別に神様なんて信じちゃいないわよ。市長も辞めるし、街も出てくし。もう信心深いフリする必要も、神官様の機嫌を窺う必要も無いの」
「なっ⁉︎ なんて女だ!」
逞しいと言うかなんと言うか。しかし、これは一体どういうことだ。だって彼女はこの街が好きで……ああ、クソ! 今日だけでいっぺんに色々起きすぎだ! 情報が氾濫している!
「とにかく、私はもうこの街にいる必要も無いし、私にもこの街は必要無い。アギト! アンタは付いて来るわよね? 付いて来なさいよ? 付いて来るの!」
「めちゃくちゃだ! どうしたんだよ! 何に拗ねてんだ!」
ボイチャの癖というか、煽りワードの一環で癖になっていた、何気無く口にした“拗ねている”という単語に、彼女は動きを止めた。さっきまで饒舌だった口もうまく回らなくなって……ああ、そうか。図星だったんだ。
「す、拗ねてなんか……拗ねないわよ! なんで私が拗ねるのよ! すっ……バカ! バーカ‼︎」
「ちょっ……えぇ……もう。落ち着け落ち着け。ほら、拗ねないの」
磨き上げに磨き上げた煽りスキルがこんなところで活きるとは。彼女は文字通り顔真っ赤になってバカとかアホとか、本当に子供みたいな悪口ばかりが飛び出してくる。ああ、彼女はこれまで人を蔑まず生きてきたんだなあ。と、煽り合いに勝っているのに、とても虚しく悲しい気持ちになった。
「ほら、どうどう。子供じゃないんだから……おっと、まだ子供だったな」
「ムキーーー‼︎」
はっはっは。どうだ! レスバトルで僕に勝てると思うなよ! 半年ROMれ! とはもう聞かなくなったな。しかし、なんというか。子供っぽく拗ねている彼女を見て理解する。さっきまで頭をどれだけひねっても分からなかったが、うん。この感情は知っている。僕の人生三十年は一体なんだったのだろうか、とか思わなくもなかったが……仕方ない。子供みたいな癇癪くらいしか、積み上げたものがなかったんだから、仕方ないんだ!
「で、ミラは何がしたい?」
「はぁ⁉︎ だから! お飾りの市長なんて辞めて! こんな街出て! それで……」
これは本当に、散々通った道だからわかる。かれこれ十年以上往復していたのだ、この道のプロと言って差し支えまい。彼女はどうしたらいいか分からないんだ。やりたいことがあって、でも理想は今の自分には大き過ぎて。逃げたと言われたくなくて、でも真っ向からぶつかる度胸も……彼女はこれまでぶつかってきたのだから度胸はあったのだろう。
「それで?」
「……わかんないわよ…………」
ああ、思春期だなあ。と、自分のことを棚に上げて感じ入ってしまう。彼女のこの行動には何も裏付けが無い。ならば大人の僕が諌めなくては。投げ出してしまった、その先を知っている者として。
「ミラ、も一回聞くぞ? 何処で、何がしたい?」
「…………この街で。アーヴィンで。皆と……」
ミラは恐る恐る声を出しているように見えた。そうだろう。怖いんだ。それを否定されることが二番目に怖くて、それを自分で否定することが一番怖い。だから、夢なんて投げ出してしまいたくなった。結局彼女はまた泣き出して、それでもちゃんと夢を口にした。
「——立派な市長になりたい————」