第四百六十一話
明日は昨日討伐任務で訪れた湖へもう一度調査に向かうようにと命令が下った。きっとマーリンさんから話が伝わっているんだろう、水棲魔獣の危険性があるかどうかを調べに行くのだ。
そのついでと言ってはなんだけど、討伐した魔獣の住処の経過確認。
本当にキチンと処理出来ているのか、その後すぐに別の魔獣が住み着いてやしないか。或いは僕らが手を加えたことで、競り負けて追い出されていた魔獣が帰って来てやしないか。
倒したから終わり、解決したから大丈夫……なんてのは無し。流石に王宮預かりの仕事だ、そんな乱暴ではいけないってわけか。
「さて……お前はどう思う? ロダさんの言ってた色んな可能性、どれが一番確率が高いか」
「そりゃあ、何ごとも無い平和である可能性が一番でしょう。願望や見栄の話じゃなくてね。あの場所には確かに狼型の痕跡ばかりだったわけで、あの古代蛇に関しては本当の本当にイレギュラー…………そうね、間抜けな言い方だけど、あの魔獣達もあんなのが住処のすぐそばに眠ってるなんて思ってなかったんじゃない? 綺麗に穴の中に埋もれてたし、湿地で臭いもうまく誤魔化されていたんでしょう」
何ごとも無い、か。確かにその確率が一番高い。
あの時動員された騎士の数はフルトの時にも劣らない。広い林とは言え、あの人数がしらみつぶしに探し回って駆除したのだ、そう簡単に逃げ延びられやしない。
何より、魔獣の捜索能力に長けたミラが前線に出たのだ。取りこぼしはそう考えられない。
これは何も過信ではなく、魔獣の性質を考えるとそうなってしまうという話だ。
普通の獣は脅威から逃げるが、魔獣はとても好戦的で、むしろあっちから襲い掛かってくる。
これまで見た魔獣の殆どがそうだった。だからこそ危険視されているのだし。
「もし他の魔獣が住み着いたとしたら、それはきっと他所から来た魔獣じゃないわね。元々住んでいて、ただ見えない場所に隠れていたってだけの話。地中だとか、それこそ問題になってる水中だとか」
「……でも、そんな地中に潜んだくらいじゃお前は見落としたりしないだろ? どういうわけか下から急襲された記憶ってないんだよな。いや、まあ襲われてはいるんだけど……気付かないうちにってのはほぼ無いと言うか……」
ガラガダの一件で警戒してるからね。と、ミラはなんだか渋い顔をしながらそう答えた。ああ、そういえばそんなこともあったな。
蛇の魔女には、地中……とは少し違うけど、地盤を……巣穴をズラされ組み替えられてしまって、僕らはあっさり分断されたんだ。あれは本当に生きた心地がしなかったよ……
「となれば……まあ、順当にいけば何ごとも無いのが普通なのよ。そもそもあの場にいた全員が魔獣退治を専門……専門とまではしてなくても、その生態をかなり熟知している人ばかりだった筈よ。そんな手練れが揃いも揃って見落とすだなんて、それこそやっぱり……」
「……今までに無いケース、水中にいる魔獣か。成る程、なんとなく納得したよ。最悪の可能性を確認しつつ、ついでに唯一の危険性も潰しに行ける。反対に、それを怠れば安全の確保は全くなされていないのと同じだもんな」
もっとも、もし水棲魔獣が見つかっちゃったらもっと問題は大きくなるんだけどね。
はあ……ちょっともう嫌になってきた。どうかそんな魚型魔獣とか……魔魚とか見つかりませんように……っ。いや、魚っぽいやつとか蟹みたいなやつとかはもう見てるんだよな。はあ……
「……それより、ちゃんと考えときなさいよ。自分から言い出したんだから、中途半端は絶対に認めないからね」
「っ。わ、分かってる。えっと……昨日はボルツを出発して……ボーロヌイに着いたところまで話したんだっけ」
ぐっ……ちょ、ちょっと。緊張する言い方やめてよ。
昨日の反省を活かし、僕らはいつ王様が来てもいいように部屋の準備を整えておいた。
お茶はお湯を沸かし直せばすぐに淹れられる。お茶請けに少し辛い胡椒の利いたビスケットも用意した。それに乗せるベーコンとチーズもしっかりバケットに入れて控えてある。
まあ……どっちもキッチンにあった軽食をちょっと綺麗に盛り付けただけだけどさ。
いつもなんの躊躇も無く床に座ろうとする王様には心臓が止まりそうになるから、先んじていつも座ってる場所に一番良い椅子とクッションを配置した。後は話し手……僕の準備だけだ。
「いい? 余計なことは言わないこと。ちょっと和ませようだなんて思って失敗談を持ち出すのは悪手よ。そりゃ王様は笑ってくださるでしょうけど、その結果王様は私達を面白いジョークを聞かせてくれるふたり組ではなく、失敗すらも臆面無く口にする間抜けと捉えてしまうかもしれない。ちょっと気の利く芸人程度の認知の為に、そんな無駄なリスクは負わないように。分かった?」
「うぐっ……お、おう……」
そ、そんな……っ。初めて見る海に興奮して後先考えずに飛び込んだカナヅチミラちゃんの間抜けな一幕を話そうと思ってたのに……っ。なんでバレたんだ……
「……って、その割にお前は話してたじゃないか。その……路銀が無かったとか、付け上がった結果俺が噛まれたとか……」
「そうよ、私は話したわ。それはあくまでも自分の失敗談、そしてそれが今成長の糧になったって話をする為の前フリとしてね。アンタ、どうせ私が泳げなかっただとか、船が怖くて震えてただとか、そんなくだらないこと話すつもりだったんでしょう」
ぎくーっ⁈ な、なんでそんな本当にしっかりがっつりバレてんの⁈
うう……子供らしい一面もあるんだよ、ちょっとだけ抜けてるけど、そこも愛せる可愛らしい妹なんだよって話をしようと思ってたのに。
しかし……うむ。これについてはいつかもうひとりの少女に言われた話を思い出すな。
自虐ネタは、結局誰かがいつか傷付く未来を呼び込んでしまう。この場合は……ミラの信用だとか、プライドだとかを損ねかねない。それは確かにダメだ、うん。
「そうなると…………えっと、あの男を探して聞き込みを続けて……船のことを教えてもらって…………」
「客観的に話そうとしてもアンタには無理よ。アンタは基本的に自分の感情が思考回路の八割を占めてるんだから、自分を切り離して話をするのは無理。自分が見て、聞いて、感じたものをそのまま話しなさい。堅苦しい形式ばった話し方にこだわる必要は無いわ」
な、なんでお前そんなに頼もしいんだよぉ……追いつけねえ……ぐすん。
けど……その話はとっても理解出来た。僕はいつだって自分の感情に素直に生きて来たからね、良くも悪くも。
そんなのでいいの……? って気持ちはもちろんあるけど、ここはひとつ可愛い妹……いや、頼れる市長様を信じてみよう。
「——たのもう」
「っ! いらしたわね……いい? ちゃんと胸を張って、顔を見て話すのよ? 分かったわね?」
僕が頷くのを見届けると、ミラは慌ててお待ちしていましたと返事をした。
すると、ゆっくりと開いた扉の隙間から、ちょっとだけ意外そうな表情をした王様が顔を覗かせた。
「待っていた、か。其方達にとっては安寧を壊す厄介な嵐のようなものだと思っておったがな。見かけの割に世辞が上手いのか、それとも余が思っている以上に肝が太いのか」
「いえ、その……お世辞ではなく、王様を相手に話をする機会など他には有り得無い貴重な体験ですから。折角王都に、王宮に来たのです。どんなことでも貪欲に糧にしていかなければ、期待してくださったマーリン様に合わせる顔がありません」
そうかそうか。と、なんとも殊勝なことを言ったミラを、王様はにこやかに見つめていた。そして、昨日までとは違う部屋の様子に僕らの覚悟を受け取ってか、ニンマリと口角を上げて椅子に腰掛けてくれた。
「そうか、三日目でここまで。危機への対処は早い方が良い。やはり巫女は良い目をしておる。未来を見通す力など関係無く、人の性質を見抜く直感のようなものに長けておるわ」
「その言葉が買いかぶりにならないよう精進します。今お茶を準備致します、もう少しだけお待ちください」
すっかり慣れた……わけじゃないんだろうな。それでも全身全霊で王様をもてなそうと張り切るミラの姿に、否応にも僕の気合もバリバリ入る。
そうだ、僕はマーリンさんとミラのふたり分の期待を背負っている。僕がミラの負担を軽くする為にってこの役割を志願したのに、逆にちょっとでも負担を減らして話をすることだけに集中出来るよう気を使ってくれている。良い妹を持ったよ……僕は……っ。
よし、次は僕の番だ。良いお兄ちゃんがいて幸せだって思って貰えるように……この人なら一緒に戦う勇者として不満は無いって思って貰えるように。すーはーすーはー……うう……胃が痛くなって来た……
「お待たせしました。その……元々お部屋に準備して頂いていたもので恐縮なのですが、お茶受けもよろしければどうぞ。とても良いチーズですね、これもやはり王都の酪農家が作られた物でしょうか」
「……もてなしは良いと言っておろうに。客人ではないのだ、そう作法をうるさくつついたりはせぬ。しかし……そうさな。その心遣いはしかと受け取るべきだろう。では、遠慮なく」
ミラがお茶と一緒にお茶請けを差し出すと、王様は少しだけ困った顔で、でも納得したって顔でそう言った。そして、ビスケットにベーコンを乗せると、大きな口を開けてかじり付く。
「……うむ、やはり美味い。このチーズもベーコンも、それにビスケットも。茶を淹れるための陶器も、手を拭うエプロンに至るまで、全て王都とそれを取り囲む無数の街々で作られたものだ。余の作り上げたこの国の、この王都の、自慢の品々と言うわけだ」
ざくざくとしばらく咀嚼すると、王様は満足げな顔でそう言った。なるほどたしかに、お茶も衝動のご飯もどれも美味しかったし、この軽食だって美味しそうだったもんな。王様としては、全部自分で育てた……育つように頑張った成果なわけか。
「勿論、輸入品……外国の物資を全く受け入れていないわけではない。むしろ貿易は盛んにしておる。しかし……それは市民の生活を豊かにする為のもの。王は……王宮は、出来るだけこの国のもたらす恵みのみで成り立たせたい。建物の壁材も、柱も。外国の鉄鋼を使えばもっと頑丈に、簡単に補修することも出来よう。しかし、王宮だけは……この国の象徴であるこの場所だけは、全て民の流した汗の染みたもので満たされていて欲しい。余はそう考える」
王様の言葉に、きゅっと息が詰まった。
この人は今、王都とそれ以外の街と区別した。それはきっと、ユーゼシティアとそれ以外の王都を名乗る街のことではない。
王都……王宮。国の中心であるこの都と、この国の全ての街や村。区別して、区別したからこそきっと全てをひとつとして考えている。
別にそうやって説明されたわけじゃない。ただ……王様は自らを大工だと言った。国という大きな家を建てる建築家であると。
ならば……きっと、王都という部屋とそれ以外の部屋を区別する理由は簡単だ。どこが一番玄関に近いのか、きっとそんな単純で変えようのない違いだけ。
この人は本当にこの国を……国という単位で人々を見ている。
それを冷たいと言うのでも、傲慢だと言うのでもない。
僕が抱いたのは、この人の見据えるものの大きさと、それを見るだけの視野の広さへの恐怖と憧れだった。




