第四十六話
ダリアと名乗る神殿で二度僕らを案内してくれた女性は、今日はあの大胆なドレス姿ではなくシックな修道服に身を包んでいた。地母神様に仕える身であれば、なるほど彼女の服装としてはこちらの方が得心がいく。
「では、手短に。こちらがこの度の報酬です」
業務的なその言葉と共に、彼女は無造作に手に提げていたえんじ色の巾着を手渡してきた。手に取った時のズシリとした感覚にはどうしたって心が昂ぶる。
「それでは六日後、また神殿にてお待ちしております」
彼女は言葉を交わすつもりは無いと言わんばかりに、僕のお礼にすら眉ひとつ動かさず、袋を渡すやいなや踵を返してスタスタと歩いて行ってしまった。綺麗な人なのだが、その近寄りがたい感じはどうにも苦手である。それこそお礼の言葉すらどもってしまって、キチンと伝えられているか怪しいほどに。
「……それにしても結構ズッシリ。一体いくら……」
「やめなさい、はしたない」
硬く縛られた巾着の口を解こうと手をかけたところで、ミラに待ったをかけられる。彼女も彼女できっと気になっているくせに。とは口に出さず、言うことを聞いて袋を握ったまま僕らは市役所に入った。
「ただいま」
ああ、おかえり。まだ慣れないこのやり取りも、きっといつか日常の普通に溶け込むのだろうか。今、平然と二人分の生活を両立しつつある事にそんな考えを持たされたが……どうだろう。いつまで経っても気恥ずかしいままな気もする。家に入るなり急かし始めた現金主義で外面を気にする彼女を、急いで部屋までお連れした。
「さあ、如何なものか……」
「アギトアギトっ。私ね、カステールシェフのイチゴのケーキが食べたいの。ああ、でもりんごのタルトも捨てがたいし……」
「いやいや、そんなケチケチせず両方腹一杯食べられるくらいの額が入ってるかも……なんだ、これ?」
袋から出てきたのは数枚の銀貨と……綺麗な鉄塊……? 何か……部分部分で赤く煌めくその金属は鉄では無さそうだが……なんだろう、取り敢えず金属塊だ。え? 銀貨数枚の価値は、僕らの安い昼食代数日分程度でしかないのだが? となれば、この塊に何かを期待しなくてはいけないのだが⁉︎ ちょっと待ってくれ! これ本当に価値があるものなんだろうな⁉︎
「なんだよこれ……宝石の原石とか……? ん、これなんか……彫って……」
「——もうしまって。もう、私の前で取り出さないで」
ベタベタと触っている時、僕はそれの表面に何かが刻み込まれている事に気付いた。そして彼女はその事にとっくに気付いていたのか、さっきまでとは対照的に酷く冷たい——寂しそうな声でそれを切り捨てた。
「……ごめん」
「あ、いや。残念だったな。でもケーキくらいなら俺が食わせてやるから」
ぎゅうと抱きつく力が強くなったのが分かった。僕はそそくさとそれをまた巾着に戻して、慰めるつもりでそう言った。ミラは笑って、期待してる。と言ったが、その声は震えていた。袋越しに感じる金属のゴツゴツした感触に疑念ばかりが大きくなる。
「……それじゃ、俺は外に出てくるから」
巾着を彼女の目につかぬ様ポケットに無理矢理ねじ込んでゆっくりと立ち上がる。そしてまた布団に彼女を降ろして、僕は彼女の代わりに街へと繰り出していくのだ。
「行ってらっしゃい。本当、迷惑かけるわ」
「良いって。昼にはまた帰ってくるから」
彼女の仕事鞄を肩から提げて、僕は彼女の部屋を後にした。ええと、今日は農場を回って収穫量と税の確認と。それから荒れてきた車道の下見、修繕見積りと……ええい! 多い!
「日が暮れるな俺のペースだと……」
仕方無し。と、僕は走り出した。
農場を回り始めて三件目。広場で見かけた日時計によると時刻は午前十一時、家を出てからもう三時間は歩き回っただろうか。そういえば。と、うっかりしていた事を思い出す。彼女を連れて昼食をとる以上、少し早めに行動しなければ。移動する時間も、食べる時間も倍なわけだし、いくらあの食堂に客がいないとは言え、何も羽織らない二人羽織スタイルでの食事はあまり混雑する時間にはしない方が良いだろうし。いえ、本当に混雑しているのかと聞かれると……やめよう。
僕はさっきまでよりも速く走って帰路に就いた。彼女のことだ、あまり遅くなるとお腹が空いたと文句まがいにからかってきそうだ。
「ただいま」
二十分も走ると、息切れもそこそこに帰宅することが出来た。この身体には、足場の悪い洞窟の中を走り回れる程度には体力がある。化け物達に振り回されていた所為で自信が無かったが、秋人の時に比べて出来ることの幅が非常に広く感じて……若さって偉大やな、って。
「ミラ、入るぞ。入るからな」
コンコンとドアを叩いていつも通り二度念を押した。眠っていて返事など無いと言うのが僕としては理想だったのだが、残念なことに部屋の中から何かを落としたような大きな物音が帰ってきた。あんまり早くに帰ってきたもんだから驚いて何か落とし……?
「…………ミラ?」
急いで開けたドアの先には、椅子の上で目を丸くしてこちらを見つめているミラの姿があった。床には真っ黒なインクが撒き散らかされ、さっきの音がインク瓶を落とした音だと言うのがわかる。
「あ……アギト。えっとね、これは……」
どうやら彼女は僕が言わんとしていることが理解出来ている様で、申し訳無さそうなと言うべきか、焦った表情で珍しく僕から目を逸らしてなんとか取り繕おうと嘘を探しているように見えた。それは文字通り、嘘がバレた時の子供の反応だった。
「……ミラ」
僕は別に叱りつけようとかそんな意図があったわけじゃ無かった。それでもついキツイ口調で彼女の名前を呼んでしまったからか、ミラはビクッと肩を震わせて俯き押し黙ってしまう。
「……アレ、一体なんなんだ?」
彼女なら目を離した隙に何か勝手をやらかすだろうなとは思っていたのだが、それは動けるようになってからの話だ。支えて貰って歩くのがやっとで、一人で立ち上がることなんて出来る状態でない今なら動きたくても動けまいと。それでもこうなったと言うのなら、何か彼女を突き動かす外的な要因があったのではないか。と、それを僕は彼女に尋ねた。
「…………アンタには……関係無いわ」
「……そうかよ」
だから、その返事はとても受け入れがたいものだった。僕はようやく顔を上げた彼女に、背を向けて部屋を後にした。待って——と、消え入りそうな声が聞こえたのにも気付かないフリをした。
彼女と薄い壁一枚だけを隔てた自分の部屋になんて戻る気にもなれず、僕は当てもなくブラブラと歩き出した。ああ、彼女を昼ごはんに連れて行かなくては。なんて、今になっても考えてしまう能天気さと彼女への依存度の高さに辟易とする。ポケットから引っ張り出した巾着からあの金属塊を取り出して、陽の光に照らされさっきよりもずっと綺麗に輝く宝石の様なそれに、僕は心奪われ夢中でくるくる回したりして輝きを楽しんでいるフリをした。それはあまりに空虚で、余計に彼女のことばかりが頭に浮かぶ原因になってしまった。
「…………これ、文字か? ハー……クス……?」
指でなぞっていた時とは違う、明るみに出してみてようやくそれがなんなのかを理解する。彫られた溝にうっすら影が出来て、それが拙いながらも文字である事が、そしてそれが名前を意味していると理解して……
「……レア……ハークス…………?」
ざざ——っと、ノイズの掛かっていた記憶が一瞬で鮮明になる。いつかボガード氏に聞いた話。そして街中の人から聞いた話の違和感。
これは、何処にも存在していないと思われた彼女の家族についての手掛かりであった。