第四百五十六話
和気藹々と馬車に揺られて、僕らは帰ってきた。
王都ユーゼシティア、その中心にそびえる王宮。その姿を僕は“初めて”目の前にして、足を震わせて立ち竦んでいた。
「行くわよ、アギト。気持ちも分かんなくはないけどね」
「……分かるならちょっと待ってくれっての。くっそ……ビビリだなぁ、ほんと……」
そう、初めてだった。遠目に見たことは一度だけある。その時はあまりの大きさと荘厳さに、そこで働くマーリンさんが遠い人のようにも感じたが……結局はそれだけだった。
出発前にも勿論目にしている。そこから出てきたのだから当然、何よりも近くでその雄姿を目にしてから出発したのだ。
けれど……やはりこれが初めてで間違いない。僕は今から、初めて王宮という建物の中へと足を踏み入れる。眠っている間に運ばれるのではない、目的を持ってこの場所へと訪れるのだ。
ビクビクしながら帰ってきた僕らを迎えたのは、今朝の優しげな役人さんだった。どうやらこの人は僕らの担当になったのかな。
おかえりなさいませ。お食事の準備が出来てます、着替えが済みましたらまた大食堂へとお越しください。と、またいつも通りにドアノブの無い部屋へと案内されると、そう残して役人さんは鍵を掛けずに扉を閉めた。着替え……着替え、か。
「…………服、やっぱどこかで新調しておけば良かったな。どれもこれもボロボロのドロドロで……」
「しょうがないわね、こればっかりは。新調したとしても同じことでしょ。それより、下手に荷物を増やす方が面倒になるわ」
と言っても、僕の方はほとんど汚れてないんだけどね。
あのサイズの大蛇が暴れまわったのだから、当然泥を被ってはいるんだけど。その点は目前でそれを相手取ったミラの方が酷いことになっている。
服もさることながら髪の毛もドロドロになっちゃって……
「……お前、一回風呂入ってこい。大食堂ってことだし、多分他の人達とも同席するかもしれないだろ? そこへ……お前…………そんな格好で……」
「うっ…………まあ……そうね。お腹すいたから一刻も早く行きたいけど…………こんな汚らしい格好じゃ周りの迷惑だもんね。はあ……手早く済ませるからちょっと待ってて」
お前が食欲に負けて身なりと他人への配慮を忘れる子じゃなくて安心したよ。
うんざりした表情で何やらぶつぶつと恨み言をぼやきながら、それでもちょっとだけうきうきした背中でミラはバスルームへと向かった。
この部屋…………本当になんでもありだな。お風呂、トイレ、キッチン、それからちょっとした書斎。そもそもベッドも大きいし。
ちょっとしたアパートの一室よりも立派じゃないか。アパートなんて子供の頃友達の家に行った時以来だけど。
「…………はぁ。何も出来なかったなぁ」
ばたん。と、ドアが閉まるのを見送ってから、僕はひとりでため息をついた。
何も出来なかった。ミラはその雄姿を見せつけた。誰よりも強く、そして頼もしい存在だとアピールしてみせた。けれど、僕は何も出来なかった。
勘違いでちょっとだけ株が上がった感じだったけど、そんなメッキはすぐに剥がれることだろう。結局これまでの旅路と同じ、僕にはまだまだ持てる役割が少ないんだ。
「…………待っててくれれば頑張れる。って、そんなこと言ってくれるけどさ。焦るよ、こっちは。お前がどんどん強くなって…………」
いつか僕の手を離れて、ひとりで勇者になってしまう日も来るだろうか。目を瞑って想像してみる。ミラが今よりももっと大きくなって…………まずそれが想像出来ないな。おほん。
マーリンさんよろしく子供っぽいまま大人になって、もっと立派になって。勇者として戦いながら市長として働いて。その隣でせっせか働く自分の姿は、果たして想像出来るものだろうか。
「……お前が甘えん坊を卒業するイメージが湧かないな、前提として。はあ……意外と近くにいんのか……? まだ置いてかれてないのか…………単に俺が呑気なだけか……」
或いは待っていてくれているのか。ともかく、まだまだ将来のイメージを思い描くには至らない。
大体、魔王を倒さなきゃ将来なんて無いし、それ以前にまず勇者として認められるところからな訳で…………
「…………っ。やめろ…………今は…………考えるな、余計なことを……っ」
——いつまでこの生活を続けられる——
頭の中で響いたのは自分の声だった。ああ、ちょっとシャワーを浴びる為に離れてるだけじゃないか。いつだってこの時間はあった。ただ……最近はこういう時もマーリンさんがいて、話し相手をしてくれて。ひとりで変なことを考えてしまう暇が無かったから…………っ。
シャワーの音以外ロクに聞こえてこない部屋の中で、僕はひとりぼっちで誰にも打ち明けられない不安と向き合わされる。けれど……やっぱりお前は僕のヒーローだよ。タイミングばっちりだ。
「ふー……いいお湯だった。しっかし……相変わらずずるいわよね、蛇口からお湯が出るなんて。アーヴィンでもやろうかしら…………でも術師が私の他にもいないといけないしなぁ……」
「…………びちゃびちゃじゃないか、もう…………乾かしてあげるからこっちおいで」
呑気に鼻歌を歌いながら扉をあけて帰ってきたミラの姿に、抱いていた不安の半分くらいを忘れられた。
はあ……まあドライヤーなんて無いからさ、しょうがないけど…………びっちゃびちゃだな、またお前。はあ……
「んむ……んー、もっと優しくやんなさいよ。ちょっと雑じゃない? 乱暴しないでよ、もう」
「はいはい、分かったから暴れるなって。暴れ…………わぷっ、冷たっ! 犬かお前は!」
大きくてふかふかなタオルは吸水性もバツグン。けれど、ミラの毛量が毛量だから全然乾いていかない。
膝の上に座らせて髪を拭いていると、ぶるぶると上体ごと頭を振って犬か猫みたいに水気を飛ばし始める始末。お前なぁ…………
「ふふ、もういいでしょ。早く行きましょ。はー、おなかすいたー」
「この……はあ。しょうがない奴だな……」
えへへと笑ってミラは僕の手を取って部屋を飛び出した。いやしかし……このクソ広い王宮内を案内無しで……ってのはちょっとばかし不安だな。
もうずっと見張ってなくても大丈夫、ある程度の自由は許してあげようって配慮なんだろうか。それとも……単に人手不足で相手してられないだけ?
理由は定かではないが、大食堂までは迷わずに辿り着けた。覚えてたんだ、って? いえ、そこはほら…………ご飯にがめついわんこが一緒だから……
「うひゃぁ……混んでるなぁ。ミラ、大勢いるからあんまりめちゃくちゃな食べ方しちゃダメだぞ? お行儀良く食べなさいね」
「はっ倒すわよ、子供みたいな扱いして。あんたこそ、今朝食べなかった分しっかり食べなさいよ。倒れたら承知しないからね」
危惧……もとい予想していた通り、大食堂には大勢の人々が集まっていた。
大きなテーブルがいくつもあって、そこに大勢の人々が掛けていて。中心には大皿に盛られた大量のご馳走があって、どうやらバイキング形式で…………え? ビュッフェ……? 知らない単語…………なにそれ……?
「お、さっきの勇者候補じゃねーか。遅かったな、その様子だと嬢ちゃんのシャワー待ちだったか? まあ派手に泥浴びたもんな」
「あっ、へインスさん。さっきぶりです」
さて、どうしたもんかな。と、座る場所を探してうろついていた僕らに声を掛けたのは、へインスさん…………同じ馬車に乗っていた太陽の紋章持ちの騎士だった。えへへ……馬車の中で結構打ち解けたんだ……へへ。
「座る場所無いだろ、こっち来い。巫女様もあんなだし、他所への遠征任務の多い部隊だからさ。中々仲間と一緒に飯なんて食えねえんだ、こんなとこじゃ。わがまま巫女様のお守り同士、仲良く飯食おうや」
「はい、ご一緒させて頂きます。それと…………あんまりマーリンさんのこと悪く言わない方がいいですよ。こいつ、あの人のファンだから。噛みますよ、結構強く」
噛まないわよ! と、ミラは僕の首元に飛び掛かって噛み付いてきた。噛んでる! 思いっきり噛んでる! 言ってることとやってることが一瞬で矛盾してる!
僕らのじゃれ合いに引くでも叱るでもなく、へインスさんは笑って飲み物を渡してくれた。
「うまいぞ、ここの茶は。なんでも東国の茶葉らしいんだけどな、紅茶とは違う……なんていうか、苦味が良い。からい飯に合う」
「いてて……ありがとうございます、頂きます。んぐ……ん、ほんとだ。苦いけど……」
ご飯に合うのは紅茶よりこっちかな、僕はね。なんて言うのかな……馴染み深い味と言うか…………緑茶っぽいと言うか。
しかし東国の…………ううむ、なんだかデジャヴと言うか。僕の知ってる緑茶も東国…………あれってどこが原産なんだろう。それはしっかり知らないわ……
「それじゃあ今日の大勝利を祝って……かんぱーい!」
「かんぱーい! って…………こいつもう食ってやがる…………お行儀良くしなさいって言ったばっかだってのに……」
育ち盛りなんだからいっぱい食べろよ! と、へインスさんは僕らの為に大きなお皿に山盛り一杯料理を持ってきてくれた。
良い人や……ちょっとお節介気味なところがとってもマーリンさんっぽい。
あの人の配下ってだけのことはあって、どうも他の騎士や役人と違ってとっ付きやすく感じる。勿論本人の気質もさることながら……
「いやーっ! しっかし羨ましい限りだ! 巫女様と旅が出来るなんてなぁ! 美人だよなぁ、あの人。それがひとつ屋根の下ときたら……」
「あはは…………手なんて出したら殺されそうですけどね……」
そこもまた良いんじゃねえか。と、へインスさんは美人上司マーリンさんへの憧れを口にする。
違うんだ…………っ。殺されるってのは本人にじゃないんだ……本人はむしろ手を出してくるんだ………………っ。
殺されるかもって思ってるのは………………貴方みたいな熱心な巫女様ファンにってことなんだよ…………っ。
僕らは噛み合っているようで噛み合っていない会話を楽しみながらご飯を頂いた。




