第四百四十七話
ミラはとても興奮していた。それはそれはとっても興奮していた。その…………ご、ごめんな? 僕に常識が無いばかりに。
いっぱい語りたかったんだな。ミラにとってマーリンさんは本当に憧れの存在らしい。それの意味を、僕はこれまでちょっとばかし履き違えていたみたいだ。
こいつにとって、あの人はアンパ◯マンなんだ。はい? 何言ってっか分かんない? それは最後まで聞いてからだな……
「そうか、其方達はマーリンが好きか」
「はい! 子供の頃にお話を聞かせて貰った時からずっと、私はずっとマーリン様に憧れてきました」
高校生が好みのアイドルやモデル、それからタレントとして名前を出す雑誌の表紙の人物ではない。
中学生がちょっと背伸びをして聴き始めたバンドのヴォーカリストでもない。
小学生が無邪気にサイン入りブロマイドを見せびらかすプロスポーツ選手でもない。
ミラにとってマーリンさんは、それが現実なのかフィクションなのかも分からない時からの憧れなんだ。
それがなんであるのかもイマイチ理解していない頃に見たかっこいいヒーロー。アニメの、ドラマの、漫画の、映画の。そういった枕詞を排した、純粋で無作法な程肉薄した憧れ。
故にアンパン◯ン。別にピカ◯ュウでもドラえ◯んでもト◯マスでも良いけど。最近の子はなんなんだろ…………やっぱりア◯パンマンだと思うんだよな。
「……そうか。それで……そうだな。マーリンは余を…………王をどうであると言っておった。暴虐非道な人でなしと。悪鬼羅刹を思わせる外道と罵っておったか」
「っ⁈ そ——そんなことはありませんっ! その…………こ、国民からの支持の厚い、大変人望のあるお方であると。他の王ではここまで国を大きくは出来なかっただろうと仰っていました」
いや、そこまでは言ってなくない? いや、言ったのかな? 僕が読み取れない言葉の真意をコイツはきちんと理解出来た、って可能性。うーん…………悔しいけどありえる。
さて、そんなことはどうでも良いとして、だよ。
はっはっは。と笑って、そうかそうかと頷く王様の姿に、どうやらふたりの仲は悪くないようだと少し胸をなでおろす。
あんな言い方ばっかりだからなぁ、マーリンさんも。しかし、思えば文句と愚痴しか言ってなかったフリードさんともとっても仲良しに見えたし、王様ともそう悪い関係ではないんだろう。
「…………其方達は良くも悪くも純粋だな。嘘をつけるようにならねば、この先いつか面倒を押し付けられように」
「っ! そ、それはどういう……」
独り言だ、気にするでない。と、また大声で笑って、王様はふむと顎に手を当てて何やら考えごとをし始めてしまった。
ご、ごめんなさい……マーリンさん……っ。どうやらミラのおバカさんでは、貴女の愚痴すら隠し切ることが出来なかったようです。そういうこと……だよね? 今のって。
「では面と向かって訪ねてみよう。巫女は、マーリンは。旅の間に、一度として余の悪口を言わなかったか。正直に答えてみよ」
「っ…………」
それもまたあの馬鹿者の入れ知恵だろう。と、王様はミラの頭をバシバシと撫でてそう言った。
成る程、こういうことなのね。と、僕はひとりで身震いしながら納得する。
マーリンさんは、王様は人を見る能力に長けていると言っていたけど、もしかしたらそれは、立場や威圧感を利用したこの尋問能力も関係してるんだろうか。
ううむ……そもそもそういう方向に話を持って行った時点で薄々勘付いていたんだろうな。てことは…………マーリンさん、余程普段からぐちぐち言ってんのかな……
「よいよい、無理に話さずとも構わぬ。黙ってさえいれば、それが真であるか偽であるかは不確定だ。よしんば九分九厘真であったとしても、余地を残せる。困ることを聞かれたら黙っていろ。などとは、彼奴らしい助言よの」
「っ。い、いえ……決してそのようなことは……」
王様はおどおどして首を振るミラに、困ったように眉をひそめて掛ける言葉を探していた。
はて、どうして言葉を選ぶ必要がある。そりゃまあ相手を慮って……ってのは当然のことなんだけどさ。
こっちはただの小庶民、向こうは王様。それに隠しごとをしているのはこちらなんだから、ズバズバと言ってしまっても構わない筈だが……
「どうやらその判断も正しいようだ。旅の間に随分と打ち解けた様子だな」
「っ。は、はい! 私達をずっと守ってくださり、それに仲間と呼んで下さいました。私達は心よりあの方を敬愛しています」
そうかそうか。と、今度は満足気に頷き、そしてすぐに少しだけ暗い顔をして黙ってしまった。
さっきからどうしたのだろう。妙に庶民くさいというか……その威厳に陰りが見える。
部屋に来た時点で昼間とは少々雰囲気が違ったけれど、それはあくまで私的な理由でここに来ているからってだけのものだった。
それとは違う……なんだか親近感の湧く匂いが…………か、加齢臭じゃないよ! 無礼だぞ! 驚くことにあんまりおじいちゃん臭がしないんだぞ! 結構高価そうな香水のにほひが……
「……その、随分気にかけてらっしゃるんですね。王様にとって巫女様は大事な副官…………ってことでしょうか」
「あいや…………そうさな。余にとっては代えの利かぬ大切な臣下である。それに、十六年もの間すぐそばで見ているとな。先の話と矛盾してしまって少々憚られるのだが、情が移ってしまった。なにぶん勇者を失って帰ってきた時の彼奴は、とても見ていられる状態ではなかった故」
あ、それは聞いたことがあるぞ。勇者様が亡くなって失意のどん底で帰還すると、王様がマーリンさんを巫女に任命したんだったよね。その時に補佐として王様がユーリさんを任命して遣わせたとか。
そうか、よく分かった。玉座で見た姿とも、今まで王についてミラに説いていた姿とも違う。庶民的……と、言っていいのかな? とても身近に感じたのは、さっきまで感じられなかった人間味をやっと匂わせたからだ。
「……仲良いんですね。その………………本当は九分九厘で止めておくようにって、困ったら沈黙を通すようにって言われていたんですけれど。やっぱり、道中聞かされたあの人の愚痴は、信頼の証でもあったんですね」
僕のそんな発言に一番大きなリアクションをしたのはミラだった。
何しれっとバラしてんのよ! 私が完璧に隠し切ったってのに! それじゃマーリン様が怒られるじゃない!
と、王様みたいに誰でもってわけじゃないけど、ミラ限定で考えてることも言わんとすることも理解出来るようになった僕の目に真っ青な顔の姿が映る。どうどう、お前の嘘はつく前からバレてたよ。
きっと王様はマーリンさんを本当に気に掛けてくれているようだ。
嘘が分かるわけじゃないけど…………嘘をついてないってのはなんとなく分かる。いえ、これで演技でした、愚痴言ってたらしいんで不敬罪で軟禁延長です。ってなったらごめんなさいだけど。
「…………仲が良いわけではない。決して心を許してはくれぬだろう。否、心を許すようなことがあってはならぬ」
「…………? 王様……?」
王様はひどく暗い顔をしていた。怒りや憎しみではない。愚痴を言っていたと聞かされたことへの激憤ではなく、なんだか出所の見えない悲しみに気分を落としているみたいだ。
まあ……その、気に掛けている娘みたいな存在に愚痴を言われてるって聞かされたら凹むか。
しまった、これはうっかり。本当に空気の読めない駄目男だなぁ…………って。そんな簡単な話ではなさそうだ。
「其方達を見込んで、マーリンについて少し話をする。まずそうだ、その誤解を解いておこう。余とマーリンは、決して仲が良いわけではない。寧ろ敵対心を持たれていることだろう。そもそもとして、余が命を下さねば勇者が没することも無かったのだから。それに、王宮に勤めるようになってからも何度も厳しく……いいや、理不尽に接してきた。なんのことは無い。嫌われる為に、憎まれる為にそうしてきたのだから。そうであって貰わねば困るというものだ」
憎まれる為に……? どうして? ミラは純粋にそんな疑問を顔に浮かべて首を傾げていた。その疑問はやっぱり僕にもあって、どうにもその発言とさっきの言葉とが繋がらない。
だって、さっき情が移ったとか、代えの利かないとか、言っていたじゃないか。だったら仲良くする方が良いし、仲良くも出来る筈だろう。
その…………勇者様の件でわだかまりがあって、どうしようもないくらいの溝が出来てしまってるんだろうか。もしそうなら……それは悲しいことだ。
「勘違いするでないぞ、マーリンに非は一切無い。余がそう望んでおるのだ。余は彼奴にとって敵でなくてはならぬ。一度溜め込んだ憎しみを吐き出す術を知らぬ彼奴の、唯一の仇であらねばならぬ。これは十六年前に決めたことだ」
「……憎しみを…………? その、王様。それではやはり話が繋がりません。王様はマーリン様を……」
ああ、娘のように愛しているとも。と、王様は優しい顔でそう言った。けれど、すぐにまた悲痛な面持ちで俯いてしまう。
大切な人の為に、その人にとって敵であることを選ぶ。漫画やアニメ、ドラマじゃ聞き飽きたセリフだけど、こうして目の前にすると…………とっても嫌な気分になる。どうしてそんな……
「あれは弱い。其方達が思っているよりも、ずっと。ずっと弱く、そして脆い。どうしても敵が必要なのだ。でなければ、あれはいつか自責の怨嗟で自らを焼き殺してしまう。もともと大人しい娘であった。争いなど考えもせぬ、穏やかな性分であったのだ。そこを余が測り損ねてしまった。悔やんでも悔やみきれぬ」
僕はあの人を強い人だと思った。決して僕らの前では涙を見せな……見せてはいるか。弱音を吐かな…………吐きもするな。けれど、決して弱った姿を見せたりは…………するか。
ええと…………それでも決して立ち止まらず、目的に向かって自らの心の傷を抉りながらでも進む強い人だ。
だから……王様の言う、弱いって言葉が良く分かった。
あの人は誰かを頼ろうとしない。上辺だけ、見てくれだけ僕らに甘えるような言動や行動をとってそれで終わり。きっと休む間も無く苦しんでいる筈だ。
僕は一度だけ……たった一度だけ、そんな姿を扉の向こうに見た。恐怖に震え、助けを求め泣いている声を、一度だけ耳にした。
「其方達にとって彼奴が頼もしい存在であったのならば、どうかひとつ頼まれて欲しい。そう遠くない先であれの心が折れてしまった時、幻滅せずにそばにいてやってくれ。頼まれるまでもないと言うかも知れぬが、それでも余は個人としてこれを願う。どうか」
王様はそう言って頭を下げ——下げないでっ⁉︎ 僕もミラもそんな姿に慌てて床に手を突いて、頭を上げるようにお願いした。
それはやめて! 王様に頭を下げられると…………あんなに威厳のある人物に頭を下げられると…………ぐっ…………胃が…………胃が千切れる…………っ。
「……さて、長々と邪魔をしてしまったな。ここへ余が来たこと、そして話したこと。全て他言無用である。なに、うまく誤魔化せとは言わぬ。巫女より習った通り、黙っておってくれれば良い。後は余が上手く揉消す故な。では、これで。よく休み、明日に備えるが良い」
「っ。き、貴重なお話をありがとうございましたっ! 魔王を討った暁には、必ず王様に誇れる街を作って見せます。その時は是非……是非アーヴィンへ視察にいらして下さい!」
あい分かった。と、王様は最後に笑顔を見せ、そしてドアノブの無い扉を開け出て行ってしまった。
がちゃんと鍵が掛けられた音がして、そこでやっと嵐のような騒動に幕が下される。
僕もミラも未だ信じられないって…………いや、終わったからこそ、やっぱり信じられないって顔で互いを見合わせて、そしてそのままもたれあうように倒れた。
「…………し、死んだかと思った…………っ。お前が暴走したらどうしようかって、心臓ぶっ壊れたかと思った……あー……まだバクバクしてる……」
「……失礼な奴ね…………はぁ。緊張した…………アンタなんて何も喋ってないんだから、大して疲れてもないでしょ…………」
気疲れが凄いんじゃい。僕らはだらしなく床に寝そべるお互いを見て、笑ってゴロンと仰向けになった。
あ、いかん。このままだとこのバカが寝る。そう危機感を覚えた時には、起き上がってミラを抱き上げてベッドに入っていた。
こんなとこで寝られたら困る。暖かくなっちゃうと僕も今はちょっと寝そうだし。
明日は頑張らなきゃいけないからね。王様の言う通り、ゆっくり休んで、そして……




