第四百三十四話
バクバクバクと心拍がどんどん速くなっていくのが分かる。
恐怖ではない、似ているけれど。不安でもない、そっくりだけど。
これは純粋な緊張。目の前を歩く偉大過ぎる合法ロリ巨乳僕っ娘お姉さんと同じ、偉大なる黄金騎士との面会の為に、僕らは街の中でもひと際大きな教会へと向かっていた。
「…………アギト。なんだか今、君からとっても無礼な念を感じ取ったんだけど……? フリードにはやらない方がいいよ、それ。アイツ自身はきっと気にも留めないだろうけどさ、アイツの人気というか……人望? 取り巻きの多さは僕よりずっと上だから」
「っ⁉︎ なんっ……なんのことでしょう……? いやー、あはは。よく分かんないですけど気を付けますねー……」
だからなんで分かるんだよ! いつものローブ姿ではなく、ティアラとドレスで着飾った合法以下略もといマーリンさんは、突然首だけこちらを振り返ってジロリと僕を睨んだ。
そう言えば、初めて会った時もドレス着てましたね、一応。とっても綺麗でこう…………め、目のやり場が……
「もう。何考えてたか知らないけど、あんまりマーリン様に恥かかせるような真似はしないでよ。何度も言うけど、あの方はねぇ……」
「分かってる分かってる、あの人が凄くて偉くて大変なことになっちゃうってのはもう流石に分かってる。わ、わわ分かってるからあんまりビビらせんな……っ。すぅーはぁーすぅーはぁー……」
そこまで緊張しなくても。と、ミラは何やら怪訝な目で僕を見てくるのだが……凄く偉いっていつも口酸っぱく言ってる癖に緊張はしないんですか……?
え? もしかしなくても、マーリンさんがクソちょろポンコツ童貞だったから、今から会うフリードさんもそんな感じだと勝手に…………
「ごほん。アギト」
「びくぅっ⁉︎ な、なんでもな……だからなんで分かるんですか⁉︎」
なんとなくだよ。と、ひらひらしたドレスの裾を鬱陶しそうに持ち上げるマーリンさんの、白くてキラキラしてそれでいて健康的な脹脛についつい目を惹かれる。
やめっ……やめてっ! 分かってる、それは誘惑の為にやってるんじゃないって。本当に歩きにくいから仕方なくやってるんだってことは分かってる。分かってるけど……っ! 見ちゃうからやめて…………っ!
さて、ここでひとつの疑問が湧いただろう。お前の頭が沸いてるのはなんで? なんて疑問ではない。やめてよ、頭のおかしい奴がいるとか指差さないで。
マーリンさんだよ、マーリンさん。ローブを脱いで顔を出しているにも関わらず、これまでのように人が集ってこないのだ。
ドレスを着てる時点で公務であることくらい分かる? そのくらいの分別はみんな付けられる? や、やめろよ! そんな……そんな、僕が分別のない子供みたいな言い方やめてよ!
「……しっかし…………どうなってるんですか? もしかして目の前に見えてる馬鹿デカい教会って……」
「うん、御名答。アレは国の建てた教会。宗教的な意味合いも持ちつつ、時に公務の場としても使われる多目的施設。あんまり使う機会も多くないけれど、無ければ無いでそれは困る。じゃあ他の名目で建てて、必要な時だけ貸し切ろう。なんて安直な考えのもと建てられたのさ。バチあたりだよね、どいつもこいつも」
ここへ来るまでにも、僕らは一度門を潜っている。門というか柵というか、まあそこは良くて。
公務に使用する施設の、その敷地内にてマーリンさんはドレスに着替えたのだ。だから、それまでは顔を隠してなんとかやり過ごしたし、今顔を出していても周りに市民がいないから問題無いというわけだ。
まだここは王都……ええと、本来の王都。ユーゼシティアと呼ばれる街ではないのだろう? だってのに、王都の貴族や議員達が使う施設を建てるのに、どうしてこんなにも……
「……宗教云々以前に、広過ぎやしませんか……? 教会がデカイのは勿論ですけど……」
「一応は避難場所としても設計されたからね。この街の外れには大きな川が流れている。氾濫の恐れがある際にはみんなここへ逃げ込むんだ。まあ……そんな用途で使われた回数も、片手で数えるほども無いんだけどさ……」
それってつまり……? と、尋ねると、あんまりつつかないでおくれ。と、苦い顔をされた。
うーむ、天下ってる臭いがしますなぁ。よく分かんないけど。
しかし……ふむ。まあ今はこのクソデカ教会は傍に置いておこうか。いえね、今向かっているんですけれど。そうじゃなくて。
「…………さて、もう一度だけ注意しておくね。何があっても……気を強く持つこと。最悪、この日この場所に英雄フリードが没する可能性もあるけれど、絶対に僕を止めないこと。約束出来るね?」
「は、はい…………はい? 没する…………ぼ、没さないで⁉︎」
善処はする。と、硬い決意を言葉に込めて、マーリンさんは目を伏せた。頑張ってよ! 本当に!
しかし本当にどんな人なんだ……フリードという男は。うう……緊張してきた…………っ。
初対面がそもそも緊張するのに、その場で突如修羅場とスプラッタが展開されかねないなんて…………
「……大丈夫。手紙で散々注意しておいたんだ。アイツも馬鹿じゃ……馬鹿だけど、子供じゃない。もう流石に子供とは呼べない、いい加減大人になっていてくれ。もう問題ばかり起こすようでは…………困る…………困った……っ」
何やらぶつぶつ呟きながら、マーリンさんはやっと辿り着いた教会の入り口の前で立ち止まってしまった。そ、そんなに不安なの……?
顔をあげてはため息をつきながら項垂れる。手を伸ばしたかと思えばガックリと肩を落として呻き声を上げる。
そんな中々決心のつかない様子だった彼女が、遂に意を決したのは、およそ十数分立ち竦んでからのことだった。
「……はあ。よし、ふたりとも行くよ」
「は、はい。ごくり……」
ずん。と、一気に空気が重たくなった気がした。これはさっきまでの下らない悩みから来るものではない。
この先が僕らのような小市民の来る場所ではないと、王宮に勤めるマーリンさんや議員達が働く場であると勝手に体が縮こまっているのだ。
場違いではないだろうか、相応しくないのではないだろうか。これは動物的な本能によるものではなく、社会的経験や知識からくる畏怖なのかもしれない。
「フリード。入る……よ…………」
「——来たか——魔女よ————」
最初に抱いた感情は、強い劣等感であった。何よりもまず、真っ先にそれが来た。
ひとりの人間として、男として。生物の雄個体として。目の前の雄があまりにも優れた存在であると、本能が怯えてしまった。
次に抱いた感情は……否。次には何も抱けなかった。何も、何も考えられなかった。何ひとつ考えられぬほどの困惑、混乱。目の前で起きていることが理解出来なかった。
目の前の人物が理解出来なかった。自分とは文字通り生きている世界が違う、御伽噺の中の英雄の姿が僕には理解出来なかった。
最後に訪れたのは悲鳴のような、怒号のような。ともかく、感情を剥き出しにしたマーリンさんの叫び声だった。
あり得ない。あり得てはならない。彼が人を救う為に戦う戦士であるのならば、勇者であるのならば。あってはならない悪性がそこにはあった。
聞かされていた彼女の忠告を、目の当たりにしてようやく理解した。
何があってもマーリンさんを止めてはならない。彼女が行う全てを、この悪性に対する攻撃を。阻むことは何人たりとも許されない。
そう、瞬時に理解させてしまう程の光景が——
「————では、聞かせてもらおう。お前の見つけた新たなる勇者の——」
「——その前に——服を着ろ————ぉぉおおおッッッ‼︎」
——扉の先に現れたのは、一糸纏わぬ美男であった————
強い劣等感を、僕はその鍛え上げられた肉体と、大きな大きな…………こう…………その……男のシンボルに抱かざるを得なかった。もしかしなくても僕って粗…………っ!
あまりの光景に僕は何も考えられなかった。す、少しだけ待って欲しい。
マーリンさんの話では、今日この時間に伺うと連絡が行っていた筈だ。
もしかして、うっかり時間を間違えて、湯上がり姿のままのところへ来てしまったのだろうか? 否。男の身体からは湯気はおろか水滴一つ滴っていない。
つまり、この男はなんの理由もなく全裸なのだ。
否、否である。そうではない。理由あって全裸なのだ。間違いなく、理由なく全裸なのではない。断じて。
男は全くその肉体を……なにより…………ちん…………ごほん。局部を隠すそぶりを見せなかった。
それはつまり…………見せようと企んで…………はい。あの…………あのですね? ちょ、ちょっと待ってね? 頭が狂いそうだ……っ。僕は何を考えて…………
「——不要。我が肉体は病に侵されることもなく、故に冷えに怯える理由もなく——」
「——違う——ッッッ! 誰もお前の健康なんぞ心配してない——ッッッ‼︎ 僕が! 言いたいのは! ごく当たり前の! 常識と! 羞恥心だ——ッ!」
なるほど。と、マーリンさんの言葉をまたひとつ理解した。
なんとも的外れな心配をされていると勘違いした男に、マーリンさんは鬼の形相で殴り掛かって…………ま、待って⁉︎ 結構勢いよく行くね⁉︎
手にした杖が鈍い音を何度も何度も広い部屋の中に響かせる。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も………な、何回殴るのさ⁉︎ そして何回殴られたら堪えるのさ⁉︎
「——尚更不要だ。己の肉体は究極に至った。最早恥じる点など無い。隠すなど以ての外、全国民に知らしめる必要すらある。究極の武、それ即ち一点の曇り無き美であると——っ!」
眼から鱗とはこのことだろうか。流石にそんなわけないだろうか。なるほど確かに、隠す理由が無い!
そもそもとして凛々しい顔立ち。黄金の長い髪は暴れるマーリンさんの起こした風に乗ってサラサラと靡き、窓から差し込む光に照らされてまるで本物の金の様に輝いている。
黄金の双眸は、影を落とすほどホリの深い顔の中でも、まるでその輝きを失ったりはしない。
鍛え上げられた肉体に、一片の無駄や隠すべき汚点など存在するわけもなく。
また、本来隠すべき局部も、誰に見られようと恥じることのないビッグマグナムで…………失敬。
「————そういう——話を————してんじゃねぇ————ぇぇぇえええええッッッ‼︎」
それは魂の叫び声だったのかもしれない。けれど、僕にはそれが鬼の発した呪いの言霊にしか聞こえなかった。否、聞こえなくなった。
湧き上がってくるのは恐怖と吐き気。思い出されるのはかつての激痛。
剥き出しになったその……あれだ、何と言おうか。ええと…………金…………ええとええと、うん。デュアル・コアに向かって。
マーリンさんはあろうことか、何も守ってくれる物の無い剥き出しのデュアル・コアに向かって……杖を思い切りカチ上げた。
見ていただけの僕も、あまりに衝撃的過ぎる光景とその衝撃の強さに…………あぐ…………っ。ぐ…………うぇ………っ。
フラッシュバックしたあの時の鈍痛に、股間を押さえ膝をついて蹲った。うぷっ……は、吐き気が…………ぐぉぉ…………
「——————嘘——だろ——ッ⁉︎」
二度目に抱いた憧れは、最早恐怖に近い物であった。究極の肉体、究極の武。もしもその極地がそれだと言うのならば……っ。
絶対に辿り着くことの出来ない、次元の違う世界に彼が住んでいるのだと言われてしまった気がしたのだ。
間違いなくマーリンさんの一撃はコアを捉えていた。
逃げ場など無い、容赦無い一撃だった。潰れててもおかしくないよ……っ。
けれど、男は笑っていた。澄ました笑顔で、何ごとも無かったかのように笑ったまま……笑ったまま…………?
「…………っ⁉︎ き、気絶してる…………?」
黄金騎士フリードはここに散った。死因は巫女によるコアへの致命的な一撃。
マーリンさん……っ。もしもそれを男性に対する有効打だと思ってやっているのならば…………っ。金輪際その技は使わないで欲しいんだ……っ。いつか……いつか本当に死者が…………っ。
「ふたりともッ! 一回外に出てッ! あのバカに服を着せるから、少しの間外で待っていてくれ——ッ!」
「は、はい……っ! ミラ、行こう。ミラ…………?」
僕はその一瞬まで酷く勘違いをしていたらしい。いいや、違う。誤魔化されていたんだ。隠蔽されていた、とも言えるか。
まだ僕を苦しめる幻想の痛みを堪えながらゆっくり立ち上がり、ふと振り返った先で見た物。それは…………
「…………むっつりめ」
「ッ⁉︎ な——っ⁉︎ ち——違っ‼︎」
そこで見たのは、顔を真っ赤にしながらも目を背けようともせず、その…………立ったまま気絶している男の…………その、ね。もう機能を失って立ち上がれなくなってしまったかもしれない、男の局部を凝視して口をぱくぱくさせているミラの姿だった。
思い返せば、初めて会った時から片鱗はあったよな。僕が自分の服を捲ってお腹を確認している時、満更でもないって顔でちらちら見ていたもんな。
むっつりスケベという僕の言葉に、慌てて視線を逸らしてももう遅い。
最近なんだか子供扱いばっかりしてたけど、コイツも立派な十六歳。思春期も思春期、その上好奇心旺盛な性分だ。だから……
「ちがっ……アギ……っ! ち、違うのよ! べ、べべべべべ別に私は——っ!」
「どうどう、落ち着けって。別に恥じることじゃない。異性に興味を持つのは生物として当たり前だ。だからそう焦らなくても良いぞ、むっつり娘」
だから、そういうことへの興味も人一倍強くて当然だったのだな。うん、これからあんまり抱き締めんとこ。
違うんだってば! と、僕の言葉に真っ赤になって目を回しながら弁明するミラを連れて、マーリンさんの言う通り僕らは一度教会の外へと出た。はっはっは、このネタでしばらくからかってやるか。




