第四十三話
しゃきしゃきと心地よいリズムで鋏が僕の髪を少しずつ切り落としていく。これは……と、予想外の展開に僕は驚きを隠せずいた。この親父、態度はあまりにも悪過ぎるが腕は確かなようだ。
「……にいちゃん、でっけえ美容室入んのが怖くてこんなとこ来たんだろ」
それは突然のことだった。伸びに伸びた襟足をバッサリいきながら、おじさんは僕をずっと見ていたかの様なことを口にした。
「これも伸ばしてたわけじゃあねえよな。自分に自信がねえからずっと縮こまって、地面ばっかり見て。そこらを歩いてるとたまに見かけるんだよ」
「それは…………」
図星だった。もしかしたら、こういうところかもしれない。髪型の清潔感とか、歳とか職歴とかじゃなく。仕事を任せようと思えない、何かを一緒にしたいと思えない卑屈さが滲み出していたとか。人が見て鬱陶しいと感じる要素が、僕の知らないところでいっぱい纏わりついていたのかも。
「まだ半分も来てないんだからよ。もうちと気楽にいないと疲れちまうぞ」
そう言っておじさんは僕の背中をばんばんと叩いて大きな鏡を僕の後ろに回した。
「こんなんでどうだい。もっと短く、いっそ刈り上げちまうか?」
すぐそこに積もっていた自分から切り落とされた髪の束から視線をやっと鏡の方へと向けると、随分爽やかになった秋人の姿があった。みっともなく伸びっぱなしだった白髪混じりのボサボサの髪は綺麗に切り揃えられ、髪型の名前なんて知らないが意外と自分がイケているんじゃないかと錯覚を覚える程だった。
「良けりゃ頭洗ってやるからそっちの洗面台に移っとくれ」
「あっ……はい」
僕は裏返りかけた声で返事をした。髪型一つでこうも印象とは変わるものか。しかし、短髪にしたことで懸念されるのは頭頂部だが……今は確認するすべも勇気もない。言われるがままに席を移動して、されるがままに頭を洗われ……これは……ほう。
「にいちゃん頭きったねえな。ちゃんと洗えてねえなこれ。ガシガシ洗えばいいってもんでも無いんだぜ?」
きったねえとか言うな。しかし、うむ。乱雑な態度と太い指からは想像も出来ない丁寧さ。人に頭を洗って貰うというのはこんなにも気持ちが良いのか。こればかりは向こうでも味わったことがない体験だ。
「にいちゃんこの後デートかい。ならバッチリキメてかないとな」
シャンプーの泡を流すシャワーの音でよく聞こえなかったが、何やら不穏な言葉が聞こえた。タオルでぐしゃぐしゃと雨にうたれた犬でも拭くみたいに乱暴に頭を拭われ、丁寧にブラシとドライヤーで髪を整えられた。そして……やはり何か、なんだそのオロナ○ンを潰したような入れ物は⁉︎
「ほらちゃんとまっすぐ向いてろ。いいからいいから」
ワックス? ポマード? 鬢付け油? ともかく強い匂いの、ミラからする様な爽やかな柑橘系の香りとは違う、主張の強い匂いの透明なクリーム状のものを僕の頭に塗りたくり始めた。
「……よし、こんなもんでいいだろう」
これは……イケてるんじゃなかろうか。いや、しかし童顔だな僕。鏡には髪型だけバッチリ決まった間抜け面の童顔中年が映っていた。別に若者らしいツンツンした髪型というわけではなく自然に、普段の僕のようにボサボサにならないように毛先を纏めただけにも見える。というかそうだろう。バサ付いていないだけでも随分引き締まったと言うべきか、立派に。そう、清潔感を感じさせる。
「じゃあ千五百円な。頑張れよにいちゃん」
安っ! 二万円どうするんだこれ。僕は一万円札で会計を済ませ、頑張れよと繰り返すおじさんに会釈をして店を後にした。岩崎理髪店……か。通おう。どういうわけか知らないが、歳上のおじさんに良くしてもらう機会が増えたものだ。違う! 僕は! 歳下のお姉さんに良くして貰いんたいんだ‼︎
時間もいい頃合いになって、僕はそのまま駅前にあるコーヒーショップに向かった。人生初ス○タである。キャラメルマシマシマキアートニンニクカラメメガサイズだっけ? 僕はまだ入店もしていないうちから緊張感に見舞われていた。
「お、落ち着け落ち着け。そうだ、入る前にどろしぃさんに連絡入れとこう」
スマホを取り出してまたアプリを開くと、そう時間を置かずに着信音が鳴った。差出人は噂のどろしぃさんだった。
『ス○バ前なう。怖すぎて入れない件』
…………辺りを見回すと、スマホをいじりながら僕と同じ様に周囲を窺う大きな人影が一つ。もしや……?
「もしかして、店先に僕ら揃ってません?」
『おや、似た様に入りあぐねている人物が見えますな』
僕らはこうして邂逅を果たした。なんて……なんて格好のつかない初対面……っ!
「えーと、どろしぃさんで?」
「どうもアギトさん。どろしぃです」
いやはやこれは。絵にならない。
「……どうしましょう。マ○クの方が……」
「アギト氏ナイスアイデア。拙者もう近付くだけでお腹痛いでござる」
ダメだ、こいつらはもうダメだ。しかし一体どういうことだ。この男、僕と違って背も高いしスラッとしているし、顔も整って……あれ? 僕の上位互換では?
「ていうかどろしぃさん、スタバ行ったことなかったんですか?」
「見栄はりましたな、ええ。あ、それから拙者のことは出来ればデンデンとお呼びくだされ」
見栄か。それは仕方ない、僕もよくやるしな。だが呼び方の指定とはどういう事だろう。デンデンなんてハンドルネームで何かしているとこは見た事ないが、昔使っていた名前だろうか。
「え、良いですけど。やっぱりどろしぃって女性名だから、リアルでは呼ばれたくないもんなんですか?」
「…………いえ」
ボソリと、むしろその否定の言葉より首を振る動作でその意味を汲み取る。そしてどろ……デンデンさんは立ち止まり、辺りに人がいないのを確認してから腕を組んでその場に仁王立ちした。これは……ガ○ナ立ちッ!
「どろしぃたんは俺の嫁ッ!」
オーケー理解した。突然ボリューム調整つまみでも壊れたような声量でそう宣言されては、嫌が応にも理解せざるを得ない。この男もまた、僕と同じなのだと。
「そわそわ辺りを見回さなければめっちゃ男らしかったのに」
「んふっ、手厳しい」
どう見てもやばいやつ感満載なのに、くそう! スタイルが良くて顔がシュッとしてて、あと声が渋いからとても劣等感を刺激される! どうしてこんな目に!
「いやしかし、アギト氏は想像通り接しやすい人で助かりましたな。趣味が合うのはもちろんですが」
「僕はまさかこんな大男とは思っても見なかったですけどね。しかも中身は想像通りで」
「見た目は大人、素顔は子供。ですな」
それなんて僕? ああ、予想以上に会話が弾む。共通点と言うか、きっと浸っている環境。沼とでも言うべきか。水質が近いのだろう。ボーストに限らず、他のゲーム、アニメの話題でも勝手に盛り上がる。マ○クに着いた頃には話題が切れてお通夜になってしまうんじゃないかという不安が杞憂に終わった程だ。
「アギト氏とは初対面の気がしないですなあ。誘って良かったですぞ」
「僕も誘われて良かったですよ。また何か一緒にゲームしたいですね」
そんなこんなで僕らはお昼時になって人が増えるまで話し込んでいた。今度サービス開始するオンラインゲームの話題は店を出て別れるまで、別れた後のダイレクトメールでまで盛り上がる。どうやらまたファンタジックな世界観のゲームの様で、またどろしぃ名で魔術職で遊びたいと。僕も一緒に始めないか、と。こんなに楽しく人と話したのはいつ以来だろうか。バスを降りるシステムを把握出来ていなかったツケで、バス停一つ分余計に歩く羽目になりながらの帰り道。きっと僕は、気持ち悪いにやけ顔をしていたのだろうな。
「ただいまー」
って、誰も帰ってないか。午後一時半。オフ会に期待が持てる、楽しかった野郎二人のお茶会……もとい、オタ会から帰ってきた僕は早速氏の言っていたゲームを検索する。クラウンサーガ、と言っていたか。なになに……お、もう先行体験が……これは抽選なのか。でもキャラクリは出来るのね。なるほど、ゲームシステムは……
「ソードマン、ガンナー、ウィッチ、プリースト……」
ふむふむ、どうやら王様を目指す……いやストーリーはさしたる問題でもあるまい。悪い言い方をするのなら目新しさの無い、取っつきやすいゲームだなというのが僕の所感だった。善は急げ、早速プレインストールを開始してサービス開始を待つことにした。
「…………マジックナイト……」
名前はデンデン氏を見習って(?)……いや、それは顔を合わせにくくなるしなあ。