第四十一話
僕の気が消沈するのにそう長い時間はかからなかった。受け応えはハキハキしていたと思う。うん、声は小さかったかもしれない。清潔感だって問題なかった筈だ。いや、暑い中歩き回ったし、汗かいてたからどうだろう。あとは単に歳と、見るからに運動していないと宣言しているこの体。重たいものも運ぶだろうしね。母さんが帰ってきてすぐ、時間にして数分後にお断りの電話が届いた。
「はぁ。そうなんだよな。面接までこぎつけるのに必死過ぎて本題を忘れてるんだよ」
バイトとか適当に応募しても受かる。って、聞いてた話と随分違うぞ。三十路ニートにはこの世界は少しハードモードな様で。辛さ情けなさより先に寂しさがこみ上げてくる。なんでこの世界には、ミラの様になんの取り柄もないおっさんに優しく手を差し伸べてくれる美少女がいないのだろうか。
「アキちゃん。ちょっといい?」
コンコンとこの部屋のドアを叩く珍しい音がした。母さんは何か話があるようで、と言ってもこの部屋のこの惨状では落ち着いて話なんて出来るわけもあるまい。僕は部屋から出てリビングで話を聞くことにした。
「またダメだったよ。さて次はどこにしようか」
「……そのことなんだけどね、アキちゃん」
改まってバイトの面接に落ちたなんて言うのも恥ずかしくなって、僕はおどけた報告をした。母さんは悲しむでも励ますでもなく、まっすぐ僕を見ている。何か話そうとしている様子だが、言葉に詰まって、僕に言いにくいことでも伝えようと…………はっ⁉︎ まさか、いややはり臭いがっ⁉︎
「……頑張りたいのはわかるんだけどね。そう……言いにくいんだけど。まず人と話す事から、お友達と話をするところから始めた方がいいんじゃないかって」
いやいやお母様、何をおっしゃる。これでもあなたの息子は、この十数年世代も違うゲーム仲間と毎日十時間以上も会話をしていたのですぞ。最近では人懐っこい少女や下ネタを欠かない、いや欠く気のない初老の男性も。反対に礼儀正しい同年代の紳士やちょっと……いや大分偉いらしい老爺とも直接バチバチやりあったり……して……
「まず相手の目を見て話せるようにならないと。きっと働き始めても人付き合いでまた躓いちゃうわ」
そんなこと……それは……そうかもしれない。元はと言えば人間関係が苦手で、それが原因で僕は今の生活に逃げ込んできたのだ。目を見る、というのは確かに。アギトとしていろんな人と接してきた中でも、僕はあまり相手と面と向かって話が出来たことがない。勢いのまま突っかかった神官の老爺と、危機的状況であり、かつ親しみやすく向こうから距離を詰めてくるゲンさんとは多少出来ていたかもしれない。しかし、それなりに一緒にいるはずのミラの顔はいまだに直視出来ないし、ロイドさんと話すときも割とどこかに視線を泳がせていたかもしれない。ボイチャなんて論外だ。
「でも……そんな、今更人付き合いだなんて。友達なんて……」
「あら、いるじゃない。いつも電話? してるゲームの友達が」
ん、んん? ちょっと話が見えない。ボイスチャットでは培われない、直に人と接するという経験を積もう。という話ではなかったのか。それがどうしてフォロワーの話に繋がるのだ。
「この間テレビで見てね。オフ会? っていうの。いつも一緒に遊んでる人とならアキちゃんも話しやすいんじゃないかって」
「ちょっと待った母さん。それはマズイ、マズイのですよお母様⁉︎」
それは、うんマズイ。僕のネット弁慶ぶりはとても誇れたものではないのだが……なかなかのものぞ? 幸いかどうか知らないが、年齢性別職業については偽っていない、現に今のハンドルネームは『あっ! gito@遂に魔法使い』だし、なんの躊躇いもなく無職であることを自虐ネタにしてきた。と言うかきっとログイン履歴を見れば分かる人には分かる、バレる人にはバレているわけだ。その上で僕はリーダー面して暴言は平気で吐くわ散々命令はするわで…………あれ? なんだろう、なんだか闇に片足突っ込んだような気分。その闇はお前だろって? ハハハ、何言ってるのさ。
「いや、いやいや。うん無理だよ。それは無理だ。面接は頑張るからそれだけは勘弁して」
「そう……? いいアイデアだと思ったんだけど」
ぜんっぜん良くない! 僕の周りに……あ、SNSでの話です。僕の周りに人が多いのは、それはひとえに僕が強いからだ。AoWに限らない、僕はやってるゲーム全てで廃人プレイが出来る選ばれた人種だ。ただその特権を行使して、湯水のように注ぐことが出来るプレイ時間の暴力によってその地位を会得している。逆に課金要素の強い分野はどうしようもないので、ソシャゲはそんなにやらないしやってもおおっぴらにはしていない。ただ自分が強い部分だけを見せることでなんとか平静を保っ…………もとい、求心力にバフを盛っている状態だ。
「……そうだよ、それは……無理なんだ」
それがどうだ。廃人プレイヤーアギトの仮面を剥げば、剥き身の秋人に一体誰が魅力を感じよう。結局どちらに居ても必要とされているのはアギトの僕で、秋人はお呼びではない。
僕は母さんに、とにかく頑張るとだけ言って部屋に戻った。さて次の募集にメールを送ろう。その前に少しくらいゲームしたって……いや、先にメールを……いやいや、もしゲームの最中に電話が来たらどうする……いやいやいや、電話が来て面接の日取りを決めてからでいいじゃないか……いやいやいやいや。
混雑する僕の思考回路とは裏腹に、右手は馴れた手つきでPCを立ち上げ、左手はスマートフォンでSNSアプリを開いていた。いやになる程軽やかで無駄の無い動き。ゲンさんの剣術に対抗出来る数少ない特技かもしれない。
「ああ、もうどうにでもなれ! ただしPC、お前はダメだ!」
せっかく立ち上げたのだからと、またアルバイト募集のサイトを検索する。左手でタイムラインを追いながらのとても誠実な行為とは言えなかったが、バイトの応募に誠実さもクソもあったものでなし。ナニとは言わないが今晩使えそうな画像も見逃さず保存しながら、僕はひたすら近所の求人情報を漁っていく。
「…………うーん、そうだよな。そりゃそうだ」
探せど探せど出てくるのは昨日僕が応募して電話を無視した所ばかり。住宅街のど真ん中で徒歩圏内となると、流石にそう多くないのか。バス通勤というのも出来なくはないが……いかんせんバスの乗り方さえわからない。ダメだ、社会性が……っ! 社会性があまりに低すぎるっ!
もうダメぽ。と、呟けば、そこかしこから返ってくる自殺なんてダメ! 今週いっぱいは思いとどまって! なる励ましのようなリプライが。お前ら今週いっぱいって限定なんだよ。ああ、ランキング集計か。馬鹿野郎どもが。と、つい頭の中で暴言を吐いてしまう程に僕はもうダメぽ。な状況にハマってしまった気がする。
「……ん? DMなんて珍しい……どろしぃさん?」
落ち込む僕に届いたのは一通のダイレクトメールだった。それはAoWではない、昔少しやっていたボーリングストーリー、略してボーストというMMOの時のフレンド。というかギルマスのどろしぃさんからだった。アイコンから察するに、今でも変わらず可愛らしい少女キャラで魔法使いジョブを極めているのだろう。おっさんっ気を隠す気の無いネカマプレイに当時随分和まされた記憶……は無いが、仲良くして貰った相手だ。はて、しかし最近は交流も殆ど無かった筈だが……
「えーとなになに……」
『お久しぶりですなアギト氏。実は今度ギルメン同窓会、つまり当時いたギルメンで集まってオフ会を開こうと思うのですが如何ですかな? マルッペ氏と鬼竜氏は参加して下さるそうで、ファフニル期のギルメンと言えばやはりアギト氏だろう。と、満場一致でこうして声をかけさせていただいたでござるよ。マルッペ氏ももうボーストはやめてしまって日も経つので、そういった気兼ねは不要ですぞ。懐かしい昔話に話を咲かせる会なので是非是非〜』
これはまたすごいタイミングで来たな。もしかして母さんが一枚噛んでるんじゃないかと思うくらいに。いやしかし……そうか、マルッペさんもやめてたのかぁ。ギルド内一の課金量を誇る、札束の悪鬼、自動掘削機能付きATMと呼ばれたマルッペさんが……そうかぁ。
「……懐かしいけど、もう今更なあ」
そう言えば、ログインこそしてないけどアカウントは残してあったっけ。折角だからログインだけでもしてみようかな。そう考えて何気なく開いたボーストのトップページを見て、ああ……と、小さく声を漏らした。
サービス終了のお知らせ。公式からのお知らせボックスの一番上にそう書かれた、当時の面影の残るトップページ。彼は失うのだな。と、そう考えてしまったら目頭が熱くなってきた。僕は六年ほど前に始めて、結局二年も居なかったのだけど。彼は確かベータ版から始めたと言っていたような。ともかくこのことが悲しくて、寂しくて思い出を語らいたいのだろう。
「えーと。お久しぶりです……」
これだけはやらないのだろうと思っていたオフ会参加の返信を、気付いたらしていた。アルバイトの募集は…………していないと思い出した時にはもう夜中だった。