第三百九十二話
その景観の良さは名残惜しいが、予定通りご飯を食べてまた街を出た。うう……本当に惜しい。何が惜しいかと言うと、とんでもなくご飯が美味しかったのだ。もう一食だけでも食べたかったなぁ……はあ。
さて、そんな食いしん坊みたいな感想を、わざわざ僕が抱かないといけない理由がある。それは、元祖食いしん坊の不調がまだ後を引いているからだった。
「ミラ、本当に大丈夫か? 買い貯めてある食料はあるから、腹減ったら遠慮せず食べろよ?」
「ありがとう。でも平気よ、そんなに心配しないで」
ミラの食欲に陰りが見えていた。ご飯を食べる元気も無い、ということだろうか。しかし、あれだけ食欲をそそられる良い匂いを前にしてもこれでは……普段が普段だけに気が気じゃない。
それに、問題はそれだけじゃなかった。いつもなら僕らの前を歩くミラが、今は僕の手を握ってすぐそばから離れようとしない。甘えているのでもじゃれついているのでもない。離れるのが怖いから……なんだと思う。
「…………わっ⁈ もう、いきなり何よ……えへへ」
「うん、なんでもない。なんでもないから早く元気になれよ」
ぽんぽんと頭を撫でると、ミラはちょっとだけ笑って僕のことを見上げた。それでも……やはり元気とは言えない。ついさっきまでみたいに抱き着かれることは無いけど、それでもやっぱりくっ付いてないと不安なんだな。はあ……どんだけ僕の心配してるんだコイツは。
「…………それだけじゃないよなぁ……」
慎ましげに僕の手を握って歩くその小さな少女を、僕はどれだけ傷付けたのだろう。起きて来なかった僕への心配もあるが、それと同じくらい僕のあの発言が相当深く傷を残しているみたいだ。
カッとなってやった。反省している。テレビでよく見るフレーズが頭をよぎる。反省するしか出来ないと、本当にそれしか言えないのかもしれないな。
コイツへの償いをどうして叶えることが出来るだろう。そんな簡単に癒せる傷じゃないとしたら……本当に僕は取り返しのつかないことをした。
「ふたりとも、ちょっと良いかな。その……なんだ。フリードに会うに際して、ひとつだけ気を付けて欲しいことがあってね。今のうちから念押しをしておきたくて」
「気を付ける……ですか。何か気を付けなきゃならないことがあるような、気難しい人なんですか……?」
ぽんと肩を叩かれ、振り返るとそこには難しい顔をしたマーリンさんがいた。なんだろう、その気を付けなきゃいけないことって。
僕の問いに答えを出しあぐねている彼女に、件のフリードという男に会うのがどんどん嫌になっていく。そんな面倒な…………ごほん。礼儀を重んじる人なんだろうか。
「……その……うーん。いや、気難しいとかではないんだ。むしろ気さくと言うか……そうだね、慣れればとっつきやすい男ではあるよ。慣れれば…………慣れ………………はあ」
「慣れるまでが大変なんですね……いったいどんな人なんだ……」
僕の口からはとても。と、冷静に考えるとなんだかとんでもない発言が飛び出した。いやいや⁈ アンタも大概変な人だからな⁈ うーんと唸ってまだ答えを探している星見の巫女様とのファーストコンタクトを思い出す。思い………………ぐぅっ…………下っ腹が痛くなってきた…………さ、寒気が……
「……そうだね、えーっと。まず、何があっても驚かないこと。そして……どんな状況になっても、僕を止めてくれるな。きっと再会を果たした時、僕はあの男に殴り掛かるだろう。別にこれは通例というか……昔からのじゃれあいみたいなものだから無視して欲しい」
「殴り掛かる…………ひぃんっ⁉︎ で、出来ればあんまりショッキングな映像は見せないで欲しいですけど…………」
すぐに手が出るのは良くない。良くないぞ、うん。何があったかは知らないけど、話し合いで解決するべきだ。
しかし…………うん? 何があっても驚かないこと、ふたりの間に発生するバイオレンスなスキンシップを止めないこと、か。うーむむ………………?
そう言われるってことは、そんな事前情報があったとしても驚くような出来事が訪れるフラグなわけで。そして……同時に、止めざるを得ない事象が起きるのも半ば確定なわけで。はて……どうしてだろう、嫌なフラグを立てただけな気が…………
「とにかく、僕とフリードとのやりとりには大概意味が無いから。不毛な諍いというやつだけど、不本意ながらそれが絶えない。だからまあ……………………あ、あんまり幻滅せずに、これまで通りに接して欲しい」
「りょ、了解しました……?」
意味の無いやりとり……か。うふふ……なんだかとっても仲良しなんですね。顔を合わせる度に殴り掛かって殴り掛かられて。それでも付き合いが切れてないってことは、それだけ気の置けない間柄なんだろう。ユーリさんとも少し違う、マーリンさんにとって特別心を開いている相手なんだろう。
うふふふ…………なんだろう、ちょっと吐きそう。べ、別にマーリンさんのことなんてどうでも良いけど…………良くない…………っ。うう……NTRは嫌いなんだよぅ…………っ。憧れの美人なお姉さんが僕の知らないところで…………なんて展開はノーサンキューです。はい? 男嫌い設定? 正直アテにならないよ、そんなの……
「…………? 何やら顔色が優れないけど……大丈夫かな?」
「っ⁉︎ アギトっ、どこか悪いの⁉︎ ちょっと休む? もしかしてさっき食べたご飯が合わなかった?」
勝手に変な妄想を膨らませてひとりで凹んでた僕に、マーリンさんがまずちょっとした勘違いで優しく声を掛けてくれた。掛けてくれた…………結果、ミラがとんでもなく青ざめた顔でオロオロしだしてしまった。
いかん……相当重症だな、コイツ。大丈夫だよ、フリードさんと会うのがちょっとだけ怖くなっただけ。と、荷物を漁って水筒やら薬やらを引っ張り出すミラを抱き締めてなだめる。はあ……癒される。でも……はあぁ。そんなに心配されるとまた凹みそうだよ。
「マーリンさんが変なこと言うから……はあ。俺は意外と人見知りで繊細なんです。それも立場のある偉い人と会う前に、変なプレッシャー掛けないでくださいよね。まったくもう」
「おっと、それは申し訳無い。ふふ……でも君、初対面でも僕に対してなんの物怖じもしなかったじゃないか。へー……僕にはそれだけ風格や威厳が無かったって言いたいのかな?」
ああもう! ああ言えばこう言う! 変なへその曲げ方しないでくださいよ! と、にまにま笑って僕の頰をつねるマーリンさんに訴えかけるが、どうにもいたずらが止む気配が無い。うぐぐ…………うぐ? はて、そう言えばミラが噛み付いてこない。なんて失礼な! ふしゃーっ! と、なっててもおかしくないのに。
「…………重症だな、本当に。マーリンさん、その…………心の傷に効く魔術は無いでしょうか……」
「思ってもそんなこと口に出さないの。君がそうしてあげるくらいしか特効薬は無いよ。それと……その……なんだ。風格や威厳を感じなかったってとこへの否定は無いのかい…………?」
勝手に言って勝手に凹むんじゃないよ‼︎ 威厳も風格もそりゃ無かったよ! だってそんなの感じる前に…………でへ。ボクっ娘良いよね、ボクっ娘。とっても僕の好みにマッチしてて……でへへ。
黒髪清楚でとびきり美人、その上ボクっ娘。もう好みどストライク過ぎて…………いやぁ、ふふふ。かち上げられるまで、この人が僕の人生のヒロインなんだとさえ思ったほどだよ。今となっては…………はあ。
くだらない話もそこそこに、マーリンさんの言った通り、僕らは夕方にはまた別の街へと辿り着いた。こちらは先程の街よりもずっと大きく、そして…………なんだ。良い言い方をするならば機能的、悪い言い方をするのならば…………
「……随分とまあ不恰好と言うか…………」
「あはは、言えてるかもね。必要に応じて、街そのものをツギハギしてきた急ごしらえの街。ここもアーヴィンと似たように人が流れて来やすいからね。あそことは違って、王都や他の街への中継点として。宿賃を浮かす為の赤貧旅人の宿街ってところさ。僕らにはぴったりの場所だろう?」
そりゃまた本当にぴったり過ぎて何も言えないですよ。観光地近くにホテルが多く建つのは当然として、街ごとそれに特化するとは。
街の拡大によって無理矢理押し広げられたのであろう砦の歪な形や、狭いスペースにも詰め込むように建ち並べられた宿と思しき建物群。それと、簡便的な機能を持つだけに見える小さな飲食店や雑貨店。ううむ……なんというか、せわしない街だなここは。
「でも、意外と人が居ないのはなんででしょう。今の説明なら……というか、この規模の街ならもっと人が歩いてても……」
「みんな明日に備えて寝てるよ。それかまだ戻ってないだけ。ここには本当に寝所を求めて立ち寄るばかりだからね。ご飯は他所の良いものを食べるし、早くから出発したいからここで遊ぶことも無い。観光目的でも商業目的でも、勿論それ以外でも。栄えてる割には寂しい街だよ」
な、なるほど……? ベッドタウンくらいは小学校の社会科で聞いたような…………? まあ……色々言っても僕らがそうだしね。今から宿とって、軽くご飯食べたら寝るんだろう。そして朝早くにまた王都へ向けて出発…………ご、ごめんなさい。思いっきり中継点の足休めにしか使っていかないです…………




