第三百九十話
ん……あれ……寝てた……のか。ふと自分が眠っていたのだと、たった今意識が戻ったのだと理解する。
それは何にと言うわけではなく、ただ漫然と……そう、なんとなく。今の今まで意識がなかったような気がする、という自分の持ってるふんわりとした感想を元にそう考えたってだけ。
ただ……それは少しだけ、本当に少しだけ怖いものに感じた。
「…………ミラ? いないのか……?」
抱き締めていた筈のミラがどこにもいない。ああ、なんだ、これは夢だったのか。
起きたと思ったのに、まだ夢の中……眠りの中だった。まるで起きて生活しているかのようなリアリティを持った夢。
別にそれ自体は変なものでもないし、月に一回も見ないけど、イメージとしては残りやすい。
だから……はあ。嫌な気分になる。またアイツが……夢の中とはいえ、ミラがどこかに行ってしまうなんて。
「…………どこだ……ミラ……?」
夢の住人である僕と、自立した意識である僕とは、別の行動を取ることもあるだろう。
頭ではこれが夢だと分かっている。そして、こんなくだらない夢を見せるな! と、叫んで終わりにしてやりたい気分にもなる。
けれど操り人形のような夢想の僕は、本来の持ち主である僕の考えとは別の行動ばかりを選んでしまう。
けどまあ……それは本来の僕の行動原理に従ってはくれているみたいだ。
「……ミラ……ミラ…………っ。どこだよ……ミラ……」
布団をめくり、ベッドの下を覗き込み。そして部屋中を探すと、今度は捜査区域を部屋の外へと広げていく。早送りのような光景に少しばかり眠たくもなった。いや、夢の中で眠たいってのもどうなの……?
「ミラ……っ。マーリンさん! どこにいるんですか……っ! ミラ! ふたりともどこだよ!」
はいはい。どこにもいやしないってば。だってそういう夢なんだろう?
起きたら大切な人がどこにもいなくて、寂しくなって探し歩いて。そうして部屋の外へ出たなら……ほぉら。
「…………みんな……どこだよ…………っ」
マーリンさんが泊まっていた筈の向かいの部屋は空っぽ。ミラが借りた部屋も、マーリンさんが借りた少し遠い部屋も。そして受付に向かっても、この場所には誰もいない。
さあさあ、早いとここの茶番を終わらせてくれよ。こういう夢ってのは後ろから突然驚かされるか、真っ暗な穴の中へ落ちていくか。ともかくびくっとして起きるってのがお約束だろう。だからさ……
「…………なんで……みんな…………っ」
——なんで……みんなどこにもいないんだよ——っ。
意識は今度こそ覚醒した。ああ……本当にくだらない夢だった。くだらない……くだらない夢だったんだ。だから……っ。
「……ミラ……っ。よしよし……」
腕の中ですぅすぅ寝息を立てる小さな妹の頭を撫でる。そうだ、怖がるな。もうこれは夢じゃない。そして……あの夢のようなことは起きない。
大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ。瞼を開けるのが怖い。今目の前にいるのがいつもの愛くるしい寝顔のミラであると確信しているのにも関わらず、またあの邪悪な笑みを浮かべていたらどうしようなんて勝手な恐怖を抱いてしまう。
大丈夫……なんだ。ぎゅうと目を強く瞑ると、ぽん。ぽん。と、ゆっくり、そして優しく背中を撫でる、誰かの存在を感じ取った。
「…………おはよう。今朝はちゃんと起きたね」
「——っ! だっ…………だから……近いんですってば……」
目を開けるとすぐ側にマーリンさんの鎖骨が見えた。おい、そこ。目の付け所が変態とか言うんじゃない。本当にすぐそこにあるんだ、抱き寄せられていたんだよ。毎朝毎朝……くっ。
不覚にも、どうやら昨晩はこの人を追い出す前に眠ってしまったようだ。うぐ……そして腹立たしいことに、出来損ないの悪夢なんて見たせいでちょっとだけ…………ほ、本当にちょっとだけだよ⁉︎ ちょっとだけ……その手のひらの温度と、彼女の匂いに心が落ち着いて行ったのだ。
「よしよし、そう邪険にしないでよ。これからは毎晩添い寝してあげようか?」
「ぐっ……くそぅ……っ。あ、あんまりからかってばかりいると……まっ、また反撃しますよ!」
こちらとしても精一杯の抵抗をしなければならない。毎晩なんてそんな幸せ……げふん。そんなにひっきりなしにからかわれてたまるか! 心臓が保たんわ!
なんて、そうは言えないから、ミラを抱き締めたままゆっくりと距離を取る。しかし……
「……随分うなされてたよ。本当に放っておけないくらいにはね」
「っ。それは……いや…………まあ、変な夢は見ましたけど……」
どくんと心臓が跳ねた。ただからかっているわけではないらしい。彼女は本当にからかう目的ではなく、僕のことを想って側にいてくれたのだという。
真剣な表情で、それもとてもつらそうで悲しげな顔でそんなことを言われたら……っ。
「…………ま、僕もここのところ頼りないところを見せ過ぎた。君の行動の奥に、僕を助けてあげようって感情が見て取れる。それはとても嬉しいし頼もしい。けど……やっぱり一番お姉さんなのは僕だからさ、甘えなよ。それが無理なら頼りなよ」
「……そうは言っても…………っ。いえ、そうですね……」
ゆっくりとしたテンポで小気味好く撫でられる背中に、不安も恐怖も薄らいでいくのがよく分かる。
この人に助けてもらってばかりじゃいけない。この人にも不安や恐怖が、なんとかしなければならないと頭を抱えている問題が山程あるんだ。って、そう何度言い聞かせても、僕の体と心はその安らぎに傾いていった。
「……君の気持ちも分かる。けど、ここまで来たら僕らはもう共依存の関係と言ってもいい。誰かが潰れたら全員漏れなく転んでしまう。結構じゃないか、共倒れ上等ってね。だから……君はそのまま優しくいてくれればいい。その上で甘えて。頼りになる人でありながら、誰かに頼ることは矛盾していないよ」
「ぐぐ……だからって…………はふぅ……」
だからって…………だからってあんまりポンポンなでなでするんじゃない! 子供扱いも大概にしてくれ! ものごっつ心地良くてほんと…………っ。癖になったらどうする!
必死の抵抗でミラを押し付けて距離を取ると、マーリンさんは困ったように笑って、すくっと体を起こして立ち上がった。
「はいはい、本当に強情だ。ならもう行こうか。路銀は稼いだ、ここに長居する理由は無い。早いとこ進んで、この旅を終わらせよう。そして……そのあとゆっくり故郷へ帰ろうか」
「はい…………って、そういえば」
なんだよぅ。と、不機嫌そうに肩を落として振り返る姿に、少しだけ申し訳なくなった。ご、ごめんなさい。ちょっといい感じの言葉で締めて出発しようとしてたのに……
「その……魔人の集いのことは…………」
「もちろん対処する。けど……今はまだどうにもならない。魔王の庇護のもとにいるのならば手は出せないし、そうでないのならあまり関わっている暇も無い。奴らの本拠地が東にあるのなら、どうあがいてもまずは魔王を討つ必要がある」
魔王……か。はあ……どうしてラスボス後にあんな厄介な連中と戦わないといけないんだ。
ラスボスの後の隠しボス、裏ボスはワクワクするけど、それが見えてる厄介者じゃ面白くないんだよ。言うなればストーリー中に出てくる小物お邪魔キャラ。正直魔王という響きに比べたら流石に見劣りするし。
いや……どうにかしなきゃって感情は、イメージも湧かない魔王なんかよりもずっと強いんだけどさ。
「さあさあミラちゃんを起こして。昨日あれだけ泣いてたからね、ちょっと可哀想だけど……心を鬼に…………うう…………もうちょっとだけ出発は待とうか……」
「意思が弱過ぎる……起こしますよ、起こしますからそんな情けない顔しないでください。ほらミラ、起きろ。行くぞ、出発だぞ。置いてっちゃ…………置いて…………置いてなんて行けるか! ずっと側にいてやるからなぁ!」
意思が弱過ぎるよ。と、頭を叩かれた。うるさい! 誰がなんと言おうとずっと側にいるんだい!
そうだ、側にいるんだ。あんな夢、絶対に現実にしてたまるか。
今はマーリンさんの言う共依存だとしても、きっといつかミラがひとりで羽ばたけるようになるまで…………ひ、ひとりで…………っ⁈ 嫌だぁ! ひとりで行っちゃやだよぉ! ミラはお兄ちゃんと一緒にいるもんね⁉︎
と、そんな勝手な妄想に震え上がりぎゅうぎゅうと抱き締めていると、流石のミラも目を覚まして嬉しそうに抱き締め返してきた。わあい! 可愛い! 僕の妹は全宇宙で一番可愛いんだ!




