第三十九話
今日、僕はまた一つ大人の階段を登った。なるほど、コース料理では食事の最中にデザートを食べるのだな……ふむふむ。グレープフルーツだろうか、オレンジだろうか。ダメだ、デコポンとか夏みかんなんて名前ばかり浮かんでくる。ともかく、ほんのり苦味のある甘酸っぱい柑橘のシャーベットを食べた後に運ばれてきた鶏肉の……いや確か鴨と言っていた気がしたな。うん、鴨の……焼いてあるやつ。コン……なんと言ったかな。コンビーフ……コンソメ……コンビニチキン……ダメだ、とてもじゃないが覚えている余裕なんてなかった。
「失礼、そんなに慌てて召し上らなくても大丈夫ですよ」
おっと、そんなにがっついていただろうか。差し出されたナプキンを受け取ると、少しだけ恥ずかしくなってロイドさんに会釈した。すると彼は、どうやら何か伝えたいことがある様で、視線を僕と何かもう一つ背後の方へ行ったり来たりさせているではないか。
「…………うちの子が失礼しました」
僕は視線の先で口の周りをソースで汚した少女を発見した。目をキラキラさせて次の一口を待ち望んでいるその口を拭いてやると、彼女は顔を真っ赤にして僕の背中に顔を埋め……
「あっ、こら! 人の服で拭うんじゃありません!」
「う、うううるさい! アンタが食べさせるの下手なのよ!」
随分かしこまって借りてきた猫みたいになっていたさっきまでが嘘みたいに、いつも通りの子供らしさ全開のミラが戻ってきていた。
「ふふ。それほどにまで夢中になって頂けたのなら、私共も本望です」
子供の喧嘩を宥める大人の様に、優しい目でロイドさんはそう言った。そして綺麗に平らげられた皿を器用に運んで厨房へと消えていく。なるほど、お皿は重ねて片付けないのだな……
「はぁ……美味しかった。給料出たらまた来よう。絶対来よう」
「あ、ずるい。私も連れて……いや、やっぱり……」
一体どれだけ薄給なんだ、市長。そしてそこはかとなく不安になるのだが……どのくらいお給料出るんだ、市長秘書。さっきまでウキウキだった彼女の見せる寂しげな顔に、心の底から不安を覚える。
「お待たせしました。デザートにミルフィーユとアイスティーを用意させていただきました」
よーし恥をかかずに済んだ。なるほどデザートは二回出るのだな。あるいは如何にも甘いものが好きと見える彼女への配慮なのだろうか。よし、わかんないけどすごく美味しそうだから良し!
「あわわわ……これが夢にまで見たポミエラ=カステールのミルフィーユ……」
「光栄です。よろしければおかわりも準備いたしましょうか」
「やっ……い、いえ。ただ頂いておいてそんな……えっ? 本当に良いんですか……?」
俄然彼女のテンションが上がる。ただ跳ね上がるというにはあまりにも急、射出されたロケット花火の様に一気に最高点まで上り詰めた。しかし、本当に良いのだろうか。彼女も言っていた通り、僕らは無償でコースを食べさせて貰っている。その上ケーキおかわりなんてそんな。え、本当に良いんです?
「……そうですね。もし気が引けると仰るのでしたらこうしましょう。これからは定期的にいらしてください。もちろんお代は結構。そしてその度美味しいと言って頂ければ」
「なーんだそんなこと。任せてください。ミラのこと引きずってでも…………? 今、なんて言いました?」
定期的に来てタダ飯を食っていけと申された? いえ仰った? 定期的に極貧市長にお恵みを下さると仰る?
「いえ、その。ご存知ないこととは思うのですが。私は市長に一度命を救われているのですよ」
「へ? え、わ、私がですか⁉︎」
嬉しそうにはにかみながら、そう古くもない昔話だと切り出してロイドさんはその話を始めた。
「もう十年程前でしょうか。脚を負傷した私は戦列を離れ都で療養し、それでも脚を切ることになって。もう使い物にならないと判断された私は、隊から除名され故郷へと帰りました」
それは僕も知っている。でも、あくまで聞いた話で、それも噂話でという程度に、だから。余計なことは口にしなかった。
「それから四年。故郷は魔獣の侵攻を許し、満足に動けない私を庇って父や村の人々が犠牲になって。這って逃げるのがやっとだった私は、多くの大切なものを犠牲にしながらガラガダに落ち延びました。そしてそこでこの脚と出会いました」
脚、というとつまり義足のことだろう。カンカンと指で叩いた脚を見て僕はそう理解した。
「…………あっ……えっ……? え、あぁ…………ああ!」
突然頭上から大きな声がする。ちょっと、今いい話しているところだから大人しくしてなさい、と釘を刺そうかとも思ったがどうやら違うようだ。ロイドさんはにっこり笑って、そうです。と、意味を持たない彼女の言葉に返事をした。
「私はこの義足を作ったという職人を訪ねてこの街へやって来ました。幼い錬金術師であり、技師であり、まだ市長でない頃の貴女に」
技師…………? まだ増えるの肩書き……? とはもう今更思うまい。いや、思う。しかしそんな僕のことなど御構い無しに、ミラは嬉しいのか恥ずかしいのかよくわからないと言った顔で裾をたくし上げられたその義足を見つめていた。直に見るのは僕も初めてだったが、どうもそれは歪というか、不格好だった。
「あうう……嬉しいんですけど、やっぱり変えた方が良いんじゃないですか? あの頃は良く出来たなんて思って一緒に持って行って貰ったんですけど……その……」
「いえいえ、いや。はは、私もこれを渡された時はまさかこんな歪んだ脚で歩けるのかと思いましたがね。今ではもう体の一部、他の義足なんて考えられない」
たしかに。前回、今回と見た彼の立ち振る舞いを思い返せば、もうそれは彼の意のままに操られているのがわかる。あんまり恥ずかしそうに顔を赤らめるミラを思ってか、ロイドさんは裾を伸ばして立ち上がった。そして深く一礼してまたにっこりと笑う。
「無邪気に走り回る姿。工房で機械を組み上げる姿。本を読み漁りながら薬を調合する姿。遠目に見ただけでしたが凄く勇気を貰えました。それこそもう一度、もう一度立ち上がって生きてみようと思える程に」
そう言って彼は、少し恥ずかしそうに首をさすりながら笑った。もしかしたらロイドさんは……いや、よそう。
「ですので、貴女には勝手ながら恩義を感じているのです。条件が必要というのなら、貴女の元気な姿を見せて頂ければそれで。この街には多いと思いますよ、私の様な者も」
「……え、えへへ。ありがとうございます」
控えめに笑ったミラの声色も随分嬉しそうなものだった。お時間頂いて申し訳ない。と言うと、彼は紅茶を注いでまた厨房へ戻っていった。照れ隠しだろうが、ケーキを急かす彼女はずっと機嫌がよく見える。
「……ほら、やめなくてよかったろ。分かったらちゃんと大人しく寝てるんだぞ」
つい意地悪なことを言ってしまったかな。と、彼女の顔色を伺ったりもしたが、はいはい。わかりました。と、言葉の割に素直な態度をとった彼女に安心する。結局二人しておかわりを貰って、是非またと言ってレストランを後にした。
「じゃあ帰りましょうか。誰かさんがうるさいし」
「おう、いくらでも言ってやるさ。方々からお願いされてるしな」
久し振りに彼女の号令で僕らは目的地向かって歩き出す。明日からは彼女の代わりに僕が街を駆けずり回るのだ。
さて、また気付けば帰って来たわけだ。ああ、分かったからそんな物欲しそうな顔をするな。僕はまた一歩だけ大きく踏み出して、体を一呼吸遅れさせてその敷地内へ引っ張り込む。
「ただいま!」
「うん、おかえり」
ああ、くそ! 本当に余計なこと言った! これが彼女の提案なら別に文句もなかったが、自分が言い出しっぺとなるともう小っ恥ずかしいこと!
「あのさ。俺が言い出したことなんだけどさ」
「やーっ! やーめなーい!」
そんなやりとりをしながら彼女を部屋まで送り届け、今度こそしっかり布団を敷いてそこに降ろした。こうして直に触ると再度実感するが僕らの寝具はあまりにも……いややめよう。目をそらすと言うのも立派な勇気だ。
「じゃあちゃんと大人しくしてること。俺も眠たいからもう寝るよ」
「……ん。おやすみ」
彼女のボロボロの体を預けるには心許ない布団にゆっくり寝転ばせて、僕は彼女の部屋から退散した。さあ寝よう。ただでさえ寝不足なのに、明日からは大忙しだ。まだ日も落ちきっていなかったが、僕は死んだように眠りについた。
パチリと目が覚めた。さっき眠ったばかりだったと思ったのだが、とは思わなかった。ああそういえば。昨日は二日目か。午前三時。どうやら向こうで早くに寝ると、こちらでは早くに起きるようだ。となれば、どちらでも二日目は夜更かし厳禁だな。そんなことを思いながら体を起こす。
見慣れた汚い部屋の中、僕は大量の通知が来ているスマートフォンを視界の端に捉えた。