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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第三百八十八話


 いったいどれだけの時間が経っただろう。一向に泣き止む気配の無いミラを抱き締め、撫で続けて、しばらくの時間が経った気がした。

 外はすっかり暗くなっていて、それだけ長い間目を覚まさなかったのだと実感する。

 どれだけ不安にさせてしまったのだろうか。いくら抱き締めても甘えたり噛み付いたりしてこない。そんな余裕すら無いんだ。

「…………マーリン様が待ってる。私はもう大丈夫だから……」

「……じゃあもうちょっと大丈夫って顔しろよ……っ」

 ゆっくりと体を起こして僕から離れていこうとするミラのつらそうな表情に、どうしても放って置けなくてまた抱き寄せてしまった。

 行かないと、行かないと。と、小さく呟きながら、ミラも僕の服を弱々しく掴んでまた涙をこぼし始める。こんな状態ではまだとても…………

「……行って。起きてくれたから……アギトとこうしてまた話が出来たから…………私はちょっとだけ大丈夫だから。だから……行って、アギト」

「…………でも……」

 離れたくない。ミラが弱っているから、ひとりにさせられないからじゃない。僕が彼女から離れ難いのだ。

 不安なら僕だってしこたま抱え込んでたんだ、そう簡単に切り替えられやしない。だけど……

「……きっと……きっとアギトのことで話があるの。私はちょっとだけ大丈夫になったから、今度はアギトが大丈夫かどうかをちゃんと調べて貰わないと。また…………またこんなことになったら…………私は…………っ」

「………………分かった。出来るだけすぐに戻る、約束だ」

 それでも、目の前の大切な家族の不安を少しでも早く解消してやらないといけない。マーリンさんの所へ行って、診療なのかなんなのか知らないけど、何かして貰えばミラの不安は少し緩和される。

 なら…………と、別れを惜しむようにぎゅうと強く抱き締めて、そしてゆっくりと離して急いで部屋を出た。

「……失礼します」

「うん、来たね。三十分か、思ったよりも早かったね。君のことだから、ミラちゃんを放っては置けない。なんて、あの子が寝付くまで一緒にいるかとも思ったけど」

 それは……出来ればそうしたかった。向かいの部屋に入ると、そこには椅子に腰掛け、本を読みながら調べ物をしているマーリンさんの姿があった。

 少しだけ優しげに、それでも呆れたように僕を見て彼女は笑う。そうだ、早いとこ話を聞いて戻らないと。アイツのことだ、きっとロクに眠れもせずにいたことだろう。早いとこ休ませてやらないと……

「……さて、サクッと本題に入ろう。君にはふたつの質問をするよ。答えられる範囲で、可能な限り詳細に答えて欲しい」

「質問……ですか。分かりました、俺に答えられることなら」

 もう少し首を傾げて色々突っ込んでくるかと思ったけど。と、クスリと笑ってマーリンさんはすぐに真剣な顔になった。僕の意図を汲んでくれているんだ。

 早く終わらせてミラの所へ、それはきっとこの人も同じ。なによりも大切なのは弱り切ったアイツの回復なんだから。

「……さて、まずひとつ目。いったい何があった? 君の状態は至って健康、魔術的にも医学的にも問題無し。けれど起きてこなかった。故にミラちゃんが君を心配するのはよく分かる。けどね……」

 けど。と、タメを作って、マーリンさんは黙ってしまった。早くと急かすのは簡単だけど、それじゃ意味がない。不安の種を取り除けるなら全部取り除いておかないとまた繰り返しかねない。

 これを問うても大丈夫なのだろうか、と。きっと今この人は真剣に、僕らの為に悩んでくれている。

「……いいや、尋ねなければ始まらない、か。はっきり言う、先ほどの君の反応はおかしいものだという自覚はあるかな? 起きてこなかった君を心配して泣いたミラちゃんとは違う。君はまさか泣いているミラちゃんを見ただけであれだけ取り乱し、涙を流したなんて言わないだろう。何か理由がある筈だよね、君も君でミラちゃんをあれだけ心配する理由が」

「……それは…………」

 怪我の自覚症状があって、意識を失う寸前の恐怖心があったと言うのなら、それもこと細かに話してくれ。と、マーリンさんは申し訳なさそうに眉間にしわを刻んで頭を下げた。

 そう……か。それもそうだ、僕の反応ははたから見たらおかしなものだっただろう。眠っていただけの僕に、果たしてなんの恐怖があったというのか、と。彼女の疑問はもっともだ。

「……夢を見たんです。ミラが……アイツが壊れてしまう夢……」

「夢……? 詳しく聞かせて欲しいな」

 はいと頷いて、僕は握った拳の中が湿っていくのを自覚した。恐怖心の根源はやはりこの夢なのだ。話してしまえばスッキリするだろうか。それとも……

 夢の仔細を彼女に説明した。目を覚ましたらミラが居なくなっていた、と。

 みんなが倒れていて、一様に一方向を指し示していた、と。

 そしてその先で、自らが傷付くことを厭わぬ、壊れた笑顔の狂人ミラがいたのだ、と。

 話をしているだけであの笑顔が浮かんできて、勝手に震えだす僕の体に、マーリンさんは痛ましそうな視線を向けていた。それでも止めることも慰めることもせず、必要なことだと言わんばかりに沈黙を貫いていた。

「…………成る程、考えられる中で最悪の可能性だね、それは。そんな夢見たらそりゃ泣きたくもなる。ごめん、僕が無神経だった。つらいことを言わせてしまったね」

「いえ……個人の夢なんて分かるわけないですから、いくらなんでも……」

 僕の言葉にマーリンさんはまた黙ってしまった。まさか表情から……目から夢の中身まで予想出来るのだ、なんて言いださないだろう。

 だが、がつんと机に肘を突いて頭を抱えると、マーリンさんは苛立ちを隠そうともせずに険しい顔でまた口を開く。

「…………分かった筈なんだよ、予測出来た筈だった。なにせその結末は一度見ている。彼は…………先代の勇者は、君の夢の中のミラちゃんと同じように壊れてしまった。元々利他的で、自己犠牲の精神が強い男ではあった。けど……自らが傷付いても平気であるという認識は次第に暴走し、遂には自らを生きる盾とすら呼び始めた。もっとも……それを止められなかった僕も、それを勇気と勘違いしたフリードも、彼を非難なんて出来ない。これは僕らの罪の一端でもあるんだから……」

「…………生きる盾……ですか……」

 ぎゅうとまた胸が締め付けられる。やはり……やはり何かあるのだな。この人達の旅の終わりに、きっと何か大きな絶望が待っていたんだ。それを隠しているのか、それとも思い出したくないのか。今はそれを考えることも出来ないけど……

「……アイツはゴートマンを相手に腕を……自己治癒を盾にして戦うという答えを出しました。多分……それがきっかけで……」

「…………成る程、昨日起きたことの全容が見えてきた。そんなあの子を見かねて、僕の結界もかなぐり捨てて立ちはだかったんだね。まったく…………無茶をするよ」

 すみませんと謝る僕に、マーリンさんは笑って何かを投げ渡した。それは、切れたチェーンを直したあのネックレスだった。

「これが効かなかったわけじゃなかったんだね。うん、面目は保てて良かった。さて、じゃあ次の質問に行くけど……大丈夫かい? ちょっとだけ休む?」

「いえ、大丈夫です。その……マーリンさんこそ、大丈夫ですか……?」

 気の利く良い男になってきたね。と、少しからかってマーリンさんは笑った。

 そして、ありがとうと僕の頭を撫でると、また真っ直ぐに僕を見つめる。大丈夫なもんか、つらいのは彼女も同じだろうに。

「次に、ミラちゃんの反応に何か身に覚えは無いかな? 確かに、君はあまりにも長い時間眠りこけていた。心配になるのも道理だ。けどね、物ごとには限度ってものがある。彼女のアレは不安や心配なんかじゃない、心の底から怯えているようだった。何に、何故。心当たりは無いかな? ただ眠っているだけの人間を前に、あれだけ取り乱し恐怖する理由に」

 ゾッとするほど冷たい目をしているように錯覚した。勿論錯覚だ、さっきまでと同じ優しげな眼差しをしている。

 そう感じたのは……僕にやましい、つつかれると痛い隠しごとがあるから……?

「……いえ、俺にはなんとも。元々アイツは過剰に他人を心配する性格ですし、それに何より…………アイツの出自を……ハークスでの出来事を考えれば…………っ。誰かを失うことに対して人一倍恐怖心を抱いていても……怯えていてもおかしくはない……と、思います……」

「……そうだね、それもそうだ。あの子の場合、そういうバックボーンがある。君は彼女にとって家族に等しい。そして、あの子は既に二度、目の前でその家族を失っている。そうだね……出自、という話をするのならば、あの子はまだ生まれて六年ほどしか経っていないことになる。死や別離に理解の無い幼子と同じ精神性に、とっくに成熟して恐怖を理解した大人の知性が合わさっていると言えよう。ナイーヴで当然、か」

 とても怖い話をされているような気がした。僕は物心着いてすぐの頃におばあちゃんを亡くしている。

 あの時は……何も感じなかった。ただどうしてみんなが暗い顔をしているのか分からなくて、むしろ面白おかしいとすら思った程だ。

 勿論、それがなんであったのかを理解した時には泣いたし、怖くもなった。

 アイツは……そんな、知らないから平気でいられるだけの弱い精神に、大人顔負けの理解力でストレスをしまいこみ続けているのか。

「……けど、あの子だからで片付けてはダメな問題でもある。もしもあの子が君の異常にああまで取り乱した理由…………いいや。君の異常そのものに思い当たる節があったかのような反応をした理由。もしも何かあれば、いつでも話して欲しい」

「……分かりました」

 僕の異常をミラが知っている可能性……か。そうだな……そうだ、話さないと。マーリンさんにだけじゃない、ミラにも。

 今回の元凶、僕のあり方について。ミラにそれを知らせておけば、あんなにも不安に思うことは無かったかもしれない。別の世界で徹夜しているのかもなんて思って、多少安心してくれるかもしれない。

 ふたりの不安を……恐怖を。それらを取り払って、更に誤解も解いてしまえる。もう僕の過去や出自に対して気を使わなくてもいいんだよ、って。

「…………その、一個だけ……思い当たる節……じゃないですけど……」

「何かあるのかな? うん、聞かせて欲しい。ゆっくり纏めてからでもいいよ。時間はあるからね」

 そうだ、言うんだ。全部言って…………気味悪がられるかもしれない。信頼や信用を失うかもしれない。けど、これでふたりの悩みを一気に解決出来る。

 これから先、また同じようなことがあるかもしれないから、って。その度に同じように慌てていたんじゃ、きっとふたりの心がもたないから、って。言え…………全部言って…………全部……

「…………昔、クリフィアで同じようなことがあったんです。その時は逆でしたけどね。直前に魔獣の群れに襲われて、命からがら逃げ延びて。もうミラがいないと絶対に生きていけないって思ってた時、まだ早起きだったアイツが昼過ぎになるまでうんともすんとも言わなくて。あの時の俺は、それこそこの世の終わりかってほど取り乱してて……だから、もしかしたらアイツの中で、俺の存在がそれだけ大きくなってるのかも……って」

——言えるわけがない——っ。今そんなのを打ち明けてしまったらいったいどうなる……っ。

 今……っ。今のミラはもうボロボロだ、これ以上の猜疑心を抱けば本当に壊れてしまうかもしれない。

 マーリンさんだって同じか、それ以上にまずい状態かもしれないんだ。たったひとりで国の未来を背負って、ただでさえ癒えてない心の傷を自ら抉りながらでも前に進んでいる。

 こんな状態のふたりに、隣にいる男が正体不明なエイリアンだなんて…………っ。言って…………そんなこと言って、果たして何の問題も無くこの旅の目的を果たせるだろうか。

「……ふふ、それはまた可愛らしい話を聞けたものだ。でも……うん、それは大いにあるだろう。そうだね、尚更君はしっかり自己管理をしないと。もう二度と、感情的になって危ないことするんじゃないよ」

「あはは……肝に命じます、本当に」

 そんなの出来るわけがない。ただの観光旅行じゃないんだ、これは。もうただ王都に着けばいいって旅じゃなくなってしまっている、とっくに時期を逸してしまっていたんだ。

 もうこの旅は止まれない、止まらない。障害物を見つけても減速すら出来ない。なら、わざわざ線路の上に大きな石を置く馬鹿がどこにいる。

 そんなことをして……もしも取り返しのつかないことになったら…………っ。

 これから先、同じように切り替わりに異常が起きないとも限らない。けれど……それでも今の安心を壊すよりはずっと…………

「……ほら、さっさと戻って。ミラちゃんをいつまでもひとりにしないの。僕はもうちょっと調べ物あるからさ。それが終わって……まだ君達が起きてたら一緒にお話ししようか」

「…………はい。でも……アイツはすぐに寝かしつける予定ですけどね。失礼します、迷惑かけてすいませんでした」

 ひらひらと手を振るマーリンさんに頭を下げて、僕はまた自室に戻る。ベッドに腰掛けたままのミラは、僕が帰ったのを見るや否や両手を広げて抱き締めてと催促した。

 ああ……そうだ、この少女の信頼を裏切れない。たとえこのまま一生……それこそ、魔王を倒した後にまでこの嘘を隠し通してでも。絶対にミラだけは…………っ。

「…………よしよし、本当に甘えん坊だな。ちょっと疲れて寝てただけだってのに……」

 ぎゅうと抱き締めるとミラはまたぐすぐす泣き出して、そして何か小さな声で呟いた。それこそ蚊の鳴くような小さな声で、聞き取れないほどに弱々しい声だった。

 ぐいと体を持ち上げるように抱き寄せて、なんとか聞き取ろうと顔を寄せると、ミラはぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらゆっくり顔を上げた。

 涙を拭うことも嗚咽を我慢することも投げ捨てて、感情のままにまた小さく頼りない声で——

「——わないで……っ。もう二度と…………殺さ——もいいなんて…………っ。死んでもいいなんて——二度と言わないで——っ」

「っ! ごめん…………っ。ごめんな…………二度とあんなことしない、絶対に。ごめん…………っ」

 ああ——こんなになるまで追い詰めていたのか。カッとなって……ただ感情に身を任せて、勢いだけで口を衝いた言葉がこんなにも傷付けてしまっていたのか。

 昔の、出会ったばかりの時の話を思い出す。人を傷付けるのに度胸は要らない。ただ背中を押した出来事があって、押された勢いがあって。僕の考えなしな身勝手が、こうまで怯えさせてしまったのだ。

「…………一緒に考えよう。もうあんなことしなくていいようなやり方を。もう……誰も傷付かず、怖い思いもせずに済む方法を…………」

 小さく頷くと、ミラはまた僕の胸に顔を埋めて震えだした。そうだ、一緒に。一緒に考えるんだ。僕達はふたりで勇者なのだから。もう二度と……大切な半身を傷付けなくて済む方法を……っ。


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