第三百七十九話
ミラは全速力で追いかけていた。かつて味わった痺れとは程遠いものの、それでも吹き付ける風の強さは当時とそう変わらない。
纏った魔力の雷を弱める代わりに、身体機能の強化値を維持しているのだろう。細かい理屈や理由は分からないが……そんなのは今は問題じゃない。問題なのは……
「くっ……速い……っ。アギト、しっかり掴まってて!」
「っ。頼むぞ、ミラ」
問題は、それだけの速度で追いかけてもなかなか追いつかないことだ。
今までのどの馬車よりも速い、その速度は常軌を逸している。
目的はなんだ、街の中に入って何をしようっていうんだ。まさかとは思うが……あの速度じゃブレーキなんて効きっこない、無差別に人や建物にぶつかりに行こうってんじゃないだろうな。
「こんの…………こうなったら……」
「……っ⁈ それ魔具か……? バカ、中に爆弾でも積んでたらどうする! 飛び道具は無しだ、馬だけを壊して止めないと!」
分かってるけど……と、ミラは唇を噛んで、取り出しかけた銃をまたしまい込んだ。
ミラが今持っている魔具は二種類。遠距離への高火力攻撃が可能なものと、それから捕縛用のもの。きっと僕の銃を改造して作ったのは前者だ。
確かに、それで車輪を破壊出来れば追いつける。だが……あまりにも危険が伴い過ぎるだろう。何が入っているのかなんて予想がつかない、間違っても街への被害なんて出すわけにはいかない。
「…………こうなったら…………っ! アギト、痺れるわよ! 服でも肩でも腕でもいいから、しっかり掴んで飛ばされないようにしなさい!」
「飛ば……っ⁈ まさかお前……っ!」
ミラの言葉に、僕は慌ててその小さな肩に掴まった。もともと背負われて抱き着いているのだから、余程のことがない限りは振り落とされやしない。それでも更にと付け加えたのだ……となったらもう——
「——揺蕩う雷霆——改——ッ‼︎」
バチンッ——と、全身に刺すような痛みが走った。そして上げていられなくなった顔に、ミラの頭の横をすり抜けて、かまいたちみたいな鋭い風が叩きつけてくる。
改——可変術式。その名前と特性を聞いた時から予想は出来ていたが…………ここまでとは……っ。
ミラはそれを、魔力節約の為の技術として編み出したわけじゃなかったんだ。ツマミを最大火力になるまで捻って、温存だとか約束だとかをかなぐり捨てて、ミラはかつてのレヴの魔術以上の出力の強化を施した。
「ぐ——っ! なんて……でもこれなら…………っ」
「喋んないで! 舌噛み切るわよ! 絶対に顔も上げないで! ムチウチになっても知らないからね!」
おっかない話だがなんて説得力だ。チラリと前を覗いただけ、ほんの僅かに顔を上げただけで首にとんでもない衝撃が走った。ザックの全速飛行よりも速いかもしれない。痺れのおかげで温度はわからなかったけど、吹きつける風の冷たさに目が焼けてしまいそうだった。
でも……それだけの無茶の甲斐はある。ほんの一瞬の情報でも明らかだった。馬車との距離はとてつもない早さで詰まっている。
「————跳ぶわっ! しっかり掴まって絶対に動かないでっ!」
前から吹き付けていた風は突然地面に押し付けるような重力へと変わった。跳ぶって……いくらなんでも限度があるってものだろう! すぐに重力から解放されると、今度は下から風とともに落下感が襲ってきた。そして…………
「穿つ雷電ッ‼︎」
ドンッ! ゴロゴロ。と、文字通り雷が落ちて、ようやく停車した暴走列車の上で目を開くと、そこには溶けて穴の空いた鉄の馬が転がっていた。
しかし、周りにはざわざわとした空気とともに野次馬が集まっている。ダメだ、危ない。早く避難させないと——
「——やはり来たな。よもやと思ったが……まさかあの状況から生き残るとは。あちらの術師は相当な腕の医者でもあるのだろう」
「————ッ! その声…………っ」
心臓が凍りつきそうなほど冷淡な声は、すぐ背後から聞こえた。僕が振り返るよりも前に、ミラは溶けた馬車馬から飛び退いて距離を取る。
間違いない……間違える筈が無い。衝撃にひしゃげた車の扉が吹き飛んで、中から見覚えのある白衣姿の男が現れた。
「——ゴートマン——っ!」
「その通り。我々こそがゴートマン。魔の意思に従う人ならざる者。魔人の集い、その尖兵である」
男の姿を確認すると、ミラはまた一層強い雷光を発し、今にも飛びかからんと拳を握りしめた。僕は…………っ。
「……っ⁈ アギトっ! しっかりしなさい!」
息が出来ない、足が震える。目の前の男は、間違いなくミラを殺したあの白衣のゴートマンだ。そして……何より最悪なのはこのシチュエーション。
馬車はやはり集いのものだった。そしてその馬車によって、またしてもマーリンさんと分断されてしまった。ミラはこれに追いつくためにかなり無理な出力で魔術を使っている。
何から何まで全く同じ……あの時と同じ状況なのだ。ダメだ……っ! 戦っちゃダメだ、勝てっこない。逃げなければ…………逃げなければ今度こそ確実に——
「——アギトッ‼︎ 魔具を……マーリン様が与えてくださったそのネックレスを使いなさい! 負けないわ……アンタが無事で待っててくれれば、私はもう二度と負けないっ!」
「っ! ミラ…………でも……」
いいから早く! と、背中越しに怒鳴りつけられた。
状況が状況だ、野次馬も流石に様子がおかしいと避難を始めてくれたみたいだった。
マーリンさんの魔具……いざという時に、またこの男が現れた時に使うと決めていたとっておき。
だが、僕はこれの効果を知らない。本当に大丈夫……なんだろうか。マーリンさんを疑っているんじゃない。これは……きっと僕だけを守る道具だ。それじゃミラは……ミラが…………っ。
「では……果たせなかった約束をここで果たすとしよう——」
「——アギト——ッ‼︎」
白衣の男はその冷たい眼光を僕に向けて構えをとった。違う……違ったんだ、そうじゃない。あの時、きっとミラは一人ならうまく逃げられたんだ。あの時も今も…………僕を庇うために…………っ!
「——っ! ちくしょおおッ! 聖者の祈り——っ!」
僕はネックレスを握り締め、教えて貰っていた言霊を唱えた。視界は一瞬真っ白になり、そして………………何ごとも無かったようにそれまで通りの光景が広がっていた。
「…………失敗…………っ⁈ そんな……まさか言霊を間違え——」
「——喋らないで! そのまま静かに、足音を立てずに離れなさい! 大丈夫、今のアンタを捕捉出来るのは私くらいなものよ。とにかく音を立てず、それから足跡にも気を付けて避難しなさい!」
捕捉……? いったい何を言ってるんだ……? 魔具の効果は何も出ていないんだ、こんな状況で音やら足跡やらを気にしたって何も…………何も…………? 何も……無い……?
「……腕…………脚…………っ? 俺の体が……無い…………?」
「黙れって言ってんでしょうが! 今のアンタは、光の結界に覆われて姿が見えなくなってる。大きな音を立てたり、近くの物を動かしたりしない限りは誰にも視認出来ないわ。あんまり激しく動くと処理が追いつかなくて空間が歪んじゃうから、とにかくゆっくり退がりなさい」
光の結界…………っ⁈ なんだそれ! どういう理屈なんだ! なんてことを、今更ながらもっとせがんでキチンと説明して貰っておけば良かったと後悔した。
今までも何度も見てきた、マグルさんの身隠しや例の縦穴の結界に近いものだろうか。と言うかむしろそれ以上、アーヴィンの結界はもっと意味不明な程の神隠しを行なってたのも僕は見てる。
だから姿を見えなくするくらいでいちいち驚くんじゃない、って……そんなわけに行くか! いくらなんでもこんなデタラメな…………っ!
「さあ……今度はもう誰も居ないわよ……っ! 卑怯な手なんて使わせない、ここで叩き潰すわッ!」
「……卑怯……か。成る程、確かにお前にはそう映るが道理だろう。では……今度は間違えること無く…………」
バンッ! と、空気が破裂したようだった。そして僕はミラの姿を見失った。一切の加減無し、容赦無しの最高速。気付いた時には振り抜かれていた右の回し蹴りが男の首を襲う。しかし……それをいとも容易く防ぐと、そのまま反撃に転じ——
「——っ⁉︎ これは…………っ!」
「——取った——ッ! はぁああッ!」
また雷鳴が轟いた。反撃の拳は直前で動きを止め、そして逆にミラの踵が男の肩口に振り下ろされる。
肉を硬いもので殴打した鈍い音が響き渡った。この一撃は大きい。男は乱雑に腕を振って、なんとかミラを追い払うので精一杯に見えた。
そんな苦し紛れの反撃を軽やかに躱して、ミラは大きく息を吐いて次の一撃の為の構えを取る。
「…………大人しく捕まりなさい。アンタじゃ私には敵わないわ」
いったい、この短い間に何があったというのだろうか。勇者の力は治癒の力。単純な戦闘能力、運動能力を補佐するものではない筈だ。
勇者としての自覚だけでここまで変わるものだろうか。単に努力によって成長したにしては早過ぎる。
嫌な……とても嫌な予感がするのは、男の顔にまだ余裕があるから…………だけなのだろうか……




