第三百七十八話
その日のミラも絶好調だった。連なる菫と銘打たれた小径の火炎球は、昨日見せた以上の汎用性を僕らに示してくれる。
周囲への一斉攻撃だけにとどまらず、大型相手への集中砲火や、動きの速い魔獣を時間差発射によって追い詰めて撃墜したりなど。とにかく凄いのだ、昨日今日のミラは。ただまあ……
「…………走る程の速度で移動しないし……かといって窮地になんてならないし……」
「あはは、優秀過ぎる妹を持つと大変だねぇ」
僕はここまで一度も走っていない。早歩きすらしてない。戦いながらジリジリと登っていくミラの背中を眺めながら、優雅に登山。息を切らすこともなく、余裕の物見遊山といった気分だ。なんてっこった。
「うぐぐ……ミラーっ。あんまり無茶はすんなよーっ。しんどくなったらいつでも囮くらいはやるからなーっ」
「はあっ! ふーっ。なーに言ってんのよバカアギト! こんなの、目を瞑ってたって余裕よ。アンタはそこで私の勇姿を目に焼き付けておきなさい!」
だよなぁ……はあ。さっきから現れる魔獣は、どれもこれも小型の虫のような姿をしていて、あの魔術さえ無ければちょっとは苦戦したかもしれない相手だ。
けれど……いや、やはりと言うべきか、その弱点を自覚したからこその開発だったんだろう。本当に小型相手には無敵とすら思えてしまう。
いいや、それだけじゃない。この精密なコントロールがあれば、いつかミラが言っていた“相手を殺してしまう為の戦いしか仕込まれていない”という穴も塞げてしまえそうだ。威嚇射撃にはうってつけだろうし。
「あんまり不満そうにしないの、ミラちゃんに嫌われるぞ。こういう実践の場で試してみたい気持ちは分かるが、だからって危険を望むのは君らしくないだろう? 帰り道にでもみんなで競争すればいいさ」
「まあ……そうですね。アイツの頑張りは素直に褒めてやらないと。それにしても……また遠くへ行ってしまった気がしますよ」
物理的にはすぐそこにいるのにね。なんて笑うマーリンさんの言葉に、少しだけ恨めしさを覚えた。
そうだよ、そんだけ強くなったのならもっとぐんぐん進めばいいのに。多分……いや、絶対に。僕らの事を案じてあまり離れないように、あまり急がせないようにといつも以上に警戒心を強めながら進んでいるのだろう。
勿論、あの魔術の特性的に、射程圏内への集中力が高まっていそうでもあるから。いつもならスルーしてしまうような異変も、ひとつ逃さず対処しているんだろうとも思う。ただまあどちらにせよ……
「頼もしい限りですね。たったひとつ新しく魔術を覚えただけなのに」
「そりゃあ、ミラちゃんの場合はたったひとつで百通り以上の答えを埋めてくれるからね。器用万能。あの子には、どんな分野に対しても百点満点を用意し続けるスキルと忍耐力がある」
そりゃまた自信の無くなる話だこった。こっちは全科目六十点を目指そうって言われてる段階なのに、お前はとっくに全科目百点ときたか。それもきっと追加科目が出たらすぐにそれにも対応してしまうのだろう。
頼もしさもここまでくると小憎たらしいな。帰ったらほっぺを思い切りブニブニしてやろう。
「さて、そろそろお昼を食べようか。安全を確保したらの話だけど……それもすぐだね」
「お昼ご飯っ! すぐに片付けます! とりゃぁあっ!」
これだけ強くなっておきながらご飯という単語にはしっかり釣られる食いしん坊は、さっきまで以上の集中力で周囲の魔獣を殲滅した。
あの……はっきり言わせていただきたい。こんな状況で呑気に飯が食えるか! 安全危険の話ではないのだ……あんなサイズの虫を見た後に、食べ物が喉を通るかって話をしてるんだよ!
「終わりました! 周囲に生き物の気配はありません。それにしても、不思議なくらい普通の動物の姿が見当たりませんね。魔獣が他所から来てるのなら、追われて逃げ出したにしては早過ぎますし……」
「巣穴を見れば答えは出るだろう。僕の予想では、きっと獣の骨が大量に転がっていると見ているけどね。さあご飯だご飯だ…………アギト? 何してるんだい……?」
獣の骨とか言うなよぉ! 俺はちょっと大丈夫です。と、視線を逸らすと、ミラは何やら心配そうに駆け寄って来て顔を覗き込んで来た。もう、かわいいなぁ。
でもね、違うんだよ。このかわいいかわいいミラちゃんに焼き殺された魔虫がグロテスク過ぎて、とても食欲なんて湧かないんだよ。その上マーリンさんはおっかないこと言うし……うえぇ……
「本当に肝の細いと言うか……だらしないね、君は。そんなんで今までどうやって旅をして来たのさ…………なーんて、今更問うまでもないね。もうキリエで出会うまでの旅路と、それからの時間とはそろそろ逆転してそうだ」
「あー……そう言われると確かに。なんだかんだで、もうマーリンさんとも長い付き合いになるんですねぇ。いやあなんとも感慨深い」
おじいさんみたいね。と、ミラはからかうが……しょうがないだろう。実際中身はおじさんなのだし。それに……僕の場合は経過日数が倍違うのだから。
向こうの日付で言えば、この生活が始まった頃はまだ七月だったのだ。それがもう十月がすぐ目の前に迫っていて………………せ、成長してないなぁ。というかこれだけ旅をしてまだ王都に辿り着いてないって…………
「そうなると……そろそろマーリンさんの仕事も溜まってそうですよね」
「ううぅっ⁉︎ なっ…………なんでそういうこと言うの…………?」
どうやらその件は頭の中から意図的に消していたらしい。クリティカルヒットとでも言うべきか、余程効いたらしく、とてもつらそうな顔でミラを抱き締めた。
貴女何か嫌なことあるとその子抱きしめる癖ありますよね。ほら、いつかキリエで大臣って呼ばれてた男と会った時とかもしてたような。
「ん、えへへ……マーリン様―っ。私で手伝えるお仕事があれば、なんでも言ってくださいね。えへへ」
「でへ、ミラちゃんは良い子だねぇ。それにひきかえアギトときたら……はあ。人の嫌がることばかり……」
おい、人聞きの悪いこと言うなよ! まだ一回目…………い、一回だけだよね……? 今回が初めてだよね…………? これまで我慢してたけど、実は傷付いてた、みたいなの…………あ、あるの……?
や、やばい…………心臓がバクバクしてきた。ね、ねえ……なにか酷いことしちゃってなかった……?
「ふふ……あはは! そんなに青い顔しなくてもいいのに。本当に君は優しいと言うか、気が弱いと言うか」
「だ、だって…………」
大丈夫だよ。と、笑ってマーリンさんは手招きをした。けどそれ……近寄ったらやられるやつだろ…………? でも、しばらくはミラもご飯食べるだろうし、ちょっとの間くらい動けなくても大丈夫かな…………?
はっ⁈ ち、違う! ちょっと我慢すればあの天国を味わえるとか、そんな考え方はやめるんだ! 天国の後に羞恥地獄が待ってるんだぞ! 逆だ逆! でも…………うう……
「まったく強情だね、ほんと。さて、食欲が湧かないのは理解出来るが、スープくらいは飲むといい。確かにミラちゃんのおかげで楽出来ているとはいえ、山登りをしてるんだ。きちんと休んで栄養も摂らないとダメだよ」
「うう……わかりました、おかあさん……」
お姉さんね。と、本気で睨まれた。ご、ごめんなさい。
しかし……近所のおばちゃんだと思っていた方が多少気が楽なのだ。近所の綺麗なお姉さんだと………………ほら。なんでフラグ立たないんだよ、個別ルートはよ。ってもうひとりの僕がうるさいから。
うう……お願いだから男として扱ってよぉ……そういう目で見てくれなくてもいいから、せめて子供扱いはやめておくれよぉ……ぐすん。
食後もミラの好調は変わらず突き進み、目的だった山の中腹……山道からはずれてしばらく進んだ先の横穴で、魔獣の寝ぐらを発見した。
マーリンさんの予想はキッチリ当たって、そこには無数の獣の骨と、溜め込まれた腐肉が転がっていた……のだが、肝心の魔獣の姿は見られなかった。
「どこに行ってるのかしら。この感じだと、狩りをする個体と子供を育てる個体とに分かれていそうなものなのに」
「これまでに倒した個体のもの……とは考え難いね。ここもしっかり報告しておこう。別に僕らでないと対処出来ないなんてものでもない、情報さえあれば他の冒険者か役所抱えの兵士が解決してくれるだろう。今日はここで引き返そうか」
今から山の中を探し回るのは不可能だからね。と付け足して僕のちょっとした疑問を封殺すると、マーリンさんは巣穴の状況や足跡などの痕跡をこと細かに調べ始めた。ミラも一緒になって色々調べているのだけど……あの…………僕は何してたらいいでしょうか……
「アギト。そこ邪魔よ、影になるじゃない。隅っこで待ってなさい」
「そんなぁ…………」
そんなのってないよ! 結局僕は何も手伝いなんて出来ず、ふたりが納得するまで待ちぼうけたのだった。ぐすん。
ミラちゃんの成長は著しいものだった。あれだけの数の火球を全て意のままに操作する魔術とは、はたしてこの世界にいったい何人の魔術師が再現出来よう。
間違いなく、あれはミラちゃんならではの奥義と呼んで差し支えない。頼もしい限りだ、本当に。
「……? マーリンさん? どうかしました?」
「っ。い、いや……ううん、どうもしないけど……落ち込んでるように見えた? 抱き締めて慰めてくれるのかな?」
僕の意地悪な返答に、アギトは顔を真っ赤にして拗ねてしまった。代わりにミラちゃんが甘えた表情で飛び付いてきたけどね。
こらこら、下山し終えたとはいえ、歩きながら抱き着いたら危ないよ。絶対に転ばせたりしないけど。
さて……問題はこの子の精神状態がどうなっているのか、だ。きっとここ数日の件で、また僕のことを守るべき対象だと認識を強めてしまったことだろう。
「えへへーっ。マーリン様―っ」
「ふふ……いい子だなぁ本当に。かわいい……でへ……」
でへ……かわいい、ふわふわで気持ちいい……じゃないんだってば! このままだとまずい事態になりかねない。なんとしても僕は頼もしいお姉さんでいないといけないってのに。
ダメだな、やっぱり僕では荷が重すぎるのかな……っ。フリードならもう少し…………いやいや! 絶対ダメだ! あんな奴にミラちゃんを任せられるか!
ほらほらとミラちゃんにちゃんと前を向いて歩くように指示を出して、僕はアギトに引き取りに来てと視線を送る。
本当にこの子も頼りになっちゃう。ダメだ……どんどん僕の頼もしさが削られてくよ……
「………………っ! マーリン様…………何か…………何か聞こえませんか……?」
「……? 何かって…………どんな音だい?」
さっきの今までえへへと笑って楽しそうにしていたミラちゃんが、突如ぴりぴりとした空気を纏った。
この子の感覚や直感はあまりにも高精度過ぎる。何か聞こえるというのなら、ほぼ間違いなく何か悪いものが近付いているのだろう。
小さな勇者が睨みつける方角を、僕も一緒になって眺めるが…………僕にはまだなにも……
「…………っ! 魔獣です、飛行型の…………こっちに向かってる…………? でも……その音だけじゃない……もっと荒々しい……羽ばたく音じゃなくて…………あまりにも速過ぎる…………っ! まさか……っ」
「まさか…………って、お前まさか…………あの鉄の馬車…………っ!」
アギトの発した嫌な可能性に背筋が凍る。成る程、敏感に察知出来るわけだ。あれは現状最大の問題だ。それだけに間違いなく対処しないといけなくて——
「——な——っ⁈」
「っ‼︎ マーリン様っ!」
それはあまりにも突然の出来事だった。ミラちゃんが感じた音の正体は、間違いなくあの馬車だった。だが、それは僕とアギトが感知出来ないうちに突然現れた。
結界魔術……と、そう呼んでいいのかどうかも分からない。僕らの目の前の空間は突然ねじ曲がり、中から今まで見た中で最も小型の馬車が飛び出して来た。
「っ⁈ 大丈夫ですか! マーリン様!」
「うん……ありがとう、ミラちゃん。アギトも……無事か。随分乱暴に突き飛ばされたみたいだけど」
わあっ! ごめんアギト! と、ミラちゃんは慌てて、体を地面に投げ出しているアギトの元へ駆け寄った。助けられてしまった……か。どうにもあの子の危機察知能力は高過ぎると言うか…………じゃない!
「っ! あの馬車……街に向かってる……っ! ふたりとも、急いで追いかけ…………」
「…………嘘でしょ…………こんなの……っ」
馬車を隠す結界が破れたことで、音がダイレクトに届くようになったのだろう。背後から迫るその音の多さに、僕らは目を見開いて振り返った。
そこに映ったのは、まだ夕日の残っている空を真っ黒に染めてしまうほどの魔獣の大群だった。
「…………っ! マーリン様! ここをお願いします! あの数が街に押し寄せたらそれこそ一巻の終わりです! 今の私ではあの数は捌ききれません。でも……あの馬車くらいは……っ!」
「っ! だ、ダメだミラちゃ…………ぐっ…………それ以外の方法は…………」
ダメだ、これは避けられない。悪意を感じる、僕らを引き離そうとする意図が後ろに見える。
この数を撃ち落とすのは、確かに今のミラちゃんには難しい。街中で馬車を止めるのなら、僕よりミラちゃんの方が良い。
ダメだ、あまりにもうまくハマりすぎる。僕をここに足止めする意図を感じる……でも…………なのに…………っ。
「他に方法がありません! アギト、しっかり掴まってなさい! すぐに止めて加勢に戻ります!」
「……っ。くっ…………分かった。すぐに終わらせて追い付くから! 何かあったら無茶せず逃げるんだよ!」
僕の言葉を聞くのとほぼ同時に、ミラちゃんはばちばちと雷を纏った。可変術式ではない、出力を速度だけに絞った強化魔術の荒々しい音がすぐに遠くへ離れていく。
急がないと……絶対に何かが起きる、起こそうとしてる奴がいる……っ。
「この……射程ギリギリで待機するつもりか……っ! 星見の巫女をあまり舐めるなよ…………っ! 燃え盛る紫陽花っ!」
遮蔽物も無い、人もいない。この状況なら、あの子の言う通り僕以上に最適な人員もいまい。だからこそ…………っ。考えも憂いも後だ。今は全速力で…………




