第三百七十一話
信じろ。それだけを頭の中で繰り返しながら眠って、僕は秋人の部屋で目を覚ました。はあ……こう、イマイチタイミング悪いよね。
「…………大丈夫。あの人は信じられる。アイツもずっと言ってたからな、隠しごとはしてるけど善意しか感じないって。うん、アイツが言うからだけじゃなくて……」
僕だってそう思う。だから……きっと大丈夫。でも、やっぱりまだ何も解決していないのは事実な訳で。直接触れ合ったこともないこっちの僕の胸にも、ポッカリと穴でも空いてしまったかのような喪失感を感じてしまう。はあ……あんまり引きずったままこっちに戻りたくなかったなあ。
「……あれ、通知……? はて、デンデン氏かな。昨日ゲームのお誘いは断ってるし……夜中にその連絡なんて来ないよな。なんだろう……」
メッセージは予想通りデンデン氏のものだった。内容は本当に短くて、大丈夫でござるかー? とだけ。ううむ、なんて要領を得ない。何を心配してるんだお前は。
「えーっと……大丈夫だけど何が? っと。しかしあの男のタイミングの良さはなんなんだろうね。大丈夫か大丈夫でないかで言ったら…………全然大丈夫じゃないんだけども……」
もしかしてだけど心読まれてる? 心と言わず、記憶や思考を全部ハックされてます? そんなSF(少し不思議)な妄想は、次の返信であっけなくかき消される。へー……夜中に地震あったんだ。
「言われてみれば……どことなく棚の物が傾いているような…………元からだったような……? もっとちゃんと片付けないとなぁ」
気付かなかったから多分平気。と、そう返信して、まだまだ汚い自分の部屋を見回し溜息をつく。ちまちま片付けてはいるんだけどなぁ。本当にちまちまだから片付いてないとも言えるんだけどさぁ。さて、デンデン氏と地震と、まだまだ先の見えない部屋の掃除は横に置いといてっと。朝ごはんを手伝わないとね。
朝食を終えて家を出る時、兄さんに、夜中の地震に気付いた? って聞き忘れたことを思い出したのはどうだっていい。今日は花渕さんが休みだからどやされないで済むかなぁ、なんて馬鹿なことを考えたのもどうでもいい。いや、後半はダメ。どうでもよくない。怒られない方法とかの話じゃないよ、花渕さんの話だよ。いえ、単に今心細い状態ですので…………さみしいなぁって…………ね。
「おはよう、原口くん。なんだか今日は元気が無いね」
「うっ、あはは……ちょっと最近花渕さんがいないと寂しくって」
週に三日は顔を合わせてるからね。と、笑う店長だったが…………あくまでもそれはシフト上の話。ええ、彼女はお休みだろうとなんだろうと、すぐにお店に来てくれるから。寂しがり屋さんだからね、可愛いね。ち、違うよ! 事案じゃないよ! やらしい意図は無いっての!
お店の営業中も気が抜けていて、ミスを連発してとても使い物にならなかった……なんて。これはかつて本当にあった話だ。向こうでのいざこざを引きずってこちらに来ると、本当にそういうことが起きるから良くない。
でも……今回は大丈夫。一応自分の中では決着を付けてるし、それに仕事にも慣れて集中しやすくなってる。だからまあ、たまにやる小さなミスはあっても、今日だからって理由で起きたミスは無い。今のところは。なーんてことを考えている今はお昼休憩、午後一時半のこと。
「いっただっきまーす。いやはや、最近はここのご飯目当てに来てる節があるよねぇ。休みの日はお昼自分でやるって言っちゃってるし、そのくせ特に何もやらないし……はあ。店長に料理教わろうかな……」
何気に毎日こうして僕らのご飯も準備してくれてるとか、店長って実は最強のオカンなのでは? いえ、男性ですけど。すごいよなぁ、冷凍食品とか見当たらないし。実は使ってるって可能性はあるだろうけど……それにしてもこのクォリティを毎日毎日、ただのアルバイトの為に仕込みの合間を縫って…………
「……感謝感激雨あられだよねぇ。いやはや、こうなるとバイトの面接全部落ちて良かったとすら…………思えるかよぅ……ぐすん」
未だにトラウマだからな、面接全落ちの件は。どうしてアルバイトのひとつも見つけられないんだって怒る家族じゃないけどさ。怒られないからこそつらいというかなんというか。いえ、結局面接で受かったわけじゃないから……その…………
「意地でもこの店は潰させてはならない。ここが無くなったら、今度こそ一生アルバイトすら出来ない男になってしまう。むしゃむしゃ……ごくん。ご馳走様でした!」
いやいや、本当に美味しい芋の煮っころがしとほうれん草のおひたしだった。もう小料理屋やった方が良くない……? これにお酒とかも出してさ。いや、僕は飲んだことないから、どんなもんか知らないけど。
無駄な妄想もおしまい。と、ぱんと頰を両手で打って気合を入れ直し、僕はまた表へと——
「——だし、そういう方向で行こっか。お、アキトさんお疲れ。休憩だったの、サボりかと思ってたし」
「さ、サボらないよ! しかし……うんうん、毎日来てるよね花渕さんは」
うるさいと一蹴されてしまったが…………うふふ、分かっているとも。寂しくなって会いに来てしまったんだろう? いえ、僕にとかそういうんじゃなくて。このお店に、的な。意味分からん? 何言ってんだ? そ、そこはうまいことフィーリングを感じ取ってよ! ここに来たかったんだよ、この場所に。多分。
「ところで何をしてたの? なんだかとてもお仕事な話に聞こえたというか…………また…………僕のいないとこで色々決まってく気配がしたというか…………」
「何その恨み節、ウケる。別に何ってもんでもないよ。来週頭、日曜日からハロウィンの新作パンを出そうって話をしてたじゃん? そこでさ、お菓子配るのはいつからにしようかなって。あんまり言いたくないけど、タダで配る以上無駄に期間を長くしたくないし。長くなればなるほど数の予測も立て難くなるしね」
ほうほう、やっぱり僕が蚊帳の外じゃないかっ! 混ぜてよっ! 混ざったってロクに良いアイデアなんて出せやしないけどさ。それでも…………仲間はずれは……やめてよ……っ!
「子供にお菓子配るんだっけ。うーん、どうなんだろう…………長いことやってた方が良い気もするけど……」
「そりゃあ、あんまりにも短かったら宣伝出来ないしね。新作は日曜日から、イベントは月が変わってからかなって今話をしてたところ。好評ならクリスマスに向けてのイベントも告知したりしたいなーとか」
ふむふむ、月が変わってからですか。てことは十月いっぱいずっとハロウィン? 月末だけのイベントだった筈が、なにやら大ごとになってますなぁ。いえ、お店の話じゃなくて、ハロウィン本体の話。僕が子供の頃とか、かぼちゃを飾る一日がある程度の認識だったのに…………
「クリスマスは……どうしようね。ケーキを出す…………?」
「本当にお馬鹿さんだよね、アキトさんは。割と近場に人気のケーキ屋があるこの立地で、よくもまあパン屋がケーキを出そうと思ったもんだよ。ま、似たことは考えたけど」
そんなに言わなくてもいいじゃないかぁ! ぐすん。ううむ、クリスマスという一瞬に限り、デンデン氏が最強の敵に見える。しかし、似たようなこととはなんだろう。ケーキを…………デンデン氏のお店から買って来て売る……? パン屋ケーキ屋にも転売ヤーの概念が…………?
「ほら、うちには強みがあるじゃん。ケーキってなれば、そりゃもう卵、牛乳、小麦、それに果物。他にも物によっては色々あるから、うちがメインでターゲッティングしてる層は中々利用出来ない人も多いだろうし。ただそれでも、今来てるお客さんの中に、どれだけアレルギーが理由で選んでる人がいるのかは分かんないからさ。クリスマスケーキもどきを作るのは、やっぱり無理があるかなって結論に至ってる」
「うむむ……成る程…………確かに、みんながみんなアレルギーで他のパンが食べられないってわけは無いよなぁ。ふむ……」
考えてるフリしてもカッコつかないよ。と、鋭い一撃を貰ってしまった。うぐっ……ふむふむとか成る程って言ってりゃ考えごとしてる風に見える作戦が看破されてるだと…………っ。いや、実際に何も考えてないわけじゃないよ? 何かを考えついても無いけど……
「だから、今回アンケートを取ろうかなって。どんなアレルギーがあるのか、食べたいけど食べられないものは何か、ってね。会計の時に用紙配ってさ、お手数ですがーってお願いしようかと。私らが意識したこと無かった原因で食べられないって人がいたんなら、それには出来るだけ配慮してあげたいじゃん」
「アンケートかぁ。僕はアレルギーとか一切関係無く育ったから、食べたいけど食べられないっていうのは全然想像が付かないや。食べたいけど食べ物を選べる立場に無い、なら経験あるけど…………」
ガチで笑えない奴はやめてよ。と、慰められてしまった。そこは呆れてよ……ガチのリアクションはやめておくれよ……はぁ。今はもうふたりと面と向かって話せるからね。今日はアレが食べたーい。とか言えば、二、三回に一回は反映して貰える。もう決まってて買い物終わってたらダメだけど。
結局、今日も花渕さんはバックヤードで色々と暗躍するのだった。もう休みの概念が怪しくなってきてるよね……




