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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第三百七十話


 逃げるように街を出て、僕らはただひたすらに歩き続けていた。昨日までの……いいや、そんなに前の話じゃない。ついさっきまでの和やかで暖かな日常すら冷え切ってしまって、誰もひと言も発せぬまま、もうかれこれ二時間は歩いただろうか。

 いつもなら僕らに笑いかけてくれるマーリンさんも、嬉しそうな顔で彼女にまとわりつくミラも。そんなふたりが大好きな僕も、誰も何も話せないでいた。

「…………っ。あの……マーリンさん…………」

 意を決して……というわけではないが、ただ沈黙の寂しさに耐えかねて、僕は前を歩くその背中に声をかけた。ようやくの思いだった。街からずっと離れて、もう誰も近くに人がいないのを確認して。それに何より、頭の中の整理がついたのがたった今だったから。

「……あれは…………あれは、その……言葉の綾……なんですよね……? 自分達の所為で救えなかった……自分達の力が及ばなかったから勇者様は亡くなられた……って。そういう意味……なんですよね……?」

 返事は無く、立ち止まることも無い。マーリンさんは黙ってただ歩き続けた。苦しい、痛い、つらい。どうして……どうして何も言ってくれないんだ。いつかミラは言った。その噂を否定するだけの材料を誰も持ち合わせていないのだと。だから、それを嘘だと断定するのは僕のすることじゃない。

 けれど、どうか信じて欲しい……って、そんな台詞を返してくれるって……っ。きっとまた暖かな笑顔で僕らに語りかけてくれるって……信じている…………信じていても……

「……っ。マーリン様……っ! どうかお願いします、真実を……他の誰も知り得ない勇者様と貴女の旅の、その終わりの真実を教えてください! 私はあんな話信じられません! だって…………だってマーリン様はいつも嬉しそうに…………っ」

 ミラの言葉にも、マーリンさんはなんのリアクションも起こしてはくれなかった。そうだ、そうなんだよ。僕らだって根拠も無しにあの話がデタラメだなんて思ってはいない。じかに触れてマーリンさんの人となりを知っている。彼女が話す勇者様やフリードさんの人柄を知っている。それに何より、かの冒険の話をする時の彼女の満ち足りた表情を知っている。勇者を殺した? そんな馬鹿な話があってたまるか。だってそうだ、そんな相手の話をあんなに楽しげに口に出来るものか。だから…………そんなことは分かっているんだから、早く全部でっち上げだって…………

「………………ふたりとも、自分の都合の良いようにことを解釈するのは良くないよ。特にミラちゃん、魔術においてはその考えはとても危険だ。きっとどうにかなるだろう……は、絶対にやっちゃいけない」

「それは……っ。それは……そうですけど……でもっ!」

 ピタリと足を止めて、マーリンさんはこちらをくるりと振り返った。けれど……僕もミラもその人が誰だか一瞬分からなくなってしまった。きっとこちらを振り返る時はいつものにこやかな笑顔だと、勝手にそう決めつけてしまっていたのかもしれない。

 姿を現したのは、マーリンさんとは似ても似つかない、まるでのっぺらぼうみたいな感情の読み取れない女性だった。権威を振るう際の凛と張り詰めた顔でも、僕らを叱りつける時の厳しい大人の顔でもない。本当に何も読み取れない、感情が冷えて固まってしまっているかのようだった。

「っ。マーリンさん……まさかあの話が全部本当だなんて——」

「——ああ、ごめん。言ってなかったね。彼は僕が殺した。あの旅の終わりは全て僕が引き起こしたんだ。勝ち目が無かったから、だけでは逃げ帰ることも許されない。撤退の理由が欲しかったんだよ。だから神輿を壊して、討伐続行不可能だと言い訳を作った」

 嘘だ。ミラはそう呟いて、目の前にいる冷たい目をした女性をジッと見つめていた。そうだよ、全部嘘。ごめんね、でもそれを証明する手段が無い。だからあの場では議論を引き起こしたく無かったんだ……なんて、そんなあやふやな答えでいい、また優しさを振り撒いて欲しい。昨日までみたいに……今朝みたいに。本当についさっきまでみたいに優しく僕らを包み込んで欲しい。そんな願いすら抱かせてくれぬ程、彼女の瞳は昏いものだった。

「さ、街はすぐそこだ。お喋りはほどほどにしよう。君達も……もうこんな女と話したいことなんて無いだろう」

「っ! 待ってっ! そんなの……そんなの信じられませんよっ! だって……だってあんなに嬉しそうに……っ。いつも……勇者の冒険譚をあんなに楽しそうに、誇らしげに語ってくれたのに……っ。あれはいったいなんだったんですか! もし貴女が本当に勇者様を殺したんだって言うのなら、あの笑顔はなんだったんですかっ‼︎」

 返事は無かった。クルリとまた背を向けて、マーリンさんはただ歩き続ける。その背中を黙って追いかけるしか出来なくて、全部話してくれるまでここを動かない……なんて駄々をこねることも許されない程黙々と進む彼女に付いて行って。

 そして僕らは陽の高いうちに街へと辿り着いた。見慣れない街、人々。生活の匂い、その街の特性。これまでの彼女の教えで意識せずとも勝手に流れ込んでくる、いつも僕らをワクワクさせてくれる新しい情報の全てがどうでも良かった。ただ……ただこのまま眠って、朝起きたら全部無かったことにならないかって。また人の布団に潜り込んでいたずらをするような、明るいマーリンさんに戻ってくれないかって…………っ。


 夜になった。何も覚えてなんていない。きっと街に着いてからはご飯を食べて、クエストを確認すると言っていたから役所に赴いて。ひと通りの確認を終えたら、ちょっとした買い物を済ませて。そんなところだろうか。けれど何も覚えていない。

 ただ、時間は過ぎていて、僕とミラは一緒の部屋で、ぼーっと窓の外の月を眺めていて。どうしてだろう、オックスとボルツで再開するまでは当たり前だったのに。たったふたりきりになってしまったことがこんなにも心細いなんて。

「…………なあ、ミラ。あんな話……嘘だよな……? だって…………マーリンさんは…………」

 ミラは黙って僕の手を握った。そしてそのまま僕を引っ張って布団の上で横になってしまった。名前を呼んでも返事をせず、ただぼうっと月を見つめたままだった。

「…………なあ、ミラ……っ。なあってば……なんで黙ってるんだよ……っ。なんでお前まで…………」

 分かってる、僕なんかよりずっとショックが大きいんだ。僕だってマーリンさんのことは大好きだ。キリエからずっとここまで旅をしてきて、いつもいつも僕らを助けてくれた優しい人。いくつもの課題を出して、勇者としての才覚を推し量り、成長させてくれた厳しい人。心配や不安も、それに期待や希望も。何もかもを一緒くたに抱き締めて笑いかけてくれた暖かい人。

 ミラにとって、それに付け加えて尊敬を信頼とを全て預けるに値するだけの師であり、また同時に幼少より憧れていた理想でもあったのだ。青白くなってしまっている頰に月明りを浴びて光る粒が伝った時、ようやく僕は今のミラの状態を理解した。もう……彼女の心は折れてしまっている。

「…………こんなの…………こんなの受け止められるわけないよ……っ。なんで……なんで否定してくれないんだよ……っ。分かりきった嘘だってのに、それを切り捨ててくれなきゃ俺達がどうなるかなんて…………アンタなら分かってた筈だろ…………っ」

 マーリンさんがなんと言おうと、僕の中の答えは変わらない。あの人が勇者様を殺す筈が無い。自分の命惜しさに仲間の命を奪うなんて、そんな冷酷で冷静な判断を下せる人じゃない。あの人がそこを間違えるわけ…………そんな判断を間違えてしまうほどの窮地に——

「——っ! 違うっ! 違う違う違うっ! そんなわけない! ずっと一緒にいただろ! ずっと側で見てきただろっ! そんな人じゃない、そんなこと出来るわけがない! あの人は…………そんな…………」

 頭の中も口に出す言葉も全部堂々巡りだ。この自己問答に辿り着く答えなんて無いんだ。辿り着きたい答えがあって、それに繋がる梯子を外されて。ああ……ダメだ、このままで眠れるわけが無い。ミラを起こそうにも、もう完全にふさぎ込んでしまっている。だったら…………ひとりでも…………っ。

 すぐに戻るとミラに伝えて、僕はマーリンさんの部屋へと向かった。こんな状況だからだろうか、わざわざ遠くの部屋を希望して離れてしまったあの人の元へ。

「…………全部話してくれるまで……それこそ焼き殺されたって離れるもんか……っ」

 ぎゅうと拳を握って階段を上る。もし……もしも、彼女が勇者様を手にかけたって証拠を見せつけられたら……? もう本当に取り返しのつかないところまで沈み込んでしまったら……その時はどうする……? 本当に確かめていいのか? このまま黙って彼女を信じていれば……少なくとも、上辺だけでも今まで通りに取り繕うことは出来るんじゃないのか……? 暗さと静けさに、そんな毒が思考に混ざり込む。違うんだ、そうじゃない。

「……もし、本当に勇者を手にかけていたとしても……そこにはきっと大切な事情がある筈なんだ。ただ生き残る為、自分の為なんかじゃない。きっと大きな理由が…………っ」

 自然と足が伸びたのはどうしてだろう。受付で彼女が僕らとも他の宿泊者とも離れた部屋を求めたことも、その部屋の番号も。まるで覚えていなかったのに、体が勝手に求めていたのか、脳みその奥底から浮き上がってきたようだった。不思議なこともあるものだ、では片付けられない。それだけ僕はあの人を…………

「…………ふー…………っ。大丈夫、全部聞いたらきっと…………? 声…………?」

 部屋の番号は間違いなく彼女が渡されていた鍵の番号だった。その瞬間も——いつもなら気にかけることのないその瞬間すらも、映像として頭の中に流れてくれる。だから、目の前の扉の奥にマーリンさんがいるのは間違いない。そして…………近くの部屋に人がいないことも間違いない。だから、今聞こえる声ってなれば…………やはりあの人の…………

「——————たすけて————」

 誰かの名前を呼んでいる、すすり泣く女性の声だった。ゆっくりとドアに耳を当てると、中の様子が少しだけ分かった気がした。嗚咽交じりに誰かの名前を呼んでいる。勇者様……だろうか。怖い。助けて。もう一度。掠れた声で上手く聞き取れないけど、確かにそれはマーリンさんの声だった。もう、あの冷酷な顔の女ではない。いつもの優しいマーリンさんの…………とても悲痛な祈りの声だった。

「………………っ。やっぱり……言えない事情が何かあるんだな…………」

 踏み込んで事情を聞いて、果たしてそれで解決するだろうか。あの人はきっと、僕らの為に何かを抱え込んでいる。絶対に僕らに知られてはならない何かがあるんだ。それこそ、僕らのやる気も勇気も全部が台無しになることと引き換えにしても手放せない何かが。

 信じよう。どうあってもあの人を信じる他に無いのだから。僕はここへ来たことを気取られぬよう、静かにその場を後にした。大丈夫、ここへ僕が来るなんてきっと思ってもみない筈だ。それに、今の状況でカマ掛けなんて出来やしない。このことは絶対にバレない。

 急いで戻って、ミラに全てを説明して、僕はすぐに眠りについた。きっと明日からの旅は、今朝までのような和気藹々としたものではなくなってしまうのだろう。けれど……それでも、僕らは…………


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