第三百六十六話
スニーカーや運動靴に慣れた…………見栄を張りました、慣れるほど外出しておりません。大人になってからの話ね? 子供のころなんて覚えてないんだからしょうがない。そう……現代の…………現代? ええい、なんだか良い言い方は無いものか。
秋人の世界における靴に慣れた僕にとっては、それと比べて些か履き心地が悪いと言うかなんとと言うか。クッション性が乏しく、またフィット感も弱い。そんな新品の靴を買って貰ったからって……
「ふふ……いや、ふふふ…………おニューの靴はテンション上がるなぁ、いくつになっても……うふふふ」
「おにゅー……? よく分かんないけど嬉しそうで何よりよ。前のに比べてそりゃまだ固いかもしれないけど、もうヘタレちゃってたからどこかで破れても困るし。固くて歩き難いとか文句言うんじゃないわよ?」
言わない言わない、でへへ。余計な前置きをしたけど、結局のところ新品というのは気分がいい。あと………………革の靴ってなんだか大人な感じしない⁈ へへっ、これで僕も大人の仲間入りだな。いや、つい数分前まで履いてた奴だって革製だったんだけどさ。しかし……ふむ。あんまり喜んでばかりもいられないのもまた事実。
「…………俺ばっかりなんか買って貰ってるな、いつも。銃とか、鎧とか。いっつも……俺の…………」
「当たり前でしょ、私はそれなりに色々装備も整ってたんだもの。マーリン様は言わずもがなだし、買うものといえばそりゃアンタの物になるわよ」
うぐっ……正論。そうなんだよな、僕だけほぼ手ぶらで旅をしてたんだものな。靴や武具に限らず、そもそも水筒やら何やらの道具すらチマチマと買い足してここまで……
「……なんで暗い顔するのよ。アンタがなんの支度もしないうちに連れ出したんだから、道中で色々買うのは当たり前だって言ってんの。あの時は本当にお金も無かったし、それに……早く外へ出てみたかったから。だから変に気落ちしないでよね」
「…………………………そうだったな。そうだよ、そうだ! なんの準備もどころか、何も持ってないの知ってて引き摺り回されたんだよ! 挙げ句の果てにはロクにお金も持ってなかったし…………はあ、本当にこんなのが勇者で大丈夫なんですか、マーリンさん。貴女が思っている以上に無計画で行き当たりばったりな娘ですよ、コレは」
むきーっ! と、飛び付かれて噛み付かれた。いでででっ、本当のこと言われたからって噛むんじゃない! あははと笑ってそんな僕らの取っ組み合いを微笑ましく見守るマーリンさんだが…………僕は割と本気で言ってるんだぞ……? 勇気も優しさも申し分ない。けれど計画性については本当に皆無なんだ! 頭は良いけど脳筋が過ぎる! 本当に大丈夫か⁉︎
「まあまあ、そう言わないであげて。ミラちゃんの無鉄砲はたしかに目に余る時もあるけど、同時に長所である場合も多い。ほら、困ってる人を見かけたらとりあえず助けてみたり……」
「ほら! それはつまり、長所でありつつもやっぱり直した方がいいと思ってるってことでしょう! ほーら! 言わんこっちゃないぞミラ! だから噛むんじゃないって言ってんだっ! 痛いってばっ!」
どうしてこうも噛み付きたがるんだお前は! あやしてあやして、なでなでし続けてようやく落ち着いてからもしばらく首元をカジカジされ続けた。くそう……痛いけど可愛いから許してあげよう。
「しかし……ふふ、その話はあんまり聞いてないかもだ。アーヴィンにいた頃の話と、それからアーヴィンを出てからボルツでオックスと合流するまでの話。ちょっとまた詳しく聞かせて欲しいな」
「むが……はい、今晩にでも。えへへ」
おう、えへへじゃないが。そこらへんの話も、一応キリエからアーヴィンへとんぼ返りしてる最中の馬車の中でしてはいるんだ。けど……ミラの話っていまいち要領を得ないというか、なんというか。多分、伝えたいことは伝わったけど、細かいニュアンスとかはイマイチ掴みきれなかったんだろうな。どうにも自分の感情が先走る時がある。ま、これで演説ペラペラされたらまた可愛げも減っちゃうから良いんだけど………………うっそでーす! 何があってもミラは世界一可愛いでーっす! でへ。
「それから、話がまた少し戻って、君の買い物について僕からもちょっとだけ話をしておこう。実を言うと、僕も買いたいものはある。けれどそれは大して優先順位の高い物じゃない。本当に今すぐに必要な物、コレから先にかけてずっと必要になる物。そういったものは、やっぱり事前に準備して来てるからね。旅の経験値が違うんだもの。だからさ、あんまり変に遠慮せず受け取っておくれよ」
「うっ……はい。そうですね、そのローブの中の冷暖房とか、色々準備万端って感じは見受けられますし。ミラもミラでなんやかんや必要なものは持って来てた…………いや、思いっきり忘れ物してたわ。アーヴィンに錬金術の材料全部置いて来てたもんな、お前」
それもあんなボロボロで管理環境最悪の場所に。はあ……きっとどれももう使い物にならないでしょうね。と、小さな背中をさらに小さく丸めてミラはため息をついた。ご、ごめん。地雷踏んじゃったなこれ……
「……あん時俺が持ってたものって言えば、地母神様の……レアさんの作ったあの督促状の巾着と、それからナイフの魔具…………あれ? 尽くレアさん関連だな」
「そりゃ私の物は私の分しかないんだもの。アンタに貸せるものなんてお姉ちゃん譲りの……ちょ、ちょっとっ!」
ミラは慌てて僕の胸ぐらを掴んで、マーリンさんから隠れるように顔を寄せて来た。でへ……なんだなんだ、どうしたんだ。でへぇ……こうして近付くとやっぱり可愛いなぁ、うちの妹は。天使かな? うふふ……ではなく。なにやら焦った様子だが……いったいどうした?
「あ、アギト……督促状のことは絶対マーリン様に言ったらダメよ? ううん、マーリン様だけじゃない、他の誰にも。私とおじいちゃん以外の誰にも言ったらダメだからね?」
「お、おう。分かった。そういえばあれ、結構やばいものだったんだっけ?」
どうしたの? と、背後から覗き込んでくるマーリンさんに、ミラは誤魔化すためか知らないが思い切り抱き着いてそのまま甘え始めた。おう…………そういうのやめてよ。甘えん坊の裏側を見せられると、ちょっとだけガックリ来るんだ。誤魔化す為にそうやってスリスリしてくる場合もあるの……? お兄ちゃんとてもショックなんだけど……
「でへ……よしよし。別に秘密の話なら教えてくれなくても良いよ、僕だっていっぱい抱えてるんだから。でも、話して楽になるならどんどん打ち明けてね。お姉さんはいつだってふたりの味方だからね、でへへ」
「ふたりの……俺も入ってるのか。そうか…………はあ」
なんでため息をつくのさ。と、マーリンさんはにこにこして僕の頭も撫でた。ミラはもう誤魔化すことなど忘れているのか、それとも迫真の演技過ぎて僕には分からないだけなのか。どっちかは知らないけど、すっかりデレデレした顔でその魅惑の谷間に埋もれていた。良いなぁ……ごほん、違くて。ため息くらいつきたくもなるさ。だって……それってつまり弟として……頼りない男としてしか見られてないってことだし。うう…………
「さて、このまま宿に戻るもよし。それとも、どこかでもう少し買い物をしていくかい? とてもクエストを受けられるような街じゃない、明日には出発するから出来る準備はやれるだけやってしまおう」
「むぐ…………ふにゃ……ひゃい…………えへへ。私はこのまま宿に戻ってもう寝ちゃいたいです…………えへ」
なんてだらしない子だ。今にも寝てしまいそうなほどふにゃふにゃになった妹を抱きかかえながら、マーリンさんもマーリンさんでさっさと宿に行ってこのまま抱きしめて眠りたいという顔をしている。してるが……
「ちょっと、おいおい。まだ結局ご飯も食べてないですからね? 別に部屋で食べても良いですけど……」
「うん、そうだったね。でも…………はぁぁあ……可愛い……あったかい…………でへ……でへへへ……」
分かるよ、その気持ちは。大いに分かる。けど……けどね……っ。それは! 僕の! 妹だからな! 盗るなよぉっ! それを抱っこして寝るのはお兄ちゃんの特権なんだぞぉっ!
「ちょっ……ほら、マーリンさん。それ離さないと本当に寝ちゃう…………ミラ! お前もそろそろ離れる努力をしろ! あんまり甘やかされてばっかりいるんじゃないの! だからマーリンさんも……ああもう! 俺の妹を返せよぉ!」
「お、おう……本音が出たね、ついに。しかし君も本当にミラちゃんのこと好きだよね。うん……分かってはいたけど、異常なくらいに」
異常じゃないよ! 正常だよ! お兄ちゃんはこの世で一番妹を愛しているものなんだよ! 当たり前だろ! お兄ちゃんだぞ! 結局、僕らは昼食をカバンの中の保存食で済ませ、まだ外も明るいというのに布団に入ることにした。え? ミラの行方? ぐすん……




