第三百六十二話
よしよし、今朝はちゃんといるな。そんなことを背中に感じる高めの体温に思いながらの起床は、きっとちょっとだけ贅沢なものなのだろう。なにせこの歳頃の妹が一緒に寝てくれるなんて、そうそう無いだろうからね。
「……さて、見たところ外は明るいが……朝か、それとも昼か。日付は変わっているのか否か……」
とりあえず最後の確認事項だ。昨日はゲームもせずにきちんと早寝したんだ、僕の予想が正しければ今は日が変わって朝の筈。もし違う場合は…………いちから検証しなおしだよ…………
「むにゃ……あぐ……むぐ…………」
「ん、噛むな噛むな。しかしこの部屋時計も無いのか。どうにも生活感の無い部屋というか、最低限の機能だけ備えてるって感じだ。うーむ……」
きっと外を覗いて日の様子から探り当てるのが正解だろう。だがそれには、まずこの背中にしがみついた重石をなんとかしなければならない。前にいてくれれば簡単に動けるんだけどなぁ。なんて、いちいち寝相にまで注文をつけていても仕方ない。これも慣れたことだとゆっくり体勢を整え、機嫌を損ねないように丁寧におんぶしてやればもう自由の身だ。
「よしよし、っと。さーて、外は……まぶしっ⁈ 思いっきり朝日が差し込んでくるのか、この部屋。やたらカーテンが厚いと思ったら」
暗幕もかくやと言わんばかりの厚く暗い色のカーテンを少しズラすと、眩い朝日に目をやられてしまった。うぐっ……思ってた以上に引きこもり生活の後遺症が残ってる……あ、頭が痛くなって来た。
「これじゃミラが起きちゃう…………ミラが…………? はて、昨日あんなに寝るの拒んでたくせに、今朝は随分ぐっすりだな。もう俺のこと守るのはやめちゃったのか?」
「そんなわけないだろう。なんて、僕から言う必要も無いかな? おはようアギト、そして……ちょっと話があるんだけど」
突如背後から聞こえて来た声に、僕の体はその場でビクンと跳ねた。くそう……ビビリとか言うんじゃないよ……っ。慌てて振り返れば、そこにはむすっと僕の方を睨んでいるマーリンさんの姿があった。あれ……? い、居たんですか……?
「まったく、ふたりして丸一日寝てるんだもん。若者のする生活じゃないぞ、それは。およそ勇者としても落第点だ。休息を取ることは大切だし、必要とあれば昨日のように無理矢理寝かし付けることだってする。けれど……だからってぐうたら寝てばかりいるのはダメだぞ? もう……」
「うぐっ……ご、ごめんなさい……」
次からはこういうことの無いように。と、僕の頭をペンペン叩いて、そしてそのまま優しく撫でながらマーリンさんは笑った。はふぅ……なでなで気持ちいい………………おっと、キモいとか言うのは禁止だぞ。まったく、自覚が無いわけ無いじゃないか。ネガティブ思考すらも貫通してくるこの人のバブみが悪いのだ。すごいぞ、本当に。
「……っと、そうだ。こいつ昨日あんなだったのに、どうしちゃったんですか? なんだか訳知り顔だし、説明したそうな雰囲気醸し出してるんで教えてくれる感じですか?」
「………………なんだろうね、本当に君は僕を敬う気が無いのかな? 別に堅苦しいのは嫌いだから良いけど、だからってそう小馬鹿にするような口の聞き方は…………オシオキだっ!」
オシオキと言いながらマーリンさんは思い切り僕に抱き着いて来た。やめっ…………ふふ、やめなくても良いとも。ふっふっふ、どうやらまだ僕にそれが通用すると思っているようだな。残念ながらもう効かない、有効打にはなり得ない。何故なら! そろそろ慣れてきたからだ! 毎日毎日からかわれてたらそりゃ慣れもするよ、ふっふーん! だからいくら抱き着いても、思い切りその柔らかいものを押し付けても、耳に吐息をかけても…………
「…………ひぐっ……ミラがいるんですよぉ…………ぐすっ……」
「ご、ごめん……泣かないでよ、本当に悪いことした気分になるじゃないか…………」
慣れるわけないだろこんなものッ! もうそんなの………………そんなのッッッッ‼︎ 幸せと不幸とは両立してしまうのだ。どんなに幸福な時間であろうとも、それに伴う悲劇が避けられないのならただ喜ぶだけではいられない。無様な姿を晒した羞恥心と、いいように弄ばれたという敗北感から涙を流しながらうずくまって許しを請う。お願いだからそれ以上刺激しないで…………うう……
「さて、ミラちゃんの安眠の秘訣だったね。それは……ふふ、まったく昨日の僕はバカだったよ。こんなにも簡単な手段があったというのに」
「勿体つけてないで早く教えてくださいよ。すぐよく分かんないタメ作りますよね」
こいつっ! と、マーリンさんはまた気を荒くして抱き着いてきた。やめっ…………ごめんなさいってば! うう……どうして美女に抱き着かれるのが罰になっているんだ……っ。ご褒美なのに…………背中に可愛い妹さえいなければ…………あと無駄な見栄とかそういうものが無ければただのボーナスタイムなのに…………っ。
「まったくもう。さて、説明に戻るよ。なに、単純な話だ。この建物に結界を張った。ミラちゃんならそれの性質がどういったものかなんて寝ていても分かる筈だ。つまり、安全を……君の安全を確保してやれば良かったんだよ、最初から」
「結界……ですか。そっか…………そうだよなぁ。俺がもっとしっかりしてれば、こいつも枕を高くして眠れるのに…………いや、その枕が俺なんだけど」
そうだよなぁ。結局そこにたどり着くよなぁ。なんて、そんなことを思いながら首元を甘噛みしているミラの頭を撫でていると、またマーリンさんに抱き着かれた。なっ、なんでよっ⁉︎ 何も悪いことしてないよっ! お願いだから…………お願いだから夜眠れなくなるようなことしないでぇっ! 大変なのよ! 歳頃の男の子はっ!
「二度と言うな、そんなこと。君がどうであれ、この子は同じようにするよ。自分を卑下するのも良くないが、その為に誰かの在り方を曲解した言葉を使うんじゃない」
「わっ、分かりましたからっ! 本当にそれは勘弁…………あぐぅっ……」
指で鼻を弾かれむすっとした顔を向けられては、流石に何が悪かったのかくらいは理解出来る。うん、我ながら良くなかった。うーん……前に似た様なことあったかもしれないなぁ。だとしたら、その時怒ってくれた人にも謝らないと。進歩が無くて本当にごめんなさい。そうだよな……ミラならきっと、僕がムキムキで魔獣なんて片手で倒してしまえるくらいになっても心配していることだろう。頼りないから心配してくれるのではなく、大切に思ってくれているからこその行為なのだ。そこを履き違えてはならない。
「…………エルゥさん……だったかなぁ」
「エルゥ……君たちの口からよく出てくる名前だね。その子がどうかしたのかい?」
いえいえ、こっちの話です。と、誤魔化しても良かったのだが…………そうしたらまた抱き着かれると本能で察知したのか、それとも他に理由があるのかは分からない。けれど、気付けば僕は口を開いていた。
「……ミラに好かれているって、俺は特別ミラが好意を寄せる唯一の相手だって言われたことがあって。その時は……自信が無くて。受け入れられなくて、逃げ出して。結局それが原因でこいつを怒らせたこともあって……」
「…………君のその自信の無さは、謙虚だとか良いように捉えるにはネガティブ過ぎる。もっと自信を持たないと、いつかミラちゃんが傷付くよ。勿論、その時みたいに君が直接謝れるケースばかりじゃない。君の卑屈さの所為で、顔も知らない誰かが彼女に石を投げる場合だってある」
それは…………嫌です。と、情けないくらい子供みたいな返事をすると、マーリンさんはからかうでもなく真剣な表情で僕の頰を両手で掴んで顔を上げさせた。
「嫌ならちゃんと胸を張りなさい。君はちゃんと立派な勇者になる、僕が保証するよ。だから、大魔導士マーリンの信用に傷を付けないだけの振る舞いをしなさい」
「……はい」
ズルイとは口に出さないでおいた。突然いい格好するんだもんなぁ。そうしっかりされると嫌でも身が引き締まるというか、ふざけていられなくなる。ふざけてたわけじゃないけどさ、別に。ただ……同時に気が楽になる。こんなの言ったらミラに怒られるかもしれないけど、この人の……魔導士としてのマーリンさんの命令に従っていれば大丈夫と言う安心感が、僕の心の何処かに根付いている。それもきっと分かった上で……いいや、むしろそうなるように仕向けていたのだろう。これまで、ずっと。
「さて、じゃあお説教の時間だ。昨日お昼頃に起きたらふたりとも眠っててさ。起こさないようにそーっと研究所に向かったら、なんでも魔獣捕獲の約束をしていたらしいじゃないか。まったく、アイツら君達がまだ寝ていると聞くや否や、僕に代わりをやれと言ってきたんだぜ? 上司をなんだと思ってるんだろうね、本当に」
「うぐっ…………それは本当に申し開きのしようも……」
あれ? お説教今からなの? もう終わったものだとばかり……なんて間抜けなことを考えていたら、想像以上に身に覚えのあるお説教が飛んできた。申し訳ごめんなさい、本当に。ミラが勝手に約束してて……いや、こいつと僕は一心同体。ふたりで勇者になるって言ってたもんな。ならその約束は僕にも守る義務が…………そんな義務あっても僕じゃ解決出来ないよ…………っ。
「そういうわけで、僕は昨日半日中魔獣退治の手伝いをさせられていたわけだ。それも、あの女の子は器用に全部生け捕りにしてくれたのに、所長は相変わらず大雑把ですね。なんて嫌味を聞かされながらね。その償いとして、疲れ切った体をマッサージして貰おう。それが終わったら、僕の代わりに書類の整理と、それから……」
「ちょっ、途中から言いがかりじゃないですか! いえ……やりますけど…………」
マッサージは……ううむ、どうだろう。あの…………えっと、先に謝っておきますね。何かがあって…………ナニかがどうにかなってしまった場合即刻中止いたしますのでご勘弁を。それから…………書類整理って僕らが見ても大丈夫なんでしょうね……? 言われるがままに僕はマーリンさんの柔らかい体を………………硬っ⁈ 肩コリすごいことになってるんだけどっ⁉︎ これは……書類仕事で、だけじゃないよね? その…………慢性的に重りをつけてるからでは………………そ、そんなに冷たい目で見ないでっ⁉︎ セクハラ裁判はやめてぇっ!




