第三百五十一話
街を出てしばらく歩いた。具体的な時間を言うならば三時間程、朝早くには起きられなかったからもうお昼の時間だ。お昼の時間でも…………ここにはランチを食べられるようなレストランは見当たらない。僕らは今……
「……マーリンさん……次の街っていったい……」
「んー、内緒。それが分かっちゃったら面白くないだろう?」
いえいえ、全然面白いんで教えてください。僕らの周囲にあるのは雄大なる大自然だけ。川が流れていて、少し遠くに森が見えて。足下は多少踏みならされてはいるものの、土すら露出してない草っ原で。おかしい……王都に近付いているんじゃなかったのか……? どうしてまたこんな秘境みたいな場所にいるんだ。
「本当は一度西へと向かうんだ、馬車の場合はね。というのも、そっちに大きな街があってね、そこから馬車が四方に出ている。直通便を引く程の余裕は、君達も見た通りだ。西へと向かってまた北への馬車に乗り継いで……って。どうせ馬車になんて乗らないから端折っちゃった」
「端折っちゃった……じゃ、ないですけど。なんで馬車乗らないんですか……そもそも……どうして…………徒歩………………」
原因ははっきりしてる。目の前で楽しそうにはしゃいでる能天気なおバカだ。馬車の旅はハナっから頭に無い。それはまだ誰とも一緒になってない、ふたりっきりの時からそうだった。はあ……馬車…………キリエからアーヴィンまであんなにスイスイ帰れたってのに…………はあぁあ。
「ん。何よ、ため息なんてついて。ははーん、さては今朝みたいにまたマーリン様に抱き締めて貰いたいとか。えへへぇ……あったかくて良いわよね……」
「違うよ、おバカ。はあ……本当に能天気だなぁお前は」
ぶーと不服そうに頰を膨らせて、ミラはそれでもなんだか楽しそうに歩いていた。なんなの、その元気は。こっちはもうプレッシャーで精神的に疲労感マックスなんだけど。勇者になるって重圧は一切無いのかお前には。そんなわけないと思うんだけどなぁ……
「ほらほら、あんまり俯いてると面白いものも見逃しちゃうぞ。折角色んなものを見ようって、ゆっくり世界を味わおうって歩いてるんだ。それじゃ勿体ないじゃないか」
「……それは…………まあ……」
それについては…………くっ……言えない…………っ。風でバタバタなびくアンタのスカートが気になっちゃってそれどころじゃないって…………言えない…………っ。中にズボンを履いていようが履いていまいが関係ないのだ。そういうものなのだ。
「しかし、ここ魔獣とか出ないですよね……? 嫌ですよ、また川に投げ込まれるの……」
「アレはアンタがボケてたのが悪いんでしょ。見たことない魔獣だったってのに、迂闊に近付くから……」
それはまあ……はい。反省しております。反省とともに……あの時からの不安、毒や酸を撒き散らす広範囲を“攻撃”することに特化した魔獣の出現が気掛かりだ。普通なら死の直前に自爆して敵を攻撃したりなんてしない。する場合、仲間の為に敵を追い払うだとか、危険を知らせるだとかの為だろう。いや、いたらごめんなさいだけど。
それが……ただ攻撃をする為だけに、とは。人間を攻撃する以外の目的を持たない魔獣という可能性があると、あの時二人は言っていたのだ。正直気が気じゃない。なにせ……それはつまり、人の生活圏へと侵入する可能性が高いとも言える。食う為に狩るのではない、狩ることが目的であるなら、その為の労力を惜しまない可能性だって……
「ふむ、しかし……困ったね。どこかで一度ご飯でも食べたいけど…………一応は身を隠せる場所で休みたいものだよね。望遠鏡で発見されかねないし」
「望遠鏡って……や、やめてくださいよ。うう……もうあんな奴らと関わりたくないです……」
あんまり物騒なこと言わないでよお。望遠鏡を使うのは人間だけ……とも限らないけど、まあそう言い切って問題ない。とどのつまりは魔人の集いにまた攻撃されたらどうしようと言いたいのだ。はあ……どうしてもアイツらは解決しなくちゃダメだよなぁ。いくら魔力の殆どを使い切っていたとは言え、あの時のミラは以前同様レヴの強化魔術を使って戦っていたんだ。それがあんなにあっさり…………っ。一対一じゃマーリンさんだって危ないかもしれないのに。
「いっそ誘き出してやりたいくらいですけどね、私は。対策も考えてあるし、もうあんな奴には負けないわ。他のゴートマンが出てきたら……困る…………ううん、困らないわよ! 全部まとめてやっつけてやるわ!」
「なんなんだよその強気は……はあ。マーリンさん、もしまたあの白衣マンが出てきたらどうしましょう。俺が言うのもなんですけど、あの時は完全に力負けって感じでした。対策ひとつでなんとかなる相手とは到底……」
ミラは非常に不服そうに飛び掛かって噛み付いてきた。なんだよ! お前の心配してるってのに! 負けないわよとばかり繰り返す小さな勇者をなだめながら、僕は首を捻るマーリンさんに妙案を求めた。
「…………現状、難しいだろうね。ミラちゃんが……それも全開で強化したミラちゃんが敵わなかったとなると、僕じゃ相手出来ない可能性がある。特に足が速いのはダメだ。間合いを詰められると手も足も出ない。で……問題のそいつは武闘家だったんだろう? それも相当腕の立つ」
「……もう負けません。あの時はその…………っ。とにかく、もう負けませんから! 魔王を倒すっていうのに、あんな身元不明な怪しい男なんかに負けれられませんよ!」
その根拠がだな……はぁ。結局ここらに身を隠せる場所なんて無いし、しばらく先まで進んで木陰で休むしかないのかなぁ。というか……街の姿なんて全く見えないんだけど、大丈夫かこれ。あの森を……超えるの……? ああ、馬車だとってそんな意味もあるのか。森や林は魔獣の巣窟になりやすいからあまり近付けないのだ。じゃあなんでそこに向かって歩いてるんだ、僕達は。うう……馬車……馬車ぁ…………っ。
途中木陰で休憩を取り、案の定現れた魔獣を蹴飛ばしながら森を突き進んで、僕らはまた街へと辿り着いた。日が落ちる寸前、真っ赤な太陽はとても心臓に悪かったよ……っ。しかし、辿り着いたから分かることもある。成る程、道が森を迂回するように続いていたのね。じゃあ……なんでまっすぐ突っ切ったんだ…………っ。街の名前は……看板が無かったから分からない。後でマーリンさんに聞くか地図を見せて貰おう。
「うん、お疲れ様。ここではゆっくり休んで……出来ればそろそろどこかでお金を稼いで行きたいね。あはは……食費が思いの外高く付いてるというか……この間の準備の所為で出費がかさんだのも痛いね」
「ぐぐ……食べ過ぎだバカミラ……」
だって。と、あざとく見つめられてはもう降参するしかない。もっといっぱいお食べ。大きくなるんだよ。でへへぇ……もう妹じゃなくて孫だ、これ。
街の様子は平穏そのものだった。街の規模は小さく、砦があるわけでもない。しかし、目の前に魔獣が巣食う森林があって……はて、こんな場所でいったいどうやってこんな平和な暮らしを? どう考えたっておかしい。これまで人々が平和に暮らしている町や村には、必ず魔獣による侵攻を防ぐ手立てがあった。しかし……ここにはそれらしきものが見当たらない。
「……もしかして。ミラ、ここってアーヴィンみたいに結界で……」
「無いわね、残念ながら。うん……これはどういうカラクリなのかしら。こんなんじゃいつ攻め落とされるか分かったもんじゃ……」
ごほん。と、わざとらしい咳払いが聞こえた。ああ……えーっと。どうしようかなぁ……すごく説明したそうな顔してるけど…………どうせ聞いても“街を回って自分達で考えてみよう。答え合わせはまた宿で”とか言われそうだしなぁ。うーん……どうしよっかなぁ…………
「…………おい、アギト。君はいい加減……いや、顔に出るのを逆手にとって僕を小馬鹿にしてるな、さては」
「いえいえ、バカになんてしてないですけど…………一応念の為に聞いておきますね? この街はいったいどうしてこんなに無防備で平気なんですか?」
目にいっぱいの涙を溜めながらマーリンさんは杖で僕のことを何度も叩いた。なんだよ、そんなに拗ねないでよ。そんな子供っぽいことされたら……ふへへ、嗜虐心が唆られてしまうじゃないか。いつも弄られてるお返しをしてやろうか。
「もーっ。今日はもう遅いしちゃんと説明してあげようと思ったのに、もう! この街には魔術的な結界は存在しない。そして、物理的な障壁も見ての通り存在しない。君達が思った通り、この街は本当に無防備な状態で平和を保っている」
「いえ……あの。そこまでは分かってて、その先を聞きたくて……」
本質を理解出来てないからこそ一から説明してるんだよ。と、拗ねてそっぽを向きながら彼女はそう言った。ううむ……? 本質……? ミラもそれがなんなのか掴みあぐねているみたいで、首を傾げて僕とマーリンさんを交互に眺めていた。
「そう、本質。この街はまるで無防備に見える、ではないんだよ。本当の本当に無防備、何も無い。無防備に見えるけど実はという話でないと、きちんと念頭に入れておいて欲しい」
「……なるほど……? え? それってなんの意味が……?」
ギュルっとこちらを振り返って、マーリンさんは思い切り飛びついて………………抱き着くなッッ! おまっ……おふっ……あふぅ…………ほわぁ。甘くていい匂いと、なんだかとても幸せな柔らかさが…………痛いっ! 噛むな! ミラか! 噛むな…………すぐに止めないでよ! 噛むならちゃんと噛んでよ! 跡が残るくらい力強く噛んでよっ! いかん、変な性癖が目覚めつつある。
「……案内するよ。この街の真の姿を見せてあげる」
「真の姿……って。やっぱり何かあるんじゃないですか」
今度は背後からミラに噛み付かれた。あんまりマーリンさんに意地悪言うんじゃないのってか。でも、いつもより痛くなかったから……きっとコイツもおんなじ疑問を抱いたんだろうな。
拗ねているのかそれとも勿体つけているのか。ともかく黙ったままマーリンさんは僕らを街の中心にある大きな……それでもアーヴィンの神殿はおろか、フルトの病院よりも小さな建物へと案内した。見た感じここがこの街で一番大きな建物って感じだが……ううむ。
「あの、マーリン様。ここはいったい……」
「ん、そうだね。説明するより見て貰った方が早そうだ。というわけで——おーい! バカども! マーリン様が来てやったぞーっ!」
大きな声でそう言い放ち、マーリンさんは立て付けの悪そうなギシギシ鳴る扉を勢いよく押し開けた。その先に広がる景色に僕は絶句し、ミラは目を輝かせながらはしゃいでいた。さして大きくないとはいえ、建物の内壁いっぱいに敷き詰められた本棚、そこかしこに並べられた怪しげな幾何学模様、生きた魔獣を捉えている大きな檻。そして……中央のテーブルに敷き詰められた謎の実験器具らしき物とローブの男達。たんたんっと僕らの前に躍り出て、マーリンさんはくるりと振り返ると自慢げに微笑んだ。
「ようこそ、僕の研究所へ。星見の巫女ではない、魔導士としての僕の仕事場。ここは……この街の全ては、実験と研究の為に僕個人が保有する魔術施設なのさ」
「……マーリン様個人が保有する…………研究施設……っ!」
無防備に見えていなければならない。無防備でなければならない。無防備であり、しかし攻撃の機能を備えた彼女の研究施設。つまりここで、魔王討伐のために日夜研究が——
「——所長、寒いんで締めて頂いていいですか。あと、仕事溜まってますので。先日、王都よりイルモッド卿から手紙を預かってますので、そちらも一度目を通しておいてください」
「冷たっ。え? おい、お前らっ! 美人上司が久しぶりに顔を出したんだぞっ! もうちょっと何か無いのか! 労いの言葉をかけるとか! 久々の再開を祝すとかっ!」
魔術師……なんだろう。所員といった方がいいのかな? ともかく…………彼女の部下というのは、どんな分野においても一貫してこんな感じらしい。
王都での仕事以外にもこんな辺境の地みたいな場所で魔獣の研究もしてるんだなぁ。なんて感心していると、魔術師のひとりが、この人は十数日に一度やってきて成果を確認するだけの厄介な上司です。と、冷たく言い放ったのがトドメとなり、マーリンさんは泣き喚いて男達に杖を振り回しながら突進していった。愛されてるなぁ、本当に。




