第三十四話
洞窟から飛び出した僕らは、途端にオーディエンスの視線を集めた。残り僅かになった魔獣の視線はもちろん、僕らの予期せぬ騎士団の視線を。
「……こりゃあ……どういうことだ…………?」
ゲンさんも狼狽えているようだった。あるいは憤りかもしれない。少なくとも出発前、この街に着いた時。彼の教え子四人が召集を受けて、討伐任務に充てられたのだ。だと言うのに、この巨大戦力はどう言うことだ。こんな兵団があるのならば四人も、ミラもゲンさんも、もちろん僕もこんな危険な目にあう必要は無かったはずだ。
「あの紋章……」
ミラがぼそりと呟いた。紋章と言われて目に付いたのは、騎士甲冑の胸に刻まれた……花? ライオン? 太陽⁇ 兎も角円を中心に放射状に伸びる八つの菱をあしらった紋章が、それぞれの胸に刻まれている。
「……貴方がたが魔女の討伐を?」
駆け寄ってそう尋ねてきたのは、一番立派な甲冑を着込んだ青年兵だった。
「そうだ、って言ったらなんだ。褒賞でもくれるのかい」
ゲンさんの態度はあからさま過ぎる程敵意に満ちていた。どうやら何か因縁があるように思えるが、騎士の方はそんな態度も意に介さず爽やかに笑って僕ら頭を下げる。
「我ら王都ユーゼシティア騎士が一団。巫女様の命に従い、貴方がたを無事街まで送り届けましょう」
「……どういう……?」
ミラは随分と困惑した様子だった。それは彼女に限らず、この場にいた“六人”全員が抱いた疑念だったろう。
僕は……違った。ユーゼ……王都、その騎士団。巫女様。うん、まったくもって理解が追いつかない。彼らが立ち止まる疑念に、僕はまだ辿り着けない。
「未明に予言が出たのです。火山に根を張る蛇を討伐する者が現れる。それは間違いなく一矢となり、我々の反撃の狼煙の一端となるだろう。然ればその者を喪うべからず、と」
「……話には聞いたことがある。かつて勇者と共に旅をしていた星見の巫女。大魔導士であり、未来を見通す心眼を持つというが……」
くっ、新しい単語が次々と出てくる。予言とか大魔導士とか、流石に消化不良を起こしそうだ。
「我々は巫女様直属の兵団でして。中々融通の利かない国に仕えている騎士団の代わりに、貴方がたの護衛をしに参ったのです。馬車も連れていますのでお休みください」
「…………馬車?」
やめてくれ。そんな泣きそうな声で、そんな悲しそうな目で僕に訴えかけるな。僕も疲れているしゲンさんのことを考えれば一刻も早く街に辿り着くべきだ。だから! 揺れが辛いとか! 段差が怖いとか! そんな‼︎ くっ‼︎ そんな目で僕を見るなっ‼︎
「…………ありがとうございます。でも僕は歩いて行こうかと……」
ほらこうなった‼︎ そんな……こら! 嬉しそうにするんじゃない! くそぅ、ついさっき物騒なこと言いながら魔女を焼いていたのは何処の何奴だ! 僕は騙されんぞ! かわいい! 騙されんからな‼︎
「……そうですか。ではそちらの五名は馬車へ。急ぎ街へ送らせましょう。二人の護衛は私ともう数人で受け持ちます」
ああ! 馬車! 馬車が行ってしまう! どうしてこうなった! ッ⁉︎ 顔を近づ‼︎ 耳! 息⁉︎
「…………気は緩めないで」
散々人の心を弄んでいた彼女の声色が一変した。他の誰にも聞こえぬ様耳打ちされた忠告に、浮き足立っていた僕に嫌でもピリッとした緊張が走る。
「あの口ぶりからして、魔女の討伐をここで待っていた……いえ。むしろ私達がアーヴィンを出るところから監視されていた可能性すら……」
「なっ……んで……? なんだって僕らを……」
彼女は短い沈黙の後に首を横に振った。きっと心当たりがあるのだろうとは思ったが、下手な追求はするまい。彼女が嘘をつく時、目を伏せて考え込む様に間が開く傾向があるようだ。
「とにかく下手なことは言わないこと。特に……」
そう言って腰に括り直したポーチに触れる。霊薬、魔具、錬金術。なるほど、若い未熟な兵士すら徴兵するという今の王都に、彼女の力が知れることは危険かもしれない。息を一つ飲んで僕は小さく頷き返した。
「……では行きましょう」
あっ、それは彼女の。彼女としても出発の号令にはどこか思い入れがあったのか、僕にしがみつく力が気持ち強くなった。きっと後ろを向くと拗ねて膨れっ面になった姿を拝めることだろう。僕らは屈強な騎士達に囲まれ歩き始めた。
「……失礼、まだ名乗っていませんでしたね。私はユリエラ=イルモッド。どうぞ気軽にユーリとお呼びください」
「あ、どうも。ぼ、俺はアギト。こっちは……」
爽やかで表裏など感じさせない、礼節を重んじると言った騎士らしい言葉遣いに立ち振る舞い。なるほどロイドさんのあの気品は王都騎士団で培われたものだろう。決してあの粗野で下品なクソジジイの教えでは……
——要するに今嬢ちゃんは一発と言わず————
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ⁉︎ ッッッ⁉︎」
「ッ⁉︎ ア、アギト⁉︎」
「アギト殿‼︎」
やめろ! やめろ‼︎ 背中に意識を集中させるな‼︎ クソジジイの言葉なんて思い出すな……あぁっ! やめろ考えるな‼︎ 余計なことを考え……見ないで‼︎ 違うんです! 本当に、そう言うんじゃないんで! なんでもないんでこっちを、出来れば腰から下を見ないでぇ‼︎
「ごめん! やっぱり馬車に乗った方が良かったよね。アギトも疲れて……」
違うんですッ‼︎ 本当に申し訳なさしかないけど違うんです‼︎ いや、馬車には乗りたかったです。そうじゃなくて!
「な、なんでもないなんでもない! ちょっと余計なこと思い出しただけで。まだまだ元気元気! 街までと言わず今から家に帰ったって良いくらいだ!」
うん、元気一杯アルヨ。本当に余計なとこばっかり……
「……でしたら良いのですが……」
若干、いや内心はドン引きだろう。ユーリさんには多分バレてな……そんな生暖かい目で見ないで! やめて! こんな恥ずかしい僕を見ないでぇ‼︎
「……ではお二人とも、安心して進んでください」
あわあわ言っているミラを他所に、ユーリさんを始め周囲の騎士達の雰囲気が変わる。そして少し遅れて彼女も何かに気が付いたように僕の肩を強く掴んだ。魔獣の出現だ。
「敵は少数! 増援を呼ばれる前に叩く!」
ユーリさんの指揮の下、白銀に煌めく鎧姿が舞う。もしかしたらゲンさんの方が、いや間違いなく彼の方が疾く重たい一撃を叩き込んでいた。しかしどうだ、魔獣は迫力も威力も彼より一段劣る一撃でより簡単に倒れていく。技術の差ではない。しかし、何か決定的な差がそこにはあった。
「安心してください。ここら一帯に出る獣型については我々の敵ではありません。どうか気にせず、彼女を安全に送ることだけを」
僕らから離れず指示を出しながら彼はそんなことを言った。殲滅速度は彼女の方が速い。個人の剣技としてもゲンさんの方が遥かに達人だろう。だと言うのに、なんだこの圧倒的な安心感は。肩をつかむミラの手にも更に力が入る。彼女もきっと僕と同じ、騎士達の闘いぶりを食い入る様に見ているのだ。
「…………どうかなさいましたか?」
「えっ? あ、いえ。その、凄いなって……」
ユーリさんはどこか驚いた顔で僕に尋ねてきた。突然話を振られると語彙力が死ぬから出来れば勘弁して欲しいなどと考えながら、しっかり語彙力の死んだしょうもない答えを返してしまう。
「……我々は多対多——集団での魔獣掃討を目的とした鍛錬を積んでいます。先の御老人は、我々よりきっと腕の立つ戦士だったでしょう」
ずばり僕の考えていた事に対する答えが返ってきた。
「ですが我々と“彼ら”、ならば負ける道理はありません。指揮官の不在とは、指示の欠如とは戦場においてそれほど大きな要素であると我々は考えています」
それからも彼は指示を飛ばし、騎士達は簡単に魔獣を退け続けた。彼の指示は伝播し、やがて騎士の間だけでコミュニケーションが取られ、気付けば僕らは無事、またあの大門の前まで帰ってきていた。