第三百三十九話
勇者になる、か。あんなに甘えん坊で泣き虫な妹が立派になって…………なんて、そんなボケたことを言っている場合じゃない。口に出したからには、きっと相当な覚悟を持っているのだろう。ミラなら出来る、相応しいだけの勇気と優しさを持っている。それと僕の不安とは全く関係無い。とどのつまり、ミラはこれから自ら最大級の危険に身を晒そうと言っているのだ。誇らしくもあり、同時に思いとどまって欲しいとも願う。
「むにゃ……ふわぁ……うぅん。アンタにくっついてるとほんと……すぐに眠たくなるわね……」
「ま、こう毎日毎日くっついて寝てればな。布団に入れば嫌でも眠たくなる、みたいな。刷り込まれてるんじゃないのか?」
マーリン様にキチンと話をしなくちゃ。と、ミラは頑張って眠るのを我慢していた。だったら僕から離れてポーション作りの課題でもこなせばいいのに。そんなミラもとっくに分かっていそうな提案を飲み込んで、僕はどんどん体温の高くなっていくミラをひたすらあやし続けた。可愛い可愛い大切な妹。このままぐっすり眠って、起きた時には勇者の話なんて忘れてくれていればいいのに。そんな思惑が無いとも言い切れなかった。はあ……なんなんだか。コイツは立派な勇者になれそうだってのに、僕はなんでこうも浅ましいのだろう。
しばらくしてマーリンさんが帰って来ると、ミラはなんともまあ名残惜しそうに……それでも頑張って僕から抜け出して、彼女の前で姿勢を正した。瞼を重たそうにしてフラついているそんなミラの姿に、マーリンさんは無邪気にもトドメを刺しにかかる。
「ん、でへへ。眠たいのかな? ぎゅーってしてあげるから、今日はおやすみ。嫌なもの見て眠れないってことなら、また三人で……」
「あう…………はふぅ……ふわ。ま、マーリン様……違…………えへへ。じゃなくて……」
いいぞ、いけいけ! なんて。いい加減僕も腹を括ろう。ミラはきっと、今の僕よりずっと多くの不安を抱え、長い葛藤を経てこの答えを出した筈だ。でも、その答えはきっと……もっともっと前から持っていただろう。自信が無かったんだ、きっと。マーリンさんと出会ってからというものの、ミラはそれ以前の様なかっこいい所をあまり見せられていなかった。それでも、勇者の力を得て、自信を取り戻して。その末にとんでもなく勇気を振り絞った決意の筈なんだから。
「……マーリンさん。ちょっと放してやってください。そいつ、マーリンさんに話があるからって、眠たいのを必死に我慢してたんですから」
「僕に……? そうだったの……でへ。そっか、じゃあぎゅってするのはもうちょっと後だね」
話が早くて結構。マーリンさんはもう今にも夢の世界へ落ちてしまいそうなミラを離し、そして一歩退がって真剣な眼差しを向けた。ああ……もしかして、僕の所為で話をする前にバレてる……なんてこと無いよね? あったとしても、きっとそんなの口に出さないで、キチンとミラの言葉を待ってくれるだろうけどさ。
「…………マーリン様。どうか私を……私達を連れて行ってください。まだ未熟で、勇者様の力も覚醒しきってはいません。けれど……どうか貴女と共に戦わせて頂きたいのです。どうか、その貴い理想の為に……私も戦わせてください」
「…………っ。そうか……一緒に来てくれるんだね。分かったよ……ごほん」
マーリンさんは咳払いひとつすると、僕もそばに来るようにと手招きして、杖でドンと床をひと突きした。その音に、ぴりっと空気が引き締まる。そこにいたのは、ほにゃほにゃ顔の甘やかしいなマーリンさんではない。厳格さに満ちた、王命を遂行しようとする星見の大魔導士だった。
「……ミラ=ハークス。アギト。両名をここに、正式な勇者として迎え入れる。これから先、その行いは民の規範となり、またその勇気で国を動かすものと心得よ。これから君達は魔王討伐のその時まで、一個人ではなく、人々の代表として戦う義務を課せられる。頷けばもう引き返せない。本当に……良いんだね……?」
うっ……お、思ったよりプレッシャー掛けて来るのね。いつか言っていた、レッテルとしての特別。マーリンさんのお供としてではない、勇者として。もっともっと重たい責任を伴う、不必要なまでに肥大化したその肩書きを背負う覚悟を求められている。マーリンさんはミラを一瞥すると、すぐに僕の方へと顔を向けた。ああ、もう。そりゃそうだよ、だってこいつは覚悟を決めてたんだから。僕待ちだ、ちくしょう。
「…………俺は……ミラなら勇者になれるって思って…………」
そうだ。勇者の資質を持ち合わせているのは僕じゃない、ミラだ。だから、とてもじゃないが僕にはその重荷を背負えるだけの胆力なんて無い。人々の規範とか、国を動かすほどの勇気とか……そんなものが僕なんかに備わってる筈が無い。だけど……
「……俺は…………俺は……っ! ミラと一緒にいるって約束した、そう願った! だったら一緒に付いて行く。どこまでも高いとこまで突き進むんなら、引き摺られてでも付いて行く! まだ至らないところばかりですけど……どうかご指導お願いします!」
「……アギト……っ。まだ半人前の私達ですが、ふたりならきっと……いいえ! ふたりできっとやり遂げてみせます! マーリン様、どうかよろしくお願いします!」
僕もミラももう互いを見ることはせず、ふたり一緒にマーリンさんに頭を下げた。あーあ、どうなっても知らないぞ。ミラはともかく、僕は本当に勇者とは程遠い…………はあ。言ってて虚しくなるだけだから、こういうのはもうよそう。そればっかりだとミラの評価に傷が付くし、マーリンさんとかつての勇者様にも失礼ってもんだ。
「…………うん。ありがとう、ふたりとも。えへへ……正直、断られると思ってた。断って欲しいとも……ちょっと思ってた。でも、君達のその勇気は、とてもじゃないが替えのきく資質じゃない。ごほんごほん……改めて! 新たなるふたりの勇者よ! ここに魔王討伐の任を命ずる! 僕からもお願いするよ。どうか、一緒に世界を救ってくれ!」
はい! と、僕とミラは声を揃えた。顔をあげれば、そこには優しくて暖かくて……でもそれだけじゃない、頼もしくて尊敬出来るマーリンさんの笑顔が——
「——お客さん。困ります、他の宿泊されている方々もいらっしゃいますので。それから……床。大きな音がしましたが、まさか穴など……」
「へっ? どわぁあっ⁈ ご、ごめんなさい! はい、穴とかは……空いてませんので! はい……ええ、はい。ご迷惑おかけしました……」
威厳もへったくれも全て奪われ、目の前にいたのはへこへこと頭を下げる気弱な宿泊客だった。な、なんて間の悪い……
「……すみません、お騒がせしました。はい、ええ……はい。気を付けますんで……ええ。はい、申し訳ありませんでした」
「………………な、なんて締まらない……めちゃくちゃ勇気を振り絞ったってのに……」
従業員が立ち去ると、マーリンさんは本気でしょぼくれた顔をしていた。ビシッと締めるところでアレだもんなぁ。なんていうか……不憫でならない。この人も大概いい格好しいだからなぁ。
「……っていうか、マーリンさんなら身元を明かせば許して貰えた……むしろ逆の立場だったんじゃ……」
「こら、おバカアギト。そういうところに気を付けろって言ったんだぞ。立場に胡座をかいて横暴な振る舞いをしたならば、それはもう勇者ではない。それに……僕はやっぱり、山育ちの世間知らずだからさ。そういう意味では、街で働いている人の方が全然先輩というか、習うことが多い。大切にしなくっちゃね」
おっと、いきなり咎められたな。しかし……ふむ。あんまり偉い人って感じがしない、親しみやすいお姉さんな理由はそれか。自分の今の立場をあんまり好んでないのかもしれない。
「……はぁ。でも、ごめん。ふたりにとっては大切な瞬間だったのに。王都に着いたら正式に王様からの任命を受けるだろうから、儀式ばった思い出はそっちで。今日のは…………僕と一緒に旅をした楽しい思い出に入れておいて」
「いえいえっ! こんな場所でお願いしたのは私ですから! マーリン様が気に病むことは何も……」
そう言ってくれると嬉しいな。と、マーリンさんはほっと胸を撫で下ろし、さっきお預けを食らった分と言わんばかりにミラを抱き締めた。そして……その魔の手はすぐそばにいた僕にも伸びてきた。
「ちょっ……こら! 俺まで巻き込むな! 離れろ……離…………離してっ⁈ ちょっ……だめ…………あふ……はふぅ……」
「むっふっふ、離さないとも。でへへ、君達は本当に可愛いねぇ。あ、こらアギト。あんまり暴れるんじゃない。うるさくするとまた怒られちゃうだろ」
じゃあ離してよ! ちょっと、ミラがすぐそばにいるんだ! 気付かれでもしたら…………もう寝てるっ⁉︎ 流石にふたり分の体温は許容限界を超えてしまったらしい。ミラはスヤスヤと寝息を立てて、されるがままになっていた。
「………ふひぃ………でえい! 離れろ! はあ……はあ……やっと抜け出せた……っ。男嫌いの設定はどこへ行ったんだ、まったく……」
「あはは、勿論どこにも行ってないよ。男は嫌いだけど、アギトという個人は大好き。ただそれだけだ。まったく、本当に可愛い奴だなぁ君は」
大ッッッ⁉︎ ちょっ、ちょっと待っ…………だ、騙されんからな‼︎ それはあくまで弟的なものとして好きってだけだろうが! おじさんをからかうんじゃない! おじさんは……おじさんはなぁ………………うっかり手が触れただけでも惚れてしまいそうな程簡単なんだぞ! 正直もうトキメキ超えて心臓ぶっ壊れそうなんだよ! 動悸息切れ、更年期障害…………違うわ! ちくしょう! この世の女の子全員に一目惚れしてしまいそうなクソザコで悪かったな‼︎
「……だって……ねぇ。ミラちゃんが起きてたらきっと同意してくれただろうよ。こうも素直に純粋な好意を向けられたんじゃ、嫌えるわけないじゃないか。まったく」
「好っ⁈ は、はあぁっ⁉︎ そ、そそそそそそんなのないですけど⁈ や、やだなぁ! 自意識過剰過ぎやしません⁉︎ そんなマーリンさんに…………こ、ここここ恋とか…………」
いや、そういうのじゃないんだけどね。と、マーリンさんはちょっとだけ申し訳無さそうに、僕の勘違いにしっかりトドメを刺した。分かってます。ええ、分かってますよ。理解と書いてわかる、理解っておりますとも。人間としては好きだけど、付き合えるかといったら……みたいなアレでしょう? 分かってますよ、分かってますとも。ええ、理解と書いて…………あれ、おかしいな。涙が……
「……それに、君にはミラちゃんがいるじゃないか。むふふ……でへ」
「はい? いやいや、それは……あっはっは。こいつは妹、家族なんですよ? それこそありえないでしょ。確かに世界一大好きだけど、そういう好きじゃ……あ、マーリンさんもこういう感情を抱いてる的な話?」
ああ、うん。それでいいよ。と、なんだか投げやりな回答が返ってきた。はあ……いや、最初からそういう対象として見て貰えないのは分かってたし、良いけどさ。まあ……なんだ。はっきり言ってしまうなら…………好きって言われただけで、本望です。人生三十年。家族以外の女の人に好きと言って貰えたのはこれが初めてですから。内心全力ガッツポーズを取っていることも、もしかしてバレてるんだろうか……?




