第三百三十四話
魔具の準備を終えて布団に入るか否か迷っているところに、マーリンさんは帰ってきた。ナイスタイミング、もう寝ちゃってもいいですか? なんて……子供染みた質問をするのは、果たして如何なものか。
「およ、まだ起きてたか。まあまだお昼過ぎだもんね、ミラちゃんはともかくアギトは眠れないか」
「はい…………はい? ちょっと! それどういうことですか! マーリン様っ‼︎」
どうもこうもないよ、このすっとこどっこい。いつもいつも起こしたって眠りこけてる奴が、いったい何を言ってんだ。むすっと頬を膨らませてマーリンさんを叩く…………ことは出来ないのか、袖を引っ張って腕を揺するミラに、マーリンさんはなんともまあ幸せそうな表情を浮かべていた。
「でへぇ……でへへ……よしよし。おほん。じゃあ買ってきたお昼ご飯も無駄にはならなかったね。食べたらもう一度情報整理をして休んでしまおう。ミラちゃんの場合、これまでにしてきた無茶のツケもあるからね。いくら寝たって足りないくらいなんだ」
「無茶のツケ……か。今の魔術の規模が本来の適正値だってんなら、確かに以前のこいつは相当な無茶をしてたってことになりますもんね……」
そろそろ限界を迎えそうなマーリンさんからミラを引っぺがし、そのまま膝の上に抱きかかえて頭を撫でてやる。やはりまだ不服なようで、じたばたと暴れて僕の腕を噛んだりもしたが、撫で続けているうちにそれもすぐに収まった。やれやれ、イヤイヤ期に入ってしまったかな。
「本来、魔術なんて一切使えない男の能力だ。自己治癒の呪いと魔力の過消費がどんな結果を生むかなんて予想がつかない。そういう意味でも、魔力には常に余裕を持たせておかないと、だ」
「……ああ、だからあんなに躍起になって。良かったなぁ、ミラ。大好きなマーリンさんがこんなにもお前のことを思ってくれてるんだぞ。ちゃんとお礼を言いなさい」
和んでいたミラは僕の言葉に目を見開いて、振り返るとすぐさま僕の首元に噛み付いてきた。痛いってば! ごめんごめん、悪かったって! 子供扱いしてすいませんでした!
「ふーっ! ふん! そんなこと言われなくたって分かってるわよ! マーリン様にはいろいろお世話になってるもの、いつかでっかい恩返しをしてみせるわ! だから、もうしばらくはよろしくお願いします」
僕の上で器用にも姿勢を正し、ミラはマーリンさんに頭を下げてそう言った。ほら……我慢して。今にも涙を流してしまいそうな程感極まっているマーリンさんに、僕は必至の念を送る。が…………まあ、無駄だったらしい。耐えきれずにミラに抱きついて…………あの……
「……重たいって。ちょっと、マーリンさん。重いです」
「重っ⁈ お、重たくないよ! 失礼な! 重たく……重たい……? うう……最近ちょっと食べ過ぎかなぁ……」
そんなことないよ! 程よい肉付きだよ! 理想の体型! 拙者的にはもうちょっとだらしないくらいでも…………げふん。いかんな、最近マーリンさんをからかうのが楽し過ぎる。いえ、どちらかというといつもは僕がからかわれてるんですが。だが、その度にミラに咎められ噛み付かれていては…………首の皮がもたないっ! 痛いっ!
「アンタはなんでそうデリカシーってもんが無いのよ! マーリン様が重たいんじゃなくて、アンタが貧弱なんでしょうが!」
「貧弱……おま…………それは…………言うなよ……」
やめて! 貧弱とか弱いとか、情けないとかだらしないとか…………小さいとか………………早いは……禁句ですよ……っ。あと臭いと痩せろもダメ、NG。いえいえ、罵倒されながらこう……ね。そういうシチュエーションも嫌いではない、ドエスなおねえたまに罵られたい。なんの話だ。
「そうだそうだ! 男の子だったら女の子ふたりくらい軽々と持ち上げてみせろ!」
「女の子ふたりって……まあ、ミラが背中に掴まってる格好なら、出来なくも無さそうなのがまた……」
その男の子って言いかた勘弁してくれないですかね。いえ、中身がおっさんなもんで。罪悪感より先に、背徳感と興奮が…………ごほんごほん。違和感が先に来ちゃって、リアクションが取りづらいのですよ。推定年齢は僕より歳上である可能性が高いマーリンさんだが、見た目の年齢はどう見繕ってもまだまだ子供。美女というより美少女。だから…………デュフフ。興奮してしまいますなぁ……ではなく、子供扱いは遺憾なのですよ。
「えへへ、ミラちゃんは小さくて軽くて可愛いなぁ。でへへぇ……僕でも軽々持ち上がる。愛くるしいなぁ、可愛いなぁ」
「あの……それ、俺の上から退いてやって貰えます……? ええ、退いていただければいくらでもやって貰って構いませんので」
ミラを膝の上に乗っけてた都合、マーリンさんの顔が近い。本当にこの人は僕の表情から考えを読み取れているのだろうか。読み取っているのならいい加減に…………本当の本当にいい加減に気付いて欲しい。三十路ティーンエイジャーの思春期パワーが炸裂すんぞ! どうなっても知らんからな! どうにかなるのは僕と僕の未来だけどさ! 手を出したりしたら絶対に捕まる…………っ!
「…………さて、アギトのわがままを聞いてあげようじゃないか。えへ、ミラちゃんは僕の膝の上においで。ご飯食べながら、調べてきた情報だけ共有するね。はい、君の分だ。いっぱい食べて大きくなるんだぞ、少年。まだまだ育ち盛りだ」
それを、やめろって、言ってるんだ。興奮を覚えてからじゃ遅いんだ。つまりもう手遅れなんだからさ。手渡された紙袋からホットドッグを取り出して、瓶詰めのケチャプを塗りながらマーリンさんの話に耳を傾ける。なるほど、さっきご飯を食べてから情報整理と言っていたのはこの為か。ミラはもう話なんてそっちのけで、ご飯と後頭部をふよふよと包み込む柔らかそうなお山の感触を堪能していた。やめなさい、そしてやめさせなさい。こっちも話が頭に入ってこなくなる。
「まず、買い物ついでに聞き込みをした内容から。やっぱり、あの場所に何かがあるって話は誰からも聞けなかった。ま、おっかないご時世だからね。用も無ければ道を外れてあんなとこに立ち寄らないのが普通だ」
結界から誰かが出てくるところを見た人はいないのだろうか。という問いは、自己解決してホットドッグとともに飲み込んだ。内側からはこちらが見えるのだろう。マグルさんの結界は内側から外が見えなかったが、それは見える必要が無かったからだ。神殿の結界は中から外の様子が見えた……んだと思う。ダリアさんの言動がそんな感じだったし。あの時の魔竜も、結界が破られたことに驚くそぶりも見せず、分かっていたかのようにこちらをじっと見ていたものな。
「次に地図の…………そうだね。これは公的な仕事だから、調べるのも簡単だった。そしてそれの正確性も担保されていると言って過言でない。最新の地図を役所で見てきたけど、やっぱり何も存在しない。ただ、不審な点が無さ過ぎるのが不審といったところかな。結界を張れるだけの術者が訪れるにしては、本当に何も無いんだ」
最新、とな。僕の中の地図といえば、小さな端末の中の、衛星写真付きで拡大縮小検索追跡なんでもござれな、グー◯ル地図的なものしか浮かばない。当たり前だけどそんなもの無いから、この国では……この世界では、かな? ともかく、小学生の時ちらっと授業で見た覚えが、ある紙の地図が一般的だ。一定周期で測量し、人の手で更新し続けられる印刷物。それをマーリンさんは机の上に広げてみせた。
「今、僕の持ってる地図が前々版……もう七、八年前のものになるのかな。役所で見てきた最新版が今から一年半ほど前に作られたものだから、ある程度の差はあって然るべきなんだ。けど……この場所は何も無い。道を広げたという形跡も無ければ、荒らされたということも無い。本当に何も無いんだよ」
「何も無さ過ぎておかしい、ですか。うーん……何も無いなら何も無いで、平和だったんだなぁって思っちゃうんですけどね、俺は」
あははと笑って頭をグリグリと撫でられた。やっやめ…………やめないで! もっとしてぇ! はっ⁉︎ それはそれで僕の考え過ぎってことでオールオーケーさと笑うと、マーリンさんはまた地図の上に視線を戻した。おい、食べかすをこぼすなミラ。マーリンさんももっと叱ってやってください。お兄ちゃんは……甘やかし担当だから…………
「ともかく、だ。考えらるのは、この七年前の地図の時点でここに結界が貼られていたかもしれないって話だ。まだあのエンエズって男も集いなんかにいなかった頃だし、やっぱり強力な術者が控えているのはほぼ間違い無いだろうね」
「……そっか、エンエズさんが張った結界だって可能性もあったのか……」
ミラもマーリンさんもひどく冷たい視線を僕に向けてきた。や、やめてよぅ……ぐすん。言われてみれば当たり前だけど、あの人はそもそもマグルさんの一番弟子……一番なのかな? ともかく、あの人が弟子に取るほどの神童だったのだ。結界のひとつやふたつくらいは張れて然るべきなんだろう。
「ただ、結界の規模はそう大きくなさそうだね。街からそれなりに離れた場所まで歩いて、やっと魔力を感知出来たくらいだし。きっと、道幅を広げたり、街を拡大したりの工事の際にばれるのを恐れたんだろう。そうなると……反対側にも道が通じてるから、あまり広くない筈。アジトの可能性……集団が控えている可能性は、グッと下がったと言っていいだろう」
なるほどなと相槌を打つと、ミラに本当に分かってんでしょうねと釘を刺された。わ、分かってるよっ! た、多分……だけど。その後、ミラとマーリンさんが主体となって、敵戦力のある程度の想定を済ませると、僕らはとりあえず休むことにした。もっとも……まだ眠れないんだけど、ねえ。ミラさん、起きてくださる? と、ひとり暇をもてあますことになるのは言うまでもない。




