第三十三話
僕らは魔獣の頭目、蛇の魔女の討伐を成し遂げた。無事、ミラとも合流を果たし……無事?
「……そうだ! ゲンさん‼︎」
全く無事なんかじゃないだろこのスカポンタン! 僕はまだ痺れて感覚の無い手足を引きずって、彼らの元へと駆け寄った。
「……おぉ、アギト。見事な乙女の構えだったぜ。まぁ見えちゃいねえんだが、無事ってことはそういうこったろう……」
「先生ッ! もう喋らないで! 血が……ッ!」
死ぬ……のか? 随分迷惑もかけられた気もするが、彼にはまだ返していない恩義がいっぱいある。あるのに……っ。
「……嘘だ……あんたが死ぬなんて……っ! だってあんなに強……っ!」
ゲンさんはもうこちらを見ない。いや、見えないのだろう。笑い声なのか絶えかけている呼気なのかも分からない音を出しながら、とめどなく血を吐き続ける姿を僕はいまだに信じられない。だってあんなに強くて……それが…………こんなにあっさり死ぬなんて……
「……アギト。帰りも迷惑かけるわね……」
「…………ミラ?」
覚束ない足取りで、彼女は千切れたポーチを持ってやってきた。そして僕らに離れるよう指示をすると、見覚えのある小瓶を二つ取り出して彼に飲ませる。
「…………加護を……っ!」
そして自分で提げていたベルトから瓶を一本抜き取り、その赤い液体を飲み干してすぐに言霊を紡ぎ出した。
「癒せぬ麻痺」
ぱちぱちと小さくスパークしながら彼女の手はゲンさんの身体の上を辿ってゆく。手から肩に、肩から胸に。そして胸から顔へと登った所で彼女に異変が起きる。
「……っ? ミラ! 血が⁉︎」
口の端から血をこぼしながら、彼女は僕らにまだ下がっていろ。と、目で指示を送った。彼女の顔色がどんどん悪くなるのと反比例して、苦しそうにしていたゲンさんは次第に穏やかな表情になっていく。
「……嬢ちゃん……すまねえな」
「…………その代わり弁償の件はチャラ、ってことに——」
治療……だったのだろう。そう、治療が終わり彼女は力無くその場で横になった。ゲンさんは……どうやら一命は取り留めた様だが、とても動けそうな様子ではない。
「……さてお前ら。これからが正念場だぞ。もう終わった気でいやがらねえだろうな」
二人の無事を確認してホッと一息ついたのを見透かされた様な彼の言葉にどきりとする。体を丸めているミラから彼の方へ視線をやると、それは戒めやハッパをかける為の言葉で無いことが理解出来た。
「アギト、お前は嬢ちゃんを。そんでオックス。一番力のあるお前が俺を担いで行け。残念ながら、今この瞬間から俺達は討伐戦から撤退戦に任務変更だ」
そうか。魔女を倒したとはいえ魔獣は残っている。勿論街へ戻るまでの間、あの獣型の住処だって抜けなければならない。どう見ても瀕死なゲンさんはもとよりミラももう——
「ひぃ——ッッッ‼︎ 〜〜〜〜〜〜ッッッッ‼︎ ッ⁉︎ ッ‼︎」
悪気は無かった。ただ、無防備に横になっている少女を、よし……僕が守ってやるからな! 的なニュアンスの覚悟を決めるとか、そういう決意的な。ともかく悪気無く、僕は彼女の手を優しく握ったのだ。しかし彼女は目から大粒の涙をこぼしながら、悶え苦しむことすら苦しいと言わんばかりに最小限の動きでのたうちまわる始末。本当に申し訳ないのだが……一体どうした。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎ ッ‼︎ や、やさしく‼︎ そっと、そーっと運んで‼︎」
それは……無理じゃないか? さっきも、僕は手を握りはしたが……握りしめたという程でもない。大事に大事に、それこそシャボン玉でも持とうかと言わんばかりに彼女の手を包み込んだだけだ。それでこの反応となると……
「ゲンさん。もう少し休ませてからの方が……」
「……っ! それはダ——ぃぎっ——‼︎ それはダメ……彼を早く病院へ……」
大声を発するだけでこれとは。というか彼の治療は終わったのでは? むしろ今にも死にそうな顔で泣きじゃくるミラの方こそ病院に行くべきなんじゃ……
「ふっ! ひっ! はぁ……ふう……。いい? 私は出血を和らげて、神経を麻痺させただけなの。急がないと麻酔は切れるし、そもそも失血死の方が早いかもしれないの」
それはつまり応急処置という…………
「——なんで⁉︎ だってミラは昔、事故にあった子供を治療したって! ボガードさんから聞いて……」
「もうそんなッ————〜〜〜〜ぃ痛……もうそんな魔力なんて残ってないのよ、流石に……」
ということはつまり、だ。いや、さっきからそれを言っていたのか。僕らは二人の負傷者を抱えて退散するというミッションを、二人の攻撃力無しでやらなくちゃならないのか! 成る程こりゃあ正念場だ! ハッハッハ!
「……ちょっと待ってくれ? そうなるとどうやって魔獣を倒すのさ⁉︎」
彼の弟子である四人。の内、ゲンさんを運ぶオックスさん除く三人。たった三人だ。しかもゲンさんは出発前言っただろう。彼らなら一週間は保つ、と。それはつまり、魔獣の群れと戦い抜く力は無いということじゃ——
「安心しろボウズ。こいつらもな、飯はマズイし洗濯は出来ないし掃除しても散らかしやがるようなすっとこどっこいだが、一つだけ俺が徹底的に仕込んだことがある。忘れたか? 戦いはな、敵を倒さなくったっていいんだよ」
ここに来るまでに確かに彼に教わったことだ。高出力で暴れる魔獣の活動限界時間は短く、逃げ回って逃げ延びて、逃げ延び切ったら勝ちだと確かに言った。だが、それもどうだろう。これから先、魔獣の群れとどれだけ遭遇するだろうか。それに外の獣型は仲間を呼び集めていたフシもある。囲まれて仕舞えば、抵抗出来ない僕かオックスさんが狙われればそれはつまりゲームオーバーなのだ。
「……信じろ。うちのバカどもを」
そう言うゲンさんを担いで、オックスさんは既に立ち上がっていた。他の三人も覚悟と、それに自信に満ちた表情をして僕らを待っているように見える。
「……わかった!」
僕も腹を括った。ひんひん泣きながらグズるミラを背負って、彼らの後に続いてまた迷宮の通路へと足を踏み出す。
「ひぎッ! この洞窟の魔ッ⁉︎ 魔獣はもう——ッッッ‼︎ もう、発生しないはぃひっ‼︎ アギト——もうちょっと丁寧ぃぃぎっ——ッ‼︎」
「無茶言うなよ⁉︎ 帰ったらいくらでも怒られてやるから今は我慢しろ!」
ついさっき苛烈で獰猛な戦闘を見せていた姿からは想像もつかない……逆だ。どちらかと言えば、この軽くて弱々しく背中に乗っかっているものの方が見た目の印象とのギャップは少ない。ちょっとそろそろ彼女に対しての感覚が麻痺しつつあるな。ともかく彼女が言うには、洞窟内で魔獣と遭遇する確率は低いそうで、事実彼女が泣くのすら止める程走ってもあの蛙型とは一向に鉢合わせなかった。
「光だ! 出口か⁉︎」
叫んだのは先頭を走るアルゴバという坊主頭の青年だった。微かに感じる緑の匂い。間違いない、あの光は出口——
「——shaaaAAA————」
突然光の形が変わる。暗闇を丸く切り取っていたその光を、縦に塗りつぶした何かがそこに立っている——ッ!
「野郎……っ! まだ生きてッ!」
「——phyyyyyyy————shyyyrahaaaAAA————ッ‼︎」
もう人型を保つことも、人語の様に鳴くこともやめた大蛇が鎌首を擡げて待っ……てなどいるわけもない! その影は一瞬で間合いを詰め、希望の光を覆い隠すようにその大口を広げて僕らの視界を飲み込み始めた。
「ぐ……っ! ア……ギトぉ‼︎」
必死に声を振り絞りながら彼女は……ッ⁉︎ 彼女は僕の体をまさぐり……あっ⁉︎ そこはダメ! らめぇ‼︎
「ッ‼︎ 穿つ雷電!」
彼女の声と、そしてもう一人。やはり先程聞こえたのと同じ声だった。二人分の言霊が蛇の喉を突き破る。空気を震わせながら、雷がまたさっきの光を取り戻した。
「〜〜痛っ! ほんと……蛇みたいな執念して……っ!」
バラバラと崩れながら焼け散った大蛇の脇を抜け、僕らは遂に洞窟からの脱出を果たした。
「おめえら気合入れろ! 問題はこっから……だ……」
僕らの眼前に広がったのは大量の獣型の群れ。だが——ただの群れではない。既に討ち倒され一面に倒れた魔獣だったものの群れと——甲冑を纏った騎士団の姿だった。