第三十一話
随分走ったつもりだが、一向に彼女の痕跡も見つからない。かれこれ一時間程、幸いにも薬の発光はまだ弱まってもいない。これが五本となれば、あとの問題は体力と気力だけだが……
「せめて嬢ちゃんが通った形跡だけでも見つかりゃな。アギト、なんか……特に壁に焼けた跡だとか焦げた匂いだとか、まだ見つけてねえか?」
僕は首を横に振った。敵はこの洞窟を操作することが出来る。そして魔獣の死体も跡形もなく消える。しかし、洞窟そのものに起こった変化は消せないようだ。ゲンさんが埋めた鎧の一部が変わらず掘り出せた様に、仮に表面だけは取り繕えたとしても彼女が魔獣を焼き払った臭いは消しきれない筈だ。
「マズイな……嬢ちゃんがどんだけアレを持ち込んだのかしらねえが、そもそも飲みゃあ解決するもんでもねえしよ」
「アレ? そういえば洞窟に入る前何か飲んでいたような……」
ふと二人が入口でしていたやり取りを思い出す。彼女とはぐれた時にもゲンさんは口にしていたが、彼女が服用したのは何か特殊な薬であることだけはわかった。
「ありゃ霊薬だよ。ポーションの中でも極めて異質な、そして異常な促進性をもった劇薬だ」
促進性、とは一体。ポーションなのだから回復なのでは無いのだろうか。その差異が異質ということだろうか。
「いや、ポーションってのは人間の持ってる自己治癒力や免疫力、それから活力を高めて回復させるもんで、その点は霊薬も変わりはねえんだがな。そうさな、なんというべきか……」
僕の無知な質問にゲンさんは頭を抱えながら唸り始める。なるほど、回復薬といってもRPGに出てくるイメージとは違う、市販の風邪薬のようなものだろうか。あるいは栄養ドリンクのような。
「……一発抜いたとするよな?」
「……はい?」
一発…………シモかな? 彼のことだからきっとシモだろう。毎度思うのだがこの男は時と場合をわきまえるということが出来ないのだろうか。今はミラもいないとは言え非常事態であるのだが。
「ポーションってのは、例えれば元気になるような成分を詰め込んだ薬でな」
うん。うん? もしかして続いている? シモが、ではなくさっきの話とこの話が、という意味で。
「霊薬、エリクサーとも呼ばれてんだけどな。あれはそこが違ってな。疲れたまま、枯れ果てたまま。一切の補給無しに元気にだけする代物でな。もちろんそこに興奮だとか快楽は……無い。例えればそんな薬だ」
「なんでソレで例えた?」
本当に疑問なんだが、この男は一体なんの話をしたいんだ。そして、さっきから例えがそっち側に寄り過ぎではないだろうか。
「要するに、今嬢ちゃんは一発と言わず枯れ果てて動けなくなるまで出してなお、未だに腰振ってる状態で——」
「——やめッ! おいヤメロお前ぇえ‼︎」
ついに僕はゲンさんに飛び蹴りをかました。流石に言っていいことと悪いことがあるぞ、と。確かに彼女は、どことは言わないが膨らみが慎ましやか超えてほぼ絶無だ。一度直に見る機会に恵まれたからそれはわかっている。違うんです、そういう話ではないんです。僕の性癖にフタ…………いや、待て。男の娘という線ならイケるんじゃないか……?
「……いやしかし……くっ! よくもやってくれたなゲンさん! 無事帰ったらどんな顔してミラに会えばいいんだ‼︎」
「おうおう妄想逞しいこって。しかしまあボケてんのも前見ながらにしてくれよ——」
言い終えるかどうかと判別もつかぬうちに鋭い突きが僕の顔を掠め、背後で派手に水音を立てる。囲まれ……? てはいないようだ。たった一頭、随分ボロボロになった魔獣に彼はトドメを刺したようだ。
「随分ボコボコにされてんなコイツ。近くに誰かいんのかね」
「それって……」
ゲンさんは何も言わず首を横に振り、倒れた魔獣を蹴り転がした。無数の切り傷に、いつ折れたのかは定かではないが腕を骨折している。これまで見てきた個体に比べ、随分激しい戦闘を行った形跡が見て取れる。
「嬢ちゃんならこうはなってねえ。もっと無残に、それこそ肉片にでもなって落っこちてただろうよ」
「う……まぁ確かに」
そう言われればそうだ。彼女と戦ったなら焼け死んでいるか、腹に穴が空いているか。ともかく一撃で倒されていただろう。しかしコレはそうではない。だが僕の悲観的な思考回路は悪い方へばかり回転を始める。
「……ゲンさん。これって……もう魔術も使えなくなったミラと戦った……なんて事ないよね……?」
「……まぁ本当に薄い確率だが、無くもなかろう」
走りっぱなしでびっしょりかいていた汗が引いていく。もしそうならとっくに彼女は……っ! 数十年積み上げてきたネガティブ脳が悪いイメージばかりを映し出す。そんなわけはない。必死に顔を叩いて僕らは急いで探索を再開した。
「……無くはねえ、ってだけだ。もうアレがなんなのかのアテはついてる。あんまり気負うな」
走りながらゲンさんはそう言った。慰め……では無いのだろう。彼の口調は、どこか確信めいたものを感じさせる。
またしばらく走って瓶の発光が弱まってきた頃、僕らは通路を抜けて開けた空間に出た。
「こりゃあ部屋……ってわけもねえか。人為的に作られてはいるが……」
「……向こう側の通路、なんか音がしないか?」
魔獣の足音……だが、さっきまでの軽快さがない。重く、引き摺っているような鈍い足音だ。ゲンさんも僕の言葉に耳をすませて、部屋の反対側の通路を凝視する。すると次第に血相を変えて部屋を駆け抜けて通路へと飛び込んでいった。
「——無事かテメェらァ! オックス! イェンティラ! アルゴバ! キーバック!」
彼に続いて飛び込んだ通路の先には、さっきまでとは比べ物にならない大きさの魔獣が七頭。それに…………っ‼︎ ボロボロになりながらも魔獣を退け続けている四人の若い男達がいた。
「——先生‼︎」
歓喜に満ちた声色で若者達はゲンさんを出迎えた。彼らこそ出発前に言っていたゲンさんの小間使い……もとい、生徒達だろう。
「よぉく持ちこたえたァ! あとは俺がブチかます! 全員、誘惑する女豹の構えを取れ‼︎」
だから‼︎ ネーミング‼︎ などと突っ込む間も無く、ゲンさんはこれまでに見せたあらゆる剣技よりも荒々しく、疾く鋭い突進で、振り返ることすら許さず一頭目の首を刎ねた。
「ハッハァ! 滾る滾る! てめえら沸かせてくれるじゃねえかァ!」
さっきまでの鬱屈とした狭い通路では見せなかった……いや、見せられなかったのだろう。縦横無尽に駆け回り、魔獣達を容赦なくなます切りにしていく。出会った時に見せた姿とさっきまでの姿との違和感はこれか。僕を守る為無理に突っ込む事も出来ず、それに狭い場所では本領は発揮出来なかったのだ。彼女の一撃を容易く受け止めたあの達人の姿が、今のゲンさんとなら一致する。一致するのだが……
「アルゴバもっとだ! もっと蠱惑的な腰つきになれ! 巻き込まれるぞ!」
「わかってるよ! ちくしょう! もうやけくそだ!」
それは一体なんなんだ…………? ゲンさんは突進の直前に、誘惑する女豹の構えと言っていたが……いや、いやいや。きっとあれも恥じらう乙女の構え同様実践的な護身用の構えなんだろう。そう、そう信じたいのだが。
「これで終いだ——クソデブガエルが!」
気付いた頃にはもう残り三頭となった魔獣を、ゲンさんは目にも留まらぬ速さで斬りつけた。彼の間合いからはどの個体も二歩以上遠く見えたのだが、彼が剣を収めると全員揃って首を取りこぼして地面に転がした。
「よし、もういいぞお前ら。アルゴバ! お前は落第だ! もっぺん女湯覗きの修練からやり直すか⁉︎」
「すいません! もう本当にシャレになんないんで勘弁してください!」
危機が去り、安堵の表情を浮かべながら若者達はゲンさんの元に駆け寄った。しかし聞き捨てならないのは、女湯覗きがどうとか……
「お前も降りてこいアギト! うちのバカでトロくせえ小間使いどもを紹介してやる!」
「先生ヒドイっすよ!」
なんというか……体育会系のノリなのね、騎士って。ロイド氏のあの紳士的な態度からは全く想像も出来なかった真実を目の当たりにした気分だった。
「おうお前ら。こいつはアギト。隣町から税の取り立てにはるばるやってきたお上の腰巾着でな。可愛いガールフレンドとハイキングに来た浮かれ野郎だ」
「ほんとにはっ倒すぞアンタ!」
げはははと下品に笑って、ゲンさんは僕の頭をバシバシ叩いた。彼にとってこの若者達がいかに大切なのかよくわかる。彼が見違えるほど子供っぽく笑うもんだから僕も釣られて笑っていた。もちろん、蹴っ飛ばした後にだが。