第三百七話
あれだな。二日置きだから、二週に一週はそうなるのが当たり前だから、もうどうしようもないことなんだけどさ。
「…………うう、さむっ……。起きたくない……起きなきゃ…………起きたくないぃ…………」
切り替わりじゃない時の寝覚めの悪さに歳を感じます、感じますとも。日曜日はどうあっても忙しい。その事実がいつも以上に起き上がることを億劫にしてしまう。うう……頑張らねばと毎晩気合いを入れるのに、朝になるとそんなの全部何処かへ行ってしまうんだもの……
重たい体をのそのそと引きずって、僕は結局朝ごはんを減らして時間を工面した。もっと早くに布団から出ていればフルーツヨーグルトまで食べられたのに。そんな後悔と、それでもやっぱり寒いものは寒いという嫌気と、色々ごちゃごちゃさせながら、今朝も今朝とて原口秋人のパン屋バイト生活は始まりを告げた。告げたのだった。告げたんだけど…………それはその日のお昼時の話だ。
「…………こういう日もある、か。午後で取り返せるといいけど……」
「やっぱりまだダメか。先週までが物珍しさ需要だったのかも。もうみんなある程度はうちを知って、ようやく選択肢に入れて貰えるかどうかの瀬戸際、みたいな」
午前中のお客さんはほんの僅かだった。日曜日といえば、花渕さんが策を仕掛ける前からそれなりにお客さんが入る日もあった。間違いなくうちで一番売上が見込める日だ。多分、うちに限らないだろうけど。それが、ひと月前の平日みたいに閑古鳥が鳴いて……
「店長、ハロウィンやるならきっちり決めないとマズイかもね。それから……クリスマスケーキじゃないけど、そっちにも何か手を打たないと。鏡餅は流石にやりすぎだけど、お年玉みたいなイベントも考えとこ」
「あはは、来年のことを言うと…………鬼も笑ってられないよね。そうだね、本格的に企画を決めないと」
ハロウィン……か。正直いまいちピンとこないというか……おじさんの子供の頃、そんなイベント無かったから…………ぐすん。お菓子を貰えるとか貰えないとか、そんなあやふやなイベントだったからなあ。だが……そのハロウィンもまだまだ先。ということは、だ。
「イベントやるにしても、手遅れになってからじゃダメだよね……」
「……はあ、アキトさんのくせに痛いとこ突くじゃん。そう……私らは盛り上げられそうなとこをいかに盛り上げるかって考えるのは出来ても、何も無い日にいきなり需要を作るなんてのは出来ない。営業の効果がそろそろ出てくるのか、それとも出ないのか。ああ……胃が痛いよ……」
ちょっと。それは僕のお気に入りフレーズだぞぅ。いや、別に気に入ってもないし、なんなら本当に痛くて勘弁して欲しいくらいだけど。どうしたものかと頭を抱える三人だったが、結局この日は右肩上がりを続けていた売上を大幅に落とすこととなってしまった。うぐぐ……
「……よし。ここは恥も外聞も投げ捨てて……」
「……アキトさん、投げ捨てる程の外聞なんてあったっけ」
なんでそんなにヘロヘロになってもなお酷いこと言うの。あるよ、すごいあるよ。こう…………部屋は見せられないですね。ではなく。
「いや、デンデン……田原さんにちょっとアイデアを貰いに行こうかと。花渕さん、今日も行くでしょ?」
「っ! おい、今なんで今日“も”って言った。べ、別にそんなに通い詰めてないし。いやまあ……そういうことならついてくけど」
またまた、素直じゃないんだから。も、ですよ、も。ほぼ毎日通ってるじゃないか。うふふ、かわいいなぁ。はっ⁉ 殺気⁉
「おや、二人でどこか寄り道かい? しかし、入ったばかりの頃から考えると、恐ろしいほど仲良くなったよねえ」
「恐ろしいってどういうことだし……っていうか、そんなに仲良いわけでもないけど」
え………………? 仲良く……ないの……? なーんてね、分かってますよ。そんなに仲良いわけでもない。ってことは、仲が悪いとも思ってないということだ。つまりはほぼ仲良しといって差し支えない。差し支えないですよね? 仲良しってことで良いですよね⁇
「行きつけのケーキ屋がアキトさんの知り合いの店だっただけだよ。そうだ、今度買ってくるし。ジャンルは違うけど、敵情視察ってね」
「そっかそっか、前に原口くんから聞いたよ。ありがとう、レシートくれれば経費計上出来るだろうから、お願いしても良いかな」
別にそのくらい奢るのに。なんて背伸びをして、花渕さんは身支度を終え店の外に出た。あれ、いつのまに着替えたの⁈ 待って、まだ僕着替えてないけど! 寒いでしょう、中で待ってて…………すぐに着替えますんで少々お待ちを‼︎
僕らはお店のこれから、特にイベントが定着出来るかどうかについて軽く議論のような雑談をしながら、もうすっかり通い慣れた道をふたりで歩いた。このままじゃ話に出てたもうひとりのアルバイトの件も怪しくなるかもね、なんて話題になった頃には店に着いて、中に入る頃には…………花渕さんが僕には向けてくれないキラキラした目つきに変わっていた。なんで…………なんであんな男に…………ぐすん。
「いらっしゃい……おろ、美菜ちゃんにアギト氏。毎度ご贔屓にありがとうですぞ」
「…………しょうがないんだろうけどさ。そっか……僕より先に来るよね、常連さんだもんね。花渕さんの名前が…………先に…………」
めんどくさい元カノみたいなこと言いますなぁ。なんて、絶対元カノとかいたことない、というか今カノがいるわけもない男に言われてしまった。お前もだろって? うるさいやい。気になっちゃったんだもの…………っ。長い付き合いの僕より……花渕さんの名前が先に来たのが……寂しかったんだもの…………ぐすん。
「しかし良いとこに来たでござるな。ただ今新商品開発中につき、絶賛試作品がだだ余りしてるのですな。お代はいいから食べてって食べてって、というか食べてくだされ。冷凍保存して、三食三日の九度の飯を、これだけ食べて生活する覚悟も決めるくらいの量があるんですな」
「つ、作りすぎじゃない……? いや、でもそのくらいは作らないと理想の味にはならないってことなのかな。な、なんだか突然プロっぽい……」
プロですからな。と、シレッと返されたのがちょっとだけ屈辱だった。くそう! かっこいいじゃないか! これで美味しくなかったらダサいのに、きっと美味しいんだろうな! くっそう! 家族にも好評でした! ご馳走さま!
「まずは一品目、かぼちゃとサツマイモのモンブランですぞ。いやあ、秋だしオータムだから旬っぽい商品が欲しかったんですがな。そもそも栗が秋でしたぞ、デュフフ」
「…………まあ、そりゃあね」
ウキウキでボケたことを言いながら、デンデン氏ことパティシエ田原は、少しオレンジ色というか、かぼちゃ色のモンブランと、それから湯気とともに良い香りをあげるティーポットをテーブルに運び込んだ。ああ……花渕さんがうちの妹みたいな顔してる。くう……可愛いけど…………これがこの男の手柄だと思うと…………ぐぐぐ。
「……美味しいね。え? これ、ボツなの?」
「残念ながらボツですなぁ。美味しいかどうかは買ってみないと分からない。故に、まずは買って貰えるケーキを作らないと意味が無いのですな。目新しさがないのでブッブーですぞ」
え? さっきからなんかかっこいいんだけど、腹立たしいな。かぼちゃとサツマイモで絶対にくどいと思っていたモンブランは、意外なことに甘さ控えめというか、程良い甘さと滑らかな口溶けで、するりと食べてしまえた。え? これ、本当にボツにするの? うちに並べたいんだけど……
「さあ、まだまだあるでござるよ。次は洋梨のタルトですな。これもうちの一番人気のアップルパイと見た目が被るし、そもそも秋限定のアップルパイも出す予定だからボツになったんですな。んー、世知辛い」
「おや、また綺麗な…………本当に綺麗だね。これなら買って貰えそうだと思うんだけど、何がダメなの。被ってても良いと思うけど……」
アップルパイが売れなくなったら嫌だったんですな。なんてふざけたこと言い出す親友に、勢い付けてドロップキックをかましたくなった。馬鹿野郎! どんだけアップルパイ推してくつもりだ!
その肝心の洋ナシのタルトだが、少し翠が滲み出したような金色とでも言おうか、甘く煮られた洋梨と飴のかかったキラキラと輝く様のなんと美しいことか。しかも、ただ見た目だけの一品では無い。フォークを入れるとパリパリとコーティングの飴が割れる音も心地好い。アップルパイの物とはちょっと変えてある。と、平然と苦労しそうなことを言ってのけたカスタードクリームが、梨の酸味を優しく包み込んで…………
「……ねえ、これ本当にボツなの? なんで?」
「…………リアルな話をするなら、採算が合わなかったんですなぁ。梨が意外と高かったんですぞ……」
あ、はい。その後もいくつもの試作品、ボツ案のケーキをご馳走になり、帰る頃には、幸せそうだった花渕さんの表情も不安と恐怖に包まれていた。ごめん……僕が余計なこと言ったばかりに、かなりのカロリーを摂取させてしまった。でも、いっぱい食べた方がいいと思うよ? まだ若いんだから、いっぱい食べてまだまだ頑張って貰わないと。よし、僕もこれでエネルギー充電出来たし、明日からもまた頑張るぞ! あれ……? なんか忘れて…………?




