第三百話
マーリンさんと別れてマグルさんを探しに街の外に出た僕らは、おおよそその道程の半分、街の外周の四分の一程の捜索を終えた所だった。時間はそれになりに経っているのに、細かく探さないといけない所為で進捗は芳しくなくて……
「はあ……本当にこっちにいるのかも分かんないとなると、いやに気が滅入るな…………姿を隠してるとも限らないけど、隠してないとも限らないし……」
「ま、こればっかりはね。お爺さんがまだ調査してない範囲を捜索していると思えば、まあそれなりに気も紛れるわよ」
いや、全然紛れないけど。そう言ってあちこちに何やら手をついて、ブツブツと念じるように言霊をつぶやくミラの姿は、なんとも楽しそうに見えた。好きだよね、ほんと。
「……ところで、それは何やってるんだ? 魔術痕を調べる……的な? こう、魔力を流し込むと反応で分かる、みたいな」
「そんなの無いわよ。その逆、痕跡を残してるの。もしお爺さんがまだこっち側を調べてなくて、私達の後ろを歩いているのなら、追いかけっこになって中々出会えないでしょ。ここはもう調べたわよって目印を付けておけば、合流する為に急いでくれる…………かもしれないから」
あ、そこはやっぱり不確定なんだね。魔術師というのが好奇心に生きるものだとは、もうこれまでで嫌という程思い知った。その中でも魔術翁ともなれば別格も別格。きっと人道から外れる程の知的好奇心や探究心こそが、超一流の術師の資質なんだろう。本当に術師って生き物は……
「……なによ、その目は。噛むわよ」
「噛まないの。はあ……お前もゴロゴロ転がってるだけなら、本当に愛くるしいだけなんだけどな……」
ふしゃーっ! という聞き慣れた鳴き声と共に、ミラは僕の首元へと躊躇無く飛び掛かって来た。お前は本当に野生に還り過ぎなんだよ。そうは言っても立ち止まるわけにもいかない。噛み付いたままのミラを抱きかかえて、僕は注意深く辺りを見回しながら先へと進む。
「……なら、マグルさんも同じように痕跡を残してたりしないかな? ほら、ここは調べたかなって、分からなくなると困るし。自分用に目印付けてるとしたら、それが無い範囲にはいないって……」
「付けないでしょうね。ただでさえ人から隠れて生きてるんだもの、痕跡、足跡なんて残すわけがない。それに、あのお爺さんほどになれば、そんなことしなくても調べたかどうかなんてすぐに分かるわよ。きっと木々についた葉っぱの数、形まで全部覚えてるわ」
うーん、ダメかぁ。ところでちょっと何言ってるか分かんないんだけど。葉っぱの数って貴女……例え話にしても、もうちょっと現実味というか、実感出来るものにしなさいな。
「……冗談でも誇張でも無くて。言ってるでしょう、魔術の究極は自然への到達。なら、身近な自然の資料なんて全部頭に叩き込んでるに決まってる。勿論、枝の形や節の数なんかも覚えてるから、葉が落ちたら分からないなんてツッコミも許さないわよ」
「………………マジっすか……え? もしかしてお前も……」
ミラは僕の問いにムウと膨れて、また首元に噛み付いて来た。そしてそのままバシバシと僕の背中を両手で叩き始めたではないか。うーん……この反応を見るに、私はまだ出来ないわよ! 文句あんの! ふしゃーっ! って所かな? よしよし、お前は分かりやすいなぁ。でも、どうしたら噛むのをやめてくれるのかはぜんっぜん分かんないや。どうして……?
「…………むぐ……アギト、ストップ。ちょっと降ろして」
「いや、自分で噛み付いてるだけなんだから、するっと降りたらいいじゃないか。どうした、マグルさんの匂いでもしたか?」
そうじゃない。とだけ言って、ミラはするりと僕の腕から抜け出して、来た道を少しだけ走って戻っていった。ああ……本当にそんなするっと逃げ出さないでよ。お兄ちゃんは寂しいよ。ではなく。
「ミラ? どうしたんだよ、なに見つけたんだ?」
「……これ……っ」
しゃがみこんだミラの手元を覗き込むと、そこには小さな手のひらよりもふた回りほど大きな、真っ黒い薄い板のようなものが握られていた。菱形というか、魚の鱗のような形というか。でも、厚さ的にはカニの甲羅より厚くて硬そうで、それでいて刺々しい鋭利な何か。なんだよ、かっこいいガラス片見つけてはしゃぐなんて本当に子供だなぁ。ばっちいし危ないから捨てて来なさい。
「分かんない……? アンタもこれ、見覚えがある筈よ?」
「見覚えって……これ、なんだよ。瓦って感じでもないし……欠けてる様子も無いから、これで完全にひとつのものなんだよな? こんな鱗みたいなもの…………」
バカアギト! と、怒鳴られた時にはまた噛まれると身構えたのだが、残念ながら噛まれることは無かった。代わりと言ってはなんだが、ミラは真っ青な顔で怒りに震えて、それを握り砕いてしまった。ああっ! 重要な痕跡じゃないのかよ!
「……私達が見た中で、鱗を……それもこんなに大きなものを持つ生き物なんて限られてるでしょう……っ」
「鱗…………っ! まさか……魔竜の生き残りが……?」
ミラは小さく頷いて、まだ手をつけていない方向へと走り出した。きっといるのだろうと思っていた。いないで欲しいと願っていた。ただ、現実問題として、アレの痕跡があったというのなら、早急にマーリンさん達と合流しなければ。今のミラがアレに対抗出来るかどうかも分からないし、不意打ちなんてことになればふたりでさえ危ない。
「……っ。ミラ、勘違いって線はないのか……? 確かにアレは真っ黒な鱗を持っていたし、大きさもこの位だった気もする。でも……他の、いつかの大蛇みたいな、ただの大型魔獣の可能性ってのは……」
「…………分からない。魔力痕はあるけど、ぐちゃぐちゃだし。もしかしたら、あの時ゴートマンに連れられていた個体から剥がれ落ちたものかもしれない。でも……それは警戒を怠っていい理由にはならない。あの男の工房のすぐ側なんだから、気はしっかり張っておきなさい」
ミラの叱責に、僕は下唇をぎゅっと噛む。間抜けなことを聞いたとか、気が緩んでいたとか、そういう反省をしてるんじゃない。また……またあの魔竜が僕らの前に立ちはだかるのか。また、ミラの邪魔をするのか。そう思うと胸が苦しかった。いい加減にしてくれって、もう関わらないでくれって叫びたくなる。だってそうだろう。僕らは何もしていない。だのに、どうしてあんなに悍ましい化け物に足を引っ張られなくちゃいけないんだ。
僕らはそのまま砦の西側入り口へと辿り着いた。どうやらこちら側には居なかったようだ。となれば急いでまた東側へと戻ろう。そろそろマーリンさんもひと通り捜索し終えているかもしれない。きっとマグルさんも一緒にいる。だから、早くふたりにこの危険性を報告しないと。
「アギト、おんぶして。街中を突っ切って戻るわよ。目を瞑って匂いで探すから、運んで」
「任せろ。間違っても寝るなよ、噛むなよ?」
噛まないわよ! と、思い切り首筋に噛み付かれた。噛んでんじゃないか! というツッコミはどうやら受け付けていないらしい。僕の頭の上から身を乗り出して、ミラはすんすんと集中して匂いを嗅いでいた。真剣な表情だ……すごく、真剣なんだが…………
「……ミラ、これ思ったより…………」
「話しかけないで。いつもより集中出来れば、ずっと広い範囲を探せるわ。ここですれ違ったら余計な手間と心配もかけちゃうし、早く運んで」
は、はい。うう……お前は目瞑って集中してるから気にならないかもしれないけどなぁ…………っ。こっちはすごく変なのもを見る目で見られてるんだぞ⁉︎ どんなプレイだ! うう……違うんです、鼻をヒクつかせて周囲の匂いを嗅ぎまわってる変なのを背負ってはいるんですが、僕は別に怪しいものではないんです。
ちょっとした羞恥プレイを乗り越え、僕らはまた街の外まで駆け抜けた。するとミラは酷く焦った様子で僕から飛び降り、そのまま手を引いて、左手――北側へと走り出した。ちょ、ちょっと待って……さっきお前を背負って走ってたから…………僕は息がまだ整って…………ぜひゅぅ……
「…………嫌な臭いがする……っ。アギト、背負うから掴まって! 揺蕩う雷霆――改ッ!」
「背負うって……っ!」
ミラはバチバチと青白い雷光を纏うと、そのまま僕を背負って走り出した。強化魔術を使ってまで急ぐってことは……まさか本当に魔竜がまた現れたってのか。びりびりと少しだけ痺れる体に――少ししか痺れない体に、胸の奥の方からドロドロと真っ黒な不安がせり上がってくる。
「ミラ……無茶だけは…………危ない真似だけはするなよ……」
「分かってる。ちゃんと帰るから、アギトも無理しないで」
僕の脚を抱える手にぎゅっと力が入った。ミラもきっと……いや、間違いなく緊張している。不安と恐怖は僕よりも大きい筈だ。マーリンさんがよほどゆっくり調べて回っているか、マグルさんと談笑でもしていない限り、もうそろそろ鉢合わせてもおかしくない頃だ。それでも姿が見えないってことは…………っ。僕は頼もしくて小さい背中にしがみついて、祈るように目を瞑った。




