第二百九十九話
僕らはまたルーエイの街にやってきた。街の匂いだろうか、ミラは何かを感じ取ったらしい。そうなると流石に眠ってなどいられず、苦い顔でピリピリと張り詰めていた。しばらく街を歩き、そしてそこに辿り着くと、誰もが言葉を失った。
「………………そうか。ここで…………」
長い沈黙を破ったのはマグルさんだった。目の前に広がっていたのは、綺麗に片付けられたままの何も残されていない空き地だった。地術商エンエズ。かつて僕らが出会った錬金術師の営んでいた商店、その跡地だ。
「……私がもっとしっかり警戒していれば……っ」
「ミラちゃん、何度も言うけど後悔ばかりを追うな。君は前を向いていなくちゃいけない。間に合わなかった苦い過去を振り切り、次を間に合わせる努力を。けど……」
けど。と、言葉を打ち切って、マーリンさんは震えるミラの体をぎゅうと抱き締めた。今は悔やんでも良い。泣いても良い。頼りになる人物がいる時は頼って、甘えても良い。そう伝えたいのだろう。
「……これでは手掛かりも何も無いの。無駄足だったか、手間を取らせてしまったな」
「いや、どうだろう。廃材や資源はどこかへ片付けてあるだけかもしれない。それに、街には馴染んでいたんだろう? なら、人に聞けば何か分かるかもしれない。ひとりで完結しようとするのはあんまり良くない癖だぞ。僕でもあの少年翁でも、今は頼る相手がいるんだから」
マーリンさんのお説教じみた言葉に、マグルさんはそうだのと小さく答えてフードを深くかぶり直した。ずっとひとりで過ごして来たんだ、誰かを頼るという選択肢を持ち合わせていないのも無理はない。でも、それでは限界がある。役には立たないかもしれないけど、今この時は僕にも多少手伝わせて欲しい。って……言えたらかっこいいんだけどな。
「アギト、ミラちゃん。二手に分かれて聞き込みをしようか。僕は北へ、君達は南へ。マグルは街の周辺を調べてみてくれ」
「はい、マーリン様。行くわよアギト」
指示を受けると、ミラはすぐに僕の手を引いて商店街を目指して歩き出した。やっぱり相当堪えているらしい。いつも暖かい手が青白く冷え切っている。ぎゅっと握り返すと、ミラは不安そうな顔で振り返り、そしてすぐに前を向いた。次に間に合わせる努力、か。僕にはそれがひどく険しいものに思えた。
地術商エンエズは、どうやらかなりの人気を博していたらしい。行く人来る人誰に尋ねても、何かしらの情報が得られた。だが、そこは魔術翁の一番弟子と言ったところか。ミラが尋ねる、どこで商品を仕入れていたのか、どこで錬成を行なっていたか、なんて問いへの答えは一向に出てこない。人柄が良かっただとか、効能が高かっただとか、物の割に安く売ってくれただとか。彼がこの街においてどれだけ重要な人物であったか、そればかりが積もっていった。
「……ミラ。一回どこかで休もう。お前にはキツ過ぎる。向いてないんだよ」
「そういう訳にはいかないじゃない。私の所為で助けられなかったんだもの。向き合わないといけない。私が……償わなくちゃいけないことを償わないなら、せめてその罪悪感だけは降ろしちゃいけない。でないと私は……」
やっぱりそれは難しいと思う。人一倍人が好きで、人の為になりたくて、人の役に立ちたくて。そんなコイツに、救えなかった人を糧にしろだなんてのは難し過ぎる。ずっと後悔し続ける。きっとこの旅が終わっても、ミラは助けられなかった人の為に涙を流すだろう。アーヴィンにいたままだったら知らなかった、出会わなかったであろう人達の為に。
「…………ありがとう、でも大丈夫。私を誰だと思ってるのよ。これでも市長……に、なる予定なんだから。あんたも秘書になるっていうなら、黙って付いて来なさい」
「……分かった。でも、無理そうならすぐに止めるからな。お前は音を上げるってことをしないおバカさんだから」
生意気。と、首元に噛り付いてきたミラの顔には少しだけ笑みが戻っていた。そうだな。楽しいことを考えているうちは、きっとコイツも笑っていられる。ほんのひと時だけでも悲しい思い出を忘れられる。なら僕の仕事は、ミラを思い切り甘やかして、一緒に笑ってやることだ。おいそこ、遊んでるだけじゃないかとか言うな。いいんだよ、妹の遊び相手はお兄ちゃんの最優先事項なんだから。
一時間ほど聞き込みを続け、僕らはまた店の跡地に集まっていた。まだマグルさんは戻ってきていなかったが、三人の成果は残念ながらゼロ。エンエズさんが優秀であったという街の人々の声と、優秀であったという術師としての観点からの評価を得ただけだった。
「しかしマグルはまだかかるかなぁ。ひとりで外の調査をさせるのは無理があったか。範囲も広いし、アイツももうお爺さんだ。合流ついでに手伝いに行こう。僕は西から北へ向かうから、君達は戻って東から南へ向かってくれ」
街の周辺ってことは魔獣も出かねないしな。マグルさんなら完璧に身を隠してしまえるから大丈夫だとは思うけど。むしろ……魔獣の死骸とか痕跡を見つけて道草食っている可能性を危惧すべきかもしれない。合流したばかりのマーリンさんと別れ、僕らはまたふたりで街の外を歩き回る。
「なんていうか、ちょっとだけ久しぶりよね。ふたりっきりってのも」
「いやいや、毎晩じゃねえか」
そうじゃなくって。と、しゃがんで足跡を探している僕に、拗ねたようにのしかかってミラは頬を膨らませた。なんだよ、可愛いな。でも今はちゃんと調べ物しないとだろ? あとでいっぱい遊んであげるからちゃんとしなさい。
「もう。ほら、いつもはなんだかんだと、危ないとこに行く時はマーリン様が一緒じゃない? 離れるにしても、そう遠くない場所にいたりして。これってちょっとは安心して見ていられるようになったってことかしら?」
「あー……うーん、どうだろう。でも、言われてみると確かに……」
おい。どうしてそんなちょっと怖いこと言った。言われてみれば、魔獣の危険が迫る可能性のある場所で、これだけ離れて行動するのは今まで無かったのではなかろうか。まあ、そもそもミラの勇者としての資質を見に来たんだから当たり前なんだけど。というか……これも当たり前だけど、ミラがレヴの力を使わなくなって、弱体化して以降初めてだよな。こうしてマーリンさんの監督の下を外れて危険地帯にいるの……
「…………ミラ、痕跡探しは合流してからに回して、今は全速力でマグルさんを探そうか」
「バカアギト。何ビビってんのよ、今更。オックスとボルツで一緒になるまでふたりきりだったじゃない」
その時とは状況が違うだろうが! ミラが弱くなった強くなったなんてのは関係ない。あの時はミラが魔獣に負けるだなんて考えもしなかった。考えるだけの経験値がなかった。蛇の魔女も、飛ぶ魔獣も、古代蛇も。なんだかんだと倒してしまう、ミラこそが僕の中で最強だった。
でも、そうじゃなかった。ゴートマンと出会い、魔竜と戦い、エンエズさんとも戦った。レヴのお陰でことなきを得たものの、全部偶然生き残ったようなものだ。
「……大丈夫よ。アンタだけじゃない、私もいっぱい学んでる。もう世間知らずで突っ走るだけじゃないもの」
「……悪いな、ずっとこんなで。頼りにしてる」
ミラの側にはいつも死が纏わりついていた。どこかで歯車が食い違えば、僕らはこうして笑い合ってなどいられなかったかもしれない。それを認識出来るだけの経験は積んだってのに、僕はまだミラの保護の下に生きている。だからこそ、今は自分の身を守る為にも合流を急ごう。
「お爺さん、身隠しの結界を張ってるかもしれないわ。声をかけながら進みましょう。もっとも、熱中してたら声なんて耳に入らないでしょうけど」
「……こんな場所で周囲の異変に気付かないのはダメだろ。いくらなんでも、そのくらいの周辺注意は……」
ミラはハァとため息をついて、肩をガックリと落とした。マジかい。あのお爺さんなら全然あり得ると言いたいのか。でもずっと一人で生きてたんだ、警戒心は強いだろうし…………身隠しの結界が完璧過ぎて、周囲をいちいち確認しなくてもいいという説は…………ある。
「……急ごう。急ぎつつ注意深く探そう。うう……でも、あの結界ってお前でも感知出来ないんだよな……?」
「そうなのよね…………あのお爺さん、本気でフィールドワークに専念してたら合流する方法なんて無いんじゃないかしら……」
なんて先の思いやられる話だ。というかこれはアレか? 何か見つけてしまっていたら、姿を消したまま調べ物に熱中して、そのままどこかへ行ってしまうなんて可能性もあるのか? いやいや! いくらなんでも……いや、そういう生き物だしなぁ、術師って奴らは。僕のちょっとした懸念を感知したのか、ミラは僕にゆっくり抱き着いて来て不満げに首元を噛んだ。そう、術師って生き物はだなぁ。




